第39話 『クソ野郎』

「……大丈夫ですか、ケインくん」


 遮るもののない草原の風に晒されながら歩いていると、ミアが俺の顔を覗き込んだ。

 

「あ、あぁ。ミアのほうこそ平気か?」

「うん……私は大丈夫です」

「……クズハ、お前は」

「気にしないで。わたしは、ふたりに比べれば……」


 三人がそれぞれ重たい空気を纏っている。

 そりゃあそうだ。

 あのガドルという屍人が最期に遺した言葉は、俺たちにとって本当に衝撃的だった。


 クズハは憧れのカルマの正体を知ってしまった。

 ミアは改めて、故郷と自分の身に起きた悲劇と直面した。


 そして、俺は。

 伯父のガイン・ローガンが、クソ野郎だと知った。


 いろいろなショックを抱えながらも情報を集める必要もあった俺たちは、アルケの冒険者ギルドを目指していた。


「……もう少しでアルケの町だ。ほら、白髭山の湯気も見える」


 言いようのない雰囲気を誤魔化すように、そびえる老人の顔を指さした。


 そのとき山の麓が激しく光り、もくもくと揺れていた湯気が一気に晴れた。


「あああああああっ!!」


 同時にミアが悲鳴を上げて倒れ込む。

 

「ミア!」

 

 血の気が引いた。

 体の刺青がおぼろげに光ながら消えていく。

 魔剣カルノの封印の刺青が。


「なに……このオーラ」


 全身の毛が逆立ったクズハは、白髭山から目を離せずにいた。

 俺も肌で感じる。

 こんなに離れているのに、どうしようもなく不気味で荒々しいオーラだ。


「ウキャアアアアア! ウッキャアアアアア!」


 ゴクウも興奮して吠えまくる。


「封印……が……魔剣が、あそこに」


 弱々しく山を指さすミア。

 赤黒い光と、さっきよりも強く輝く光が激突する。


「……えっ」


 俺は見た。

 禍々しい力に立ち向かう光の戦士を。

 巨大で勇ましい姿は間違いなく、ダインの化身だった。


「おじいさま?」


 呟いた声が、突風にかき消された。

 生温くて全身が痒くなる気味の悪い風は、白髭山の方から吹き荒れている。


「な、なんなの!?」

「あそこに、います……あの男と、魔剣カルノが!」


 牙を剥いたクズハと、よろよろと立ち上がったミアが同じ場所を睨む。

 

 俺も睨んだ。でも、嫌な予感がして仕方ない。

 さっき見えたものがなにを意味するのか、どう思えばいいのか分からない。

 ダインがいるから安心すればいいのか。

 それとも、違うのか。


「とにかく、アルケの町に急ごう。ティアさんや兄貴がなにか知ってるかもしれない。今から急げば夜には着く!」


 二人は静かに頷いた。

 俺はミアを背負って、弱まった風に逆らって走った。


 休憩もほどほどに突っ走って、日が暮れた頃にようやくアルケの町に着いた。

 なんだか夜の闇がいつも以上に怖い。

 門は開けられていたが、警備はいつも以上に厳重だった。


「おっちゃん!」

「おぉ、ケインにクズハ! いいところに戻ってきたな!」


 全身に鎧を着こんだ髭面の門番が、嬉しそうに寄ってきてくれた。


「なにがあったんだよ?」

「詳しくはギルド館で聞け。ムーサもいるし、ティアが説明してくれるだろう」


 促されて足を踏み入れた久しぶりの町。

 でも、思ったように進むことができなかった。


「……なんだよ、これ」


 町は人の熱気に溢れていた。

 でも、俺が知ってるものじゃない。

 傷ついた人たちと治療や支援に奔走する人がそこら中にいて、楽し気な雰囲気なんてどこにもなかった。


「急ぎましょう」

「……おう」


 人の間を駆け抜け、俺たちはギルド館へ直行した。


「ケイン! クズハ!」


 いつもは閉まっている扉は開け放たれていた。

 物々しい雰囲気が外にまで漏れ出していたが、ティアさんが俺たちに気づくと全員が少し明るい顔を見せてくれた。


「よくこのタイミングで戻ってきてくれたね! リリィはいっしょじゃないのかい?」

「はい。師匠は東に行きました。兄貴は?」

「そうかい……あの子もいれば、心強かったんだけどね。ムーサは特にひどい傷の女を担いで戻ってね、その看病してるよ。そっちの子は?」

「ミアと申します」


 俺の背中から降りたミアは、ペコリと頭を下げた。


「あたしはティアだ。悪いけど、今はもてなす余裕ないんだよ。急にユフルが吹っ飛んじまってね。避難してきた人の救護やなんやらに忙しいのさ。話を聞いても、男が暴れて男と女が守ってくれたってこと以外、詳しく分からなくてね。今、早朝に送り出す調査隊の編成してたとこなんだ」

「あの……」

「敵の正体なら分かります」


 一瞬言いづらそうにしたミアに変わって、口を開いた。

 きっと、俺に気を使ってくれたんだろう。

 でも、言わないと仕方ねぇ。

 ティアさんや冒険者のみんなに、すべてを聞かせた。


 魔剣のこと、ツノ村のこと、そしてガインのことも。


「まさか……ガイン・ローガンが生きてて、封印の解けた上位魔剣を持ってるって?」


 さすがのティアさんも青ざめていた。

 周りもみんなざわついている。


「信じらんないかもしれないけど、ほぼ確実だと思う……ティアさん、俺も調査隊に入れてくれ! 俺、ガインと話がしたい!」

 

 ティアさんが腕を組んで俺を見つめる。


「話すって、なにをだい?」

「家族のことを。ガインはおばあさまに、体を心配する手紙を書いてたんだ。おじいさまだって、自分の行いを後悔してた。父上も酔うと、初めて兄弟で酒を飲んだ話をしてくれる。たしかに、過去にしたことも今してることも許されない。でも、でもさ、まだ帰る場所があるんだ! 俺は会ったこともねぇ甥だけど、もしかしたら止められ」

「おい、まだ動くんじゃねぇって! 死ぬぞあんた!」


 懐かしい声が慌てていた。

 振り返ると、扉の前に立ち塞がる兄貴の背中が見えた。

 その向こうに、血がにじんだ包帯を引きずる人影が見えた。


「どいて……ください。冒険者証ならあります。私も、調査隊にっ」

「その体でなにができるってんだ! 寝てろって!」


 なんか揉めている。

 声はよく聞こえないが、女は相当重傷のようだ。


「兄貴!」


 声をかけると、兄貴は尻尾をぶんぶん振って振り向いた。


「おぉ! 戻ってきたか二人とも! マジでいいところに! よし、手始めにこの女抑えるの手伝ってくれ!」

 

 駆け寄って包帯の巻かれた女の顔を見た。


「メイ?」


 間違いない。

 俺が生まれたときから家族同然に思ってる、ローガン家のメイドだ。

 なんで、こんなところにいるんだ。その怪我は、どうしたんだ。


「ケイン……様?」


 鬼気迫る顔をしていたメイだったが、俺を見た途端に涙を流して膝から崩れた。


「あぁ……ケイン様、ケイン様! 申し訳……ございません。私が、私がついていながら……ダイン様がっ!」


 肩を抱いた手が震える。

 やっぱり、あの化身はダインのものだった。

 そしてあのとき、なにが起きたのか。

 メイの様子がすべてを語っていた。


「……なにがあったんだ?」


 メイは、見聞きしたことを全部話してくれた。

 ガインの暗躍、目的、ダインの死を。


「おじいさまが……」


 いろんな記憶が蘇る。

 優しい笑顔、厳しい視線、ちょっと抜けたところもあるし、孫バカで実直で勇敢で強くて。

 

 もう、あの声も笑顔も分厚い手のひらも、感じることはできない。

 もう二度と、あの人から剣を教えてもらうことはできない。

 

 おじいさまは、もういない。


「ふざけんなああああ!」


 ギルド館の窓がビリビリ震えた。


「なんだよ、なんなんだよ。話したいって言ってた俺が馬鹿みてぇじゃねぇか! なに自分の両親殺してんだよ……おばあさまは、あの手紙を本当に嬉しそうにしてたんだ……おじいさまだって」


 悲しさと悔しさが勝手に涙を流してくる。


「……ケイン。すまねぇ、辛いかもしれんがオレからも話がある」


 肩に手を置いてくれた兄貴が、重い口を開いた。


「オレ、タイズ村に行ってたんだ。んでよ、お前の家族とゴクウの親と会った……そこで浮かんだ、くそったれな話だ。でも、でもよ……たぶん、事実だ」


 兄貴からは、ガインがやった他の愚行が語られた。

 さっきまでの俺だったら「そんなはずねぇ!」って、否定してたかもしれない。


 でも、そんな気になれない。

 はらわたが煮えくり返っても、まだ足りねぇ怒りが込み上げてくる。


「俺が行く、俺が止める! 奴だけは許さねぇ!」

「そ、そんな無茶でございます! ダイン様でさえ」

「だからこそだ!」


 傷だらけの体で見上げるメイを、涙越しに見つめ返した。


「おじいさまは自分でケジメをつけようとしたんだろ? だったら、同じローガンの人間がその意思を継がないといけねぇ。父上が来るの待ってたら、被害がどこまで広がるか分からねぇ!」

「で、ですが」

「安心しろ、俺は剣聖の弟子だ。それに、さ」


 止まらない涙を無理やり拭いて、笑ってみせた。

 おじいさまの笑顔を思い出しながら。

 

「俺は将来、武神になる男だろ?」


 メイは目を丸くしたあと、嗚咽交じりに泣いた。

 

「……というわけだ、ティアさん。行ってくるぜ」

「ちょ、ちょっとお待ち! 今から行くのは危険だよ! それに、まだユフルにいるかどうかも分からないじゃないか!」

「……いいえ、魔剣は動いていません」


 目を閉じ、意識を外へ集中したミアが呟いた。


「まだ巫女としての繋がりが残っていますから、居場所を感じることができます。カルノは同じ場所に留まっています。恐らくは、力を馴染ませるのに手間取っているのではないかと」

「ならなおさら、すぐにでも」

「ダメだよ」


 ティアさんが威圧感を全開にして言い切った。


「あんたたちも戻ったばかりだろう。せめて今晩は休んでいきな。行くのは予定通り、明朝だよ。負けらんないのなら、万全の準備をしていきな!」

「は、はい!」


 思わず、凄まじい気迫に圧された。

 こっちも気合い入ってたのに、なんて人だ。


「さぁ、阿呆共は町の連中を手伝いな! それと、ケインたちのために足の速い馬とポーションの確保! 急げ!」

「「あいよ!」」


 ティアさんの号令に、屈強な男たちが従順に従う。

 久々の様子に笑いが込み上げそうになったけど、それ以上にのしかかるものが大きくて、胸が苦しくなった。


「ケイン様……これを。私のクナイです。どうか、どうか」

「うん。たしかに受け取った」


 差し出された数本のクナイは、メイの熱が移っていた。


「兄貴。メイを連れて、このことを父上に伝えてもらっていいですか? とんぼ返りになっちゃいますけど」

「あぁ、もちろんだ。悔しいけどよ、オレじゃあ足手まといだもんな。でもよ……絶対に死ぬんじゃねぇぞ。お前の仇討とうとして、オレもすぐに逝くことになるんだから」


 頭を軽く撫でられ、やっと微笑むことができた。


「わたしも行くからね、ケイン!」


 鼻息荒く、クズハが近づいてきた。


「いや、でも」

「わたしだって、剣聖の弟子なんだから! 乙女の純情弄んだオッサンに、一泡吹かせてやる!」

「なんだそりゃいってぇ!」


 足を踏まれた兄貴が飛び上がった。


「私も行きます」


 目の据わったミアが、静かに言った。


「封印の巫女としての責務と恨みを果たさねば、私は前に進めません。それに策もあります。お願いします」


 二人の覚悟を断るなんて俺にはできなかった。

 なにを言っても無駄だって、目で訴えられていた。


「……分かった。その策っての、聞かせてくれ」


 俺たち三人は作戦を練り、少しの仮眠を取った。

 その間に用意してもらった道具を持って馬に跨り、日が昇るのといっしょに町を出た。


 風を切り、見る影もない白髭山に向かう。

 街道を進んでいると焦げ臭い匂いが漂ってきて、蹂躙されたあとのツノ村を思い出した。

 ガインの居場所はミアに頼るつもりだったが、その必要はなかった。

 真っ黒に焦げた街の中心で、赤黒いオーラが天に伸びた。


「あそこだ!」

 

 怯えて動かなくなってしまった馬から降りて、俺たちは走った。

 修業の前だったら、波動に押し戻されて近づくこともできなかっただろう。視界に入った先には五人の兵士が倒れていて、一人が息も絶え絶えに剣を構えている。

 初めて見た伯父は、不気味に笑っていた。


「あれは王国の兵士ね。どうする?」


 物陰に隠れたクズハが囁いた。


「まだ全員生きてる。助けるぞ」

「了解」

「では、作戦通りに」


 三人で視線を交わし、行動を開始した。


「ガイン・ローガン!!」


 立っていた兵士の男が化身を出した。

 きれいな牡鹿の化身。

 角を突き出して突っ込んだが、まるでダメージがない。


「終わりか? んじゃあ、いただきま~す」


 涎を垂らして、ガインが口を開けた。


「おっと」


 後頭部に投げたメイのクナイは、頭を下げて簡単に避けられた。


「メイ~! また来たのか~? 懲りない奴だなぁ~。仕方ないから、一回くらい抱いてやっても」


 ガインの顔が強張る。

 頭上に固まった巨大な氷塊に気づいたからだ。


「『氷凍砲ブリザード・サドゥニス!』」


 ミアの中級魔法。

 詠唱なしだから初動が読まれず、即座に放てる。

 押し潰す極寒の塊が、ガインの脳天に落下した。


「ふんっ!」


 だが、軽く振り上げた剣に砕かれてしまった。


 これでいい。

 おかげで危険を察した兵士が下がってくれた。


「狐火転変、散火さんか


 一転、ガインの周囲は火の玉に埋め尽くされた。


「白狐の一族か。まだ恨まれるようなことしてねぇはずだが」

火達磨ひだるま!」


 クズハの声に呼応して、一気に襲いかかる。

 名前の通りに火に包まれた敵は、このまま燃え尽きる。


 相手がガインでなければ。


「ヒャハハハハハ! なかなかやるなぁ~」


 魔剣のオーラだろう。

 赤黒い闇が狐火に広がり、浸食していく。

 燃やすはずがみるみる取り込まれ、まるで食われていくようだった。


「ん?」


 視界が晴れて気づいたみたいだ。

 周りから、兵士たちを遠ざけたことに。


「おいおいおいおい、メイよ~。どこの誰だか分からんお仲間もいいけどよぉ~、観客がいたほうが興奮するぜぇ~?」

「生憎だが、そんな趣味はねぇよ」


 聞こえた声に眉を上げて、ガインは振り返った。

 

「誰だぁ~? 餓鬼~」


 視線の先には剣を抜いた俺がいる。

 不機嫌そうに睨みつけてくるが、こっちも睨み返してやった。


「よお」


 冒険者として旅に出たときからの目的が果たされた。

 けど今は、会う理由が違う。


 ファミリアに迎え入れるためなんかじゃねぇ。

 俺の手で倒すために、そのツラを拝みたかった。


「やっと会えたな、クソ野郎」

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