第38.5話 『父と息子の罪と罰』
「お〜、さすが白髭山の温泉じゃ。腰がすっかり良くなったわい」
久しぶりの軽い感触。
左右に回しても反っても曲げても、体はしなやかに動く。
このダイン・ローガン、十年は若返った気分だ。
「あまり調子に乗らないでくださいませ。もう若くないんですから」
せっかくの気分をピシャリと叩く声。
我が家に仕えるメイドのメイ。
まだ当主になりたての頃に出会い、それ以来苦楽を共にしてきた。最近は儂が主人であるはずなのに、日常のことに関してあまり強く言い返せん。妻亡き今、一回り以上若いメイドに頭が上がらないのが、なかなかどうして悪い気はしない。
「まぁ、そう言うな。儂もまだまだ負けてられんからな。アルケで会えんかったのは残念じゃったが、あんな話を聞いたら」
「ケイン様のお話ですか? そりゃあ、剣聖の弟子になったなんて衝撃でしたが……まさか、年甲斐もなく対抗心を燃やしているのですか?」
「当たり前だろう!」
胸が疼いて仕方ない。
景色のいい小洒落た宿だが、今すぐにでも鍛え始めたいくらいだ。
「今頃、ライオスも話を聞いとるだろう。となれば、あやつも血が騒ぐだろうて。儂も同じ穴のムジナだ。守護の剣として王に仕えしこの五体、染み付いた戦士のオーラは老いておらん。孫が武神になるための、いい壁にはなってやりたいからのぉ〜」
「……物騒なおじいちゃんもいたものですね」
呆れた笑みだが、メイはそれ以上なにも言わなかった。
「……もう、間違えたくはないからな」
窓の外に見える空は、湯気で白く霞んでいる。
淡い光の太陽が、もはや届かぬ過去を思い起こさせた。
「父親として、家長として、儂は取り返しのつかないことをした。ガインは……あの子は、儂が親でなければ違う道を歩めたのだ」
生きていれば、長男も誰かの父となっていたかもしれない。
ケインやマリオスは従兄弟と遊び、モニカとソランとガインの妻が料理を作り、儂らは親子で酒を飲む。
あったかもしれない平和な未来。
その可能性を奪ったのは、他でもない自分だ。
「あの子を狂わせ、ライオスに兄殺しの重荷を背負わせ、一族の名を地に落とした。モニカに……我が子を失う悲しみを与えてしまった。すべて儂の責任だ。だが……もう、謝ることすらできない」
窓辺に置いた手に、そっとメイの白い指が重なった。
「悪魔なんて言いながら、本当は誰よりもご自分を責めてらっしゃる。モニカ様と私は……分かっていますよ」
「……ありがとう」
歳を取って涙脆くなった。
しかし、弱くなったとは思わん。
誰よりも間違え、重い罪を背負うからこそ、強く生きねばならない。
それが儂の罰だろう。
「ケインにな、村を発つ前の晩に絵を見せたのだ。ガインが描いていた、あの絵を」
「お部屋に飾られてる絵ですか?」
「あぁ。儂が破り捨て、無理やり剣を取らせたあの絵だ。思えばあのとき、心が壊れてしまったのかもしれんな……絵は修復して飾ってあるが、儂にはてんで良さが分からなかったんだ。だが、ケインはな」
屈託のない孫の言葉が蘇る。
「すげぇ、と言って涙を流したよ。言葉にできないが、いろんな感情が描かれていると。自分にはなんとなく分かるのだと。改めて思い知ったよ……あの絵が分からぬ儂には、ガインの心は分からぬ。だが、ケインは違う。あの子は強く、優しい心を持っている。もしあの子とガインが出会っていれば……」
ありもしない妄想を口にするなど、やはり歳を取ったな。
苦笑し、眼下の街並みを眺める。
有名な湯治場であるユフルの街。誰もが癒やされ、楽しげにしている。
その中に見えた、異質の影。
あり得ないはず、存在しないはず。
大勢の人々の中で、狂気的に目を奪われてしまう。
眼帯で右目を覆った顔は、儂が知るより歳を重ねている。
男はおもむろにこちらを見上げ、嬉しそうに笑い、声を発した。
「会いたかったぜ、親父殿〜!」
剣を抜くと同時に、刀身に怪しい光が見えた。
見覚えのある光。
儂にとってはつい最近にも感じられる、忘れられぬ光。
我が家のメイドの命を奪い、孫の心に大きな傷を負わせた魔剣の光だった。
「メイ!!」
魔剣から放たれた力は爆発魔法のようだった。
咄嗟にメイと二人で武器を取り、衝撃に備えた。おかげでなんとか無事ではあったが、宿は倒壊し周囲のほとんどが吹き飛んでいる。被害はどれほどのものになるだろうか。
「おぉ! 生きてたか〜、さすが親父殿〜! 中途半端に封印が解けたくらいじゃダメか。でもさぁ〜我慢できなくってさぁ〜」
すでに齢は三十五を超えているはず。
だが、なんと無邪気に笑うのか。
「ガイン……なのか?」
信じられんが、儂が見間違えるはずがない。
いたずらに人を殺め、大罪を犯し、この世を去ったはずの愛息子が立っている。
「おぉ、そうだぜぇ~久しぶりだなぁ~、元気にしてたか? 俺? 俺は元気にしてたぜぇ~。いろんな名前を使いながら、コソコソとなぁ~。なんせ、あんたらに殺されたからな~」
なんと言えばいいのだろう。
ライオスや儂がすべてを犠牲にし、自ら討ち取ったことでローガン家はお取り潰しを免れた。こやつが生きていては、すべてが無駄になる。
だが、嬉しい。喜びが胸に溢れる。
死んだと思っていた息子が、生きていてくれた。こんな奇跡があるだろうか。
話したいことがたくさんある。謝りたいし、共に酒も飲みたい。いっしょに帰ろうと手を伸ばし、甥っ子たちの顔を見せてやりたい。
しかし、許せぬ。
ガインはなにをした。
瓦礫と共に今、周りにはなにが転がっている!
「ガインよ、我が息子よ。儂に顔を見せにきてくれたのか? なら……なぜこんなことをした!!」
感動の再会には似つかわしくない悲鳴と、逃げ惑う人々の声。
それを生んだのは他でもない、ガイン自身だ。
「だってよぉ~、魔剣の封印解くのに血が必要なんだよ。これでも義賊もどきやりながら抑えてた村、皆殺しにして来たんだぜ? 足に使ったイビル・ワイバーンまで首刎ねたのに、まだ封印が解けきらないんだもんよ~」
「なにを当たり前のように……」
そこまで狂ったか。
心を入れ替え、真っ当な道を生きることはできなかったのか。
「なんのために、そこまでするのだ。魔剣に手を出せば」
「そんなの、あんたを殺すためさ」
ガインが罪を犯して、様々な誹謗中傷に晒された。
だが、誰に向けられたどんな言葉より、息子からの一言が胸に刺さった。
「そのために……そのためだけに、たくさんの人々を殺めたのか」
「そうさ~。あのとき、大会で他の奴ら皆殺しにしたのに、褒めてくれなかったからよぉ~。俺が一番強かったのに、強くなれって言ってたあんたが、俺を責めてきたからなぁ! だから考えたんだよ。あんたを殺すくらい強くなればいいんだって。ライオス……あの糞弟も踏み潰せるくらいの力があればいいんだってよ~。それで、やっと手に入れたからさ、ぶっ殺しにきたんだぜぇ~」
もはや、人ならざる者の笑み。
だが、目を背けるな。
息子をこんな姿にしたのは儂だ。
今この状況は、儂が背負い償うべきものに他ならない。
「そうか。なら」
数多の敵を斬り伏せし我が剣よ、数多の脅威を退けし我が盾よ。
我が息子、ガイン・ローガンのために。
今一度、共に戦ってくれ!
「守護の剣と称えられしこの五体、斬れるものなら斬ってみよ!」
手加減など不要。
最大の力でもって、今度こそ我が子の暴走を止めてみせる!
「ヒャハハハハハっ! そうこなくっちゃ! 復讐の鬼となった俺の力、見せてやるぜぇ~!!」
どす黒いオーラが笑うガインを包み込む。
すでに化身も取り込まれておるのか、姿は見る影もない。
「ぬおおおおおおおおおお!」
「シャアアアアアアアアッ!」
我が願い叶いながらも、望まぬ形の再会。
交わす言葉もそこそこに、命を奪う刃が交わった。
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