第38話 『屍人の言葉・犬の嗅覚・猿の筆・炎人の怒り』
いい天気だ。
風もよく通るし、景色もいい。小高い丘だと聞いていたが、のどかで平和で本当にいいところだ。
「……よかったな、リース。ローガン家の墓に入れてもらえて。すぐに来なくて悪かったな」
墓標にそっと話しかける。
少し強めの風が吹いて、引っ掛けられたペンダントが揺れた。
「ケインのやつ、オレを置いて修業に行っちまった。でもよ、師匠はあの剣聖なんだぜ? マジですごいよ、お前の恋人は……」
フラれ続けた日々が蘇る。
一蹴されるたびに傷ついたが、その時間がかけがえのないものだった。今さらになって気づくなんて、本当にオレは馬鹿だ。
「……あいつのことなら心配するな。このムーサ・シミックスがついてるからよ。頼りねぇって? 自分が一番分かってるっての」
しばらく話をして、リースが昔好きだった赤い花を手向けてやった。
「じゃ、行くわ。ソランたちにも会ってくるぜ」
背を向けて、歩き出す。
めちゃくちゃ泣くかもと覚悟してきたんだが、意外に心は穏やかだった。
「ありがとう、ムーサにい」
声が聞こえた。
気のせいなんかじゃねぇ、たしかにリースの声がした。
慌てて振り返っても、青輝石が光ってるだけ。
手を振るみたいに揺れてやがる。
「……また、来るぜ」
流れた涙は一粒だった。
でも、今までで一番熱い涙だった。
丘を下り、タイズ村を歩いていく。
ソランが嫁いだときに一度来たっきりだったが、本当に平和な村だ。この村が一度盗賊にぶっ壊されたなんて、教えられなきゃ分からねぇ。
「ねぇねぇ、おじさん。どこから来たの?」
いつの間にか、後ろに子どもが立っていた。
小さい女の子だった。
「ん? おじさんはな、アルケって町から来たんだ。お嬢ちゃん、名前は?」
「わたし、エリース! ねぇねぇ、アルケにいたならケインのこと知ってる!?」
目をキラキラさせて飛び跳ねる。
この子の話はケインから聞いていた。リースが命がけで守った、大事な命だ。
「そうか、お前が……」
「ねぇねぇ、知ってるの?」
「あぁ、知ってるぜ。なんたって、オレはケインから兄貴って呼ばれてるほどの男だからな!」
「なにそれすっごーい! みんなー! この人ケインのこと知ってるってー!!」
可愛らしい声に反応して、わらわらと子どもたちが集まってきた。
いや、どこに隠れてやがった、まったく。
「ケイン元気!? 今も強い!?」
「今なにしてるの? アルケってどんなとこ?」
「だあぁー! いっぺんに喋んな! 今からローガンの家に行くからついてこい! 歩きながら聞かせてやるぜ……ケイン・ローガンの伝説をな!」
俺と魚を釣ったりしたことや、討伐クエストのことなんかを物語風に語ってやった。
進むにつれて子供の数が増えていき、反応も素直だからこっちも楽しくなっていった。多少話を盛ったところはあるが、文句は言われねぇだろう。
「……ってわけで、今は修業に行ってんだよ。お、見えてきたな」
距離があってもすぐに分かる。
この辺で一番大きな屋敷は、田舎に飛ばされても陰ることのない五大貴族の権力が滲みでている。
「ごめんくださーい」
「「ごめんくださーい!!」」
オレに続いた子どもたちの大合唱は、広い敷地の隅々に響いたことだろう。
「はいはい、どうしたのみんなで……って、ムーサ!?」
出迎えに出てきたのは、昔いっしょに冒険をした魔法使いソランだった。
子どもを産んですっかり母親の顔になっていたが、目元や口元はガキの頃のまんまだ。
「久しぶりだな、ソラン」
「あんた……来るの遅いのよ。ティアから酒に溺れてるって聞いて、どんだけ心配したと思ってんの?」
「悪い、さっきリースにも謝ってきた。お前の息子のおかげで、ここに来る踏ん切りがついたよ」
涙ぐみながら胸を殴ってくる。
痛くはないが、内側に響く拳だ。
「あー! ムーサ、ソラン様泣かしたー!」
「ライオスさまー! ソランさまが男の人に泣かされたー!!」
「っちょ、お前ら言い方が」
「なあああああにいいいいいい!?」
庭の奥から、燃え上がる闘気の柱が見えた。
次の瞬間、屋根を飛び越えて剣を振り上げたライオスが飛来した。
「待て待て待て待て! 炎人! オレだ、ムーサだ!」
「……ムーサ?」
鼻先に当たる直前で、なんとか剣を止めてくれた。
あぶねぇ、もう少しで漏らすところだった。
「おぉ、ムーサ! 久しぶりだな。いつから保育士になったんだ?」
「ついさっきな」
俺は居間に通されて、エルフのメイドからお茶をもらった。
たしか、ロアって名前だったっけ。
ついてきた子どもたちは、そのまま庭で剣やら魔法の稽古をしていた年上たちに群がり、有無を言わさない鬼ごっこを開始した。
「ごめんね。今、客間とか納屋の中を大掃除してて」
「いやいや、いきなり来たのは俺だ。それに、オレ相手になんも気にするこたぁねぇよ」
嗅ぎ慣れない香りのお茶をすすると、ソランとライオスが正面に座った。
「ムーサ、ケインから手紙でいろいろと聞いてる。なにからなにまで世話になっているようだな」
「んなことねぇよ。オレだって助かってんだ」
「それでも……あんたがそばにいてくれるって聞いたら、安心したよ。本当にありがとう」
二人同時に頭を下げられて、なんだか尻尾の先がくすぐったかった。
「あ、そうだ。手紙にあったが、ケインが剣聖に師事してるって本当なのか?」
「あぁ、本当だぜ。今ごろ、魔の森でしごかれてんだろうな」
「魔の森!? 大丈夫なの?」
「大丈夫ではないだろうが、あいつならやり遂げるだろうよ……なぁ、そういえば鬼のダインはいないのか?」
本人に聞かれたら殺されるから、なるべく小さな声で聞いた。
「大丈夫、今は家を空けてるよ。最近、腰が悪くてな。メイドを一人連れて、白髭山の温泉に行ってる。途中でアルケに寄るって言ってたが」
「あぶねぇ~! 入れ違いだったんだな!」
会わなくてよかった。
最後に会ったときは、根性を叩きなおすとか言って無理やり修業をさせられそうになったからな。
「外でモニカ・ローガンの杖を持ってるのが、ケインの弟か?」
「そうよ、私以上の才能持ってる」
「マジかよ。どうなってんだ、ここの兄弟」
「村の子たちも筋が良いぞ。どうだ、ムーサ。親父殿の代わりに、俺が稽古してやろうか?」
「勘弁してくれ。それより、お茶のおかわりでもくれや」
「ギャイギャイ」
「あ、どもおおああああ!?」
カップにお茶を注いでくれたのは、メイドのエルフではなくて大人のバル・モンキーだった。
声裏返ったじゃねぇか!
「あっはっはっは! あんたゴクウ知ってるんでしょ? そんなに驚かなくてもいいじゃない。あの子のお母さんよ。今メイドがロアだけだから、お手伝いに来てもらってるの。ありがとうね、奥さん」
「あ、あいつは子猿だから見た目全然違うだろ! 魔物との距離感が分からなくなるぜ」
ゴクウの母親はオレの体の匂いを嗅いだ。
息子の匂いがしたのか尻尾を振って、おもむろに紙とペンを取り出した。
『ムスコ、ヨロシク、オネガイ、シマス』
マジで魔物が字を書きやがった。
思わず言葉が出なかったが、返事は返さないと悪いよな。
「お、おぉ。任せとけ……ください」
魔物より変な言葉遣いじゃねぇか、オレ。
母親のバル・モンキーはニコリと笑い、お辞儀をした。
「……は?」
その瞬間、血の気が引いた。
全身の毛が逆立って、体が震え始めた。
なんだよ、なんなんだよ。
似すぎだろうがよ、あのときのやつに。
あの変異した
「どうしたの、ムーサ?」
「い、いや、なんでもねぇ」
きっと考えすぎだ。
魔物が笑うこと自体珍しいんだから、似てても不思議じゃねぇ。
「ギャギャー」
今度は父親らしいバル・モンキーがいろんな荷物を持ってきた。
たぶん、納屋にあったものだろう。分厚い本や、古い木箱が居間に運び込まれた。
「おー、ありがとう。見覚えのないものがけっこうあるな」
ライオスがおもむろに持ち上げた本は『魔剣大全』という、魔剣についてまとめた本だった。
俺もガキの頃に読んだことがある。
だから、よぎった。よぎっちまった。
本と魔物の笑顔が重なって、見えなくていいもんが見えた。
自分でも恐ろしい、最悪の考えが浮かんじまったんだ!
「すまん、炎人! それ貸してくれ!」
半ば強引に奪うと、オレは一心不乱にページをめくった。
「水を操る、違う……速度上昇、これでもねぇ」
「お、おいおい。どうしたんだ?」
「……ムーサ?」
周りの声に反応する余裕なんてない。
ただ、オレの願いは一つ。
この考えが外れてくれることだ。
「……あった」
まずひとつめのピースがハマっちまった。
「魔剣クリオロ。対象を魔力で作り出した球体に閉じ込める能力。魔剣プレシィオ。傷つけた対象を液状化する能力」
ガキの頃読んで、記憶の端に覚えていた魔剣。
できれば、オレの勘違いであってほしかった。でも、今までのことが繋がっていく。
関係ないはずのもんが同じ形になって、見たくもねぇ裏の顔を見せてくる。
リース、ケイン、ゴクウ、クズハ、ソラン、ライオス。
みんな、クソみてぇなところで繋がってたんだ。
「今から話すのは……オレの仮説だ……」
集まった視線に、オレは呟いた。
「炎人、ケインからの手紙でマテリアル・スネークについては聞いたよな?」
「あ、あぁ。東にあった村の話だろ? だが、個体の大きさから考えるとそれは」
「可能だよ」
ライオスは口をつぐんだ。
「魔の森に置いときゃいいんだ。あそこは魔素が濃い、魔物はすぐにデカくなるから回収すればいい。ま、そもそも魔物を回収しようなんて普通は思わねぇけど、この魔剣クリオロを使えば簡単だ」
俺は開いたばかりのページを見せた。
そして、次のページをめくる。
「魔剣プレシィオ。こいつは敵を液状にする。普通はそこで終わりだよ。でも、その先をした馬鹿野郎がいたらどうする? 液状にした相手を再利用したとしたらどうするよ?」
オレの言葉に、ローガン夫妻の表情が険しくなった。
「あんまり聞きたくない話ね、ムーサ」
「あぁ、まったくだ。だいたい利用っていったって、どう使うっていうんだ?」
「オレたちは見た」
オレは自分の荷物をあさりながら続けた。
「雪玉獣に刺さってた変な管を。その中には、真っ赤な液体が残ってた。見覚えがあると思ってたけど、やっと思い出したぜ。ありゃ血の色だ。それも、魔物の餌場で見た血だまりの色にそっくりだったんだ」
やっと目当てのものを掴んだ。
丸めた二枚の紙。
そのうちの一枚を広げて、ゴクウの両親に見せた。
「見覚えあるだろう、なぁ? あんたらも、こいつを刺されたんじゃねぇのか?」
描かれていたのは、あの管を写したもの。
王都に送る前に、オレが一つ描いておいた。案の定、二人は急に興奮して牙を剥いて、紙切れに吠えた。
「やっぱりな……全部仕組まれたんだよ」
「待て待て待て、だいたい魔剣なんてそう簡単に手に入るもんじゃ」
「どうやったかは知らねぇけど、持ってたんだろ? この村を襲った盗賊がよ」
ライオスは言葉を失い、目を見開いた。
「まさか……今までのことは繋がってるっていうの?」
「考えたくねぇが、そう思っちまう。出来過ぎなんだよ。そんで……これが、最後のピースだ。これは、これだけはオレの予想を外れてほしい」
もう一枚の紙を広げ、バル・モンキーに見せた。
「こいつを知ってるか?」
父親は怒りに身を震わせ、母親は恐怖を滲ませた表情でペンを走らせた。
『ワタシタチ、ソイツニ、ヤラレタ、ヒドイコト、タクサン、タクサン!』
書き続ける手は、止まる気配がない。
『ワタシタチ、ニンゲン、イレラレタ、ダカラ、イロイロデキル、ワタシタチカラ、ウマレタ、ゴクウ、トクベツ、ダカラ、ニゲタ!』
「ムーサ、俺にも見せてくれ!」
オレは黙ってライオスに渡した。
反応は分かってた。
歯を食いしばり、抑えられない闘気が溢れ家屋を揺らす。
「うそ……」
となりのソランは、みるみる青ざめていった。
「……おい、ムーサ。こいつはなんだ?」
「義賊冒険者カルマ。そう呼ばれている」
「ふざけるな!!」
『チガウ!!』
ライオスの怒号と同時に、母親が文字を書き殴る。
「俺が間違えるものか……あぁ、お前が信じたくない気持ちが分かった」
「そうだよ……ちくしょう、全部当たってたなんてよ」
悔しさと絶望が膝を折る。
決定的な言葉を紡いだのは、全員同時だった。
――――
「そして、奴はカーでもカルマという名前でもない」
ふと、屍人の真っ白な目が俺を見た。
背筋に冷たい風が吹いた気がして、生唾を飲み込んだ。
「奴の名は……」
「こいつは」
「こいつの名は」
『コイツハ!』
「「ガイン・ローガン!!」」
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