第37話 『遺言』
「本当に行くのか? ミア、お前さんはまだ休んでいたほうが」
「いえ、私が行かなくちゃいけないんです」
ミアが目覚めて一夜明け、村の簡素な門の前には暗い空気が漂っている。
俺、クズハ、ゴクウ、そしてミアの四人は、森の中にあるツノ村に向かおうとしていた。
「戻った者らが言っておったじゃろ? ツノ村は今、魔物が蔓延って近づくことすら出来んと。ケインくんたちといっしょなら大丈夫かもしれんが、目覚めたばかりでは……」
「……この目で見たいんです。あの男に繋がるものが分かるかもしれないし。私の封印も弱まっている今、時間がありませんし。お姉ちゃんや村のみんなも弔ってあげないと」
ミアは微笑むが、目の奥には強い光が宿っている。
ツノ村の現状を聞いて、俺とクズハは代わりに調査へ行くことにした。もちろんミアのことは村長に任せるつもりだったが、自分も行くと言って聞かない。見た目は弱々しい印象だったけど、言葉のひとつひとつから伝わる覚悟に折れるしかなかった。
「大丈夫っす! 俺たちが守りますから!」
「はい!」
「ウキャキャ!」
見送りに来た人たちは、みんな心配を隠せずにいた。
だからせめて安心させようと、三人でポーズをキメてみた。
「ぷっ……ふふふっ、あははは!」
やっと見せてくれた笑顔は、パッと咲いた花みたいに思えた。
村長たちに手を振り、俺たちはツノ村へ向かった。
「それにしても……まさかカルマが」
道中、クズハの表情は複雑だ。
それもそうだろう。今まで憧れていた義賊が、極悪非道の外道だったんだから。
「……正直、私もまだ信じられない気持ちがあります。でも、だからこそ」
まっすぐ前を向いたミアは、震えた声を発した。
「絶対にあの男を逃しません」
誰よりも強い足取り。
クズハは小さく「そうね」と頷いて、ミアのとなりを進んだ。
「……ここだ」
森に入ってしばらく歩いて、シアを埋めた場所へ辿り着いた。
「お姉ちゃん」
周りと色の違う地面を眺めながら、ミアが消えそうな声で呟いた。
「掘り起こすか?」
「いえ、このままでいいです。森の土に還るなら、私たち一族の掟通りですから」
どうやら、埋葬のやり方は俺たちと違うらしい。
ミアは弔いの言葉をシアの上に優しく書いた。
「さぁ、村のほうへ行きましょう」
頑張って気丈に振る舞っているのが分かる。
痛々しくて仕方ねぇが、その気持ちと覚悟を止めるなんてできない。唯一の生き残りになっちまったミアの選択だ。俺には横からとやかく言う資格はない。
それでも、こいつを助けることはできるはずだ。
ぶっ倒れないように支えて、ぶっ倒れる前にケリをつけてやる。
それがシアから託された願いで、幸運の狼の使命のはずだ。
「これは」
突然、焦げた臭いが立ち込めてきた。
草陰から覗くと、開けた空間に焼け落ちた建物が並ぶツノ村が見えた。血の跡はあるが、遺体はない。たぶん、そこら中を彷徨ってる魔物に食い荒らされたんだろう。
「ひどい……」
クズハが顔をしかめ、ミアはいろんな感情が混ざった顔で唇を噛んだ。
「どうしてこんなに魔物が集まってんだ? いくらなんでも多すぎるだろ」
「魔剣カルノのせいです。アレには元々、肉食の魔物を呼び寄せる力があるんですよ。あの男が放った個体以外は、刀身が出たときの残り香と……死体の臭いに寄せられたんでしょう」
ミアは涙の溜まった目で、故郷をキッと睨みつけた。
「いきます!!」
勇ましい声に、魔物たちが反応した。
俺は剣を抜き、クズハは妖力を練る。
「『
「えっ?」
そしてミアは魔法を放った。
激しい稲妻が走り、射程内の敵を一掃する。その強さはたぶん、生前のモニカにも匹敵するだろう。でも、驚いたのはそこじゃない。ミアは、呪文を唱えてなかった。
「ミ、ミア。お前、今呪文を」
「あ、はい。私の体には、封印以外に魔法の刻印も彫ってあるんです。中級までの魔法なら、詠唱破棄で放つことができますから。足手まといにはなりませんよ!」
戦闘態勢に入った顔は、少しシアに似ていた。
なんにせよ、有り難い戦力だ。
俺も負けてられねぇ!
「よし、とにかく魔物を片付けるぞ!」
「「はい!」」
「ウキャッ!」
俺たちは片っ端から魔物を討伐していった。
ツノ村の集落はそこまで広くなかったが、とにかく数が多い。でも俺とクズハはもちろん、ミアの魔法も強くて魔力量もあったから苦戦はしなかった。
でも、戦いながら改めて見える村人たちの暮らしの痕跡に、胸は痛かった。
「ふぅ。もういないか?」
三十分くらい戦った頃、やっと魔物の姿が見えなくなった。
「えーっと……待って。あっちから近づいてくる気配がある。今までの奴とは桁違いに強いわ」
妖力の索敵をしたクズハの声が低くなった。
「そっちには封印の祠があります。もしかしたら、あの男がなにか残したのかも」
ミアも警戒を強める。
イビル・ワイバーンの例がある以上、俺も油断はできない。
「……来たな」
一瞬、生き残りの男が歩いてきたのかと思った。
けれど、明らかに普通じゃない。鍛えられた筋骨隆々の巨体だが、纏うオーラは禍々しくて不吉。土色の体は人間に見えない。
「あぁ!!」
ミアが悲鳴に似た声を上げた。
「ガドルさん!」
名前を呼ばれたガドルの足は止まったが、なにも答えない。
「村人か!?」
「守護者だった人です……でも、今は、この姿は」
涙が堪えきれず、ミアは泣いた。
「
昔モニカに学んだ。
強い怨みや無念を抱いて死ぬと、稀に瘴気を取り込んで屍人になる。人を襲い、討伐対象にもなる魔物だ。
「ガアアア!」
「ちっ!」
ゴリラみたいな見た目なのに速い。
剣で防いだ拳は硬く、鉄球みたいな衝撃を与えた。
「強えぇ……悪い、ミア。手加減はできねぇ!」
化身顕現で高めた闘気を纏う。
体勢を崩し、右腕を斬り落とした。
「ケイン! 危ない!」
クズハの声は間に合わなかった。
斬った腕が飛んできて、みぞおちに一撃叩き込みやがった。吹っ飛ばされて、焼け落ちた民家をさらに崩してしまった。
「ガドルさん、もうやめて!」
「ダメよ、ミア。屍人に声は届かない! いけ、狐火!」
瓦礫を放り投げると、クズハが奮闘していた。
火の玉でかく乱しつつ小太刀で襲うが、大したダメージになっているように見えない。
「仕方ねぇ。化身武装で一気に」
「ガアアアアアアアアアア!」
集中しようとした瞬間、ガドルはミアのほうへ駆け出した。
背中の大きな刀傷が、屍人を生み出した原因だと分かる。
「しまった!」
「ミア、逃げて!」
ミアは動かない。
泣きながら、必死にガドルを呼んでいる。
でも、その足は止まらない。
「
「ガオウ!」
その手が触れる直前に、化身武装で断ち斬ろう思っていた。
だが、信じられないことが起こった。
ガドルはミアを襲わず、背に守るようにして立った。
俺たちを睨み、まるで番犬のように唸る。
こいつは、ガドルは、死んでもなお誇り高き守護者だった。
「グルルルルルル」
「ガドルさん……」
切り裂かれた背中に、優しい声が向けられる。
ミアは息を吸い、歌を歌い始めた。
「使命を抱き生まれし子 世界を担いし気高きの子 今はおやすみ 安らかに 怖い牡牛はもういない 星の巫女が見てくれている 今はおやすみ 安らかに 優しきツノの子 かわいい子 今はおやすみ 安らかに……」
きれいな歌だった。
まるで子守唄のように胸に沁みて、平和だった面影のないツノ村を包んでいく。きっと、ミアの目には大好きだった故郷が見えている。シアとガドルと、大勢の人と笑っていた、かけがえのない日々が。
「ミ……ア……」
ガドルが名前を呼んだ。
姿は屍人のままだったが、表情は穏やかであの恐ろしいオーラもない。
「ガドルさん!!」
ミアが抱きつき、歌が止まった。
「すま……ない。怖い思いをさせた」
「ううん、大丈夫。大丈夫だから」
俺も闘気を解いて近づく。
見ると、ガドルの足元が崩れ始めていた。時間はあまりないらしい。
「きみたちは、ミアを守ってくれていたんだね。ありがとう……そして、すまない」
「いえ、気にしないでください。俺も腕斬っちゃったし」
「ま、まさか屍人と話すときがくるなんて」
クズハはちょっとビビっているようで、俺の背に少し隠れていた。
「おれは守護者として、シアとミアに加護を与えられていたからね。でも、イビル・ワイバーンの瘴気に当てられてしまったようだ。それに……あの男への怨みが強まって」
ガドルは残った左手で顔を覆い、血の涙を流した。
「おれが、あの男を信用したばっかりに……兄のように慕ったばっかりに! あのとき、魔剣の封印箱を見たいと言った奴の頼みを聞かなければ……すまない、本当にすまない! おれのせいだ、おれのせいなんだ!」
「違います!」
ミアが叫ぶ。
高くハッキリとしたその声は森中に響き、鳥が飛んだ。
「悪いのは全部あの男です! ガドルさんのせいじゃない! 村の誰も悪くない! だから……だから……必ず私が、仇を取ります! 封印の巫女としての責務を果たします。ツノ村の誇りは、私が全部受け継ぎます。だから、みんなと、安らかに……」
ガドルはミアを抱きしめたが、その腕もボロボロと崩れかけている。
「ありがとう、ミア。本当に強くなったな……奴について、おれが知ってることを話そう。目的達成に気をよくしたのか、おれが死ぬ直前に洗いざらい答えてくれたんだ。こうなるとは思い至らなかったようだな、ざまあみろ」
皮肉な笑みを浮かべた顔は、妙に人間らしく見えた。
「そうよ、カルマはなんでこんなことをしたの? 魔剣を使って、なにをしようっていうのよ!」
「具体的なことは分からないが、同じ質問に奴は世界への復讐と答えた。そのために、魔剣を集めていると」
語るガドルの体は、徐々に風に攫われていく。
「そして、奴はカーでもカルマという名前でもない」
ふと、屍人の真っ白な目が俺を見た。
背筋に冷たい風が吹いた気がして、生唾を飲み込んだ。
「奴の名は……」
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