第35話 『飛竜と少女』

 修行を終えた俺たちは、雄大な草原を風のように速く駆け抜けた。

 半日以上走って、途中で街道に出てからは歩いたけど全然疲れを感じなかった。行商の馬車に乗せてもらったりして二日目、カルノス火山の麓に広がる森に辿り着いた。


「あれがワイバーンか」


 空を見上げれば、鷹や鷲と比べ物にならない巨体が飛んでいる。

 肉食獣みたいな咆哮を上げながら、何匹も。


「……変ね。いくら巣が近いからって、あんなに飛んでるものじゃないわ。それに、なんだか興奮してるようにも見える……あ、ほら。仲間同士で争ってるわ」


 クズハの言う通り、一部のワイバーンが威嚇したり噛みつき合っている。

 

「縄張り争いとか、繁殖期とかか?」

「どうだろう? 白狐の森にワイバーンはいなかったから、よく分からないわ」


 首をかしげながら、森を進む。

 魔の森ほどではないが、なんだか不気味な空気が漂っている気がする。


「待って!」


 剣で草を薙ぎ払っていると、クズハに呼び止められた。

 耳を澄まして、鼻をせわしなく動かしている。


「なにか匂う……焦げた匂い。木と……生き物が焼けた匂い! 血の匂いもするわ!」

「どこだ! すぐに行こう!」


 目を閉じたクズハは印を結び、薄い妖力をドーム状に広げた。

 修業で会得した探知能力だ。


「そこを右! まだ生きてる人がいる! でも、魔物に襲われてるわ!」

「助ける!」


 木に登って枝を飛び移りながら、クズハの行った方向へ向かった。

 

「フーッ! フーッ!」

「どうしたゴクウ?」


 肩のゴクウが、見たことないほど荒い息をしている。

 まるで怒りを抑えるようにも、なにかに怯えているようにも見えた。


「見つけた!」


 血だらけの少女がよろめきながら、必死で走っている。

 背後には魔の森にもいた、デカい芋虫の魔物デス・ワームが迫っていた。


「はあっ!」


 修業中、師匠に作ってもらった石のナイフを投げて、芋虫の目を潰した。


「オラァ!」


 闘気を纏った剣で、落下の勢いそのままに一刀両断した。


「まだよ!」

「分かってる!」


 今度はデカい爪のイタチみたいな魔物ウィーズルと、人型の花の化け物フラワーマンが群れで襲いかかってきた。


「狐火!」


 後ろからクズハの援護が飛ぶ。

 速さや火力が前とは段違いだ。正確に敵だけ燃やしていくし、間違って当たる心配もない。


「化身よ!」


 狼の気配が全身を包む。

 昔感じたときよりも強く濃い。化身武装だと逃げてきた人も巻き込んでしまうかもしれないと思ったが、化身顕現でも十分強力だ。まるで、俺自身が狼になった気分になる。


『剣の技は……ない』


 師匠の言葉を思い出す。

 修業中、剣聖流の剣術はないのか聞いたときだ。

 

『ただ斬って突くだけでいい……流派でやり方は変わるけど……基本さえ、しっかりしてればいいの……技は秘剣がひとつ伝わるだけ……あとは、各流派を組み合わせた動き』


 敵が起こす風を感じ、重心を捉え、魔力を力に変える。

 倒すことに全力を注ぎ、感情を剣に乗せる。


『すべての流派で技らしい技はない、でしょ?……それは、そういうこと……というか、化身によって闘気の性質が変わるし……だから、技は個人が作り出すものなの……あ、でも』


 大量にいたウィーズルは狐火が倒してくれた。

 あとはデカいフラワーマンだけ。

 間合いを詰める俺に、視界を埋め尽くす触手が迫る。


『修業が終われば、ケインの剣は剣聖に連なる剣……もし技ができたら、剣聖流を名乗っても……いいよ……』


 実はこの二日、いろいろ考えてた。

 ワイバーンで試すつもりだったが、先に剪定してやる!


「剣聖流!」


 腕が意思を持ったように触手を切り裂いた。

 闘気の狼が吠え、刃は止まる気配がない。


人狼烈殺剣じんろうれっさつけん!!」


 絶え間ない斬撃が魔物を斬り刻む。

 それに加えて、フェンリルの牙が慈悲もなく噛み砕いていく。

 これは予想外だったが、フラワーマンの体は粉々になり見る影もなく消滅した。


「しゅ、しゅごい……」


 クズハのぼーっとした賞賛が聞こえた。

 もっと褒めてくれ。


「大丈夫か!?」


 倒れた少女に駆け寄った。

 褐色の肌で、歳は俺とあまり変わらないように見える。


「あ、ありが、と、う」


 息も絶え絶えに礼を言われた。

 でも、返す言葉が出なかった。

 傷が深い。いや、ひどいと言ったほうがいいかもしれない。

 胸が剣で貫かれてる。赤黒く染まった服が、出血の多さを語っていた。


「その怪我で、よく逃げてきたわね」


 クズハが手を取り、妖力で体を包んだ。

 少し、呼吸が安定したように見えた。


「この……先の村が、襲われ、て」

「村だな? よし、すぐに助け」

「待っ、て!」


 立ち上がった俺を、瀕死の少女が止めた。

 服を掴む手は震えているのに、振りほどけないほど力強かった。


「もう、遅いの……誰も、生きてない……それよりも、妹を、ミアを助けて!」


 黄色い瞳から涙が流れた。


「妹? その子は無事なんだな?」

「ワイバーンに、連れていかれた……双子の、妹、なの……お願い、あの子まで、もしものことが、あるとっ!」


 血を吐いて苦しみ出す。

 クズハを見たが、無力感を噛み締めるように首を振った。


「お願い……あの子を」

「……分かった。必ず助ける。約束する」


 手を握って、心からの誓いを口にした。

 少女は微笑んで、そっと握り返してくれた。


「ありがとう……私は、シア……あの子を、お願い……幸運の狼さん」


 闘気の姿を見たからだろうか、シアは俺を狼さんと呼んだ。

 そしてクズハにも礼を言うと、微笑んだまま永い眠りについた。

 

「妖力で痛みは和らげてたから……たぶん、あまり苦しくなかったと思う」

「……そうか」


 闘気で空けた穴にシアを入れた。

 時間がないから、せめて魔物に食われないようにすることしかできない。ちゃんとした墓は、あとで作ってやる。

 助けた妹といっしょに。


「行こう」

「うん!」


 火山に向け、足を速めていく。

 途中出会った魔物は、すれ違いざまに叩き斬った。


「ケイン、こっちから行きましょ。ワイバーンから身を隠せる」


 クズハの索敵を頼りに参道から外れた岩場を登っていく。

 ワクチ草を採ったときよりも険しくて高い崖もあったが、今の俺たちには大した問題にならない。


「あそこだな」


 火口の近くにワイバーンの巣はあった。

 マグマのせいで、立ってるだけで汗ばんでくる。ザッと見ただけで三十匹以上のワイバーンが群がってて、隠れた岩陰から下手に動くとすぐにバレる危険がある。


「あれ……イビルワイバーン!?」


 中央にいる黒い個体を見て、クズハが目を見開いた。

 他よりも倍はデカくて、角とか翼もなんとなく禍々しい。


「他の奴と違うのか?」

「瘴気に当てられた悪のワイバーンよ。普通よりも凶暴で強いの。でも、こんなとこにいるわけないわ。瘴気は戦とか、たくさんの死が生まれる場所にしか発生しないの。この数十年、シュバール王国は戦争をしてないわ。疫病や飢饉もないし」


 考え込むクズハのとなりで、異質な竜を睨みつける。


 状況が似てる。

 マテリアル・スネークが現れたときに。


「見ろクズハ! イビルワイバーンの足下で光ってる玉! 中に人がいる!」


 黄色い光の玉を、ワイバーンたちは踏みつけたり、噛みついたりしていた。

 

 よく見ると、中に女の子が見える。

 さっき話したばかりのシアとそっくりだ。


「気を失ってるみたいね……」

「好都合だ」


 ハチマキを締め直す。

 腕試しとか言ってる場合じゃねぇ、早く助けねぇと!


「イビルワイバーンは俺がやる。クズハは他のを頼めるか?」

「全部は厳しいけど……隙を突いて大技撃てればだいぶ数を減らせると思う」

「よし、なら頼む。ゴクウはいけるか?」

「ウギィィィィ!」


 やっぱりめちゃくちゃ興奮してる。

 雪玉獣のときみたいに、こいつらにもろくでもねぇなにかが絡んでるらしい。


「行くぜ!」


 飛び出しながら剣を抜く。

 巣で寝転んでた奴も、飛んでた奴も俺に注目した。当然だ、魔角流で魔力を高めて気配を強めてる。弱い奴が見れば、俺の背後には馬鹿でかいフェンリルの姿が見えてるはずだ。


「グオォォォォッ!!」


 イビルワイバーンが雄叫びを上げた。

 鼓膜が破れそうな威嚇。


 でも、引かねぇし足を止めたりしねぇ。

 その子を返してもらうぜ!


狐火転変きつねびてんぺん、大尺玉!」


 そのとき、見たこともないくらい大きな狐火が打ち上げられた。

 空高く昇りながら、進路にいたワイバーンを巻き込んで燃やしていく。


妖墜爆花ようついばっか!!」


 爆音と共に弾けた狐火は、さらに大量の火の玉となって降り注いだ。

 ワイバーンたちは逃げ惑いながら、多くが蒼い炎に焼かれていった。


「今だ!」


 燃える空を見上げたのは、イビルワイバーンも同じだった。

 化身を顕現させ、一気に距離を詰める。


「剣聖流 人狼一閃じんろういっせん!!」


 走る勢いを利用した突きの一撃。

 さらに大口開けた化身まで加わった、超強力な技だ。これで頭をふっ飛ばしてやる。


「グオァァァァアア!」


 だが、吐き出された黒い炎がそれを許さなかった。

 拮抗した力は技の勢いを殺し、俺は着地するしかなかった。


「ギャアオ!」

「ごめん! 二匹そっちいった!」


 小太刀と狐火で奮戦していたクズハだったが、取りこぼしたワイバーンがこっちに牙と爪を立ててきた。


「うおっと!」


 攻撃を躱し、一匹は首を落としてもう一匹は腹を裂いた。


 そして生まれた僅かな隙を、イビルワイバーンは見逃さなかった。

 まだ息のある味方ごと俺を焼くため、黒い炎を吐いた。


「ちっ、仕方ねぇ!」


 マグマにも負けない熱が迫る。

 だが俺は、その向こうのイビルワイバーンを見据えていた。


蒼銀神狼フェンリル!」


 一瞬で身に纏った化身武装は、邪悪な炎の中でも輝きを放っていた。

 剣を振り抜いたときに生じた風が炎をかき消し、イビルワイバーンの牙を折った。


「剣聖流っ!!」


 痛みにもがく黒い竜。 

 睨んだ先に俺の姿はなく、すでに頭上まで跳んでいた。


人狼蒼光斬じんろうそうこうざん!!」


 鎧と同じ色の光の斬撃を放つ。

 直前で吐かれた炎を物ともせずに突き進み、上顎と下顎を別れさせた。


「よっしゃあ!」


 倒れた死体を見て、他のワイバーンたちが逃げ出していく。

 思った通り、こいつがボスか。


「ケイン!」


 クズハが走りながら叫んだ。

 視線の先にはミアが入った光があって、火口に向けて転がっていた。

 このままじゃ火山に落ちる。


「やべぇ!」


 急いで向かおうとしたとき、玉が止まった。


「ウゥゥゥゥゥキャァァァァァ!」


 ゴクウが押し留めてくれていた。

 化身武装の時点で肩からいなくなったと思ったら、ミアを助けるために一人で突っ込んでいたらしい。

 なんだよ、珍しくやるじゃねぇか。


「お手柄だ、ゴクウ!」

「本当ね! さすが剣聖の兄弟弟子!」


 全身が痛くなる前に武装を解いて、クズハといっしょにゴクウを労ってやった。

 いつもならドヤ顔で応えるのに、今は安心したようにへたり込んだ。


「それにしてもこれ、なんなんだ?」


 黄色い光に触れてみる。

 すると眩しく輝き出し、一瞬で消えてしまった。中から現れたミアを、慌てて抱きとめる。まだ意識は戻らないみたいだ。


「ありがとう……」


 風といっしょに、シアの声が聞こえた気がした。


「とりあえず、安全な場所に移動しましょう」


 クズハの提案に頷いて、そっとミアをおんぶした。


「ウキャ! ウキャキャ!!」


 下山しようと歩き出すと、ゴクウがイビルワイバーンの死体の前で飛び跳ねた。


「どうしたゴク……ウ」


 その理由はすぐに分かった。

 

 イビルワイバーンの尻尾に、あの注射器もどきが刺さっていた。


「嘘……じゃあ、これも同じなの?」


 絶句するクズハのとなりで俺も言葉が出ない。

 関わることの裏でなにが起きてるのか想像もできなくて、黙って空を見上げた。


 さっきまで晴れてたのに、分厚い雲が広がり始めていた。

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