第24話 『白狐の娘』

 磁器級に上がって四ヶ月。

 実入りのいいものを兄貴に教えてもらいながら、クエストに励む日々が始まった。


 ようやく鍛えた力が活かせる。

 

 って、思ったのに。


「野菜炒め大皿、注文入りましたー!」

「はい喜んでー!!」


 俺は熱気の充満した厨房で、中華鍋みたいなフライパンを振っていた。


「おい、ケイン! こっちも注文追加だ」

「ウキウキウキャ!」

「喜んで! ってか兄貴とゴクウはなんでホール担当なんすか!」

「お前より愛想いいからだよ。酔っぱらい相手でも、殴ったりしねぇからな」

「ウッキウッキ」

「なっ! あれはあのオッサンが、給仕の姉ちゃんのケツ触るから」

「無駄口叩いてねぇで働け冒険者共!」

「「はい喜んでー!!」」

「ウッキャッキャー!」


 クエストといえば、ソランやリースが語ってくれた魔物退治ばかりだと思っていた。


 そんな俺は馬鹿だった。

 冒険者証のランクによって、受けられる仕事の内容は違う。もちろん上にいくほど報酬は上がるけど、危険もあるし専門性も必要になってくる。

 磁器級で受けられるのは迷い猫の捜索とか失くしたものを探したり、畑仕事とか今みたいな店の手伝いがほとんどだ。


「ちくしょう。これじゃあまるで、派遣のバイトじゃねぇか……」


 こんなんでも数をこなせば実績になって昇級できるけど、いつになるかは分からない。


「父上〜やっぱり三年は短過ぎるぜ〜」

「二皿追加ー!」

「はい喜んでぇー!!」


 昼時のピークが終わって、町の食堂手伝いのクエストを終えた俺と兄貴は、完了報告のためにギルド館へ向かった。


「よっ! ケイン、ムーサ。お疲れさん、美味かったぜ」

「まいど〜」

「ケイン〜。また荷物運びのクエスト頼んどいたから、お願いね」

「あいよ。腰悪いんだから、俺がやるまで無理すんなよ? 果物屋のおばちゃん」


 アルケの町の人にも、割と顔と名前が知られてきた。

 早く昇級したくて片っ端からクエストを受けたおかげで、住んでる人の顔と名前が分かるようになった。道も覚えたし、この町が商売で成り立ってるってのも知った。だからこの町はいろんな種族や立場の奴がいるし、旅人も多い。


「……ちっ」


 漏れ出た不快感が、視界の端に映った。

 先輩冒険者を含め、だいたいの人は俺のことを受け入れてくれた。でも、そんな人ばかりじゃない。せっかくクエストを受けても、俺のツラを見るか、名前を言っただけで門前払いをされたこともある。


 理由はガイン伯父の事件。

 邪険にする奴らはみんな、犠牲者と少なからず関係があった人たちだ。

 兄貴は文句を言ってくれたけど、そういう扱いも覚悟して来たから、ローガン家の名誉のために誠意をもって受け止めた。

 それに相手の気持ちを考えたら、責める気にならない。


「……にしても寒い! 早く温かい飲み物が飲みたいぜ」

「人族は大変だよなぁー。着るもの増やさねぇと、めちゃくちゃ寒いもんな」

「ウッキャキャー」

「二人は冬毛になるからいいっすね!」


 空を見上げると、今にも雪が降りそうな分厚い雲が広がっている。


 こんな日はいろんなことを思い出す。

 あの日見た光の贈り輪フォトン・リースや、吸い込んだ空気の冷たさ。

 俺の部屋で暖を取りながら、モフモフ感の増したリースと暖め合った夜のこと。


「……湿っぽいのはダメだぜ、ケイン」


 自分に呟いて、寒さを誤魔化すように走った。


「ちーっす! 食堂の助っ人クエスト完了しましたー!」

「ティアー! 腹減ったからさっさと報酬寄越せー!」

「ウキー!」

「うっさい! 寒いんだからさっさと閉めなっ!!」


 怒鳴り声と他の冒険者からの野次で、慌てて扉を閉めた。

 春夏は水着みたいな服しか着てないティアさんも、さすがに冬は毛皮を着て厚着している。


「はい、これ。完了証明の紙っす」

「はいはい。報酬はいつも通りムーサと折半でいいんだね?」

「うす」

「はやく寄越せ。スープがオレを待ってんだ」

「気のせいだよ阿呆犬……ほら、金だよ」


 出された金を素早く受け取ると、兄貴はゴクウを頭に乗っけて走り去って行った。


「ちょ、はやっ! 待ってくださいよ!」


 空いてるテーブルを見つけて座ると、給仕の姉ちゃんが寄ってきた。

 ギルド館での飲み食いは、金がなくても報酬から天引きしたりできるから冒険者の生命線になっている。給仕や厨房係の給料もそこそこいいみたいで、食う側から作る側に転職した奴もいるらしい。


 注文を済ませると、すぐに料理が運ばれてきた。

 っていっても、スープと固いパンだけだ。

 磁器級でもらえる金だとこれが限界。兄貴は鋼級だからそれなりの討伐クエストもできるはずだけど、最近は俺に付き合ってくれてるから金がない。

 収入削って世話してくれてることに感謝してたのに、ティアさんたちからは「危ない仕事から逃げる口実だよ」って笑われた。


「この時期のスープは具は少ねえけど、味が濃くて美味いんだ。でも運が良ければ、肉が入ってることがあるぞ」


 背もたれの向こうで尻尾を振りながら、ゴクウといっしょによだれを垂らす。

 命あっての物種、だっけか。

 一度死んだ身からしてみりゃ、兄貴の生き方もアリだと思う。


「っっっめえぇぇぇ!」

「冷えた体に染みる〜!」

「ウキャーイ!」


 三人でワイワイ楽しくやっていると、なんだか二階が騒がしいことに気づいた。

 いや、いっつもうるせぇし一階も酔っぱらいが歌っててうるせぇんだけど。


「なぁ、斧使いのおっちゃん。二階に誰か来てんの?」


 となりのテーブルで酒を飲んでた、ベテラン冒険者の背中をつついて聞いた。


「あん? あー、なんか東から来たって奴が上がっていったな。フード被ってて顔は見えなかったけどよ、ちっこかったから、たぶん女だ。誰か探してるとか聞こえたな」

「へー、東か……あざっす!」

「おいケイン。早く食わねぇとスープ冷えちまうぞ?」


 声をかけられて、まだ湯気の上がるスープをすすった。

 

 まぁ、誰だろうと俺には関係ないけど、知らない土地の話とかは気になるな。くらいに考えながら、運良く入ってた肉に喜んだ。


「あー! 見つけたー!」


 そのとき、二階から高い声が響いた。


「ムーサ・シミックス!」

 

 見上げると、すでに視界は遮られていた。

 はためくローブと靴底が落ちてきている最中だった。


「うおおおおお!」

「ウキャキャキャキャ!」

「オレのスープがあああああ!」


 俺とゴクウはなんとか昼飯を死守したが、兄貴のスープはテーブルに人が落下した衝撃で、ひっくり返ってしまった。


「て、てめぇ! なにもんだ!? こんなことしてただで済むと」

「こっちの台詞だ」


 鋭い声が兄貴の啖呵を遮った。

 おっちゃんが言ったように女の声。でも、まだ幼さがある。


「母から借りた金。きっちり返してもらうわよ!」

「ま、まさか……」


 ビビった兄貴が、俺の後ろに隠れた。

 女がフードを脱ぎ、手袋を外しながらこっちを見下ろす。

 

 燃えるような赤い瞳。

 そして、全身が白い毛に覆われている。

 

「覚えていたようね。わたしはクズハ。クズハ・テンコウ。東の白狐びゃっこ一族の娘だ!」


 豪快にローブを脱ぎ捨てると、ふわふわの尻尾が現れた。

 着ているものは日本の和服っぽい。声の印象通り、まだ子どもの獣人。リースと同じ狐の獣人だが、毛の色が全然違う。白狐なんて言うくらいだから、特別なんだろうか。


「ひいいいいいいっ!」


 っていうか、兄貴がビビりまくっている。


「なんだムーサ。お前借金なんてしてたのか?」


 周りの冒険者も面白がっている。


「む、昔だぜ? 陶片級の洗礼で有り金なくして途方に暮れてたとき、少し……」

「当時あんたはこう言ったそうね? 『このご恩は一生忘れません、必ず全額お返しします。ただ、自分はまだ駆け出しの冒険者、すぐには用意できません。ですが、十年時間をください。十年もすれば金級くらいに昇級して、稼げるようになります。どうかお願いします』と」


 現状を知る奴らから、一斉に冷たい視線が向けられた。


「うわぁ……」

「そりゃねぇわ」

「兄貴……」

「そ、そのときは、オレだって強いと思ってたんだよ! 夢見る若者ってやつだ!」

「……今、何級なの?」


 兄貴は黙って、首に下げた鋼級の冒険者証を見せた。


「呆れた……まぁ、こんなところで安飯食べてる時点で、だいたい想像してたけどね。で、お金は?」

「あ、ありません……」

「貯金は? ギルドに預けられるんでしょ?」

「な、ないです。本当にこれっぽっちも……」


 呆れたため息と侮蔑の視線を向け、クズハほ腰から刃を抜いた。

 刀……いや、小太刀ってやつか。


「なら文字通り体で払いなさいな。もうとっくに十年過ぎてるんだから、そのくらいしてもらわないと。生贄欲しがってる辺境の村とか、意外にあるのよ」

「ま、待ってくれ!」


 ヤバい、こいつ目がマジだ! 

 

 慌てて間に入って、赤い瞳を見つめた。


「だれ? 関係ないでしょ」

「関係ある! 俺はケイン・ローガン! この人の弟分だ。頼む、もう少しだけ待ってくれ。兄貴は俺のために生活切り崩してくれたから、今は金がねぇんだ。でも、俺と二人でクエストやれば一人よりも早く稼げる。頼むよ!」


 必要なら土下座もする覚悟で頼み込んだ。

 肩のゴクウも頭を下げてるし、兄貴は「ケインんんんん」と泣いていた。


「……あなた、冒険者ランクは?」

「……磁器級」

「話にならないじゃない! そんなの討伐クエストすら受けられないでしょうが! 馬鹿にしてるの? してるのよね!? いいわ、それなら二人とついでにそこの猿もいっしょに、捌いてあげるから!」


 逆手に構えた小太刀がギラリと光る。

 テーブルの上に乗った俺より小さな体から、魔力でも闘気でもないオーラが放たれた。


「ひいいいいいいっ!」

「ちょちょちょ、ちょっと待っ」

「ウキャー!」

「やめな阿呆共!」


 煙管を吹かしながら、据わった目のティアさんがやって来た。


「きゃんっ!」


 ゴツい冒険者たちが後退るクズハに、強烈なデコピンをお見舞いして無理やりオーラを鎮めた。


「な、なにすんのよ!」

「やかましい! 悪いのはこの阿呆犬だが、あんたもあんただよ! 食べ物粗末にしてなにしてんのさ! あんたの母親は、土足でテーブルに乗って人と話せって教えてんのかい!? あぁ!?」


 気迫が半端じゃねぇ。

 いつもうるさいギルド館が静まり返って、外で吹く風の音が聞こえる。


「ご、ごめん……なさい」


 あまりの怖さに震え、クズハがゆっくりとテーブルから下りた。

 やっぱり、だいぶ小柄だ。

 脱ぎ捨てたローブでテーブルを拭こうとしたから、俺の手ぬぐいを貸してやった。


「いっしょに拭くよ」

「あ……ありがとう」


 さっきと別人みたいに弱々しくて涙目になってる。

 気持ちはよく分かる。

 この人怖い。めちゃくちゃ怖い。


「……さっきの話だけどね」


 ティアさんの声に、クズハ体がビクッと跳ねた。

 

「ケイン。あんたさっきのクエストで、昇級に必要な点数が貯まったよ。おめでとう、今から真鍮級だ」

「え?」


 投げ渡されたのは、新しい冒険者証だった。


「おぉ! ついにか!」

「やったなケイン!」


 きっかけを手に入れた冒険者たちが、無理やりテンションを上げた。


「そう。これで討伐クエストも受けられるようになった。どうだい、お嬢ちゃん。一応、金を貯める手段はできたけど」


 あからさまにティアさんから視線を逸しながらも、クズハはまだ不満気だった。


「で、でも、今の今まで磁器級だったのに、高報酬のクエストなんて受けられるわけないじゃないですか」


 チラチラとこっちを見てくる。


「ケインなら大丈夫だ!」


 聞こえた声は、意外にも先輩冒険者たちからだった。


「こいつはここにいる誰よりも強ぇ! なんたって、あの炎人の息子だからな!」

「おうよ! どいつもこいつも、ふっ飛ばされてんだ! ムーサなんかといっしょにすんじゃねぇよ!」

「そうだ! 弱いのはムーサだけだ!」

「噛みつくぞてめぇら!」


 思いもよらない周りの後押しに、クズハが半信半疑の表情で俺の顔を覗き込んできた。


「……本当に強いの?」

「ま、まぁな。これでも心人流免許皆伝だ」

「へぇ……それなら、少しは期待できそうね……いいわ、じゃあ試してあげる!」


 クズハは人の間をスルスルと走り抜け、窓口横にあるクエスト依頼書が貼り付けられた壁に向かった。


「い、命拾いした……ありがとうな、ケイン」

「いえ、兄貴には世話になりまくってるんで。ところで、いくら借金したんすか?」


 へたり込んでいた兄貴に手を貸しながら、気になっていたことを聞いた。


「たしか……三百万」

「……なにに使ったんすか」

「なにって、まずは生活費だろ? いい装備を整えたり、夜の店行ったり、ゴロツキに見逃してもらうのに渡したり」

「自慢にならんっすよ」


 苦笑いを浮かべていると、白いモフモフが戻ってきた。


「じゃ、これ。明日受けてもらうわよ?」

「ふふっ」


 依頼書を見たティアさんが、悪い表情で吹き出した。


「討伐クエスト。雪山の雪玉獣スノー・ボール一匹。報酬十万ミラ、推奨ランク銅以上。たしかに受けたよ。頑張んな!」


 周りの冒険者が爆笑し始めた。


 俺も初めての討伐クエストにわくわくしてゴクウと笑っていたし、クズハもドヤ顔を向けていた。


 そんな中、兄貴だけがまたへたり込んで「命拾えてなかった……」と嘆いていた。

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