第22話 『ようこそ冒険者』
日は完全に落ちている。
大通りはあんなに明るいのに、ギルド館の周りは建物から漏れ出る光しかなくて、星がきれいだ。
「いったれムーサ!」
「冒険者の厳しさ教えてやれぇ!」
だからか、冒険者たちは遠慮なく騒ぐ。
ムーサと距離を取って向かい合う間に、酒臭い野次馬の壁に囲まれた。
「やってやる……見てろ」
犬の獣人ムーサ。
足元がおぼつかないのは、たぶん酒のせいだろう。でも、獣人って種族はそれだけで油断できない。身体能力が高くて爪や牙もあるから、万が一ステゴロの戦いになったらヤバい。
「っしゃ!」
だからってビビる理由にはならねぇ。
こんなとこで負けてたら、信じて送り出してくれたみんなに合わせる顔がない。
「剣抜いたぞ、あのガキ!」
「さっさと始めろぉー!」
熱気が高まった野次馬から、空の酒瓶が投げ込まれた。
ちょうど間に落ちたそれを、俺たちは合図にした。
「シャアアアアアアア!」
裏返った声を響かせて、ムーサが飛び込んできた。
「シャッ! オラッ! ハアァァ!」
剣の連撃に回し蹴り。
あんなにフラフラだったのに、狙いはしっかり定まっている。
でも大丈夫。
反応できる速さだし、頭も思ったより冷静だ。
「く、くそがっ!」
当たらない攻撃に、ムーサのほうはイライラしている。
中途半端はイラつきは、攻撃を大振りにするんだぜ?
「いっくぜぇ!」
当たると思わせたタイミングで跳び退いて、相手の体勢を崩す。
その隙を狙って距離を詰め、横薙ぎの一撃をお見舞いした。
「どわあっ!」
なんとか短剣で受けたムーサだったが、踏ん張れずに転がった。
「いいぞー! ボウズー!」
「どうしたムーサ! てめぇに賭けてんだぞー!」
野次馬が好き勝手な言葉を投げつける。
「なんだよ、もう終わりか?」
俺も便乗して、余裕の笑みってやつを浮かべてやった。
「……よ……て……り……れ……」
ムーサは俯いたまま、なにかブツブツ言ってる。
吐きそうなのか? とか思っていたが、右手に燃え盛る火球が現れた。
「なっ!」
「
くそっ、油断した!
体術ばっかり警戒して、魔法は完全に頭の外だった!
体が動く前に、目の前が赤い光に覆われた。炸裂の衝撃と焼ける熱さが、上半身に叩きつけられる。
「ど、どうだ! オ、オレだってな! やるときゃやるんだ、バッキャロー!」
震えた笑いと無駄に大きな声で、ムーサが「やっちまった」って焦っているのが伝わった。
周りからも煽る声よりも、どよめきのほうが多く聞こえる。
でもまぁ、心配すんなよ。
ちゃんと生きてるぜ。
「はあああああああっ!」
躱すことができないなら、防げばいいだけだ。
鍛え抜いた、この闘気で。
「なっ……おま、それ……」
爆煙が晴れて、闘気の光を目にしたムーサは尻餅をついた。
「闘気だよ。さぁ、あんたも練りな。第二ラウンドといこうぜ」
今度は少しばかり敬意を込めた笑顔を送った。
もう酔いも覚めただろうよ。
さぁ、闘り合おうや!
「うおおおおおおおん!」
せっかくギラついてた気持ちを、男の泣き声が攫っていった。
ムーサが泣き叫んでいる。
「お、おい。どうしたんだよ」
「うるせえええええ! 闘気使えるくらい強いならよお! リースのことも守ってやれよおおおおお!」
言葉と目が訴える悲しみが、あの頃の自分を見ているみたいだ。
なんだか、こいつを殴る気にならねぇ。
「そのへんにしてやってくれ」
煙管から吸った煙を吐いて、ティアさんがやって来た。
結果は俺の勝ちみたいで、他の冒険者たちは金勘定に忙しくしている。
「こいつ、闘気が使えないんだよ」
「えっ」
昔リースに聞いた話だと、獣人は子どもの頃にほとんどが闘気を覚えるはず。
そういえば苦笑いで「例外もいるっすけどね」とも言っていた。ムーサがその例外だったのか。
「うるせええええティアあああああ言うなバカあああああ!」
「お黙り。こいつはね、昔からリースに惚れてたんだ。ま、相手にもされなかったけどね。このザマ見れば分かるだろ?」
「ハッキリ言うんじゃねええええええええ!」
突っ伏して泣き始めた黒い毛の塊が、少し可哀想に見えた。
「でもね、悪い奴じゃないんだ。ずっと、あの子のことを気にかけてたんだよ。普段は逃げてばっかのこいつが酒の勢いとはいえ、あんたに喧嘩吹っかけるくらいにね」
気持ちは痛いほど分かる。
俺も溜まった悲しさがどうしようもなくて、ライオスに当たったことがあった。
「ムーサだけじゃない。みんなあの子が好きだった。恋人で、死ぬのを目の当たりにしたあんたが一番辛かっただろうけどさ。この馬鹿を許してやってくれないかい?」
責めるつもりなんてない。
むしろ、ティアさんの話を聞きながら思い出したことがある。
「なぁ、あんた。リースと
跪いて、ムーサに話しかけた。
涙と鼻水でぐしゃぐしゃ顔が、きょとんと見上げてきた。
「あ、あるけどよ。あいつが冒険者になりたての頃だ。それがどうしたんだよ?」
「リースから聞いたことがあるんだ、あんたの話」
夜の風が吹き抜ける。
いつの間にか、周りの奴らの馬鹿騒ぎが収まっていて、半分くらいが中で飲み直していた。でも、もう半分は残っている。きっと、昔のリースを知る人たちだ。
「オ、オレのことを? リースが?」
「あぁ。油断して、大鼠の群れに囲まれたとき。自分より弱くて情けない奴だと思ってた先輩冒険者が、囮になってくれて助かったんだって」
懐かしそうに話すリースの手には、そのとき倒した大鼠の牙があった。
『ブルブル震えて半泣きなのに、カッコよかったんすよ。あのとき、その先輩に教えてもらったんす。本当の勇気ってやつを。ま、それ以外に大した活躍もなくて、弱いまんまの人だったんすけどねぇ。でも……これはあーしの、大事な宝物っす』
笑いながら、薄汚れた牙を見せてくれた。
あのときの表情は、本当に誇らしげだった。
「リースが……オレをそんなふうに? そんな昔のことを……ずっと、覚えて」
ムーサがまた涙を流した。
でも、さっきまでのとは違う。俺には分かる。
リースへのいろんな気持ちが溢れた、熱い涙だ。
「うおおおおおおお! ありがとう、ありがとうよリース! すまねぇなぁ……弱いまんまで、本当にすまねぇ! オレは……オレがあっ! うおおおおおおおおん!」
なんだか俺まで泣けてきた。
魂が震えるような叫びは、静かな夜空に溶けていった。
「……少し、そっとしといてやっておくれ。さ、冒険者の登録しようか。もう受付時間ギリギリだよ」
気丈に見えたが、ティアさんの目も赤くなってるのが分かった。
泣き続けるムーサは残った冒険者に任せて、ギルド館の中に戻った。
「さ、ここに名前と年齢と生まれ月、それと出身地を書きな。一番上は、書いた年と月だよ。今は
窓口で渡されたのは、初めて見る薄緑色の紙と古い万年筆みたいなペン。
なんだか役所で住民票もらうときみたいだな。
「……うん。まぁ、ローガンの家の子だから心配はしてなかったけど、まずは第一関門突破だね」
「え? なにがっすか?」
文字が増えていく紙を覗き込みながら、ティアさんが笑った。
「読み書きは必要最低限の教養さ。じゃないとクエストの内容が分からないし、遠方の依頼人と手紙のやりとりもできないだろ? 十歳で冒険者になるって子は、ここでつまづくくことが多いんだ」
「なるほど」
書き終えると、どっからともなくゴクウが出てきて、勝手に用紙を差し出した。
「てめっ、ゴクウ。どこに隠れてやがった」
「ウッキキ」
「おや、相棒かい? ふーん……ま、好きにしたらいいさ。冒険者は自由が売りだからね。でも、あんまりイタズラしたら、水をかけるからね、おチビちゃん?」
「ウ、ウキャ」
なんだか見透かしたような笑みを受けて、ゴクウの背筋が伸びた。
「じゃあ、次はこの水晶玉に手を置いて。利き手がいいね」
メイが持っていたのより大きな水晶玉の下に、書いたばかりの紙を敷いた。
「よし、なら右手で」
緊張しながらゆっくりと手を置く。
ひんやりした感触を感じたと思ったら、玉全体が光り出して一気に熱くなった。
「うわっ!」
「はい、終わり。これで、あんたの情報がギルドに登録されたよ」
思わず手を離してしまったが、必要なことは一瞬で終わったらしい。
ひらひらと見せられた用紙には、さっきはなかった俺の手形が焼き付いていた。
「で、最後にこれを渡しとくよ。あんたの冒険者証。無くさないようにね」
差し出されたのは、紐の付いた小さい板。
いや、板ってよりも焼き物の欠片って言ったほうが近い気がする。
「これが冒険者証?」
「そうだよ。あんたのは一番下っ端の陶片級」
もうやることがないのか、ティアさんは煙管に新しい草を詰めて火をつけた。
「その次が磁器級、次が真鍮級、鋼、銅、銀、金、宝石、オリハルコン、アダマンタイト。上二つなんて、世界中で数えるほどしかいないけどね。王都にでも行けば、騎士様みたいな金級冒険者とかいるけど、この町にはせいぜい銅級。あとはほとんど、真鍮か鋼で満足して酒飲んでる阿呆共」
「どうやったら上になれるんだ……ですか?」
慌てて軌道修正した敬語がおかしかったらしく、笑いながら答えてくれた。
「単純だけど簡単じゃないよ。難易度の高いクエストこなして、実績作るのさ」
そう言うと、窓口から出てきたティアさんは、瞳に俺の顔が映るくらいに近づいた。
「ちなみに、リースは銀。あんたのお母さんは金。親父のライオスは登録してないけど、オリハルコン級の冒険者と互角に戦ったことがある。あんたに超えられるかな?」
ニヤリと笑った口元から、煙草の甘い香りがした。
「もちろん。やるからにはてっぺん目指すぜ」
挑発するような笑みに、自信満々な顔で返した。
「……いい目だ。ま、両親に恥じない活躍をするんだね」
今日の受付業務は終わったのか、ティアさんはとなりのカウンターに行き飲み物を注文した。
「そうだ、磁器級にならすぐなれるよ。一ヶ月、冒険者の登録を取り消さなければいいだけだからね」
「は? それだけ?」
簡単すぎやしねぇか?
いや、それだけクエストってのが過酷なのかもしれない。
気を引き締めていかねぇと。
「ほら、あたしの奢りだよ」
ゴクウと気合いを入れなおしていると、果実のジュースを渡された。
しかもゴクウにも。
「え、いいんすか?」
「あぁ。でも、それだけだよ? おい、飲んだくれの阿呆共! 新しい阿呆が加わったよ! 名前はケイン・ローガン。歓迎してやろうじゃないか!」
「「ようこそ、冒険者ギルドに!」」
好き勝手に飲んでいた奴らが、まるで打ち合せたみてぇに叫んだ。
「よ、よろしくお願いします!」
一応、最低限の礼儀だ。
腹から声を出して、テンションの高まった冒険者たちに一礼した。
「うふふ、かわいいじゃない」
「ほら、あっちで私たちと楽しいことしましょう?」
「え!? い、いや、俺は」
とりあえず飯にありつこうとしたのに、両脇を女冒険者に挟まれた。
なんだか、妙に色っぽくて露出が多い。
ライオスの忠告の意味が分かった。
「ケイン……ケイン・ローガン!」
なんだか強く出られずにいると、救世主が来てくれた。
泣き腫らした顔の、ムーサ・シミックスだ。
「やんっ、ちょっと邪魔しないでよムーサ!」
「うるせぇ! こいつにはな、最高の恋人がいるんだよ! 近寄んな年増ぶふぉ!」
余計な一言のせいで顔面をぶん殴られた。
「だ、大丈夫……っすか?」
「お、おう。その……さっきは悪かったな。いきなり絡んだりして」
耳と頭と尻尾を下げて、ムーサが謝ってくれた。
たしかに、悪い奴じゃなさそうだ。
「詫びってわけじゃないけどさ、オレに飯を奢らせてくれ!」
「え、マジっすか?」
「あぁ。その代わりよ……リースの話を聞かせてくれ。メイドしてたときとか……最期の様子をよ」
「いいのかい、ムーサ」
すでに三杯は飲んだティアさんが、俺の背後で話しかけてきた。
「……おう、今なら向き合えると思うんだ。いや……向き合って、進まなくちゃいけねぇんだ」
この人は今までずっと、リースの死が受け入れられなくて苦しんできた。
それが、やっと前を向こうとしている。
あの冬の日の、俺みたいに。
「……いいっすよ。長くなるかもしんないけど」
「どんと来い! 今日はお前の歓迎の日だからな! むしろ、朝まで付き合ってもらうぜ!」
吹っ切れた表情のムーサは、腹ペコの俺とゴクウにたくさんの料理を奢ってくれた。
食いながらリースの話でたくさん笑って、めちゃくちゃ泣いた。
他の冒険者とも腕相撲で勝負したり、ゴクウが意外に人気だったり楽しい時間が過ぎていった。
「……ん?」
そして、気づいたら朝になっていた。
「どこだここ?」
朝日が眩しい。
というか、遮るものがない。どうやら町の門の近くで寝ていたらしい。間違って酒でも飲んだのか、ここまでの記憶が曖昧だ。近くではムーサが大の字でいびきをかいていて、その腹の上でゴクウが寝ている。
「あーそうだ。こいつらと騒いで……って、えぇ!?」
寝ボケた頭が一瞬で覚めた。
俺、パンツしか履いてねぇ!
「は!? え!? なんでだ!?」
とりあえず落ち着け。
落ち着けないけど落ち着こうとしろ!
「護り牙と剣は抱えて寝てたみたいだな。ジョンたちのペンダントもある。ハチマキも巻いてる。冒険者証もある。他がなんもねぇ! 服も財布も荷物も全部ねぇ!」
こんだけ騒いでるのに、二人とも起きやしねぇ!
「お、昨日のボウズ」
混乱してるところに、昨日果物をくれた髭の門番が現れた。
「あ、あんた! たぶん俺、追い剥ぎかなんかに」
「見事にやられたなぁ〜」
なに笑ってやがるこのボケ!
仮にも兵士じゃねぇのか!
「ギルド館に行ってみな。たぶん、いろいろ分かるだろうから」
好き放題笑ったあと、門番は見張り台に向かって行った。
「なにがどうなってんだよ、クソッタレ!」
仕方なく、ギルド館へ走るしかなかった。
「なんだ?」
「いやぁ〜ん、かわいい」
「ちくしょう!」
早朝とはいえ、商人はもう仕事を始めている。
興味津々な視線が、ひたすら恥ずかしい。
「ティアさん!」
着いて早々に扉を開け放った。
あちこちで酔いつぶれてる冒険者たちが、いびきをかいている。
ティアさんは、カウンターに座ってパンをかじっていた。
「おや、おはよう。ご機嫌な格好だねぇ。誘ってんのかい?」
「ふっざけんな! あんたなんか知ってんだろ? なんだよこれぇ!」
ニヤニヤと笑ったまま、ティアさんはミルクを飲んだ。
「言ったはずだよ? 歓迎するってね」
「はあ!? これが歓迎ってのか!?」
起きた何人かが、俺を見て吹き出しやがった。
「一ヶ月続ければ磁器級になれる意味が分かったかい? 女の子は受付嬢が注意してやることになってるけど、野郎は知らないねぇ」
次第に寝ていた奴らが体を起こして、同じような笑みでこっちを見た。
「ケイン・ローガン。改めて、ようこそ冒険者ギルドへ。周りは阿呆ばかりの理不尽で最高に自由な世界、嫌になるまで楽しみな」
冷や汗が流れた。
だが、負けねぇ。
やってやろうじゃねぇか。
「上等っ!」
とりあえずこれ以上馬鹿にされねぇように、パンツ一丁で笑い返した。
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