第12.5話 『ライオスの帰郷2』

「やっぱり、いつ来ても緊張するな」


 身震いしそうになるのを誤魔化すため、黄色や赤に色づいた葉を見上げる。

 王都を囲んで流れる鎧洗川がいせんがわが、朝日を浴びてキラキラと輝いていた。川の向こうには、物々しい雰囲気の施設が広がっている。高いやぐらがあり、見張りがこっちを見ている気がする。にわとりの鳴き声よりもデカい雄々しい声が、朝の訓練を外に伝えていた。


「王国軍養成学校……休みの日しか行かなかったが、怖かった記憶しかないぜ……あーあ、誰か走り込みで遅れたな? 現役兵士の駐屯所も兼ねてるから、めちゃくちゃ怒られるんだよなぁ」


 聞こえる怒鳴り声に苦笑いを浮かべ、後輩の心が折れないよう祈った。


「……さて」


 堀に架けられた跳ね橋を渡り、城壁をくり抜いたような扉の前に立つ。

 城の裏に備えられた兵士用の出入り口で、まぁ当たり前のように常駐している見張りが槍を向けてきた。


「止まれ。何者だ」

「えー、本日、陛下に招かれている者です。これを」


 王妃殿下からの手紙を渡す。


「……怪しいな、本物か?」

「は? いやいや、紋章よく見ろって!」

「本物のライオス・ローガンなのかと聞いているんだ」

「その手紙とこの髪が証拠だ」


 フードを脱いで顔を見せる。


「足らんな。そんなの証拠とは言えん」

「なら、後ろの養成学校から上の者を呼んでくれ。だいたい顔見知りだ」

「顔見知りの老体より、幼少を過ごした友の顔を思い出せんのか?」


 問答をしていただいた男が、おもむろに兜を取った。

 ルビーのように輝く赤髪をかき上げ、意地の悪い笑みを向けてきた。


「ジャステル! ジャステル・サルダー! 久しぶりだな!」

「あぁ、何年ぶりだ友よ! まったく、初見で気づかないものか?」


 肩を組み、笑い合う。

 こうやってよく、白銀の通りで食べ歩きをしていたのが懐かしい。シーマも大切な友人だが、俺にとっての親友はこの男だ。


「無理言うな! まさかサルダー家の当主が見張りに化けてるなんて思わないだろ」

「はっはっは! お前が陛下に呼ばれたって聞いて、居ても立っても居られなくてな。歩きながら話そう。いやー懐かしい!」


 無茶を言って巻き込んだであろう、本当の見張りの兵士に礼を言って、偉大で荘厳な王の居城へ足を踏み入れた。


「モニカ様のことは、本当に残念だったな。厳しいと言う人もいたが、身分も年齢も関係なく接してくれる筋の通った女性だった」

「ありがとう。二人でよく怒られたもんな。覚えてるか? お前と貴族学院の女子寮に忍び込んでバレて、水の中級魔法でぶっ飛ばされて」

「待て、違うぞ。私はお前を止めてたんだ。それなのに、お前が無理やり」

「そう言いながら、まんざらでもなかっただろ? ちゃっかり浴場にまで入ってたじゃないか」

「そうだな、お前に巻き込まれてな。おかげで、今でも妻に嫌味を言われてるよ!」


 真っ赤な絨毯とシャンデリアには似合わない、無作法な会話。

 けれど、溢れる思い出と動き続ける口は、誰にも止めることはできなかった。


「弟のロイキーと妹のアイは元気か?」

「まぁな。ロイキーは病気がちだったのが、やっと安定してくれてな。アイのお転婆は変わらん」

「そうか、できれば顔を見たいな。他のみんなはどうだ?」

「相変わらずだがローガン家が去ってから、くだらん権力争いが続いてる。子どもたちまで巻き込む始末だ」


 こいつはそういう駆け引きは苦手な、まっすぐな男だ。

 立場上、仕方なく奮闘しているのだろうが、目は本気で嫌がっている。


「四大貴族様は大変だな」

「五大貴族だ。ローガン家を入れて」

「……まだそう言ってくれるか」

「当たり前だ。今日なにを話すかまでは知らんが、とにかく陛下に再興を頼め。次期剣聖に最も近いと言われた男を田舎で飼うなど、国にとって損害でしかないとな!」

「すっかり貴族だねぇ、その言い回し。ま、俺のことはともかく、進言はするつもりでいた。心配してくれてありがとうよ」


 謁見の間が近づくにつれ、豪華絢爛な城内にメイドや執事以外の顔ぶれが増えていく。

 

「さて、そろそろ行くとしよう」


 廊下の奥に目的の扉が見えると、ジャステルは襟を正して立ち止まった。


「本当に話をしたかっただけか」

「そうだ。ま、目論見がないわけではなかったがな」


 こいつがニヤリと笑うと、昔二人でやったイタズラを思い出す。

 よく分からんが、俺と話しながら歩くことになにか意味があったんだろう。


「そうか。まぁ、お役に立てたなら光栄だ」

「では、また夜にでも会おう。息子を紹介したい。剣の腕は我が家一なんだ」

「お、そりゃ楽しみだ。俺の長男もすごいぞ? なんせ四歳で闘気を操ったからな!」

「……冗談だろ?」


 たぶん信じてない引きつった笑いに手を振り、深呼吸をして気持ちと服装の乱れを整えた。

 

「お待ちしていました、ライオス様」

「お久しぶりです」

「では、中でお待ちを」


 古株の執事に微笑みかけ、謁見の間に入室した。


 細長い部屋の奥に、二つの玉座が置かれている。その正面に伸びる長い絨毯を進み、刺繍が途切れたところで止まった。自然と、身も心も引き締まる。


「シュバール王国第十四代国王、ナポレオ・フォン・シュバール陛下! 王妃マリーゴールド・フォン・シュバール殿下! ご入室ー!」


 サッと膝をつき、頭を下げる。

 玉座の横からこの国を統べる二人が、現れ着席するのが気配で感じられた。


「面を上げよ」


 国の主に相応しい重厚な声。

 従い顔を上げると、かつて忠誠を誓った二人の姿があった。


「久しいな、ライオス」

「はっ! ローガン家十六代目当主、ライオス・ローガン。タイズ村より参りました!」


 満足気な笑み。

 陛下の頭には少し白髪が増え、王妃様は痩せた気がする。しかし、その身から放たれる威光は、なにも変わらない。


「うむ。ダイン殿や家族は息災か?」

「はいっ! 皆、元気に暮らしております」

「モニカ殿のことは、心からお悔やみを申し上げます。本当に……惜しい人を亡くしました……」


 王妃様が涙を流してくれた。

 彼女は若かりし頃、母に魔法を習っていたことがある。とても仲が良かったと聞いてはいたが、ここまで身分に差があってもその気持ちを忘れていないとは。


「お気持ち、至極光栄でございます」


 感激で体が震えた。


「ライオス、お前を呼び出したのは他でもない。ローガン家の再興についてだ」


 思わず息を飲む。

 まさか、王自ら言い出してくれるとは。


「ここに!」


 陛下が手を叩くと、さっきの老執事が荷車を押して現れ、俺の前に置いて去った。


「……これは?」

「お前たちが王都を去ってから出された嘆願書だ。これでもほんの一部に過ぎぬ。すべて、ローガン家の罪を許してやってくれというものだ」


 ふと目に入ったのは、辛うじて読める震えた文字。

 書かれた名は、鉄に住む下民の男だった。


『ローガン家の人は、おれたちみたいなもんに、飯をくれたり文字を教えてくれた。ガインのやつだって、酒を持ってきたりしてくれたんだ。あんないい人たち、他にはいねぇです。兄貴のケジメは弟がつけたと聞きやした。どうか、王様。ローガンの人たちに、カンダイなお心を』


 たしかに王都に住んでいたとき、家の者総出で貧しい人たちに飯を配ったりしたことがある。

 それがこんな形で返ってくるなんて。

 王の御前だというのに、泣きそうになった。


「モニカ殿の訃報が届いて、またさらに増えましてね。わたくしからも、王にお話をさせていただきました」

「実際ローガン家が離れたことで、問題も起きている。五大貴族の権力図が壊れ、カーク家とサルダー家。クマドー家とガーマ家がそれぞれ手を組み、今日まで上流階級は二分している」


 王は小さくため息をついた。

 なるほど、さっきのジャステルの狙いが理解できた。


「ライオスよ。ローガン家には、その混乱を鎮めてもらいたい。段階的にはなるが、返還された領地や私財、五大貴族としての権限をそちらに戻そう。そして王都に移り、再び我が国を支えてほしい」


 感動だ。

 あの日から親子で夢見てきた悲願が、ついに実現する。願わくば、母様にもこの朗報を聞かせてやりたかった。


「ライオス・ローガン。その勅命、謹んで」

「し、失礼致します!」


 俺の声を遮って、先程の執事が慌てた様子で現れた。

 いつも穏やかで冷静な彼らしくない。


「どうした、騒々しい」


 主であるお二人も、同じことを思ったらしい。

 一見、平静を保ってはいたが表情は緊張がにじみ出ていた。


「い、今しがた伝書の鳩が来まして。急ぎ、ご報告を」

「誰からだ?」

「タイズ村の……ダイン・ローガン様です」


 彼が来た理由が分かった。

 差出人を見れば俺の耳に入れないわけにはいかないが、ここにいることは限られた者しか知らない。だから兵士に渡さず、自身が持ってきたのだ。


「読み上げろ」

「は、はい……『タイズ村、盗賊に襲われる、至急救援求む。村への被害甚大、犠牲者多数……』」

「馬鹿な! 結界が破られたのか!?」


 無礼を承知で声を上げた。

 王妃様が心配する視線を向けてくれている。


「つ、続きを。『我が子ライオス・ローガン、急ぎ帰還せよ。我が家も犠牲あり……死亡』」


 信じられない。

 自分の目で見ないとなにも言えない。だが、頭に浮かんだ想像は最悪のものを描いていた。


「ライオス、王として命ずる。至急タイズ村へ戻り、被害の詳細を知らせよ。先程の話は、後日書面でも構わん。行け!」

「は、はっ!」


 有無を言わさず、陛下は俺を追いやった。

 悲願どころではなくなった臣下に対する、せめてもの優しさだろうことは、身に沁みて理解できた。一礼して出るときに見た、青ざめ涙する王妃様の顔は、ずっと忘れられないだろう。


「どいてくれっ!」


 扉が閉まると同時に駆け出した。

 王城でのマナーなど知ったことではない。

 今は一刻も早く、家に戻りたくて仕方なかった。


「……ケインっ!」


 募る焦燥に押され堪らず出てきた言葉は、愛する息子の名前だった。

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