第12.5話 『ライオスの帰郷1』

 人の活気に目が回る。

 勝手知ったる街だと思っていたが、十年近く静かな田舎に籠もっていると、人混みを歩くだけで疲労を感じてしまうらしい。約一ヶ月の旅は、それなりに楽しかったのに。


「うーむ。道は同じだが、店の顔触れはちょくちょく変わってるな」


 俺にとって、シュバール王国の王都ヒルトアは故郷だ。

 十六歳でタイズ村に引っ越すまで、貴族学院に通いながら親父殿がいた王国軍養成学校で鍛えられ、隅から隅まで駆け回っていた。

 

「あんなことがなければな……」


 子どもの頃に通り抜けた狭い路地を見つめる。

 手を引かれて走る自分が、幻影となって現れた。


「ガイン兄さん」


 あの頃はまだ年の離れた兄を頼り、笑い合っていた。

 仲は良かったと思う。

 けれど、俺が剣を習い始めてからガインは変わってしまった。徐々に笑顔が消え、向けられる視線が冷たくなっていくのを今でも思い出す。

 そしてあの事件が起こり、最期はこの手で……。

 

「……この先、だったな」


 路地の向こうに去った幻影に別れを告げ、目的地を目指して歩き出した。

 ガインが起こした事件は、未だに王都では語り草だ。こちらに住む友人からたまに手紙が来るが、市民の間では尾ひれが付いて広まっているという。

 そのせいでガインが死んだとはいえ、ローガン家への風当たりは決して良いものばかりではない。信頼できる相手なら大丈夫だろうが、俺がいることが広まっては余計な混乱を生む。使い込んだローブを深く被り、顔が割れないようにして里帰りを続けた。


「この匂い、海老の香草焼きだな。親父殿が酒のアテによく食べてたっけ。甘い匂いと歌……綿雲飴の屋台、潰れてなかったのか。母様に内緒で買いに行ったな……売り子のじいさん今年でいくつだ!?」


 狭い視界の代わりに、鼻と耳がよく効いてくれる。

 なんだかんだ、帰郷の道は懐かしくて楽しかった。


「あれ?」


 目的の建物にやって来た。

 やっては来たのだが、俺の知ってる見た目と違う。馴染みの鍛冶屋を訪ねたはずが、焼物屋に変わっている。


「おっかしいな、場所は合ってるはずなんだが……潰れたとか王都を移ったって話も聞いてないし」


 途方に暮れていると、懐かしい顔を見つけた。

 斜め向かいにある花屋のおばさん。昔はよくお菓子をもらったし、王都を離れるときは泣いて見送ってくれた人情の人だ。あの人なら信用できる。


「この時期は秋桜がきれいだよー! 奥さんの機嫌損ねた馬鹿は買って帰って謝りなー! 口くらいは聞いてもらえるよー!」


 昔から思っていたが、その呼び込みはどうなんだ。

 懐かしさに笑いながら、往来に間ができたのを見計らって声をかけた。


「もし、そこの御婦人」

「はい、いらっしゃい。このへんじゃあんまり見ない格好だけど、旅の方かい? なら、故郷の家族には押し花がいいよ。夜の店で遊ぶつもりなら、そこの派手な種類にしな。人気の嬢の好みが知りたいなら……そうだね、あんたがあたし好みのイケメンなら、教えてやってもいいよ?」


 そうだそうだ、こうやって口を開いたら一気に話す人だった。


「……どうかな?」


 顔を上げ、少しフードを持ち上げる。

 

「ん〜? あんたどこかで……えぇ!?」

「久しぶり、おばさん。もっと髭が生えてたほうが好みだったっけ?」


 俺は笑ったが、おばさんは涙を浮かべた。


「まあまあまあ! ライちゃん! 久しぶりじゃないの! 帰ってきたの?」

「いや、ちょっと用があってね」

「いやぁ〜、本当に大きくなって……いや、そんな言い方はもう失礼よね。ご立派になられました、ライオス様」


 かしこまって涙を拭く姿は、過去に身分関係なく説教をくらった身からすると違和感しかない。


「昔みたいでいいよ。それに……ライって呼んでくれたほうが助かるな」


 こっちの事情を察してくれて、おばさんは小さく頷いた。


「なら、お言葉に甘えて。でも本当に嬉しいわ! 今はタイズ村にいるんだっけ?」

「あぁ。俺も息子が二人いるよ」


 俺もなんだか嬉しくなって、互いの近況を教え合った。


「ソランちゃんたちは元気? あのリースがメイドなんて驚いたけど、ちゃんとやれてるの?」

「二人とも元気だよ。リースは立派にやってるし、将来は俺の娘になる予定だ。長男と婚約してる」

「まぁ! なら、式に使う花はうちが用意しようかね!」


 おばさんがまるで身内のことのように張り切った。

 ……つい話し込んでしまって、話しかけた目的を忘れていた。


「そうだ、聞きたいことがあったんだ。なぁ、そこにあった鍛冶屋ってどうなった?」


 焼物屋を指さすと、おばさんは手を叩いた。


「あぁ! シーマのとこだろ? あんたがいた頃は、たしかにそこに店があったねぇ。今じゃ王都でも一・二を争う大きな鍛冶屋さ。あの子の腕も認められて、どっかの貴族に剣を納めたって話も聞いたねぇ」


 鋭く睨む、かつての友人が目に浮かぶ。

 店を出したときは夢が叶ったとみんなで喜んだが、今ではそれ以上の大出世。こんなことなら教えろとも思ったが、そういう気遣いには疎い職人だったことを思い出した。


「そうだったのか。で、今の店はどこに?」

「貴族が買い物に来るんだよ? 黄金こがねに決まってるじゃないか」


 予想はしていたが、思わず言葉に詰まる。


 ヒルトアは王の住まう城から扇状に街が広がり、城壁に囲まれている。城から見て右が黄金、中央が白銀しろがね、左がくろがねと呼ばれている。

 住む者の身分によって別れていて、この店は商人・平民の白銀と下民の鉄の境にある。だから割と自由に歩き回れたが、黄金だとそうはいかない。学院もあるし、この辺りに比べて知り合いも多い。まったく面倒な場所に移転したものだ。


「……ちょっとお入り!」


 どうするか悩んでいると、おばさんが店の中へ引っ張り込んだ。


「あたたた! な、なにすんの?」

「要はバレるのがマズイんだろ? あたしに任せな! 」


 妙に頼り甲斐を感じる。

 その自信を信じ、従うことにした。


「……できた! どうだい?」

「おぉ!」


 鏡を見て、思わず声が出た。

 ローガン家の特徴である水色の髪は黒く染まり、口元には近くで見ないと偽物だと分からない髭が生えている。

 ものの五分ほどで、まるで別人になっていた。


「すごっ! ありがとう、おばさん! でも、なんでこんなことできるんだ?」

「はんっ! 伊達に女房以外に花束買うような阿呆共を相手に商売してないよ! けっこう評判でね。髪染めの粉、よかったら分けてやるよ!」


 俺の知ってる花屋と違うと思ったが、実際助かったので言葉にはしなかった。

 髪に振った黒い粉までいただいたので、財布を出そうとしたが止められた。


「お代はいらないよ。元気な姿を見せてくれただけで十分さ。今度は……ご家族でお会いできるのを、楽しみにしてるからね!」


 おばさんに礼と別れを告げ、人目を避けつつ王都を横断し始めた。

 黄金の付近でローブを脱ぎ、身綺麗な格好に変わる。こうしないと、むしろ目立ってしまうのだ。


「さて……看板のシンボルは、狐耳と翼の生えた剣だったか。たしか、昔リースが考えたんだよな」


 黄金の街並みは王都の中にあって、さらに特別なものだ。

 ゴミひとつなく、行き交う人々は漏れなく優雅。学生時代散々見た馴染みの景色。でも匂いは、香水とお茶の香りが混ざり合ったここよりも、俺は白銀と鉄に並ぶ屋台のほうが好きだ。


「おぉ……これはすごいな」


 おばさんのおかけで、誰にもバレずに店の前まで来ることができた。

 だが、驚きで足が止まる。

 シーマの店は、想像の十倍は大きな建物だった。


「うちよりデカいじゃないか。一・二を争うってのは、ハンパじゃないねぇ」


 黒い扉を開けて中に入ると、鍛冶屋のイメージが根本から崩れた。

 タイズ村にもある普通の鍛冶屋は、工房にそのまま店が繋がっている。カウンターとの境には、申し訳程度の壁があるが音や熱気は隠せない。


 しかし、この店は違う。

 管楽器の小気味いい音楽が流れ、温度も過ごしやすい。さらには、きれいに陳列された商品と明るい笑顔の女性が出迎えてくれた。


「いらっしゃいませ。当店は初めてですか?」

「え! あ、はい」

  

 まさか鍛冶屋に女性の店員がいるなんて思わず、慌ててしまった。

 普通ここは、汗だくの若い弟子だろう。


「なにかお探しでしょうか? それとも、誰かご指名でしょうか?」

「し、指名?」

「はい。当店の主、シーマ・ファルコ様には、現在二十二人の弟子がおります。それぞれに得意なものや個性がございまして、お客様はご希望に応じて指名が可能でございます。もちろん、こちらでお話をお伺いしたあと、ピッタリの者を紹介させていただくこともできますよ」

 

 頭がくらくらしてきた。

 ええい、しっかりしろライオス・ローガン。

 とにかく、要件を伝えればいいんだ。


「あの、実は知り合いに会いに来まして」

「そうでしたか! どの者でしょう?」

「シーマはいますか?」


 店内の会話が止まり、俺に視線が集まる。

 どことなく冷たい視線が。


「あの……失礼ですが、シーマとはどういった関係で?」

「友人です。えーっと、リースの身内だと伝えていただければ」


 にこやかな愛想のいい笑顔はどこにいったのか、女性は俺を品定めするような目で観察した。


「……少々お待ち下さい」


 女性が奥に引っ込むと、静かなことが災いしてひそひそ声が聞こえ始めた。

 

 すまん、シーマ。

 この店の雰囲気、俺には合わん。


「あちらの方です」


 女性が戻ってきたかと思うと、奥に続く扉の影から目当ての顔がこちらを見ていた。


「あ、シー」

「知らん奴だ。追い返せ」


 変装しているのをすっかり忘れていた。

 シーマは始めて会ったときと同じ、虫を見るような目で一瞥すると、冷たい言葉を言い放った。


「待て待て待てシーマ! 俺だ! えーっと、リースの恋人の父親だ! 聞いてるだろ? あいつが婚約したのは!」

「……なに?」


 屈強な用心棒二人が出てきて焦ったが、シーマは俺の声に反応してくれた。


「その声……おい、リースがプロポーズのときにもらったものはなんだ?」

「青輝石のペンダント!」


 食い気味で即答した。

 もうこの空気に耐えられない。


「……あたしの客だ。下がっていいよ。他のお客様も、お騒がせしてしまい申し訳ございません」


 俺の顔を踏みつけて笑っていたシーマが、丁寧にお辞儀するなんて信じられなかった。

 だが、とりあえず助かった。

 女性店員の謝罪を受けながら、シーマに続いて階段を上がった。


「ったく、来るなら先に言え! なんだその格好!」

「ぶふぉっ!」


 相変わらずの鋭い眼差しと、腹部への正拳突き。

 だが、これでも俺は仲間だと認められている。昔は男なら、誰もが攻撃対象だった。


「す、すまん。こっちも急に行くことが決まってな。店、デカくなったな。とりあえず、おめでとう」

「ありがとう! でも、リースやソラン姐さんがいないのに、お前だけ来たって意味がない」

「そう言うなよ。二人からの手紙を預かってきたんだ」


 封筒を差し出すと、瞳の中に穏やかな光が宿った。

 ソランとリース、そしてこのシーマはかつて同じパーティを組んでいた冒険者だ。なかでもリースとは、駆け出しの頃からの付き合いらしい。

 彼女の武器は大剣だが、なにより人族でありながらドワーフにも優る鍛冶の腕があった。店の成長が、その才能を物語っている。


「ソラン姐さんのは嬉しい。でも、リースのは」

「なんだ珍しい。どうしたんだ?」

「あんたの息子の惚気ばっかりなんだよ! もう、うんざりだ!」


 乱暴に椅子に腰掛け、ぶすっと頬を膨らませた。


「あー、あいつらラブラブだからな」

「ペンダントのお返しに渡すプレゼントまで、あたしに依頼してきやがった。まったく、これで結婚式に呼ばなかったら一生恨んでやる!」


 リースの悪気のない笑顔が浮かぶ。

 だが、シーマを式に呼ばないことはあり得ないだろう。二人は苦楽を共にした親友だ。


「……それで、王都になにしに来たんだ? 手紙届けるだけってわけじゃないだろう?」

「まぁな。実は陛下に呼ばれた。明日、お目通しがある」


 常に睨んでいるような目を丸くして、シーマは立ち上がった。


「本当か! なら、あの事件のことを許してもらえるのか? またこっちに住めるのか?」

「どうだろうな。でも、それに関する話ではあると思う。あのこと以外で、俺を呼びつける理由がないからな」

「そうか。でも楽しみだな。またみんなで酒が飲みたい」

「そうだな。でもいくら酔っても、また踏んづけてくるのは勘弁してくれよ?」

「あ、当たり前だ! あたしも今じゃ何人も弟子がいるんだ。お前の息子がリースに相応しいか、品定めしてやるっ!」


 まるで昔のような時間が過ぎていく。

 互いに立場ができたし、年もとった。

 でも、根っこの部分は変わらない。気を張ってたシーマの顔も、いくらかほころんでくれた。


「じゃ、そろそろ宿に戻るよ。忙しいとこ、邪魔したな」

「いや、そっちの話をいろいろ聞けてよかった。今度はみんなで会いたいな、歓迎するよ」


 王都を離れるときと同じ、力の入った握手を交わす。

 昔よりも固くなった手のひらが、彼女の苦労と実力を物語る。


「あぁ、俺もそうしたい。じゃあな、鉄姫てっき

「また会おう、炎人えんじん


 昔のあだ名を呼び合って、懐かしい友と別れた。


 宿に戻り、自由時間を与えていた村の男衆と明日の打ち合わせをする。

 夜になり、晩飯を食べるとひどく眠くなった。宿に聞こえる街の喧騒は、俺にとっては子守唄と同じらしい。酒も入ってないが、今日は早めに寝るとしよう。


 明日はいよいよ、王様たちと言葉を交わすのだ。

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