第12話 『一本の矢』

 モニカが天国に旅立って二週間。

 ローガン家に空いた穴は、まだ埋まっていない気がする。ふとしたときに、モニカが微笑んでいるんじゃないかと庭の木陰や窓辺を見てしまう。


 俺は変わらず、武術や勉強を頑張っている。

 ライオス曰く、バル・モンキーとの一戦から闘気がかなり増えたらしい。あのとき感じた獣の気配はないが、ライオスと実戦形式でやりあっても怖くないくらいには成長した。魔法も雷に続いて火の中級魔法を覚えたし、獣人語はリースのお墨付きをもらった。


「平和っすねぇ~」


 ダインとの鍛錬で疲れた俺は、リースに膝枕をしてもらっていた。

 今日みたいに天気のいい日はあったかくてモフモフさが増して、よく干した洗濯物に似たいい匂いがする。こんなに癒されていいんだろうかっていうくらい、癒される。


「そうだな〜。やっと静かになってくれたし」


 二人で笑い合いながら、二日前のことを思い出す。

 村はちょっとしたお祭り騒ぎになっていて、ローガン家はその中心にいた。


――――


「じゃ、行ってくる」


 旅支度を整えたライオスが、家の前で笑った。

 村の中でも屈強な男衆を従え、荷物もかなりの量だった。オリビアとは別に、立派な馬車も引き連れている。


「気をつけてね? 王都に着いたら必ず手紙をちょうだい」

「あぁ、もちろん」


 ソランと愛のある視線を交わし、軽くキスをした。


「国王陛下と妃殿下に、くれぐれも失礼のないようにな」

「了解した、親父殿。ウン年振りに王城へ招かれるなんて、きっと母様が導いてくれたんだろうよ」


 ライオスは懐に入れてあったものを取り出して、感慨深そうに見つめた。

 数日前に王妃様から届いた手紙だ。

 中にはモニカへの追悼と、ライオスに王城へ来るよう綴られていた。

 俺はガイン伯父のことを、少し許してもらえるんじゃないかと期待している。誰もなにも言わないが、みんな心の底で同じ想いなのがなんとなく分かる。


「メイ、ロア、リース。屋敷のことは頼む」

「「かしこまりました」」

「それからケイン」


 三人の揃ったお辞儀を受けたあと、ライオスは俺の頭に手を置いた。


「お前も立派な戦士だ。家族や村人を、その剣に賭けて守れ!」

「はい!」

「よし、いい目だ。親父殿は最近、腰と毛根の調子が悪いからな」

「聞こえとるぞ馬鹿息子」


 気の知れた親子の笑みを交わすと、最後にマリオスの頭を撫でた。


「ぉとしゃん、ぃきゃないでぇ~」

「あ、ヤバいこれ。行きたくない」

「こら」


 泣き顔のマリオスに心を揺さぶられていたが、強めのハグでなんとか気持ちを断ち切った。

 そうして、村人総出で遠ざかる背中を見送った。


――――


 俺たちはひと仕事終えた気持ちでいたが、弟だけは今朝までショックを受けていた。昨日なんてほとんど一日中泣いていたから、家の中は静かな場所などなかった。


「あーしの耳も、やっとお休みをいただけるっす」

「そりゃよかった」

「もしよかったら、甘い愛の言葉なんて囁いてくれてもいいんすよぉ?」

「……好きだよ」

「クッハァァァァ!」


 自分で言い出したくせに、顔を赤くして悶絶した。

 俺だって恥ずかしかったんだからな、ちくしょう。


「ず、ずるいっすよ。てっきり断ってくると思ったのに」

「べ、べつにいいだろ。本当のことなんだから」


 見つめ合った瞬間、時間が止まった。

 磁石でもついてるみたいに、自然と顔が近づいていく。


「リース」

「ケイン様」

「あー! ケインとリース姉ちゃんがイチャついてる!」


 めちゃくちゃいいところだったのに、庭の向こうで高い声がした。

 慌てて離れて目をやると、村の子どもたちがニヤニヤしながらこっちを見ていた。


「う、うるせぇ! 見るなよ!」

「なぁなぁ、二人ってえっちなことしたのか?」


 男子の一人が、鼻の下を伸ばして言った。


「こら! そんなこと聞いたらだめよ!」

「だって二人はコイビトなんだろ? ならしてたっていいじゃんか、聞いてみたいじゃんか!」

 

 女子からの注意にも止まらない。

 このエロガキめ。


「なぁ、リース。お前からもなにか一発言ってやってくれ」


 とりあえずここは、大人のリースになんとかしてもらおう。


「え、え、どこまで言っていいもんなんすか? 一発? 一発だけ? い、いや、あの子たちにはまだはやいっていうか。いや、ケイン様はべつに、いくらでも……」


 ダメだった。

 乙女スイッチが入ったリースは、顔に手を当てて恥ずかしがっていた。


「おいおい……」

「なぁなぁ! 教えろよー!」

「教えてよー!」

「もう、やめなさいったら! こういうのは、女の子だけ教えてもらえるの!」


 べつにそんなことはないが、三人とも煽りながら楽しんでいるのが分かった。

 仕方ねぇ、相手になってやる。


「いい加減にしろ! ジョン、ジミー、ハンナ!」


 全員の名前を呼んで、俺は駆け出した。


「きゃー!」

「ケインが来たぞー!」

「逃げろー!」


 楽しそうな悲鳴を上げて、村の中心へ逃げていく。


「リース! ちょっと行ってくる!」


 俺の声でやっと我に返ってくれたようで、リースはハッと立ち上がった。


「ケイン様ー! あーしの代わりに、ゲンコツお願いしますっすー!」


 親指を立てて了解した。

 まぁ、本気でくらわせるつもりはないが、リースを恥ずかしがらせた報いはなにかしらで受けてもらおう。


「おらっ! 追いついたぞ!」


 牙獣流の動きを応用した走りなら、子どもの全力疾走くらいすぐに捕まえることができた。


「くそー、お前速すぎるんだよ」

「つ、疲れた」


 男子二人が文句を言った。

 一人はさっきのエロガキで、俺とは一番気が合うジョン。もう一人は小柄で、キノコみたいな髪型のジミーだ。


「鍛えてるからな! 直線なら村一番になってやる!」

「すごいなぁ。さすがリースさんの彼氏」


 女子の名前はハンナ。

 三つ編みが似合う子どもだが、ジョンとは違う意味でマセている気がする。


 この三人とは、ワクチ草を取りに行ってすぐ友達になった。

 正真正銘人間の友達だが、こうなるまでにはひと悶着あった。


「ウキイ!」


 その理由がこいつ。

 ハンナの服の中に隠れていた、ゴクウだ。


「ゴクウ! お前、またハンナの家でおやつもらってただろ」

「ウッキキイ?」


 とぼけた口元には、果物の果汁のあとがしっかり残っている。


 俺がモニカと話した翌日、ゴクウは俺に会うために村に下りてきた。小さ過ぎて、結界も効果がなかったんだろう。ライオスたちは問答無用で殺そうとしたが、必死の説得で俺たちが友達だってことを分かってもらった。  


「ウキウキャイ」


 ゴクウは俺たちを森に案内した。

 行ってみた先では、バル・モンキーたちがたくさんの薬草や果物を用意して待っていてくれていた。どうやら、お礼のつもりらしい。

 何匹もいるバル・モンキーの中で、なぜかゴクウの親子だけは意思疎通が可能だった。地面に絵を描いて、これからは人間と仲良くしたいことをライオスたちに伝えた。実際、そのあと協力して狩りをやったが、ダイン曰く「今までの人生で一番多く獲れた」と目を丸くていた。


「ぜひ会ってみたいわね」


 モニカに話したらそう言ったから、窓から顔だけ見せたのを覚えてる。

 驚いてたけど、嬉しそうに笑っていた。

 

 一応ローガン家が認めるかたちになったが、ほとんどの人間がまだ心を開けていない。特に大人たちは、遊びに来るゴクウに子どもを近づけないようにしていた。

 だが、そんな目を搔い潜ってきたのがこの三人だ。

 みんなゴクウとすぐに打ち解けてくれて、なんならハンナには俺よりベッタリになっている。最初俺は飼育委員みたいな立ち位置だったが、気づいたら輪の中に入ってた。


 思えば、生まれ変わってからは鍛錬に明け暮れていて、タイズ村の同年代とほとんど話したことがなかった。で、結局いっしょにやることといえば、俺が勉強や剣を教えたり鬼ごっことかガキの遊びばかり。

 でも、楽しい。

 思いっきり体を動かすのは気持ちがいいし、俺が先生みたいなことをするなんて未だに信じられねぇ気分だ。最近はこうして、いっしょに遊ぶことが増えている。こういう友達も、ファミリアの一員になるんだろうな。


「今日はなにする?」

「え、ケインとリースさんの話を聞くんじゃないの?」

「もう終わっただろ、その話。ちょっと用事があるから、広場に行こうぜ」


 しつこいジミーに軽くゲンコツを当てて、俺たちは村の中心に向かった。

 タイズ村の広い敷地はほとんどが畑だが、中央の広場にはいくつか店が並んでいる。中心に立っている古い英雄の像は、ローガン家のご先祖様だと聞いたことがある。


「ケイン、用事ってなんだよ」


 ジョンが面倒臭そうに言った。


「鍛冶屋に投げナイフを頼んでたんだよ。それを取りに行く」


 たぶん見たこともない武器の名前を聞いて、男子二人の目が輝いた。


「なんだそれ! なにに使うんだよ!」

「メイが得意らしくてよ。今度から教えてもらうんだ」


 俺も意外だったが、メイは元々隠密としてダインに仕えていたらしい。

 モニカとの昔の話で知って、渋るメイに教えてほしいと無理やり頼み込んだ。


「いいなぁ~、おれも教わりてぇよ」

「ぼくも」

「わたしは魔法がいいな~」

「ウキィ~」


 便乗したゴクウはともかく、三人のやる気を無駄にするのは正直気が引ける。

 三人が習えない大きな理由は、身分の違いだ。でも、ローガン家はあまりそんなの気にしていない。むしろ、こいつらの親が恐縮している部分が大きい。なら、ダイン直々に許可をもらえれば、問題ないんじゃないか?


「……よし。俺が頼んでみてやるよ!」


 友達のためだ、一肌脱いでやる。


「ほ、ほんとうか!」

「やったー!」

「うれしい! ありがとう、ケイン!」


 三人は飛び跳ねて喜んでくれた。


「ウッキィ!」

「お前は違うからな?」


 まだ決まってないのにテンションの上がった三人と一匹といっしょに、広場の中を突っ切る。


 そのとき、向こうに見えた森に違和感を感じた。


「なんだ?」


 なにかが動いている。

 大きい……いや、多い。

 森の入り口が見えなくなるほどのなにかの大群が、こっちに向かってきていた。

 

「なにか飛んできた」


 ハンナが呟いた。

 夕焼けの空に弧を描いたそれは、ハンナにまっすぐ落ちてきた。


「きゃっ!」


 短い悲鳴が上がったが、傷はない。

 直前で俺が捕まえたからだ。


「これは……矢じゃねぇか」


 手に掴んだものは、どう見ても一本の矢だった。

 矢じりの先まで黒くて、なんだか邪悪に見える。


 それを見た大人の一人が、絶望の表情で叫んだ。


「と、盗賊だああああー!」


 きれいな空を、続けて放たれた無数の矢がぶち壊しにした。


 平和な一日は、あっという間に消えてしまった。

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