第11話 『あなたのファミリア』

 傷は魔法と薬草のおかげで、夜にはほとんど痛みはなくなった。

 なのに、頬はずっと熱い。

 久しぶりに見た月や星も、まったくきれいだとは思えなかった。


「……ケイン。おばあさまが呼んでるわ」


 部屋でぼーっとしていたら、ソランが声をかけてきた。

 

「母上……あの」

「大丈夫。怖がらなくていいから、ね?」


 ソランは優しく頭を撫でてくれた。

 あのあとライオスからは「俺がちゃんと思い出せば」って謝られたし、ダインにも「モニカの話を聞いてやってくれ」と頼まれた。

 なぜモニカだけ、あんなに怒ったんだろう。


 部屋を出るのに、かなりの勇気と気合いが必要だった。

 ちょっとだけでもリースに会いたかったが、廊下の奥は距離が近過ぎた。


 嫌われたらどうしようって考えが、ずっと頭を回ってる。どうしたら許してもらえるのかばっかり考える。ただの木の扉が、ものすごく重くて暗いものに見えた。

 震える手で小さくノックをした。


「ケ……ケインです」

「どうぞ」


 呼吸を整えて、どうにか体を動かした。


「こちらへ座りなさい」


 モニカはベッドの上にいた。

 燭台のろうそくが照らす顔からは、感情を読むことはできない。

 となりに置かれた椅子に座って、モニカと向かい合う。足がぶらぶらして、どうにも落ち着かない。


「……ケイン」

「……はい」


 あぁ、声がものすごく暗い。

 こんなモニカ初めてだ。

 どんだけ怒られたっていい、どうか家族のままでいさせてほしい。

 俺の願いは、それだけだ。


「ごめんなさい」


 また殴られる覚悟も、何時間も怒鳴られる用意だってしていた。

 なのに、なぜか謝られた。


「え、えっと?」

「一方的に怒鳴ったばかりか、あろうことか手を上げてしまいました。本当にごめんなさい」


 意味が分からん。

 なんでモニカが謝るんだ?


「あなたの気持ちや理由を、ちゃんと聞くべきでした。反省しています」


 あぁ……やっぱりすげぇなぁ。

 自分のやったことを反省して、こんなガキに頭を下げられるなんて。

 それに比べて、俺は。


「ごめんなさい、おばあさま。俺……なんで怒られたのか分かってません」


 情けなくて涙が出てくる。

 こんなに立派な人の孫なのに、どうして俺は馬鹿なままなんだ。


「ただおばあさまに、元気になってもらいたかっただけで……戦うことしかできないから、役に立ちたくて」


 目が見られない。

 感じる視線が、痛くて仕方なかった。


「怪我だって怖くないし、家族のためならなんだってする! おばあさまが生きてくれるなら……命だってかけて」

「ケイン!」


 声に驚いて、ハッと顔を上げてしまった。

 モニカは泣いていた。


「わたくしは孫を犠牲にして生き永らえるより、愛する家族に看取られて逝くことを選びます。だから、お願い。そんな悲しいことを言わないで」


 泣きながら抱きしめられた。

 俺より大きいけれど、細くて弱々しい。

 なのに、振りほどけない。というより、抵抗する気も起きなかった。


「だっておばあさまは、優しくて、強くて、頭もよくて。俺なんかより、ずっとすごくて……この家に必要なのは、おばあさまだから」

「そんなことありません。あなたは、わたくしとおじいさまのかわいい孫で、ライオスとソランの大切な子どもで、マリオスの大好きなお兄ちゃん。メイとロアの仕える主で、リースの恋人でしょう? あなたにもしものことがあったら、どれだけ悲しむと思いますか? ケイン、あなたは大切な家族なんですよ」


 きっと前の人生で、俺がずっと欲しかった言葉だ。

 嬉しいとか感謝とか、いろんな感情が混ざって込み上げてきて、泣き叫んだ。


「ごめんなさいぃ~! ごめんなさいぃ~!」


 謝り続ける俺を、モニカは強く抱きしめてくれた。

 二人で抱き合ったまま、涙が枯れるんじゃないかと思うくらい泣いた。


「落ち着きましたか?」

「はい……ありがとう」


 やっと離れて顔を見ると、モニカの目は真っ赤だった。

 ということは、俺はもっとひどい状態なんだろう。


「……ねぇ、ケイン。聞きたかったことがあるんだけど、いいかしら?」

 

 顔を拭きながら、モニカは穏やかに言った。


「なに?」

「あなた、もしかして転生者じゃないの?」


 驚いて、なにも言えなかった。

 なんでバレた。いや、そもそも転生のことをどうして知ってるんだ。


「大丈夫。前世がなんであれ、あなたは大事な孫よ? ただね……最近、あなたに大人の影が見えることがあるの。とっても鋭い目つきの男の人が」


 本当はどうにか誤魔化さなきゃいけないんだろう。

 でもなんだか、今のモニカにはなにを言っても許されるような気がした。


「……うん。そう、です」

「まぁ、やっぱり! 昔、聞いたことがあったのよ。稀に異なる世界の魂が、こちらの輪廻に入ることがあるって。その人は前世の記憶を持っていて、歴史上の偉人の中にもいたんだとか」


 モニカは嬉しそうだった。

 まるで子どものように、目をキラキラさせている。


「ねぇ、前の人生のお話を聞かせてくれない?」


 ぶっちゃけ躊躇した。

 殴り屋なんて、それこそ軽蔑されるんじゃないか。褒められるようなことはなにもしてないし、忘れられるもんなら忘れたいくらいだ。

 

 それなのに、喋ってしまったのはなぜだろう。

 気づいたら全部話してた。モニカは黙って、つまんねぇ話を聞いてくれた。

 そして俺のクソみたいな人生に、涙を流してくれた。


「ありがとう。わたくしの孫に生まれてくれて」


 また抱きしめられた。

 今度は、優しく包み込むように。


「い、いや、俺が選んだわけじゃないし。っていうか、お礼なんて」

「いいえ。きっと、タナカロウさんとして足りなかったものを、次の命で埋めようとしたのです。それに我が家が選ばれた。こんなに光栄なことはありません」


 いい人過ぎるだろ。

 泣き過ぎて目が痛いのに、涙が勝手に出る。それくらい、どうしようもなく嬉しいんだ。


「あの、このことは」

「もちろん言いません……ケイン、一番下の引き出しから箱を取ってもらえる?」


 なにか神妙な面持ちになったモニカに言われて、化粧台の引き出しを開けた。

 奥にあった小さな木箱を手渡すと、ゆっくりと語り始めた。


「あなたはわたくしを信頼してくれました。ですから今度は、わたくしの秘密を教えます。いえ……懺悔と言ったほうがいいのかもしれませんね。これは、わたくしたちの罪なのですから」

「罪?」


 こんないい人に、どんな罪があるっていうんだ。

 

「そう、許されざる罪です……わたくしたちの子、ライオスの兄に対する」


 初耳だった。

 俺にとっては伯父ってことだよな?


「名はガイン・ローガン。ライオスより五つ上で、わたくしたちにとって初めての子どもでした」

 

 懐かしむような口調なのに、語る表情は苦しそうだ。


「あの子には誰よりも優秀になってほしかった……いいえ、ただの言い訳ですね。とにかく、厳しく育てました。ダインは当時、王国軍の教官をしていましたから、幼いころから大人に混ざって武術の訓練を。わたくしは魔法学校の教員をしていましたので、魔法や勉学を叩きこみました。昼夜関係なく、できなければ𠮟責して。長男だから、ローガン家を継ぐ者だからとあの子を追い詰めていました」


 かすかに手が震えている。

 いたたまれなくて握ってやると、弱々しく微笑んだ。


「あの子は、わたくしたちの期待に必死で応えてくれました。ですが、心は子ども。甘えたかったでしょうし、弱音も吐きたかったでしょう。なのに、わたくしたちはそれを許さなかった。ライオスが生まれると、ガインには兄としての責任まで押し付けてしまった。そうして、あの事件が起きたのです」


 ろうそくの火が、ずるっと揺れた。


「ガインが二十歳のときです。王都で剣の大会があり、彼も出場しました。当時ライオスに剣の才能が開花していて、わたくしたちは兄としての威厳のためにも必ず優勝するよう言い聞かせました……きっかけは分かりません。きっと、それまでわたくしたちが積み上げた負の感情が、爆発したんだと思います。ガインは一回戦に血塗れで現れました。革袋から、他の十八人の出場者全員の首を取り出して叫びました。『俺が最強だ! すごいだろ!?』と」


 浅くなった呼吸を整えて、モニカは続ける。


「すぐに兵士が取り押さえようとしましたが、あの子を止めることはできませんでした。その後、逃げたガインに討伐の命が下りました。部隊にはダインとライオスも加わり、追い詰め……最期はライオスがトドメを」


 生まれ変わってからずっと、ローガン家はみんな聖人みたいな人たちだと思っていた。

 でも違った。

 前の俺でも抱えられないような過去があった。でも、何年もいっしょにいたのに、子どもにはそんな暗い過去を少しも感じさせなかった。


「我が家は責任を取り、領地や権限のほとんどを国へ返しました。この屋敷も、元々は別荘だったんですよ」

「そんなことが……」


 正直、頭の整理が追いつかない。


「こちらも誠意をと思ったのですが……失望、しましたか?」

「いや」


 即答した。

 混乱はしてるけど、ハッキリしてることもある。


「俺にとって、ローガン家は最高の家族なんだ。たしかに驚いたけど、でもみんなケジメはつけてるし、責任も取ってる。むしろ誇らしいっていうか。とにかく、今までとなにも変わらないよ……です」


 モニカは嬉しそうに微笑むと、手元の木箱を開けた。


「……これは誰にも言わないでちょうだいね?」


 中には手紙が入っていた。

 割と新しいものに見える。


「それは?」

「実はね、三ヶ月前にガインから届いたの」


 驚く俺に、モニカは「うふふ」と笑った。


「きっとダインもライオスも、最後に情が湧いたんでしょうね。なんとか生き延びて、今は冒険者として旅をしてるんですって」


 優しい手が、薄い封筒を愛おしく撫でている。


「わたくしの体調を心配してくれてね。本当に、あの子が生きているだけで嬉しくて。返事を書こうにも旅をしてたら出せないし、そのあとすぐにこうなっちゃったから、こっそり探すこともできないのが残念だけど」

「なら、俺が探すよ! 十歳になれば冒険者資格も取れるから、探してみせる! っていうか、ここに連れてくる! あ、ます!」


 目を丸くしたモニカの笑顔が、本当に嬉しかった。


「ありがとう。でも、この一通だけでも本当に幸せなのよ……ねぇ、ケイン」


 和やかだった空気に、背筋の伸びる厚みが宿った。


「あなたの薬草のおかげで、わたくしはもう少し生きられるでしょう。でもね、どのみちわたくしは、あなたより先に死にます」


 突然言われた死の言葉は、俺の頭を揺らした。

 本人から言われるのはキツイ。言葉が出ずに、首を横に振ることしかできなかった。


「いいえ、これは命の順番です。そうなっているし、そうならなければなりません」


 真剣な顔で、モニカは俺の目をまっすぐに見つめた。


「わたくしだけではなく、ダインもライオスもソランも先に逝くでしょう。だからケイン。あなたはあなたの家族を作らなければなりません」


 意味が分からない。

 俺の家族はローガン家だ。リースたちも含めて、この家に住む人たち以外は考えられない。


「どういうこと?」

「今の家族は、生まれたときから血の繋がりを持つ者たちです。マリオスも最初から弟でしょう? もちろん、かけがえのない絆ですが、年長の者は途中でいなくなる。そうではない絆を、人生の中で作り上げるのです。心の絆を」

「心の絆」


 最後の言葉を、無意識に繰り返していた。


「リースのように愛する人。手を取り合う友。あなたに世話を焼いてくれる年上や、心を開く下の者。あなたが大切だと思える人と、あなたを大切だと思ってくれる人。その繋がりを、ファミリアと呼びます」

「ファミリア……」

「えぇ。心で繋がった家族のことです。血は鉄より強いとダインは言いますが、わたくしは心は花より美しいと考えます。きっと、あなたが前世から求めるものはこちらでしょう」


 なんだか、胸にスッと入ってきた。

 がむしゃらだった今までに、道標ができたみたいだ。

 

「心繋がらず血のみ繋がれど、悲劇しか生まない。ガインの件でわたくしが学んだ、唯一の教訓です。どうか、忘れないでください」

「はい! その……ありがとうございます!」

「うふふ。孫に世話を焼きたいのは、当然でしょう?」

「あ、そうだ! ガイン伯父さんのこと聞かせて! 父上の小さい頃も!」

「あら、いいの? わたくし、今と違って怖いわよ?」


 モニカは本当に楽しそうに話をしてくれてた。

 結局、この夜はいつの間にかモニカのベッドでいっしょに寝ていた。

 目覚めたとき、なんだか心が洗われたような、スッキリした気分だった。


 でも、一ヶ月後。

 

 モニカは死んだ。


 ワクチ草でも効かなかった。

 モニカはみるみるうちに弱っていって、苦しそうな咳をして、俺たちに看取られて、最期はダインの手を取って逝った。


 葬儀は村を挙げて行った。

 国の端のド田舎なのに、生前のモニカを知る人がたくさん来た。昔の教え子や恩人と慕う人。身分や年齢関係なく、涙を流していた。

 村の住人より遥かに多い千人以上が、彼女の死を偲んだ。

 

「どうだ、ケイン。お前のおばあさまは……すごいだろう?」


 ダインが涙を堪えながら、俺の頭に手を置いた。

 この国では遺体を火葬する。天に昇る煙が、魂を運んでくれるらしい。

 俺たちが見上げる先には、まっすぐ伸びる煙があった。


「うん……すごい。すごいファミリアだ」


 涙で歪んだ煙が、優しい顔のモニカに見えた。


「俺も、負けないから。最高のファミリアを……作ってみせるっ!」


 初めて家族を失った。

 けれど、俺は生きていかなければならない。

 まだ、おばあさまから教えられたことを、なにも成し遂げていないから。

 

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