第8話 『この身に変えても』
リースに想いを告げて三年が経った。
マテリアル・スネークの出現については結局なにも分からなかったが、あれから村は平和な時間を送っている。
だからといって、鍛錬を怠けたりはしていない。闘気の扱いにも慣れてきたし、剣術もダインから並の兵では勝てないレベルだとお墨付きをもらった。魔法は相変わらずだが、エルフ語と獣人語は日常会話なら普通に喋れるようになった。前の俺だと漢字も怪しかったのに、奇跡みたいだ。
リースとは言葉や牙獣流の武術を教えてもらったり……いろいろあって、前よりも距離が近くなっている。俺が十五歳で成人したら、ちゃんと結婚式を挙げる予定だ。めちゃくちゃ長く感じるが、リースは「それまでの時間も、大切っす」って言ってくれた。だから俺も、成人までにリースに相応しい強い男になるって決めた。こういう関係を、付き合ってるって言うんだろうか。
今は二人で、ぬかるんだ道を歩いている。
三日前から今朝まで降った雨は、分厚い雲を残しつつもとりあえず止んだ。天気予報がないのが、こんなに面倒でムカつくことだとは。屋敷の一角で雨漏りがしたし、隣村では川が氾濫して畑に被害が出たし、リースとの買い出しも延期になっていた。
やっと並んで歩けた俺は、備蓄分も含めたそれなりの量の荷物を抱えて、手を繋げないもどかしさを感じていた。
「いやぁ〜、助かりましたっす。一人だと、なかなか大変で」
「このくらい平気だよ。それに、今度の買い出しは二人で行こうって約束しただろ?」
「そうっすね。えへへへ」
照れた笑いと共に、尻尾がふさふさと顔を撫でてきた。
「わーい! どろんこどろんこ!」
楽しそうな声が聞こえたかと思うと、少し進んだ先で飛び跳ねる女の子がいた。
「こら。汚れるからやめなさい」
「あ、ケイン坊ちゃま。リースさん。こんにちは」
後ろからやってきた両親が、子どもを捕まえながら挨拶をしてくれた。
「こんにちは」
「こんにちはー。いやぁ、元気でかわいいっすねぇ! 分かるっすよ、どろんこ楽しいっすもんね!」
同じような精神年齢を感じたのか、女の子は「うん!」と元気よく言った。
手を振る代わりに尻尾で応えて別れると、リースが上擦った声で言った。
「あ、あんな感じなんすねぇ〜。獣人と人族の子どもって。か、かわいかったっすね!」
あの夫婦はタイズ村に住む唯一の獣人と人間の夫婦で、奥さんが猫の獣人だ。
旦那さんのほうが年上で関係性は違うが、なんとなく自分たちと重ねてしまう。自分だけかと思っていたが、リースも同じなようだ。
「そ、そうだな」
これ以外なんて言ったらいいんだ。
せっかく楽しんでいたのに、変な空気が流れた。なんとなく体がムズムズする。
「あ! ケイン様、見てください!」
突然、リースが声を上げた。
雲が裂け、青空と太陽が顔を出した先をキラキラした目で見ている。
「
太陽の周りに、白い光の輪っかが出来ている。
なんだか神秘的で、思わず「おぉ」と声が出た。
「年に一度あるかないかの、珍しいやつっすよ! ケイン様は、女神と堕天使のお話知ってるっすか?」
「おとぎ話のやつだろ? 女神と愛し合った天使が、夫の神様の怒りを買って地上に落とされた。その天使の末裔が勇者の血筋だとかなんとか」
俺が答えると、リースは嬉しそうに笑った。
周りに見える村人も、みんな仕事の手を止めて空を見上げている。
「そう! これはその女神様が、落とされた天使様に『あなたへ幸運を』って願いを込めて作り出してるっていう伝説があるんす!」
「へぇ、それは知らなかった」
「しかも、稀に一年の間に二回目が見られることもあって!」
陽の光に照らされた黄色い毛が、俺には輝いて見えた。
「一度目は『あなたへ幸運を』二度目は『ずっとあなたのそばに』一途っすよねぇ、女神様。二回はあーしも見たことないんで、いつか見てみたいなぁと思うっす」
「……そう、だな」
「ケイン様?」
空を見つめていたリースが、きょとんとして顔を覗き込んできた。
「いや、俺にはその……あんな光よりもきれいなリースがそばにいるから、べつにいいかなって……」
恥ずかしくて視線は逸したけど、リースがみるみるうちに赤くなっていったのは分かった。
尻尾もぶんぶん振ってるし、かわいい。
「そういうの……ずるいっすよ」
なんだか小さくなってもじもじしているリースが、無性に愛おしく感じた。
荷物のせいで抱きしめられなかったし手も繋げなかったけど、それから家に着くまでの道は、できるだけくっついて歩いた。
「ただいまー」
「ただいま戻りましたっすー」
家に帰って買ったものを並べていると、外ではもう一雨降り始めた。
これから晴れていくかと思ったのに残念だったが、濡れずに帰れたのはラッキーだ。
「おかえりなさい~。二人とも、デートは楽しかったですか~?」
「こら、ロア!」
ロアの悪気のないイジりとメイのツッコミが飛び交う後ろで、元気な足音が聞こえた。
「にい! りーしゅ! ぉかえりー!」
小さな影が飛びついてきた。
俺は全身で受け止めて、その柔らかくて温かい体を抱きしめてやった。
「ただいま、マリオス。いい子にしてたか?」
この子の名前はマリオス・ローガン。
もうすぐ二歳になる俺の弟だ。
「あ~ん、ケイン様! あーしにも抱っこさせてくださいっす!」
飛び跳ねて抗議するリースに代わってやると、俺と同じように頬ずりをした。
マリオスもモフモフを楽しんでいるようで、見ていて本当に微笑ましい。
初めての兄弟は、かわいくて仕方ない。自分が世話する立場になって分かったことだが、我が家は子ども好きばかりでみんな同じようにデレデレしている。まぁ、かくいう俺もいっしょになって、デレデレしているんだけど。
「あら、おかえりなさい。マリオス、よかったわね。お兄ちゃんが帰ってきて」
「おぉ、ケイン。帰ってきたなら、お馬さんごっこ交代してくれ。父さんは疲れた」
「おじいさまは?」
「腰やって寝てる」
続いて出てきたソランとライオスはずっと遊び相手になっていたようで、疲れた顔をしていた。
「分かったよ。マリオス、兄ちゃんと遊ぼうな。でも、その前に」
弟もできて、ローガン家は平和そのもの。
だが、無視できない問題も起きている。
「おばあさまに、お薬届けてからな」
三か月前、祖母のモニカが病に倒れた。
「おばあさま、入ります」
「どうぞ」
扉の向こうから聞こえる声も、どこか弱々しい。
足にしがみついて離れないマリオスをそのまま持ち上げ、買ってきたばかりの薬を落とさないように慎重に動いた。
「ありがとう、ケイン……あらあら、マリオスちゃん。お兄ちゃんに甘えちゃって」
猿みたいな恰好で、マリオスが「へへへへ」と笑った。
モニカも笑ったが、前よりもやつれている。もうしばらく、彼女に魔法や勉強を教えてもらっていない。
「はい、お昼の薬。はやく元気になってね、おばあさま」
「えぇ、そうね。マリオスちゃんにも魔法を教えてあげたいし」
「あ、そうだ! さっき、フォトン・リースが出ててさ!」
一日のほとんどをベッドで過ごすようになったモニカに、外の話をする。
誰に言われたわけでもないけど、毎日続けている俺の大切な日課だ。
「いいもの見られたわね。二度目も見れたら、本当に幸運よ」
「そのときは、おばあさまもいっしょに」
「えぇ……そうね。みんなで見られたらいいわね」
事あるごとにダインを抑えてきた力強さがない。
こんなに悲しそうに笑う人じゃなかったはずだ。
「おばあさま……俺になにか」
「さぁさぁ、病気が移ったら大変だわ。薬はそこに置いて、マリオスちゃんと遊んであげて」
モニカに背中を押され、マリオスに足を引っ張られて、しぶしぶ部屋をあとにした。
薬を何度か変えたりもしたけど、どれもイマイチ効果がない。治癒の魔法は怪我にしか効かなくて、病気は薬や薬草なんかに頼るしか方法がない。
俺が前世で医者とか医大生だったら、モニカを救ってやれたかもしれないのに。少なくとも、使える知識や役立つ経験がまったくないことが、無性に悔しかった。
「原因も分からんのか」
ひとしきり遊ぶと、マリオスは疲れて寝てしまった。
部屋に寝かせて、小腹を満たそうと台所へ向かう途中、ダインの部屋から声が聞こえた。
「はい。似た症状の病に効く薬はどれも試しました。でも、一向に良くならなくて……」
ソランの重い声が、知りたくなかった真実を告げた。
扉に耳をつけると、ライオスもいるのが分かった。
「あとは
「あんな奇跡みたいなもん、王族にしか使わせてもらえんわ! だが……手がそれしかないなら、多少強引にでも」
「それで手に入れたところで、お義母様は口にしないでしょう。正式に頼んでもいつ出来るか分かりませんし、なにしろお金が」
三人が知恵を絞る様子が、簡単に想像できる。
ていうか、まさかモニカがそんなに悪い状態だったなんて。
俺にできることはないのか……。
「こうなったら、試してない薬草をできるだけ集めてみましょう。ロアなら、エルフの知恵で私たちが知らないものも分かるはず」
「そうだな。儂も王都の知り合いを当たってみよう」
「薬草か……そういえば、前にどっかで見たな、黄色い花の。あれなら効くかもしれないよな」
「ワクチ草のこと? ちょっと思い出してよ! 万病に効果があるって言われてる、高いやつなんだから!」
ソランとダインがいくら言っても、ライオスは思い出せなかった。
だが、俺は覚えてる。
三年前。マテリアル・スネークと戦ったあの日、崖に生えてるのをライオスといっしょに見つけた。黄色い花で薬草で売れば高い。全部当てはまる。あれに間違いない。
「よし!」
俺が取ってきてやる。
明日の朝すぐに出発だ。
前世も今も戦うことしか能のない俺には、このくらいのことしかできねぇ。
多少危険でも関係ない。
この家族は最高なんだ。それを守れるんなら、なんだってやってやる。
「気合入れろよ、俺。やっと家族の役に立てるんだからよ!」
自分に喝を入れて、誰にも知られないようにこっそり準備を始めた。
そして夜明けに、誰よりも早く起きた。
昨日より薄くなった曇り空の下、誰にも言わずに家を出た。
怒られたっていい。
ただ、生きていてほしい。
体中が熱くて、今までにないほどの使命感に燃えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます