第9話 『家族のために』
空には雲があるが、雨が降ってないだけ助かる。
俺はオリビアの子どものザナドゥに乗って森を目指した。堂々と木こりに預けるわけにはいかないから、こっそり小屋のそばの木に繋げて行くことにした。
「すぐ帰ってくるからな」
甘えて鼻を擦り付けてきたが、撫でてやると満足してくれたみたいだった。
森の中は思ったより空気が湿っていた。
歩き始めてまだそんなに経っていないのに、もう服が張り付いてくる。
「ちゃんと生えててくれよ、ワクチ草!」
ライオスの教えを思い出しながら、木にナイフで印をつけて進む。
ぬかるんだ地面は思うように先を急がせてくれない。だが、こういうときは慌てるとろくなことがない。落ち着いて、焦らず進む。
なんとか転ばずに行くと、重なる枝葉のおかげで比較的濡れてない場所に出た。ここまで来れば、目的の崖にもだいぶ近いはずだ。
「ちょっと腹が減ったな」
剣とは逆側にぶら下げた腰の布袋に目をやった。
昨日のうちに台所からいただいた、パンと乾燥させた果物が入っている。
はずだった。
「ウキ」
鳴き声の先に小さい猿がいて、袋に穴を開けて食べ物を盗っていやがった。
「な、なにすんだこのクソ猿! 返しやがれ!」
「ウッキキィ!」
笑うような声を上げて猿は逃げた。
近くの木に登って、見せつけるようにパンをかじりやがる。
「てめぇ……食い物の怨みは怖いってことを教えてやる!」
ここまで舐められて逃がすわけにはいかねぇ。
闘気を練って、木を飛び移る猿のあとを追った。
「ウキャーッ!」
びっくりしたのか、猿が悲鳴みたいな声を上げる。
「今さら後悔しても遅いんだ馬鹿野郎!」
小さくてすばしっこい奴だが、捕まえられないほどじゃない。
狙いを定めて動きを読む。ライオスの性格の悪いフェイントより、ずっと素直で分かりやすい。
「ウギャ!」
両手で掴めるくらい小さな体は、気を付けないと握り潰してしまいそうだ。
まぁ、ムカついてるからそうしてもいいんだが、よく見ると子ザルっぽいからなんとなく躊躇った。
「ぐはははは、捕まえたぞコラぁ。さぁ、返しやがれ」
地上に降りて顔を近づける。
わざと頭から飲み込むようにして、ビビらせてやろうと思っていた。なのに、俺のほうがビビった。
「お前バル・モンキーじゃねぇか!」
せっかく捕まえたのに、咄嗟に手を放してしまった。
バル・モンキーのガキは逃げればいいのに、怯えたまま尻餅をついている。
「ガキだから匂いに気付かなかったのか? それとも、湿気のせいで草の匂いがキツイからか……なんにせよ、大人に合わなくてよかった」
安心しかけたところで、急に強い桃の匂いが漂ってきた。
慌てて、近くの木の大きなうろの中に隠れた。
「おい、なんでお前まで入ってくるんだよ!」
「キイ……」
なぜか仲間であるはずの子ザルまで、俺の足元で小さくなっている。
「ギャギャギャギャ」
「ギイイイイ」
追い出そうか考えている間に、二匹のバル・モンキーが木の上から降りてきた。
子ザルよりも大きいが、前にライオスが倒した奴らよりも小さく見える。なにかを探すように匂いを嗅いだり周りを見回すと、また木に登って去っていった。
「おい、行ったぞ」
教えてやると、子ザルは安心したのか大の字で寝ころんだ。
でも、表情は悔しそうに見えた。
「お前もしかして、あいつらにいじめられてんのか?」
魔物の社会のことなんて分からないが、なんとなくそう思った。
図星だったのか、子ザルは「キィィ」と言ってそっぽを向いた。
「……ほらよ」
本当なら、放っておくか討伐しとくべきなんだろう。
でも、なんとなく同情してしまった。
その背中が、前の人生で泣いていたガキの頃の自分に見えたから。
取り返したはずのパンを差し出しているのを見ると、子ザルは意味が分からないみたいな顔をした。
「やるよ。いっぱい食べて、デカくならないとあいつらには勝てねぇぞ?」
いくら魔物の中では少し知能があるといっても、言葉が通じてるとは思わない。
でも、子ザルは涙を流した。
パンにかじりつくとわざわざ千切って、俺にもよこしてくれた。ハブられる辛さが分かるもん同士、心が通じ合ったのかもしれない。
「子ザル……って呼ぶのも、なんかアレだな。よし、お前のことはゴクウって呼ぶからな! 俺ら今から……と、友達な!」
「ウキャキャ!」
たぶん意味は分かってないが、ゴクウって響きは気に入ってくれたらしい。
さっきとは別人、別猿? みたいに飛び跳ねて、肩に登ったりしてじゃれてきた。
初めての友達が魔物ってのも変な話だが、案外悪くないもんだ。
仲間ができた俺は、他の魔物に注意しながら崖を目指した。
「いいか、ゴクウ。喧嘩ってのは、まず目で殺すんだ」
「ウキャ?」
肩に乗ったゴクウは、器用にバランスを取っている。
「お前小さいんだから、こう、下から抉るような感じでよ。『やんのかてめぇ、アァ~ン?』 ほら、やってみろ」
「ウキャ~ン?」
「うまいじゃんか」
友達との時間はあっという間に過ぎていく。
なんとかトラブルもなく、目的の崖まで来ることができた。
「えっと、ワクチ草は……あった!」
見上げると、前と同じ場所に黄色い花が見えた。
歩いてる途中で季節が違うことに気づいたから、心底安心した。
「よし、ゴクウ。お前はここで待ってろ」
「ウキ!」
肩から降ろそうとすると、ゴクウは頑なに拒否した。
しがみついて、離れようとしない。
「しょうがねぇな。じゃあ、しっかり掴まってろよ!」
「ウキィ!」
取っ掛かりの多い場所を探して、崖を登り始める。
岩肌は濡れていて滑りやすくなっているが、闘気で強化してしまえば問題ない。それに殴り屋だった頃ヤクザに手を出して、ここより険しい崖から落とされたこともある。そのときも死ぬ気で這い上がって来れたから、今回は楽勝だろう。
「キャキャキャ! ウキャア!」
ついでにゴクウも闘気で包んでやったら、嬉しそうに鳴いた。
べつに寂しかったわけじゃないけど、一人じゃないってだけで、こんなに安心するもんだとは思わなかったな。
「よし、これだ!」
順調に登り続けて、ワクチ草が目の前にきた。
なんだか歯医者みたいな匂いがする。
「あ、やべぇ……どうやって採ろう」
馬鹿だ俺。
登ってきたはいいが、採る方法を考えてなかった。さすがに手を離したら落ちる。
「ウキャッ! ウキキキ!」
落ち込んでいると、ゴクウが耳元で鳴いた。
そうだ、こいつがいる!
「ゴクウ、手伝ってくれ! この花が欲しいんだ。抜くことできるか?」
「ウキッ!」
たぶん、任せろって言ってくれたと思う。
ゴクウは長い腕を伸ばし、お願いを聞いてくれた。
「そうそう、丁寧にな。なにが効くのか分からねぇから、根っこもきれいに」
バル・モンキーは雑食で、植物も食べる習性がある。
そのせいで作物が根ごと食われる被害を聞いたことがあったから、本能的には上手く抜けるだろう。でも、まだ幼いゴクウができるかは分からない。正直、心配だ。
「ウッキャー!」
緊張しながら見ていると、甲高い雄叫びと共にゴクウは根っこの先まで抜いたワクチ草を掲げた。
「すげぇじゃんかゴクウ! 疑ってごめん!」
見るからにドヤ顔なのが分かる。
喜びを分かち合うため、二人でガッツポーズをした。
「あ」
嬉しくて、つい気を抜いしまった。
両手を離した俺たちは、真っ逆さまに落ちていく。
「ああああああああああ!」
「ウキャアアアアアアア!」
耳元でゴクウも叫ぶ。
なんとかこいつだけでも守らないと。
せっかくできた友達を巻き込むわけにはいかねぇ!
「闘気よ!」
ありったけの闘気を練った。
死に物狂いで、近づく地面に向けて全力を放った。
ガァオウッ!
聞き間違いか。それとも風の音か。
耳に聞こえた奔流の音は、獣の咆哮に似ていた。
「ぐあああ!」
ぶつかった衝撃で脳が揺れ、飛び散る土で視界が暗くなる。
また死んだときの衝撃を思い出したが、ちゃんと生きている。
「ウキィ~」
「お前も無事か、よかった。ありがとうな」
俺のせいで死にかけたってのに、ゴクウはワクチ草を大事に抱えて守ってくれていた。
「よし、あとは帰るだけだな。いっしょに来るか? ちょっとびっくりされるかもしれないけど、説明すれば」
「ギャギャギャギャ!」
舞い上がった土の匂いで接近に気づかなかった。
ハッと顔を上げたときにはもう、バル・モンキーの群れに囲まれていた。
「……ゴクウ、いろいろありがとう。俺のことはいいから、お前はあっちにいけ。巻き込まれて怪我しても知らねえぞ?」
じゃあな、俺の友達。
せめて後ろに下がって、同族と戦う姿を見ないでくれ。
背中を押すと、ゴクウは悲しい顔でワクチ草を手渡してくれた。
「ウキィ……」
「いいから行け。行ってくれ」
囲む群れに入ろうとする背中は、なんだか悲しげだった。
「ウギャイ!」
「キイ!」
信じられなかった。
ゴクウが足元に近づいた大人のバル・モンキーが、その体を思いっきり蹴り飛ばした。
「ゴクウ!」
俺に向かって飛んできたゴクウは意識がなかった。
受け止めて、回復魔法をかけながら蹴飛ばした奴を睨みつけた。
「なにしやがんだてめぇ! 仲間じゃねぇのかよ!」
そいつは笑ってやがった。
しかも、他の奴らもいっしょになって。
なにがおかしい。
なんでこんな優しい奴を傷つける。
俺のダチを笑うんじゃねぇ!
「ギャア!」
そのとき、二つの影が飛んだ。
一つは周りの奴らより一回り以上大きいバル・モンキー。黄色い体毛に、白いタテガミが混ざっている。もう一つは、胸のふくらみがあるからメスか?
どっちにも共通しているのは、なぜか全身傷だらけなこと。
そして、俺たちを守るように立ち塞がってくれたことだ。
「ギャイギャイギャイ!」
「ギャア! ギイイイイ!」
デカい奴の威嚇に、周りの奴らはビビっているようだ。
メスのバル・モンキーが、心配そうにゴクウを見ている。
「お前らゴクウの親か」
意識を取り戻したゴクウが、メスに向かって甘える声を出した。
メスに渡してやると優しく抱きしめ、安心したように鳴いた。
「でも、父ちゃん強そうだよな。なんでゴクウはいじめられてたんだ?」
疑問に答えるように、群れの奥で木が大きく揺れて鳥たちが飛び去った。
暗がりから現れたのは、一匹のバル・モンキー。
しかも、ゴクウの父ちゃんよりデカい。
白いタテガミも立派で、何匹もメスをはべらせて笑っている。しかも、手に持つものには見覚えがあった。
「マテリアル・スネークの牙!」
たぶん、こいつはボスの個体なんだろう。
今までビビってたくせに、周りの奴らがまた調子こいて叫び始めた。
「そうか、父ちゃん前のボスだったんだな。それがあいつに負けて、落ちぶれた。だから、お前ら……」
モニカに動物の群れ社会について教えてもらったとき、負けた前のボスはその子どもまで虐げられると言っていた。
たぶん、バル・モンキーも同じ習性を持っているんだろう。家族全員傷だらけなのが、なによりの証拠だ。
父ちゃんはたった一人で威嚇を続けたが、ボスの登場で負けたときの恐怖が蘇ったようだ。ぶるぶる震えて、腰が引けてる。
「キャッ」
母ちゃんの慌てた声がしたかと思うと、腕から飛び出したゴクウがボスに向かって走っていた。
「お、おいゴクウ!」
見下ろすボスは、馬鹿にした笑みを浮かべている。
一歩足を踏み出せば潰せるガキになにかされるなんて、思ってもいないんだろう。
「ウキャ~ン?」
だが、ゴクウはやった。
震える体で、自分よりもデカくて強い相手に。
教えたばかりの睨みをかましてやった。
「ゴギャアッ!」
たぶんボスはキレた。
取るに足らないガキに反抗されたのが、心底腹立ったんだろう。
誇らしげに持っていた牙を、ゴクウに向かって振り下ろした。
分かるぜ、クソボス。
お前、五歳のときに足に噛みついてやった六人目の自称父親と同じ顔してるからな。
「やるじゃねぇか。さすが俺のダチだぜ」
牙はゴクウに当たらず、弾かれた。
間に入った俺が剣で防いだからだ。
「ウッキィ!」
足元で見上げていたゴクウが、目を輝かせて俺の肩に登った。
周りのバル・モンキーはもちろん、ボスも動揺している。
「てめぇら、よくもダチに手ぇ出してくれたな」
闘気が溢れる。
こんなに胸騒ぎがするのは初めてだ。
あんなカッコいい姿見せられて、黙ってられるかよ。
「クソ猿どもが、覚悟しやがれ!」
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