第5話 『魔物退治』

 早朝の白い光が村を照らす。

 少し冷たい静かな空気が、見慣れた景色を不思議な世界に変えていた。


「よし、出発だ」


 ライオスの愛馬オリビアに乗って、俺たちは村外れの森を目指した。

 他の家族には何も言わず、ライオスが置き手紙を残してきた。たぶん、帰ったらめちゃくちゃ怒られるだろう。

 

「森の奥に、岩山が見えるか?」


 バイクとも違う気持ちいい揺れを感じていると、浮かれた声がした。


「あそこな、たまにクリスタルの原石が採れるんだ。きれいなやつ持って帰って、リースへのプレゼントにしよう」

「いいんですか? 勝手に採って」

「うちの領地だ。当主の父さんがいいって言えばいいんだよ」

「……なら遠慮なく」


 ニヤリと笑い、二人で親指を立てる。

 父親と出かけるなんて初めてだから、きっと俺も浮かれているんだろう。


 森には熊とかの動物もいるが、危険な魔物も住んでいる。けれど、普段は結界と村の自警団の見回りのおかげで、目立った被害はない。ライオスの計画はプレゼントの石を採って、ついでに魔物を倒し、証拠の牙かなにかといっしょに見せればリースはメロメロになるというものだった。


 魔物はまだ見たこともないし、ぶっちゃけ命の危険もある。

 でも、正直わくわくする。

 すでに俺の頭では、千切れんばかりに尻尾を振るリースの姿が浮かんでいた。


「よし、こっからは歩きだ」


 木こりの小屋でオリビアを預け、若干の緊張を感じながら森に入った。

 人にとっては早い時間でも、動物にとってはそうでもないらしい。姿の見えない鳥や獣の鳴き声が、どこからか常に響いている。


「いいかケイン。森ではまず、迷わないことが第一だ。木に印をつけるのもいいし、生えてる植物を覚えるのもいい。だが、なにか目印を落として行くのは、あまり確実じゃない。動物が食べたり踏んだりして、消えてしまう恐れがある」


 歩きながら、ライオスはいろいろなことを教えてくれた。

 毒草と薬草の見分け方や、方角の確認方法。聞こえる鳴き声の動物を言い当てたりもした。


 めちゃくちゃ楽しい。

 腰に剣を下げてはいるけど、ピクニックってこんな感じなんだろうか。


「見ろ、あそこの崖。黄色い花が咲いてるだろう?」


 指差されて目をやると、切り立った崖の中腹に小さな黄色い花が咲いていた。


「あれはいろんな病気に効く薬草でなぁ。売れば高く……しゃがめっ」


 途端に声を潜めたライオスに従い、素早く身を低くした。


「どうしたの?」

「……あの先、動いてるのが見えるか?」


 視線の先には、立ち並ぶ木々しかない。

 だが、その奥で揺れる枝の動きがかすかに見えた。


「うん。なにかいるの?」

「あぁ。少し甘い匂いがするだろ。これはバル・モンキーっていう魔物の匂いだ」


 言われて鼻に意識を集中すると、たしかに桃みたいな匂いがした。


「倒さないの?」

「お前にはまだ早い。奴らは群れで行動するし、簡単な道具を使ってくる知能もあるから、駆け出し冒険者でも殺られることがあるんだ……今はこっちが風下だから、気づかれてない。少し迂回して行くぞ」


 先導してくれる父の背中は、大きくて頼もしく見えた。


 そこからは、生えていた野いちごを食べたりして本当にピクニックみたいに進んだ。

 だが、目的地の岩山の肌が分かるくらいに近づいたとき、ライオスの表情が険しくなった。


「これは……」


 しゃがみこんだ足元には、黒い毛玉に牙が生えた魔物の死体があった。


「こいつが、お前に倒させようとしていたアーモだ。すばしっこくて吸血の能力があるが、大して強くない。この森の生態系なら、そのへんで死んでいてもおかしくないが……しかし」


 立ち上がり、周囲を見回す。


「これはなんだ?」


 森に突如現れた、不自然な光景。

 なにかを引きずったように抉れた地面と、薙ぎ倒された木々。その不気味で痛々しい跡は、岩山まで続いているように見えた。


「……引き返すぞ。親父殿に知らせて、調査隊を編成する。プレゼントはまた今度に」

「父上!」


 俺のほうが早く気づいた。

 きっと、教えてもらったばかりでずっと意識していたからだろう。

 岩山のほうから、濃い桃の匂いがした。


「ギャギャギャギャ!」

「ギイー! ギイー! ギイー!」


 けたたましい声と、大きく揺れる枝の音が近づいてくる。

 反射的に、二人同時に剣を抜いた。


「っち! バル・モンキーが来やがったか! ケイン、下がってろ! この際だ、魔物との戦いを見せてやる」


 言い終わると同時に、ライオスの体から魔力の光が発せられた。


「『不可視にして強靭 大自然の刃 駆け抜け斬り裂き 敵を殲滅せよ!』」


 けたたましい鳴き声とともに、木の上からバル・モンキーたちが姿を現した。

 黄土色の体毛で、ライオンみたいなたてがみ。手足と尻尾が長くて、鋭い牙と爪が見える。

 なにより、デカい。

 ほとんどが前世の俺と同じくらいあるから、だいたい一七五センチくらいか。そんな凶暴な猿が、敵意丸出しで何体も降ってきた。


「ギャギャギイ!」

「『斬撃風ウィンド・スラッシュ!』」


 真空の刃が、生み出されたと同時に放たれた。

 襲いかかったバル・モンキーは残らず両断され、その体に触れることすらなかった。


「いいか。魔法はどうしても詠唱中に隙ができる。一人で戦うなら動きながら唱えるか、今みたいに待ち構えておくのが効果的だ。使うときは、タイミングと効果を見極めろ」

「は、はい!」


 有り難ぇ。

 あんな情けない姿しか見せてないのに、俺が魔法を使うようになったときのことを考えてくれてる。


「……まだ来るな」


 今度は樹の上に加え、木々の間を走り抜けてくる奴らもいる。

 

「ケイン。お前が見た光は闘気と呼ばれている」


 剣を構えたライオスの体に、また光が宿る。

 でも、昨日見たものより強くてゆらゆらと炎のように揺れていた。離れているのに熱さを感じる。光は剣の先まで包み込み、立っているだけで勇ましい。


「闘気とは、鍛え上げた武力と闘志によって生まれる力。闘志とは、なにがあっても闘う意思と、なにがなんでも勝つ覚悟のことだ。ケイン、常在の闘気が見えたお前にはもう、ある程度の武力と強い闘志が備わっている。だから、戦士として次の段階に進む。闘気の戦いを、よく見ていろ!」


 ライオスの光に誘われるように、さっきの倍の数のバル・モンキーが牙を剥いた。


「父上!」


 思わず叫んだ。

 ライオスは構えたまま、なかなか剣を振ろうとしなかった。そのせいで、何体もの魔物がほぼ同時に攻撃を繰り出していた。


「「ギャバガア!」」

「……え?」


 次の瞬間、バル・モンキーたちは血飛沫を上げて死んだ。

 

 なんとか見えた。見えたが、本当に一瞬だった。

 ライオスは信じられない速さで動き、先に飛びかかったはずのバル・モンキーを叩き斬った。闘気の力もあるだろうが、動きの練度が俺とは比べ物にならない。垣間見えた本気の力は、まさに達人だった。

 やっぱり、俺の父親はすげぇ強い!


「……残りは行ってくれるようだな」


 ライオスの強さを恐れたのか、残りのバル・モンキーは俺たちを無視して走り去って行った。


「父上、あいつら様子が」

「あぁ。俺たちを狙ったというより、逃走の邪魔だから襲ったような感じだったな」


 闘気の光が弱まる。

 だが、ライオスの目からは強い警戒が感じられた。


「様子を見てくる。ケインは」

「いっしょに行きます」


 ここまで来て、置いてけぼりなんて御免だ。

 なにより、まだなんもしてねぇ。

 もし強い魔物がいても、隙を見てクリスタルをぶん盗るくらいしないと、来た意味がない。

 俺の意思が固いことを察したのか、ライオスがため息をついた。


「分かったよ。でも、絶対に勝手な行動をするなよ? 遠くから見るだけだからな」

「はい!」


 足音に気をつけながら、俺はライオスの背中を追った。

 岩山に近づくにつれて、泥水みたいな生臭い匂いが漂ってきた。


「……なんだ? こんな体臭の魔物なんて、この森にはいないはず」


 やがて、木の隙間から岩山の全体を見ることができた。

 でも、俺の視線はその手前に集中していた。


「なんだ、あれ」


 バル・モンキーや他の動物たちの死骸が、そこら中に転がっている。

 その中心に佇む、ぬらぬらとした巨大な生き物。トラックも丸呑みできそうな口に、毒々しい牙。日光を受けて白く光る鱗は、なぜか俺を轢いた車の車体を思わせた。


「マテリアル・スネーク!」


 額に青い石を携えた化け物みたいな大蛇を、ライオスはそう呼んだ。


「馬鹿な! なぜあんな魔物がここにっ!」


 驚き狼狽える。

 こんな父親を見たのは、初めてだった。


「強いの?」

「大昔に神様みたいな扱いを受けてたやつだ。なんとかならんこともないが、上級魔法で対処しないと森への被害が大きくなる。逃げるぞ、ケイン。村の結界を強めて、母さんにも出てきてもらわんと」


 そのとき、ライオスの顔がハッと強張った。

 マテリアル・スネークの額の石に、光が渦巻いていた。


「いかん!」


 俺は無理やり地面に押し付けられた。

 次の瞬間、強力な魔力の波動が襲った。


「に、逃げろ、ケインー!!」

「父上ー!」


 伏せるのが間に合わなかったライオスは、衝撃で森の中を吹っ飛ばされていった。

 咄嗟に、俺を庇ったせいで。

 

「ぐあっ!」


 俺もなんとか耐えていたが、地面から剥がされ近くの木に叩きつけられた。

 骨の芯まで痛みが走ったが、死んだあのときよりマシだった。


 やっと波動が止まり、なんとか体を起こした俺は言葉を失った。


「マジかよ……」


 マテリアル・スネークを中心に、爆発が起きたようになっていた。

 木々が薙ぎ倒され、転がっていた死骸は跡形も無くなっている。

 そして、金色に光る二つの目が真っ直ぐ俺を見下ろしていた。


 生き物として、明らかにあっちのほうが強い。

 いくら剣を持っていても、戦士の素質があったとしても、四歳やそこらのガキが敵う相手じゃない。だからこそ、ライオスは逃げろと言った。森の中に逃げ込めば、まだ助かる確率が高いから。

 でも、もう敵は俺を見つけている。

 遮るものがひとつもない場所で、じっと獲物を観察している。

 なにを考えてるのかは分からない。

 美味いのかどうか、バル・モンキーとの味の違いでも考えているのかもしれない。


 間違いなく絶望的な状況。

 なのに、俺には湧き上がるものがあった。

 生まれ変わって初めて親の言いつけを破る罪悪感も、その波に飲まれて消えた。


 だから、ムカつく顔を睨み返して言った。


「なに見てんだこら」

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