第3話 『餓狼の爪痕』
「準備はいいか、ケイン」
「はい!」
少し風が強い。
庭の木が揺れ、ざわざわと音を立てている。隣には険しい顔のダイン。そして目の前に、半裸のライオスが立っている。
「ケイン……」
「あぁ……心配だわ」
ソランとモニカの心配そうな声が聞こえた。
風を浴びながら、俺は昨日のことを思い出す。
昨日の、本当に豪華な晩飯。
ライオスとダインは、鹿のような獣を捕らえて帰ってきた。母と祖母、メイドたちが調理し、食卓は彩りに溢れた。どうやら村人にも分けていたようで、村中がごちそうの匂いに包まれていた。
「よし、ケイン。こんなに精のつくもの食べたんだ。明日は少し剣術もやってみような」
葡萄酒を傾けながら、ライオスが言った。
ソランから抗議が上がったものの、俺はやる気だった。
魔法がパッとしなかった今、こうなったら剣術しかない。万が一剣がダメなら、槍でも斧でもいい。最悪、拳の勝負なら前世の経験を活かせる。
魔物とかいう化け物が蔓延り、戦争も起きてるこの世界では、ある程度の力は必要だ。強ければそれだけで地位も保証されるみたいだし、腕を磨いておいて損はない。
こうして昨日の魔法に続いて、今日は剣の鍛錬初日を迎えていた。
「坊ちゃま! 無理はなさらずー!」
「ライオス様〜、ちゃんと手加減してくださいね〜!」
見守っていたメイドたちから、声援が飛んだ。
ローガン家では、三人のメイドが働いている。
人族のメイ。黒髪で眼鏡、しっかり者のメイド長。
エルフ族のロア。耳がピンと尖ってて胸がデカくて、いつもおっとりしている。
「坊ちゃまー! 勝っちゃってもいいんすよー!」
そして、獣人族のリース。
狐が二足歩行しているような見た目で、活発な性格。よく遊んでくれるし、たまに尻尾をモフモフさせてもらう。なんだかんだ、一番仲が良い。
「いいか、ケイン。基本はあとで教えるから、とりあえず思いっきりぶつかっていきなさい」
「はい!」
「……どうして基本を教える前に、模擬戦なんてやるんですか。昔から思ってましたが、このやり方は危険で非合理的です」
心配が治まらないモニカが、ぶつぶつと文句を言っている。
「最初に剣の危険性を身を以って学ぶのだ。伝統に文句言うでない」
妻の愚痴に苦々しい視線を返し、ダインはせき込んだ。
「相手を傷つけるということは、自分も傷つけられる危険があるということ。剣を握った瞬間から、その覚悟が必要となる。剣の道は、そこから始まるのだ。加えて」
「説教はいいよ、親父殿。はやく始めよう」
ライオスはおもむろに、木剣を俺に向けた。
腐っても戦いの中で生きてきた俺には分かる。
ライオスは強い。そのへんのヤンキーやボクサーくずれなんかじゃ、足元にも及ばないほどに。
対峙しただけで感じる威圧感。手加減してもらえると分かっているのに、気を抜くとへたり込んでしまいそうだ。
「来い、ケイン。俺に一撃入れられたら、なんでも欲しいもの買ってやる」
「本当!? がんばります!」
木刀は喧嘩で使ったことがあったから、とりあえず構えてみる。
子ども用だが、今の俺には十分重い。
「では……はじめ!」
ダインの号令が響く。
その瞬間、風が止まった。
「やあああっ!」
しっかりと柄を握り、力いっぱい振り下ろす。
だが、軽く躱されてしまった。
「えい! やあ! とう!」
追いかけて、必死に木剣を振り回す。
でも、結果は同じ。
余裕の笑みを浮かべたライオスは、身軽な動きで翻弄した。
「く、くそぉ……」
勝てる気なんてさらさらなかったが、なにもいいところがないのはマズイ。
「どうした、動きが固いぞ?」
木剣をくるくる回しながら、ライオスが笑った。
「そうっすよー! あーしとの追いかけっこを思い出すっす!」
便乗して、リースが声を上げる。
「追いかけっこ、か」
獣人であるリースは、身体能力が人よりも高い。
そんな彼女に敵うはずがなかったが、あのときはたしかに無我夢中で追いかけた。
必死で、がむしゃらに、なにも考えず。
「……よし!」
深呼吸して、改めて木剣を振ってみる。
重さの違いはあるが、ギャル男をボコボコにしたときのフライパンに似ている。何度か振ると、感覚が掴めてきた。
「ほう……」
ライオスが息を漏らした。
やった、興味を持ってくれてる。
せっかくの機会だ、俺の全てをぶつけよう。ガキの体で、ライオス相手に万が一もないだろうし。
片手で木剣を担ぎ、半身に構えた。バットを武器に乗り込んだときのこの姿勢が、一番しっくりくる。
よし、あとは喧嘩の心得を思い出せ。
喧嘩はビビったら負けで、ビビらせたら勝ちだ。
「オラァ!」
声を張り上げながら跳びかかった。
まだ声変わりもしてないはずだが、なぜか前世の俺とそっくりに聞こえた。
また躱されたが、さっきみたいな余裕はなさそうだ。動きにキレがあるし、顔が強張ってる。俺も体が流されなくなって、素早く追撃を行うことができた。
「くっ」
ついに木剣同士が交わる。
やっと防御させることに成功した。衝撃で骨が痺れるが、関係ねぇ。
餓狼と呼ばれた俺の戦いを見せてやる。
「ガアアッ! ッラァ!」
どれだけ攻撃が当たらなくても、とにかく攻め続けた。
その間、相手から目を離さない。
声で、目で、手で、足で、頭で、殺す。
自分が使える全部を使って、勝つためにはなんでもする。
これが俺の戦い方。
生まれ変わっても唯一残った、餓狼の爪痕。
どうだ、父上。
俺、強いだろう?
「うわ」
「ふんっ!」
体勢を崩した俺の隙を見逃さず、ライオスが木剣を振り下ろした。
きっと、寸止めするつもりなんだろう。殺気がない。
だが、俺は手を抜くつもりなんてない。
ありがとうよ、あんたなら手を出してくれると信じてたぜ。
あんたから攻撃してくれるのを、ずっと待ってたんだ!
空いた手で砂を掴むと、見下ろす顔に向かって投げつけた。
「うおっ!」
いきなりの目潰しには、大人でもたじろぐ。
その瞬間、俺は懐にもぐりこんだ。
「これで!」
振り上げた俺の一撃は、腹にクリーンヒット。
してるはずだった。
「……え?」
気づいたときには、俺の木剣は弾き飛ばされていた。
視界を奪ったライオスが、凄まじい剣速で薙ぎ払ったのだ。
「す、すごい!」
感動が声に出た。
速すぎて見えない動きとか、初めて見た。いや、見たって言っていいんだろうか。
とにかく、すげぇ。
俺の父親、めちゃくちゃ強ぇ。
それだけで、なんだかすごく嬉しかった。
「さすが父上! なにが起こったのか、見えなか……った」
興奮が一気に冷めていった。
今さらになって、静まり返った周りの様子に気がついた。ライオスも目を擦りながら、言葉を選んでいるように見える。
馬鹿だ、俺は。
なんで気づかなかった。
不良の喧嘩なんて、この人たちに受け入れられるはずがない。
ローガン家は貴族だ。
なんのために、お利口になってきた。
あんな野蛮な戦い方を、子どもがいきなりやり始めたらどう思う?
どうして、こんな簡単なことを思いつかなかった。
「ケイン」
頭の上でライオスの声がした。
だめだ、怖くて顔が見れない。
「お前、今の戦い方どこで習った?」
答えられるはずがない。
クズだった前世のことを言えるか?
「どうした? 答えられないのか?」
「え、えっと、あの」
空気が重い。
喉が痛いほど乾く。
このまま地面に溶けてしまいたいと願った。
「あ、あの~、すいません。たぶん、あーしっす」
驚いて声の主を見た。
申し訳なさそうに手を上げたリースが、全員の視線を受けている。
「リース。きみが?」
「はい……獣人の戦士についてお聞かせしたときに、実演したんす……」
リースはなにを言ってるんだ?
たしかに昔話は聞いたけど、戦い方なんて教わってない。
「きっと坊ちゃまは、そのときの真似をされたんだと思います。すいません……」
尻尾と耳が、ぺたんと下がる
やめてくれ。
理由は知らないけど、なんでリースが出てくるんだ。
あんたまで、俺の馬鹿さに巻き込みたくない。
「はあぁ~」
「そうだったのか……」
ライオスとダインが、同時に大きなため息をついた。
「もおぉ~! 俺が一番に剣術教えたかったのにぃ!」
次の瞬間、父親が子どもみたいな地団駄を踏んだ。
「儂のセリフだ! リース! よくも楽しみを奪いよったなぁ~!」
「ご、ごめんなさいっす~!」
ダインも似たような叫びを上げ、リースが全身の毛を震わせた。
「たしかに、獣人の動きに似てたわね」
「もう。人が変わったように見えて、びっくりしました」
ソランとモニカも、安堵の息を漏らした。
一体、なにがどうなってるんだ?
「いいか、ケイン。一旦、さっきのは忘れろ。まずは人族の剣術をな」
「いや、妙にキレがあったし、ケインにはあれが合ってるのかもしれない。度胸もあるし、獣人の流派を基本にして伸ばしたほうがいいかも」
当人をそっちのけで、祖父と父は今後の教育方針についてぶつかり始めた。
「あ、あの、えっと」
「お、お水取ってくるっす~!」
どうしたらいいか分からずにいると、リースが慌てて井戸に向かうのが見えた。
「あ! ぼ、ぼくも手伝うよ!」
俺は揺れる尻尾を追いかけた。
なんであんなことを言ったのか、理由が知りたい。
「リース!」
屋敷の裏まで来たとき、やっとリースは止まってくれた。
「ねぇ、なんであんなこと」
「すごいっすよ、坊ちゃま!」
振り向くと同時に、リースは興奮した笑顔で抱きしめてきた。
ふわふわの体毛に体が包まれ、ぴょんと伸びたひげが首を撫でた。
「な、なにが」
「あんな戦いするなんて、あーし大興奮っすよ! 感動しました!」
なに言ってるんだ、この狐娘。
「坊ちゃま、かわいいから剣とかどうなのかなぁ~と思ってたんすよ。そしたら、なんすか! あの雄々しい表情、勇ましい動き! ギャップ萌えって言うんすかね? 獣人女の心を鷲掴みっすよぉ!」
ぎゅーっと抱きしめて、俺の顔を胸に押し付ける。
メイド服のさらさらした感触と、ふわふわの毛。そしてその奥にある柔らかさが、俺の中のなにかをくすぐった。
「あ、あの、さ。それで、なんであんなこと言ったの?」
どうにか抜け出して、疑問を投げかけた。
リースは微笑んで、俺の目を見つめてくれた。
「獣人は他の種族より、強さを魅力に感じるんす。だから、さっきの坊ちゃまは獣人的には神童誕生! って感じだったんすよ。でも、人族の旦那様たちは、びっくりしちゃうじゃないっすか。だから、あーしが一芝居打ったんす」
笑った大きな口に、白い牙がキラリと光った。
「気にしないでください、坊ちゃま。あーしはこの家のメイドっすから。ローガン家のためにお仕事するのが、仕事っす! ……あれ? なんか変っすね?」
頭の上の耳をピコピコさせる様子が、なんだが近所に住んでた犬を思い出させた。
気づいたときには、俺もいっしょに笑っていた。
「ありがとう、リース」
「お礼なんて……そうっすねぇ、ひとついただきましょうか」
いたずらな笑みを浮かべたリースの顔が、ゆっくりと近づいた。
そして、頬にキスをされた。
「このまま強くなってください。あーしが、このことを自慢できるくらい」
顔が一気に熱くなった。
ソランにされるのとは、全然違う。
心臓がやけにうるさい。
「は、はい……」
「えへへへ。さ、お水汲みに行きましょう! 坊ちゃまも手伝ってくださいっす!」
言われるがまま、手を引かれて歩いた。
いつもは感じない手の温もりが、妙に心地よかった。
ぶんぶん振られる尻尾も、まんま狐だと思っていた顔も、めちゃくちゃかわいく見える。ずっと見ていたいのに、目を合わせるのは恥ずかしい。キスされたとこの感触が、ずっと残ってる。
あ、ヤバイ。
俺、リースに惚れちまった。
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