第3話 寝言

 S先輩はちょっと見た目は怖い。

 安良岡先輩の同期で、幹部の時は統制という役職だった。


 “統制”、我が部では練習や合宿の計画、取りまとめ、管理、ヘッドコーチのような役割をしていました。

 役職名もいかめしいが、その見目形は、ちょっとホストっぽい、怖い感じ。

 だけど、その見た目と違い、ほとんど怒らない、優しい、とくにおねえちゃんには優しい人でしたね。

 いつも色黒で、ブレスレットをして、髪を短く刈っていて、やせ型でちょっと派手な、いや、だいぶ派手なシャツや上着を着られていて、小さめなウィンドブレーカーを着て、真っ黒いサングラスをかけて、

「堀ちゃ~ん、調子どう」

 と話しかけてくる、そうゆう先輩でした。


 ナンパが上手で、誰にでもマメな人でした。

 でもね、見た目がちょっとホストっぽいので、怖いんですね、僕ら後輩としては。


 そんな先輩は、なぜか僕を可愛がってくれました。

 外車のディーラーに就職され、偶然、僕の家の近くに引っ越されてきました。

「堀ちゃん、俺の部屋に来なよ…、すき焼き食べようぜ…」

 と誘っていただいたり、泊まったりしていました。


 知識の広い人で、今お勤めの会社は外資系の医療器具の会社なのですが、それまで数社をお勤めになり、常にトップセールスで、まめだし、年上からも可愛がられる、キャバクラ好き、おねえちゃん好きの人でした。


 僕が大学を卒業し、OBになり、乗る船がなくなったころ、運よく江の島で空きのバースと船がでました。バースというのは船の置き場所のことです。

 後輩と同期とあとS先輩にも声をかけ、みんなで共有のヨットとしてずっと乗っていました。

 このたびの五輪で江の島は会場となり強引に国家権力のため追い出されたのですが、それまで継続してS先輩とともに僕らは

「ヨットマン」でした。


 いろいろと教わったことはあります。

 ここでは一つだけ。


「着ている服の値段の3倍の時計をしろ」

 というものです。


「男はアスセサリーが少ない、キャバクラとかではおねえちゃんは時計を見る」

「そこに個性がでるし、その時計の値段でだいたいのことはわかる」


 靴もそうだけど、時計も個性がでますよね。

 言われてみれば、確かに僕の時計はオメガのシーマスターです。

 ベルトを変えてずっと使っています。海の上でも安心だし、シーマスターをしているだけでなんかいつでも僕は海に行けるぞ、そんな気分でいられます。

 同じオメガのスピードマスターではだめなのです。

 シーマスターじゃないとね。


 スーツを着て、オメガならやっと服の3倍かな。

 キャバクラには行かないけれど…。


 先輩は若くしてご結婚されています。

 最初にお勤めの外車のディーラーでお知り合いになった女性です。

「おねえちゃんとたくさん遊んだ先輩はそれも全部承知の、心の広い女性と結婚されるのだな」

 と思いました。


 あれだけ遊んでいるとどんな女性と、ボディコンでジュリアナにいそうな女性と結婚されるのかと思っていましたが、人のいい、それでいて笑顔がひとなつっこい、かわいい、旅行好きの素敵な人と結婚されました。


 清濁あわせのむ、認めてしまう、どこに行っても、誰と会っても気に入られてしまう、不思議な女性ですね。

 車のディーラーにいながら、バイクの免許しかもっていないけれど、それでも車を売ってしまう、そんなすごい人でもあります。


「堀ちゃん、また泊まりにきなよ」

 と気さくに言ってくれる人なのです。

 S先輩との間にはお子様はできなかったのですが、その分、ずっと仲良しです。


 さて、まだ江の島でヨットに乗っていたときのこと。

 ご夫婦といっしょに何度もヨットハーバーに行きました。

 ある夏の日のことです。


 我々の船は通常は2人乗りですが、3人まで乗れます。

 奥様は操船できないので、僕とS先輩、奥さんの3人で乗船することになりました。

 

 出艇後、ヨットの上で…。


 奥さん、半ば呆れ、笑いながらあるお話をしてくれました。


「堀ちゃん、昨日の夜ね、Sはひどかったのよ…」

「話すか…みいちゃん」

 奥様はみいちゃんと呼ばれています。

「本当、ひどかったのよ…」


 昨夜、お二人でベッドで熟睡中。

 時間は2時か3時くらいだったそうです。

 S先輩、大声でいきなり寝言を発しました。


「やったー!、おねえちゃんがいっぱいだー!」


 奥様、驚いて跳ね起きたそうです。

 何言っているんだ、Sは。

 誰もがそう思いますよね。


「よーし! がんばるぞ!」


 そのあと、先輩はビクビクと震えたそうです。


 奥様、呆れたそうですが、きっと“いい夢”を見ているのだろうと思い、そのままにしていたとのことです。

 心の本当に大きい人です。


「それで、先輩はどんな夢を見たのですか?」

「それがさ…、堀ちゃん」

 サングラスなので目元が見えないが、Sさん、口元をほころばせて教えてくれた。

「なんか夢の中で気づいたらさ…」

「はい…」

 奥様、投げやりな声で僕に言った。

「あきれるよ、堀ちゃん」

 そうなのかな…、すごく気になる。

「どうされたんですか、夢の中で…」


「気づいたらさ、堀ちゃん」

 思いっきり笑っている先輩。

「きれいな広い砂浜に俺がいてさ。青い空、白い…」

「白い…?」


「水着のおねえちゃん…」

「はぁ…」


「しかも全員、ビキニ!」

「ほお…」


「すっげえたくさんいるんだよ、わんさか…」

「わんさか…」

 ヨットは青い空、白い雲、穏やかな風の中を走っている。


「いやー、いい光景なんだよ」

「はあ…」

 今日は天気もいい、空気が澄んでいて、富士山まで見える。

 いい光景だ。


「そこで声がでちゃったんだよ…」

「声が…」


「ヒャッホーってな…」

「ヒャッホーですか…」


「分かるだろう、堀ちゃんも…」

「まあ…」

 奥様、ちょっとだけ怒った声で言った。


「こっちは起こされたんだからね、『おねえちゃんがいっぱいだ!』で起こされた妻の気持ちはどうなるのよ」


「ありがとう、みいちゃんにすぐ起こされたら夫婦喧嘩になってたよ…」

 夫婦喧嘩、その原因は旦那が海で水着のおねえちゃんがいっぱいの夢を見たことから…。もしそんなことが発生したらこまった夫婦喧嘩になるな…。


「みいちゃん、俺、『ヒャッホー』って言ってなかったかな…」

「知らないわよ、寝ているときに突然『ヒャッホー』だか、『やったー』だか言われたんだから…」


「そこ、こだわりますか…?」

 僕は舵を調整しながら言った。

「それにね、堀ちゃん、そう言ったあと、ビクビクって震えたんだよ、Sは。夢の中で何しているんだかね」

 奥さん、さらに呆れている。

「何していたんですか、先輩…」

 船は小さい波に正面から当たり、ビクビクと振動した。


「そこは覚えてないんだよ、おそらく『武者震い』したんじゃないか、がんばらなくちゃいけないから」

「何をがんばるの」

 奥さんが突っ込む。


 仲のいいご夫婦です、今もそうです。

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