8

一人の男が、平原にいた穴の中に横たわっている。

ヴァイスは二十分ほど前にノワールにやぶれ、そのままの状態でずっと倒れこんでいる。彼の仲間はまだ来ておらず、ずっと待ちぼうけを食らっていた。

(ちくしょう、あの野郎……。まだ来ないのかよ、どうなってんだ)

全身に走っていた痛みとは裏腹に、彼の呼吸は落ち着いていた。しかしノワールに倒されてから放置され続け、精神的にはかなり参っている。

「早く来いよ、呼んでから何分経ったかわかんねーぞ!」

ヴァイスは思わず大声で文句を言う。手に持っている小さな端末の電池はすでに切れており、あれからどれだけの時間が経ったのかを調べることはできなかった。

(……というか俺、いつまで横たわってんだよ……。まあまあ時間過ぎただろうし、もう立てそうなもんだが)

ヴァイスは体をなんとか起こし、傷ついた手を使って立ち上がる。サルンらが住む集落の方を向くと、電灯らしき光がこちらに向かってきた。

光がある程度まで近づくと、それを放つものが何であるかが見えてくる。光の正体は自転車のライトであり、そこには一人の女性が乗っていた。

彼女は背が低く、薄茶色で長い髪をなびかせている。また、半袖の白衣と丈の長いジーンズを身に着けていた。

「おーい、ずいぶん遅いじゃないか。まあ、俺たちの住んでる場所からこっちまでけっこう遠いってのもあるだろうけど」


女性はヴァイスの近くまで来ると自転車から降り、自転車のライトを取り外して彼に向けた。

「……あら、随分ずいぶん傷だらけね」

心配しているとも不機嫌ともとれるような声で、女性はヴァイスに話しかける。

「俺のコピーが見つかった。だが、そっちにヤツを送ってやろうとしたら抵抗されてな……。そんで戦ったらこのザマよ」

ヴァイスは自嘲じちょうするように、乾いた声で笑った。

「あなた、何か変な勘違いをしていないかしら? 人の話や意見を聞かないで動くから、こういうことになるのよ」

「話を聞かなかったのは俺が悪いが、土壇場で意見を聞く時間なんてあるかよ。それに俺はあいつを……」

女性は言い訳をするヴァイスの口を右手でふさぐ。二人の間には足一つ分ほどの距離があったため、彼女の右腕はぴんと伸びていた。

「一応、確認しておくわね。もしあなたのコピーが見つかったら、まずは戦うんじゃなくて交渉が先。ただ抵抗されるかもしれないから、その時は抵抗できないようにするってこと。まあ、どのみちそれも失敗しちゃったわね」

女性がはあとため息をつくと、数秒経ってからヴァイスの口を塞ぐ手が離れる。

手が離れると、彼は恥ずかしさからか一歩後ろに下がった。

「ある程度、お前が今言ったマニュアル通りにやったつもりだが」

「あなたの場合、たぶんまともにはやれてないわよ。……まあ、がただ負けるだけでよかったわ。殺されたりとかはしていないわけだし。本当に……よかった」

この時、女性が口に出したグレイという名前。これが、ヴァイスの実際の名前である。

ヴァイスことグレイ・サイモン。彼のコピーであるノワールは、この時すでにヴァイスらには消息がほとんどわからなくなってしまっている。


「まあ、そうだな。それにあのコピーも大分だいぶ傷だらけになってるし、そう遠くまでは行ってねえはずだ」

しかし、ノワールの行動範囲はたかが知れていた。さらに彼が行くところと言えば、ヴァイスにも大方おおかたの予想はつく。

「スパルのいる集落あるだろ? 俺たちが昔住んでた。多分お前も通ったと思うが、あそこにいるオーウェンってやつの家にあいつは恐らくいる」

サルンの苗字は、すでにスパルから聞いている。ノワールの働いている場所なら、彼が逃げ込むのにちょうどいいと考えたのだ。

そして、実際にノワールはそこにいる。この時、彼は来客用のベッドに寝かされていた。

「意外にいろいろ情報は得ているのね。だけど、そこに行くのは明日、それも私一人で行った方がいいわ。あなたが居たら確実に面倒事になるし、あなたの妹は資格の試験直前だから邪魔するわけにはいかないでしょ?」

んじゃそんでいい、とヴァイスは軽く返す。女性は彼の返事を確認すると、サッと自転車に乗った。

自転車に乗った女性は、荷台を手で軽く叩く。ヴァイスが乗るように合図を出しているのだ。

「えぇ……。俺、上半身だけでなく下半身もダメージ受けてるんだけど」

「我慢しなさい」

ヴァイスは渋々しぶしぶ自転車の荷台に乗る。ライトが元あった場所に再び取り付けられると、女性は自転車を漕ぎだした。

夜の闇を照らす一筋の光は、まさしく暗闇の中にある道しるべのようになっていた。

二人の乗る自転車は、光の筋を辿たどるように前へ前へと進んでいく。光が照らす道は、不気味なまでに静かであった。

(……絶対に回収するわ。グレイのコピーは、私たちの愚かな行為によって生み出されてしまったものだから、私たちが責任を持って後始末しないと)

出発して一分も経たないうちに、二人は深い森の中へと入っていった。

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