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「……あれ、寝ちゃってたのか」

 部屋の中で考えているうちにいつの間にか眠ってしまったノワール。何時間か経ったが酔いは覚めておらず、どこかぼーっとした気分でベッドから起きたその時、頭に違和感を覚えた。

 何かがれているような感触がしたので枕元を見てみると、長文が書いてある手紙を見つけた。

(ダメだ、頭が回らないや。とりあえず夜風にあたって頭をすっきりさせなきゃ、手紙の行とか言葉を間違えそうだ)

 ノワールは手紙を手に取り、そのまま部屋を出る。廊下の電気は消えていた。

 暗い家の中を転ばないように歩く。階段がきしむ音は、どこか恐怖を感じるような不気味さだった。

 そのまま大部屋に入る。そこも電気が消えており、空のビール瓶とジョッキが一つづつ置いてある。リビングにある時計は、二十三時を指していた。

 作業場に出る。もちろん誰もいない。ノワールは玄関の方まで向かい、家の出入り口を開けて外に出た。


 夜の集落は、昼よりさらに閑散かんさんとしている。街灯は一つもなく、周りの家は全て電気を消している。唯一の光は、夜空に浮かぶ月くらいだ。

 夏にもかかわらず非常にすずしく感じるこの場所で、ノワールは酔い覚ましのためにサルンの家の近くでただ立っていた。

 しばらく経つと、左手に持つ手紙が邪魔に感じる。ノワールは手紙を折りたたみ、ポケットに入れた。

 その時、ふと東の方から白い光が見えた。

 少しずつ酔いから覚めてきたノワールは、光が出てくる方を見る。しばらく見ていると、光の正体は誰かが懐中電灯か何かを使い、街灯のない夜道を照らしているのだろうと理解した。

 光はすぐ近くまで来ており、人の影も見える。ノワールは挨拶でもしようと道の真ん中に出ようとしたが、そこで道端の石につまずいてステンと転んでしまった。

 それまでブツブツと何かを離していた人は、ノワールが転んでいるのを見て慌ててしゃがんだ。

「あの、大丈夫ですか」

 光を発していたのは、スマートフォンを持った若い男だった。背丈は一七〇センチほどでノワールとあまり変わらず、大きな鼻や薄いくちびる、中性的な顔つき、漆黒の髪など他にも類似点が多い。

 顔の造形ぞうけいにおいてノワールと異なるのは、目つきは男のほうがするどいくらいのものだった。

 ……そう。スパルの家を訪ねた、あの男である。


 男はスーパーのレジ袋を地面に置き、起き上がろうとしたノワールに手を差し伸べる。ノワールは男の手を取り、引っ張られながら立ち上がった。

「あ、ありがとうございます」

 ノワールは頭を下げ、お礼を言った。

「いえ、大丈夫ですよ。夜道を女性が一人で歩くのは危険なので、早く家に帰ったほうが……。あれ、声がどうも男みたいだったなあ」

 男はノワールの顔をじっと見る。あたりが暗くノワールの髪も長いため、女性と間違えるのは仕方ないと言えるだろう。

 しかし、男は気づいてしまった。

 

 それに気づいた男は、おいと強い語気でノワールに問いかける。

「お前、名前と住所と職業を言え。今すぐだ、いいか?」

 男はなぜだか目を血走らせて、あせったような表情で質問をする。

「えと、名前はノワールで、住所は……。えと、えと……」

 ノワールには住所と職業がなかった。記憶を失ってからそういった公的な身分を証明できるものが一切いっさいなく、名乗っているノワールという名前ですら仮のものである。

 そんな彼の様子を見た男は、いきなりノワールの肩をつかんだ。

「身長、ほぼ同じ。髪色も同じ。鼻が高いのも同じ。口も似てる……。なあお前、ちょっと話を聞いちゃもらえないか?」

 急なことで困惑したが、ノワールはとりあえずはあと答える。酔い覚ましのために話を聞こうとしたが、唐突な出来事のせいかほぼ酔いは覚めていた。


「お前、もしかして?」

 思わずえっという声が出る。

 ノワールには男の言っている意味がわからなかった。いきなり分身だとか言われても、彼には全く理解ができない。

「分身というかクローンというか……。まあ、とにかくお前と俺は同じ遺伝子を持っている可能性が高い。記憶がないから、住所も職業も言えないんだろ」

 男の言うことには、少しばかり納得の行く部分はあったが、言っていることに現実性がなかった。

 分身だと言うならどうやってそんな状態になったのか。クローンだと言うのなら、なぜ彼と自分は歳がほぼ同じなのか。またそもそもクローンは違法であり、どうやって製造したのかがわからない。

「最後に質問だ。生年月日がわかるなら、それは一九九四年九月二五日か? もしそうだったら……。実はお前を殺さなくちゃいけねえんだが」

 考えをめぐらせるノワールに対し、男は衝撃の一言を放つ。

「一九九四年ではあるが、何月何日かまではわからない。一応誕生日がわからないから、年が終わるまで二十一歳って名乗ることにしている」

 それを聞いて、男はクククと下品に笑った。

「まあ、こんな過疎地で記憶がない男がうろちょろしてる時点で、クロ確定みたいなもんだがな」

 すると、いきなり男は片方の手でノワールの腕を掴み、もう片方の手で口をふさいできた。抵抗するが、男より痩せたノワールでは逃げ出すことが出来なかった。


「良かったぜ、ビンのふた開けるために少しだけ腕鍛えといて。と言っても、学生時代クラスでめちゃくちゃ弱い方だった俺より、さらに弱っちいってのはどうなんだよ、え?」

 ノワールは隙を見て、足で男を蹴飛ばす。腕を掴む手は離れなかったが、口を塞ぐ手は少し緩む。その間にノワールは頭を動かし、思い切り頭突きをした。

「痛ってえええええ! 何しやがんだテメー!」

 男は激昂げきこうし、ノワールと対峙する。

「一つ質問がある。お前は食事中に、三歳年上の女からチビっ子扱いされて怒ったことはあるか?」

「あるねえ、何度も。というかどっから引っ張ってきたんだそんな話。もしかしてお前、ストーカーかなんかか?」

 男は口を歪ませる。

「いーや、ちょっと知っちまっただけだ。そもそも俺はそんな女を知らない」

「そうか。それより質問一つするために足蹴りと頭突きってのは、ちょっと野蛮じゃないのか?」

「理由も伝えずに人殺しをしようとする、お前の方が野蛮だよ」

 そう言うと、ノワールは背中に意識を移す。それを感づいた男は、手をパーにしてノワールの方に向けた。

「お、源龍化か? ならここじゃやらない方がいいな。どっかの家とか畑をぶっ壊したら大変だからな。戦うなら北の平原とかはどうだ? あそこなら一本道がある以外、全部草ばっかりだからな」

 ノワールは、静かに頷いた。

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