第五話 Other One
「夕飯、できたべ」
食卓のキッチン側にサルンが、リビング側にノワールが座る。テーブルの上には一人につきフランスパン一個分、ドレッシングがかかっていない生野菜のサラダが大量にあり、メインにはウェルダンに焼かれた薄切り肉が皿の上に日本人の感覚では一・五人分くらいに思えるほど乗せられていた。
「それでは、いただきます(日本とは少し違い、普通に食べさせて頂きますという意)」
ノワールがそう言うと、二人は机上にある食事を一つ一つ食べていく。
サルンは時間が経つごとにどんどん食事の残りを減らしていく。ところが、ノワールはそうはいかなかった。
(うわあ……。きつそうだなあ、この量)
欧米人の中では小柄なその体躯に、大柄なサルンの食事はとても合わない。二十分ほどが経ち、気が付けばサルンはあれだけあった夕食を全て食べ終わっていた。
その後、サルンはビールはどこだと戸棚を開けて探し回っている。それを横目に、ノワールはちびちびと残りを食べていた。
ビールを二つのジョッキを持って食卓に戻ったサルンは、早速ジョッキにビールをなみなみと注ぎ、それをぐびぐびと飲む。
一方、ノワールはすでに限界がきていた。サラダは完食していたが、他はあまり食べ進んでいない。
「おめーさ、まだこーんなに残ってるでねえか、どうしだんだべ?」
少し時間が経ち、酔いが回ったサルンはノワールに質問する。
「いえ、僕にはちょっと多いかなあ、なんて」
(酒臭せえ! なんだこの人、そんなすぐ酒臭くなる? え、酒臭せえ!)
質問に答えると、ノワールは少し息を止める。
「んだったら仕方ねえだ、オラがおめえの残りぜーんぶ食ってやるだあよ」
そう言うとサルンはひょいとフランスパンと牛肉の皿を自分の方へ持っていき、一つづつ食べ始めた。ノワールは最後に左手に持っていたフランスパンを一切れ口に入れる。
「あ、おめえさのビール、注いでやんべ」
口に肉を入れながら、サルンはビールをもう一個のジョッキに注ぐ。ビールとその泡でジョッキが満タンになったのを確認すると、サルンはそれをノワールに渡した。
「あ、ありがとうございます」
ジョッキを受け取ったノワールは、
「ぷはあ、やっぱり仕事終わりの飯と酒は
五分ほど経つと、サルンはノワールのぶんの残りもすべて食べ終わり、ジョッキに注がれたビールを再び飲んでいく。
「んだ、おめえそんなに
「いえ、一応大丈夫です」
ノワールは軽く答えた。
「あれだ、おめえさ昔っからあんまりメシ食ってながっただろ」
「まあ、多分そうでしょうね」
「たくさんメシさ食わねえから、そんな痩せたチビになったんだあよ。ま、今からできることは筋肉つけることくらいだけんどもな、背は大人になっちまったんじゃ伸ばせねえだし」
ンハハハと下品に笑いながら、サルンはまた一口ビールを飲む。
その時、酔いが回ったせいか少し下を向いていたノワールの顔の向きが、唐突にサルンの方を向いた。
「おいクソ女、そいつをお前に言われちゃおしまいだろ……。俺はもう二年も前に三歳差のお前を抜かしちまったんだ、だからお前はもう俺をチビ扱いすることは……」
ノワールが突然、意味不明なことをベラベラと喋りだす。荒っぽい口調ではあったが、表情はどこか楽しそうだ。
……はっと我に返る。
ノワールの目の前にいる人間は、どう見ても女ではない。
二年前どころか最初に出会ってから十時間ほどしか経っておらず、年齢もどう考えても三歳差ではない。身長も相手の方が二十センチ以上も高い。彼の言ったことは、ほとんどが間違っていた。
「おめえ……。いきなり何を言っとるんだべ……」
急に訳のわからないことを言われたサルンは、酔っているとはいえかなり困惑した様子だ。それを見たノワールは、慌てて弁明しようとする。
「あ、すみません……。ちょっと別のことを考えてて、つい」
そう言うが、当時の彼の頭の中ではもちろん三年前から知っている女性のことはない。それどころか、そんな女性はそもそも彼が知る限り存在しない。
(一体どういうことなんだ? さっきいきなり俺は意味不明な話をしたけど、なんであんなことが……)
ここでノワールは、一つの仮説にたどり着く。もしかしたら、酒を飲んだあと記憶が自分の身体が知る状況に刺激され、一部が戻ってきたのではないか。
しかしそんな話は、ノワールも聞いたことがない。医学的にも根拠はなく、そんな仮説になんの論理性もない。
だが、ノワールは
根拠も論理性もない話ですら、彼にとっては自分に関しての重要なピースが一つ埋まったように感じた。
「おめえ、疲れてるんだべ。慣れない農作業やってると、時々頭さ変になっちまうやつはいるだあよ。……とりあえず一つ部屋貸してやるけ、いっぺん寝といだほうがいいべ」
サルンはノワールを心配し、席を立たせる。作業場との出入口のすぐ近くにあるドアを開け、その奥にある階段を
二階には、ただ一本の
サルンは階段を上ってすぐ右にあるドアを開け、中の電気をつける。部屋の中はかなり散らかっていたが、ベッドのあたりだけはきれいに整えてあった。
「ここで寝ておくとええだ。なあに、こういうときのために来客用の寝室はあるんだ。遠慮せんでええだあよ」
ノワールは一人で考えるためにと、部屋の中に入る。散らかった部屋のものにつまずかないようにしながらベッドまで行き、そこに横たわった。
ノワールが横になったのを確認すると、サルンは戸を閉める。その後でサルンが階段を下りるぎしりという音は、上にいるノワールにも聞こえた。
「そういや、オラの頼みを言うのを忘れちまっただ。んま、後で手紙にして枕元にでもおいときゃええだな」
すぐにサルンは食卓に戻り、一人での晩酌を楽しんだ。
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