3

 エリーがムンバイを出てから、さらに数日経った。

 ニューヨークの空港にたどり着いた時のエリーの表情からは生気せいきを感じさせられない。目の下にはクマができており、疲れ切ったような様子で市内を歩き回っていた。

(プロペラの音がうるさくて、パリから出発して大西洋を横断している間ずっと眠れなかったわ……)

 エリーはふああと周囲の発展には似合わないような大あくびをする。トランクを引きずるガラガラという音や大都市の雑音でもかき消されなかったほどのあくびは、彼女の疲労ひろうやら眠気ねむけがいかに大きいかを表しているようだった。

 空港はマンハッタンから少し離れたところにある。案内の看板があったおかげでおおよその位置はわかるが、そのというのが今の状態のエリーにはとてもではないが歩いて行けるような距離ではなかった。

 彼女は休息を必要としていた。とりあえず適当に安いホテルを探し、そこで休むことが彼女にとって一番必要なことだろう。

 しばらく歩いていると、一つ大きく『ホテル・ボローニャ』と書かれたネオンサインがあった。があったのは空港からおよそ一キロほど離れたところにある十階ほどのビル。疲労が溜まっていたエリーは、迷わずそのビルの中に入っていった。


 受付でチェックインを済ませると、エリーは611とホルダーに書かれたかぎを受け取った。エレベーターで六階まで上がり、しばらく歩くと自分の泊まる部屋まで到着した。

 鍵をガチャリと開け、ドアの取っ手を回して引く。鉄の扉を開けて中に入ると、なぜか部屋の電気がすでについた状態だった。

「お、相部屋の人や」

 部屋の奥からスーツを来た背の高い白人の男が来る。スーツをぴったりと着こなし、ネクタイも曲がらず真っすぐと整っているその出で立ちから、エリーはすぐに彼がビジネスマンだと判断した。

「初めまして、うちの名前はトーマス、スミスです。今日から同じ部屋になるけど、よろしゅうお願いします」

 エリーはアメリカ英語を聞くのは初めてだ。多少聞き取るのに苦労したが、すぐにトーマスが言うことの意味を理解した。

「私の名前はエリー・ヴァルマです、これからよろしくお願いします……」

(あれ、いつの間に何日もいることになってるんだろ私)

 彼女は数日泊まるつもりはない。今日寝れるだけでよかったのだが、トーマスはそのことを知るはずはなかった。

「どうぞ。この部屋にはほかに二人うちの同僚がおるけど、お気になさらんと」

 まあいいやと思いエリーは靴を履いたまま部屋に上がる。トーマスに連れられ奥にあるリビングのようなところに行くと、彼の言う通り別の宿泊客が二人いた。一人は女性でもう一人は男性。二人ともトーマスと同じくビジネスマンのような格好かっこうをしていた。


「やあ、こんにちは。名前はなんちゅうんですか?」

 どこか砕けたような口調で、女性がエリーに質問した。その後すぐに、エリーは自分の名前をもう一度言う。

「うちはニューヨークのテレビ局の記者をやってる、アビゲイルや。他の二人も、うちと同じテレビ局で働いてる同僚やで」

 女性はカメラの手入れをしながら他の二人を紹介する。すでにトーマスから三人の身分は聞いているが、エリーは何も言わずにただ「ああ、はい」とだけ返した。

 部屋の中、出入り口から左手にはカーテンで仕切られた寝室が四つ、右手にはユニットバスやら洗面所がある。寝室のカーテンのうち三つは開けっぱなしになっていたので、エリーは残りの一つが空いていると考えた。

 カーテンを開けて寝室にはいり電気をつける。そこにはベッドとクローゼット以外にはなにもなく、スペースもせまいため寝室と言える最低限といったような部屋だった。

 トランクを隅に置き、エリーはベッドに寝転がる。布団はかけずにそのまま彼女は一人でしばらく今後のことについて考え事をしていた。

 その時、彼女は思い出した。ここで一泊した後で、彼女は国連本部へと向かうのだが、どうも場所がわからない。ただマンハッタンにあるという話だけしか聞いていないため、具体的な場所は彼女にはわからないのだ。


 エリーは起き上がって寝室から出てリビングへ行き、カメラの手入れを終えフイルムの管理をしているアビゲイルに声をかけた。

「あ、あの……。マンハッタン島に国連の本部があると聞いてここに来たんですが、その本部の場所ってどこだかわかりますか?」

 アビゲイルやトーマスはテレビ局の記者だ。記者ともなれば、世界の重要機関となるであろう国際連合の本部の場所は知っていてもおかしくはないだろう。

 しかし、帰ってくる答えはエリーの予想していたものとは大きく異なっていた。

「何言ってるんや、本部のビルはマンハッタンに作られるって言うのが決まっただけで、まだ工事が始まってすらないやないか」

(……なんですって?)

 もちろんエリーは困惑した。

 彼女は『ニューヨークに本部がある』という前提でニューヨークまでやってきたのだ。それがそもそもということは、つまり完成まで待つしかないのだ。しかし、それまで生活するためのお金が彼女にはない。

「なあ、エリーはんは一体何のために国連の本部なんて探してるんや」

 ショックを受けるエリーに対し、トーマスがタオルで手を拭きながら後ろから声をかける。

 彼女は声をかけられた瞬間、驚いてびくっと身体をのけぞらせたが、すぐに姿勢を元に戻した。

「実は、私は紛争中のインドから逃げてここまで来たんです。今日ちょうどここに着いて、それからこのホテルに来ました」


 それを聞いた三人の視線がエリーの元に集まる。

 カシミールの紛争による難民が今、記者である三人のいるホテルの部屋に居る。彼女の話を聞けば、現地についての話を色々と聞けるかもしれないのだ。

「なあ、その話をもうちょい詳しく教えてくれへんか?」

 トーマスはポケットから手帳とペンを取りだし、エリーに取材を持ちかけた。

 はい、とエリーは答える。それから、彼女は淡々と自分に起こった出来事を一つ一つ話していった。


《》

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