第三話 この世界は争いか平和か

(あれ、私っていつの間に寝てたのかしら……)

 意識を失ってから四時間ほど経ち、ようやくエリーの意識が元に戻った。ただし完全には回復しておらず、とはとても言えない状態であった。

 目を閉じたままの状態で、身体が動かずただ声が聞こえるだけの状態。このままではエリーは耳に入ってくる情報を聴くことしかできない。しかし、彼女の耳には近くで他の二人が会話している声が入ってきた。

畜生ちくしょう、あの男は本当に来やがんのか? 今もう夜中の一時だぜ」

「ああ、間違いない。今に仲間連れて押しかけてくる。あるやつかばんの中をこっそり見てみたら、本来あいつが持ってないはずの無線機が入ってやがった」

 エリーには見えていないが、家主とオムは二人とも実弾が入った拳銃を持って何者かを待ちかまえている。しかし、それが分からない彼女にも何やら不穏な状況になっているということはひしひしと伝わってくる。

「しかし、オムさんよ。なんであの子を眠らせるなんてことしたんだ? わざわざ睡眠薬用意しなくても、普通に寝かしつけとけばいいんじゃねーの?」

(す、睡眠薬? 私、そんなもの……)

 この時、ようやくエリーは思い出した。ソファに座っていると突然異常なまでの眠気を感じて、そこからの記憶がまったくもって無いことを。

「いや、ダメだ。銃声聞いて起きちまったらどうするんだ。まだ十三歳の女の子にを見せるわけにはいかないだろ」

 銃声、殺人という二つの単語をエリーは聞き逃さなかった。しかし、今夜二人が何者かを殺害するかもしれないということが分かったところで、身体を動かせないエリーにはどうしようもない。彼女はただ、耳だけで状況を判断することしかできないのだ。

 とてつもない緊張感がエリーを襲う。二人が話している声をさえぎるような心音と同時に、彼女の心臓は今まで経験したことがないような速さで動いていた。


 離れたところで扉が開く音がした。その瞬間、二人の男が一斉に玄関の方へと歩き出した。バタバタという足音が止むと、サングラスを掛けた背の高い老人に向かって拳銃が向けられた。

「な、なんだ君らは……。まさか、私のバッグをのぞいたのかね?」

 老人はサングラスを取る。そこで見えた素顔は、二人の予想通りの人物、『ローレンス・トレヴァー』そのものだった。彼は銃を構え一歩づつ近づく二人にも怖気づいていないように見える。しかし、彼の足だけはブルブルと震えていた。

「……どうやらその通りみたいだね。本当はのいるデリーまで行きたかったんだが、まさかこんなところまで行くことになってしまうとは」

 オムは不敵に笑う。「そうだな。で、お前は休憩きゅうけいだの食事だのしてる時間に、コソコソ研究所の連中にで連絡を取ってたってわけか」

 オムはローレンスの右手の方へ銃口を向ける。そこには無線機が握られており、ローレンスは顔の向きはそのままで目線をそちらへ向けた。

「考えてみりゃおかしかったんだ、なんでお前みたいな聡明そうめいな医者が、あんな有名なクソ集団にだまされるってのが。別拠点のあるデリーにおびき出すには、騙されたのを演じる必要があったって感じか?」

「全部、お見通しってことか」ローレンスは自嘲じちょうするように笑った。「となると、私の前でなんか使った理由はあるのかい?」

 エリーの家を訪れた時の言葉。あれは訛りではなく、そもそも別の言語であるドイツ語だと言うローレンス。それを聞いたオムは再び、銃口をローレンスの顔に向けた。

「お前にさとられないようにするためとだけ言っておこう。まあ、目的と言ってもそっちがやろうとしたことに比べればよっぽど役に立って、なおかつエリーも傷つかないものだがな」

 話はこれくらいにしよう、と家主が二人の会話を止める。オムは首を縦に振り、拳銃の引き金を引いた。


 バン、という銃声とともに弾が発射され、ローレンスの頭に風穴が開く。目を閉じていてもエリーの耳には銃声がほぼそのままの大きさで聞こえ、何が起こったのかを簡単に想像させられた。

 今、この瞬間、自分が寝ているところのすぐ近くで人が打たれた。その事実に、エリーは戦慄せんりつした。

 さらに、彼女は聞き逃さなかった。オムにも何らかの目的があって、自分をここまで連れてきたという事実を。

 しかし、それを知ったから何かできるというものではない。彼女の身体は硬直しほぼ動かなくなっており、感覚もほぼ聴覚と触覚のみになっている。睡眠薬の効果が切れるまで、彼女はただただその場にいることしかできないのだ。

 彼女の意識が戻りつつあることも知らず、オムはもう一度銃を左胸に撃ち込み、家主も頭から前に倒れこんだローレンスに、背中から銃を撃った。脳、肺、心臓を銃弾が貫通したローレンスは、間もなく絶命した。


「よし、ひとまずこの男は殺したが……。その後はどうすりゃいいんだ?」

「すまんが、こいつの血とかが付いた家の掃除やらは後回しだ。エリーを車でお前の家からまで運ぶぞ」

 了解、と家主は言い、行く手の邪魔にならないようにローレンスの死体を廊下の隅に移した。それと同時に、オムはエリーを何処どこかへ運び出すために、ソファで眠っているエリーの方へ行く。

(い、嫌、来ないで……どこに連れていくつもりなの?)

 エリーがいくらそうやって願っても、オムは足を止めずにソファまで進む。十歩ほどでソファの場所まで来ると、そのままエリーをかかえて玄関に戻っていった。

「車のカギは開けてあるから、護身用に銃だけ持っていけば後は何も要らん。俺はエリーを抱えてて両手が使えんから、銃二丁はお前がそこにあるポーチに入れて持っていってほしい」

 家主は近くにあった白いひも付きのポーチに、先ほどまで二人が持っていた拳銃と予備の弾を入れる。彼はそのままポーチを肩から下げ、家のドアを開けた。肩から下げられたポーチは、殺されたローレンスの血が付着ふちゃくして所々ところどころ赤色に染まっていた。

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