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 家に上がったエリーは、そのまま玄関から正面に伸びる廊下ろうかを歩く。廊下の奥には洋風のリビングがあったが、ところどころ家具や柱などに何かから引っかれたり噛みつかれたりしたようなあとがあった。

「まあ、ゆっくりしててくれ。前に部屋は荒れてるけど、不便はないはずだから心配するな」

 心配するな、と家主は言うが、エリーにとっては目の前の状況を見て心配するなという方が無理な話だ。人間同士の争いに巻き込まれるリスクだけでなく、モンスターによる襲撃すら起こりえるような場所では安心などできるはずもない。

 彼女は臆病おくびょうな女の子だ。たとえあたりを吹き飛ばせる力を秘めていたとしても、傷つくのは嫌だし争いに巻き込まれるのは怖い。

「このへんのモンスターは多分みんなどっかに行っちまってる。もし出てきても、君の力を使えば君自身は無傷で済むはずだ」

 心境が表情に出ていたのか、エリーの表情を見たオムが彼女に声をかける。それから間もなくリビングに入った三人のうち、エリーは破かれたソファに座り、他の二人はそのすぐ近くにある調理場まで向かった。エリーが座ると同時に、家主は「俺たちは夕飯作るから、その間ラジオは自由に聴いていいぞ」と言った。

 エリーは机に置いてあった黒い大きめのラジオを手に取って、アンテナを立てて局を選ぶ。それから彼女は今まで聞いたこともないような番組を、ただただ意味もなく聴き続けていた。


 一時間半ほどが経過けいかし、三人の夕食が出来上がった。エリーは表情が明るくなり目の前の食事に目を輝かせ、オムと家主は『我ながらうまくできた』というような自慢げな表情で見ている。

 円型で平たいパンのような食べ物『チャパティ』、かまで焼かれた鶏肉『タンドリーチキン』、そしてスパイスを配合し作られたスパイスカレー。その他野菜などが食卓に並んでいる光景は、まさに我々が想像するインドの食卓といえるだろう。カレーの香りはそこにいる人の食欲をかき立て、皆の空腹感が強まる。

 特にエリーとオムにとっては大変なご馳走ちそうである。それまで車でここまで移動していたのもあって、食べたのは安いナンや鶏肉くらいだった二人にとって、そこにある食べ物は極上の一品だ。

「んじゃ、早速さっそく食べるか」オムの言葉から少し間を開け、「うん」とエリーは答えた。

 三人はそれぞれの席に座り、夕食を食べ始める。

(あ、これ美味おいしい)

 カレーは地方によって作られ方が異なる。インド南部のカレーは水分が多く、三人がいるこの場所を含めたインド北部のカレーはこってりしたものが多い。エリーが北部のカレーを食べるのは初めてだが、どうやら彼女の口にも合うもののようだ。

「いやあ、客人が来た時のために食料取っておいてよかったよ。どうだ、今日の飯は」

 このような食事を家主がいつもしているかと言うと、もちろんそんなことはない。仮にも紛争地域で暮らす彼は、お客が来た時以外にこういった食事を作って食べるようなことはほとんどない。

 しかも彼は軍人だ。招集されれば戦争に行き、敵と戦い目的を達成したり国を守ったりする役割がある以上、贅沢ぜいたくな食べ物に慣れてしまわないようにしている。

 オムは彼の問いに「いやあ、こりゃうまいよ」と答える。エリーもそれに続いて、うんと頷いた。

 だが、それを見る家主の表情は少し暗いようにも見えた。彼はそのまま、「そうか、そいつはよかった」と返した。


「うはー、食った食った」

 三十分ほど経ち、三人の食事が終わる。食べ物がなくなって残った大量の食器は種類ごとに分けられ、家主が洗うために一種類づつ持って行った。

 家主が食器を洗っている間、エリーはソファに座ってラジオを聴き、オムはテーブルの方で紙に何かを書いている。

「あの」エリーはオムの方を向いて質問をする。「最初にうちに来た時、なんであんなになまった言葉で話していたんですか?」

 オムは文字を書く手を止める。

「ああ、あれは……」オムは答えをにごし、再び何かを書き始めた。

(何か怪しいわね、あの人)

 考えてみれば意味不明だ。なぜ訛った言葉や片言でわざわざ話すのか、そんな理由はエリーには思いつかない。

 さらにこんな山奥、しかも戦場から百キロも離れていないような場所にわざわざ連れてきた理由もわからない。研究所の追手から逃げると言っても、戦闘に巻き込まれるリスクを考えると安心などとても出来ない場所だろう。

「あ、寝たければいつでも寝ていいぞ」オムはエリーの方を見ずに言う。「……あれ、ここに寝床ねどこっていくつあったっけな」オムはペンをテーブルに置き、席を立って家主がいる方へ向かった。


(私、これからどうなるのかしら)

 ふわあ、と一度欠伸あくびをした後、彼女はこの先の自分について考える。

 自分自身がどのような存在であるのかがわからない。戦争に巻き込まれるかもしれない。話を聞きつけた研究所に捕まってしまうかもしれない。

 何より、ここまで連れてきたオムが不審なのだ。

 少女は考える。この不安定な状況で少しでも生きていけるようにする方法を。

「翼があるなら、空も飛べるかもしれないわ」

 彼女はそう口に出すが、翼と言ってもどうも小さくて頼りない。仮に空を飛べるとしても、彼女がどのくらいの距離をどのくらいの時間で飛べるのかは未知数だ。

 しかし、どんなこともやってみなくては分からない。

(明日、空を飛べるかやってみましょう)

 エリーがそう決めた瞬間、彼女は強烈な眠気ねむけを覚えた。今すぐに眠ってしまいたいと思えるような、まるで魔法にでもかかったかのような強さの眠気だ。

 眠いと言ったり欠伸をしたりする間もなく、エリーはバタンと音を立てソファの上で横になった。

 意識が朦朧もうろうとする中、彼女は一瞬とてつもなく嫌な予感がした。

(あ……した、わたし……どう……ど……)

 そうしていくうちに思考が薄れ、エリーは眠りについた。

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