5

 それから、五日が経った。

 あのあとエリーは力を抜いて大きく息を吐いたことで人の姿に戻り、ふたたび母の運転する車に乗って家に帰った。

 帰りに高額な治療費が請求されると思った二人だったが、ローレンスが『特別な存在についての資料をいただいたので治療費は結構です』と言ったことで二人の負担はガソリン代だけとなった。

 村に戻ったエリーは、周りの人々に自分から自身の持つ力について教えることはなかった。ただ、彼女が龍のような姿になっていたところは一人の村人によって見られてしまっていたので、『エリーが姿を変えれる者である』という話は村中むらじゅうの人々が知ってしまった。

 その結果、この五日間で彼女の扱いはどのように変化したのだろうか。


 以前までのエリーは、三年前まで家が父の影響で地主をやっていたことからあまりよく思わない者が一定数いたものの、だいたいは『家のために働くいい子』という印象を持たれていた。

 しかし、今は少し違う。

 彼女が翼と尾を生やしたことを知ったある村人は、こう言った。

「エリーはだ」と。

 もちろん、大半の人はそう思っていない。「何を言っているんだ」だったり「そんなはずはねえ」とその村人に言葉を返した。それにそもそも、エリーが姿を変えるなどという話は、一人しか見ていないため信じていない人の方が多かった。

 しかし、エリーがモンスターだというのを信じた者もいた。信じた者はすべて、元々エリーをよく思っていない者であった。


 モンスターは大昔から現代まで、人間たちの敵であり続けている。

 姿は人の形をしていたり、動物のような見た目だったり、異形いぎょうの化け物だったりとさまざまだ。だが、それらは共通して他の生き物より人間を優先して食し、通常の生物学では説明できないような生物であるため『特殊生物学』という普通とは別の学問によって研究されている。

 特に脅威なのが人の形をし、高度な知性を持ったモンスターだ。翼や角などを隠して人間社会に溶け込み、ある時になれば人をさらって食べてしまうのだ。

 これには世界中の人々が悩まされている。間違えて普通の人間をモンスターとして殺害したり、人にまぎれて戸籍こせきを作ってしまい、特定が困難になったりしている。

 姿を変えてしまったエリーをであると思ってしまう者がいるのは、ある意味必然とも言えることだろう。


 ただ、それを知った彼女はどう思っただろう。

 自分を人間にけた怪物であると思っている人が存在する、それだけで彼女の精神は弱くなっていった。

 初めて力に目覚めて五日が経ったこの日、自分は一体何者かを改めて考えさせられる。

 龍人という存在は害のある化け物か、それとも人と共に生きている人間か。それすらも自分にはわからない。これまで人を取って食おうだなんて一度たりとも考えたことがないエリーだが、それでも自分が姿を明らかに普通ではないものに変えてしまったことには変わりがない。

 もしも、自分が人を殺し、死肉をほふる存在だったらと考える。

 彼女は自分が、だんだんと怖くなっていった。

 そんな時、突然家のドアが軽く叩かれた。


「しみましーん、エリーさんぬう宅やいびーが?」

 聞き取れないようななまりで話す男。英語というよりもはや別言語のような発音で、エリーには何を言っているのかがまったくわからなかった。

 エリーがドアの方を向いた後少し間を開けて、再びドアが叩かれた。

「す、すみ、ません、エリーさんの、お宅ですか?」

 今度は片言ではあったものの、エリーには十分聞き取り可能な言葉だ。

 エリーはそのまま玄関げんかんまで行って、家のドアを開ける。迷彩柄の服を着た男がおり、それと一緒にローレンスもそこにいた。エリーを呼んだのはローレンスではなく、もう一人だ。

 ローレンスは何やら申し訳なさそうな表情をしながらエリーの方を見て、もう一人は何やらけわしい表情をしていた。

「実は、エリーさんに、話が、あります。ローレンスさんが、悪い研究所に、騙されて、あなたの、調査データを、渡してしまいました」

 エリーは恐怖した。え、という声が漏れる。悪い研究所というのがどういう実態のどういう研究所なのかはわからないが、もしこのままそこに行っていたらと考えると一気に不安が襲ってきた。

 ローレンスは「私が悪いんです。研究所の実態を把握しないままデータを渡してしまったばかりに」と反省の意思を示していた。

「その研究所は、ムンバイにある、医薬品開発をしてる、会社のものです。そこでは、研究という名目で、人や動物に無理やり注射を打ったり、手術をしたりしています。最近、警察が、捜査しようとしてますが、摘発てきはつまでの時間で何をされるか」

 その研究所について、彼女には心当たりがある。ある日文字を勉強するために新聞を買って読んでいたところ、男が説明しているような行為をしている悪徳研究所の存在が書かれていたのだ。


「エリーさん、今から私たちが、エリーさんを、デリーまで、車で逃がします。私たちと一緒に、来てくれませんか?」

 デリーは今いる村から一〇〇〇キロメートルほど離れた場所にある、インドの首都だ。そこまで逃げてしまえば、研究所の人間も来れないだろうという考えだろう。

 しかし、彼女は考える。そんなところまで行ってしまい、もう二度とこの村に帰れなくなってしまうことだ。

 この村は彼女が生まれてからずっと住んでいる場所だ。ひどい言葉を投げかける者もいるが、それでも彼女はここを離れたいと願ったことは一度もなかった。

 これでこのままデリーに逃げてしまえば、安全は確保される。しかし、二度と家に帰れなくなるかもしれない。

 彼女は葛藤かっとうする。しかし、後ろでいつの間にか話を聞いた母がエリーに言う。

「デリーまで行きなさい」と。エリーは後ろに振り返った。

「私はエリー、あなたに生きてほしい。できるだけ、苦しまなくていいような、道を選んでほしい。だって、あなたは私の、たった一人の娘。だから、私はそう思うの」

 母親としても何か思うところがあるのだろう。エリーは迷彩服の男と似たような言葉の途切れが、母の心の状態を示しているように感じた。

 エリーは決意する。自分はデリーまで行って、そこで生き延びる。

 母は生きてほしいと言った。だから、彼女はそれにこたえようとしている。

 わかった、とエリーは言った。次に迷彩服の男の方へ一歩進み、「お願いします」と一言言った。


 それから、三人は車に乗った。普通の車ではなく、軍用の輸送車のような車だ。

「この車で、北の方まで、行きます。途中でモンスターに襲われたら、危ないので、山の中とかは、あまり進みません」

 車は制限速度ギリギリまで速度を出して運転されている。舗装ほそうされていない道を通るときにはガタガタと車体が揺れていたが、道が舗装された街まで出ると揺れはほとんどなくなった。

「紹介、し忘れて、いました。私の名前は、オム・アミンと、いいます。普段は、軍医を、やっています」

 オムは運転しながら自己紹介をする。

「あなたを、呼んだときに、訛りがあったでしょう? 私はインド人ですが、ビルマ生まれなので、話す言葉は、インド訛りとは、ちょっと違います」

 ビルマは現在のミャンマー。二年前まで行われていた第二次世界大戦では、日本とイギリスが戦っていた地だ。そこで生まれたオムは、今はインドの軍医として働いている。

 彼が運転する車は北へ北へと進んでいる。ここから何日もかけて、目的の場所へと向かっていくのだろう。

 龍人とは何か。その謎への手掛かりとなる少女を乗せて。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る