金の路をまもる者

さまよう迷湖



 黄蛇金燐おうじゃきんりんはどこにいる。



 地響きの中に、叫ぶ声が聞こえてくる。侵略者が押し寄せてきているというのは風の噂で知っていた。初めの便りはひと月前だったか。くろがねはそれを金路の首長である銅琳公どうりんこうの隣で聞いた。西北の地にいた梟族が強く野心のある頭を持ち、ひとまとまりになって中原へと向かっていると。西より騎馬の民がより豊かな土地を求めて押し寄せてくるのは、天地が始まった頃から何度もなぞった歴史だ。

 だが、まさか、金路を徹底的につぶすとは誰が思っただろう。

 東西の街々を旅する者たちの宿場、それが金路城市だった。黄土の大地が広がり、砂色の峰がうねって行く手を阻む水なき荒野。その荒野に幾百、幾千年の時をかけて人々が踏み固めてきた道がある。そんな行路でも一番の難所である天山峰てんざんほう、その裾に縋りつくように金路は街を形為していた。

 中つ原の西の果て、旅人にとっては要所であり、そして異国への入り口。樹海と天嶮、そして荒涼たる砂漠に囲まれた、憩いの場所。

 その金路きんろの街は、今や赤く、黒く、燃えていた。

「金路万歳! 宝樹ほうじゅ万歳! 黄蛇殿下万歳――!」

 街を囲む城牆じょうしょうの上で、無数の矢を受けて叫ぶ男がいた。姿からして僧兵である。その男をめがけて、周りを囲む騎馬の兵たちが矢を放つ。幾十もの矢が的を射貫き、燃え行く城市とその主を称えながら男は地へと落ちていった。

 男が宙を切り裂く残滓のように、赤黒い血しぶきが舞った。

 それを見るものは誰もいない。半刻前には固く閉ざされていた城門は打ち壊され、さらに大槌で城門の両脇のしょうは叩き壊されていた。地に伏す屍を顧みることなく、騎馬の侵略者はけぶりをあげて広く開けられた街の入り口を走り抜けていく。雄たけびを上げて、まるで戯れのように手に持ったたいまつを家々の屋根へと投げた。騎馬の男たちは強い。その膂力によってたいまつは高く、遠く飛び、街のいたるところへと火を落とした。

 金路は極彩色の街だった。黄土の荒野を旅する人々の目印になるように、家々の屋根は碧、朱、金、翠、紫苑とさまざまな色に塗られる。特に人気なのは真赭まそおの色だった。新しい年を迎える前に屋根瓦の色を塗り替えるのが、金路の街に生きる人間の習わしだった。東西から原料を仕入れ、顔料へと加工し、旅人たちを受け容れるために屋根を塗って、飾る。金路は開かれた街であり、ゆえに、外からの攻撃には弱かった。

 土けぶりと、火けぶりが、美しかった街を覆う。

 その中で、ひと際高く掲げられる長槍があった。

「銅琳公、とったりぃ!」

 槍の先に、髪を振り乱した人の首がずさんに突き刺さっている。その死を誇示するための長槍は人の背丈の三倍はあり、煙に覆われた地上からはその表情はわからない。銅琳公―長くこの金路城市をおさめ、人々の尊敬を集めていた首長の無惨な死に、ある者は膝を落とし、泣き叫ぶ間も与えられず背後から迫った侵略者にその喉を掻ききられた。

 勝利に溺れた熱狂と、絶望と死に瀕した狂乱とがないまぜになった金路の街は、赤く、黒く、燃えていた。侵略者の剣と矢は逃げ惑う人々の心臓を、首を、体を切り裂き、泣く女を街路の真ん中で犯す。東西の行商の要でもあったこの街の商家を漁り、金銀宝玉を自らの馬の鞍に括りつける。

 そこには秩序はない。金路は燃えた。金路城市は落ちた。天地開闢の時より下天げてんを支える神獣の一角を担っていた《黄蛇金燐おうじゃきんりん》を実らす宝樹は灰になり、二度と黄果をつけることはない。

 人が、神の城市を下した。この報は遠からず下天の隅々にまで届くだろう。





 黄蛇はどこだ。黄蛇金燐はどこだ!

 鉄と燕冶の身をかがめる地下室の上から、神獣を探す声と足音が絶えることなく聞こえてくる。鉄は自分よりも二回りは小さい燕冶の肩を引き寄せて、剣を握り続けて汗ばんだ手のひらを膝でぬぐった。

 二人がいるのは、金路の城市の奥、天山峰の麓であり、宝樹の根っこ部分だった。大木の根の股部分には城市の行政府と神廟があり、さらに地下には貯蔵庫がある。これからくる冬を越すために、金路の人間はそれぞれが蓄えを持つ。行政府はさらに有事の際には市民に配給するために公庫に備蓄を持っていた。それも、今では意味をなさないだろうが。冷気のこもったそこに、二人は身を潜めていた。

 しばらくすると、声が遠ざかっていく。騒乱の気配は相変わらず地響きのように地下室に響き渡るが、人の気配は遠いように思えた。

 少し待っていろ、と燕冶に告げて鉄は立ち上がった。通気口からわずかに差し込む光を頼りに、さらには音を立てないように備蓄を積んだ棚の間をかいくぐり、持ち出す品を物色する。二人が隠れていた水がめに戻ると、鉄と同じように両手いっぱいにした燕冶がこちらをうかがうように見ていた。

「ありがとうな」

「別に。この状況で、鉄にばっかりやらせられないよ」

 二人で、いくつか小分けにした荷袋と包みに食料や旅の必需品を用意していく。革袋には湧き水から汲んだ水を入れる。二人分ではなかった。作れるだけ荷物を作る。何人の仲間が戻ってくるかは、わからなかった。

 荷物をある程度まとめると、再び二人はぴったりと寄り添って身をかがめる。貯蔵庫の出入り口は梯子を上った先にある。そこから距離をおきながら、神経と視線はそこから外さない。

 ガタ、と戸がずれる音がした。鉄と燕冶は反射でそれぞれの得物を握る。開いた戸からは炬火だけが先に覗いて、その後に見慣れた顔が出てきた。鉄と一緒に、隣の燕冶の緊張も緩むのを感じた。

虎斗こと、戻ってこれてよかった」

 いかにも戦い慣れているような佇まいの虎斗に続いて、何人かの仲間が続く。その数を数えていく。一、二、……五人目の雲藍うんらんが何やら地上に細工をして戸を閉めた。五人。近づいてくる仲間に気取られぬように息を吐く。燕冶は目を細めながら、こちらを見上げた。

「三千秒、経ったよ、鉄」

 無情に告げる燕冶の声は、鉄の胸に重く落ちる。

 宝樹に成る黄果から孵る神獣、《黄蛇金燐》。奴らはその神獣を捕らえるか、仕留めるまで追ってくるだろう。それが下天を獲るために通らねばならぬ道だと信じている限り。

 鉄と燕冶を含めてこの場にいるのは七人。そして先に行って退路の確認をしている二人。残ったのは九人だ。鉄は立ち上がって、全員の顔を見たが、次の言葉はなかなか出てこなかった。六人の仲間の視線が重く、そして地上の殺戮の気配が痛い。ここに辿り着けなかった数十人の《黄果》の同胞―そして、鉄が助けようもしなかった幾千の市井の人々が、まだ地上には残っている。

「鉄、もう行こう、時間がない」

 静かに、しかし有無を言わせない口調で、燕冶が鉄の背中に告げる。

「……ああ」

 閉じられた天井の戸を見上げる。恐ろしい戦の音が扉ひとつ向こうから響いてくる。

 最後に、生まれ育った城市を見ることもない。

 鉄と燕冶が身を置いていた水がめをずらすと、小さな穴が開いている。ここをくぐると、かつて僧侶たちが祈りのために掘った隧道から、地下水道へと出られる。その出口で、馬をかき集めた仲間が二人、待っているはずだ。彼らもまた、生き延びていれば。

 隧道は貯蔵庫よりもよほど冷たかった。本来なら季節は夏の終わり、明日は謝肉祭だ。鉄と虎斗たちは数日前から狩りに出て、祭りのための獲物を捕らえてくるはずだった。そのために用意した馬と弓は、追手に備えた武装として配られる。

 背後で、隧道から貯蔵庫への入り口を閉める音がした。鉄はそれを見なかった。代わりに果ての見えない暗い道の奥を灯すように、炬火を掲げる。

 銅琳公が殺され、数々の先達のゆくえもわからない今、鉄が《黄果》たちの頭領だった。

「さあ、行くぞ。追ってくる奴らは確かに怖いが、この道を当てられなきゃ当分はこっちのもんだ。油断はしちゃいけねえが、諦めちゃいけねえ。必ず、生き残れよ」

 続く者たちへと鉄は告げた。強く、迷いなく。自らの胸にもまた、その言葉を刻むように。

「次の立夏の日、无仙城市の港で会おう」


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