16. 義経、シュレディンガー、不老不死

『ところで、そのTシャツですけど』


 司会者は未熟な大道芸人を観賞するように、男性へ苦笑を向ける。司会者の言葉に合わせて、カメラも男性の着るTシャツにズームしていく。テレビの画面に大きく『ILOVE不老不死』の文字が映し出された。


『ああ、これは』

 男性は少し恥ずかしそうに、はにかみながら自分の着ている服を引っ張る。


『実は自分、高校の教師をしているんですけど』

『それはそれは、きっと生徒には人気があるでしょう』


 司会者の言葉を、男性は笑いながら否定する。

「それが全然、舐められまくりで」


『それはそれは』司会者は同じ言葉を繰り返す。『そうでしょうね』とはさすがに続けられなかったようだ。


『でも数年前に、不思議な生徒が二人いたんですよ』


 その言葉を聞いて、自分の心臓が飛び跳ねるのを感じた。小前田ちゃんはテレビを見て、ニヤニヤと笑みを浮かべている。


 男性の視線が遠くを向く。

 その視線はカメラや、スタジオの天井を全て通り過ぎ、その先にある夜空を眺めているようでもあった。


『授業も真面目に聞いてくれるし、なんとなく話す機会も多くて、自分は結構仲が良いと思っていたんですけど』


「いや」小前田ちゃんは笑いながら首を振る。「そうでもないよ」

 しかし、そんな言葉はテレビの向こうには届いていないのか、スタジオの話はそのまま続いていく。


『もしかして、そのTシャツは生徒からのプレゼントとか何かですか』女性アナウンサーは再び、不穏な脱線の気配を感じ取ったのか、話を促す。


『いや、このシャツは妻に貰ったんです。罰ゲームで無理やり着させられて』


『その子たちとばったり会ったとき、ちょうどその罰ゲーム中だったんです。その所為でデートをめちゃくちゃにされたんですよ』男性は遠い昔を懐かしむ老人のような薄い笑みを浮かべている。


「やっぱり、根に持ってたんだ」

 私はテレビに向かって指をさす。


『その子たちとは今も連絡取ってるんですか』

 司会者は興味深そうに質問を重ねた。心なしか、女性アナウンサーの笑顔にヒビが入ったようにも見える。


 生放送ではないのだから、無駄な部分はカットされるのではないかとも思ったが、男性が再び口を開いたのを見て、それなりに面白い部分ではあったのだろうなと想像する。あるいは、本編がよほど面白くなかったか、どちらかだ。


 男性が深呼吸をするように大きく息を吸う。無用な感情を外に出さないように、全て心の内へ取り込むような儀式めいた動きだ。


『二人とも亡くなりました。卒業する前に』


 ああ、そうか。声が出そうになった。

 隣に座る小前田ちゃんも息を呑んでいるようだった。


 私が姿を消す時に、業者が掲示する手段は二つだ。

 行方不明か、死亡か。


 基本的に死亡処理は行方不明に比べて高くつくのだが、今回は小前田ちゃんの家族のことがあったので、死亡処理を行なった。遺された家族が、行方不明になった家族を血眼になって探すのはよくあることだ。


 男性が感情を抑え、同情を引かないような言い方をしたおかげか、スタジオ内が静まり返るようなことはなかった。


『それは』それでも司会者は言葉に詰まっている。それはこの番組になんの関係があるんだ? と言いたげでもあった。


『でも』そんな雰囲気をかき消すように男性は大きな声を上げた。本人としては大きな声を出すつもりはなかったのか、自分の声に自分で驚いているようだった。少し小さくなった声で『でも』と再び繰り返す。


『僕は信じてるんです』


 スタジオ内が静まり返る。私たちが住む部屋の中も、外の居酒屋で酒を飲むサラリーマンすら、今だけは音一つ発していない。世界中の誰もが男性が次に紡ぎ出す言葉を、息を潜めて待っているのではないか、そんな気がした。


『あの子たちが、今もどこかで生きてるんじゃないかって』

 その言葉から現実を受け入れられない者が漂わせる悲壮感は、微塵も感じられない。大きな希望と少しの寂しさが滲んでいるだけだ。


『確かに、あの子たちの葬式にも参列しましたし、遺体も見ました。教室から机が二つ運び出して倉庫にしまうのも、僕がやりました』


『それでも』男性は続ける。

『それでも、絶対に生きてる』


 力強くそう言い切った男性の顔には、見たこともないほど確固とした自信が滲んでいる。

 なんだ、母親のお腹に忘れたわけではなかったのか。


『このシャツはメッセージなんです。あの子たちがテレビを見ているかは、分からないですけど』

『はぁ、そうですね』司会者は話についていけないのか曖昧な相槌を打つことしかできない。


『それに、そうだったらじゃないですか。みんなに愛された人が実は生きていた、なんてすごく良いでしょう?』


 男性はカメラに向かって微笑む。それがスタジオの見えないところにいる彼の結婚相手に向けたものなのか、カメラの向こうにいる私たちに向けたものなのかは分からないが、とにかく彼の顔には清々しい達成感が浮かんでいる。


『そうですね。それでは早速、こちらのVTRをご覧ください』

 女性アナウンサーは痺れを切らしたのか、早口で男性の話を切り上げる。彼女の笑顔は少しだけ歪んで見えたのはきっと、見間違いではない。

 

 

 




「そういえば」と小前田ちゃんは唐突に声を上げた。

 あと数分で鳴るであろうチャイムに怯えながら、私たちが慌ただしく準備を進めていたときだった。


 私は濡れた髪を乱暴に乾かしながら、小前田ちゃんの言葉を待つ。化粧をする暇はないだろうが、今から会うのはそんなことを気にする人たちではない。


「結局、チンギスハンって、本当に源義経だったの?」

 先ほどのテレビではこの説を後押しする証拠が見つかったようなことを話していた。もう少し先まで見ていれば、もっと詳細まで知ることができただろうが、そんな余裕はない。


「実際に見て来た人なら知ってるでしょ」

 そう言いながら、小前田ちゃんは急いでズボンに片足を突っ込み、転びそうになっていた。さほど興味はなさそうにも見える。


「生きていた方がいいかな」

 今よりも少し幼い小前田ちゃんが、そう言って笑う姿を思い返す。


「いや、死んだよ」

 ドライヤーの音にかき消されないよう、私ははっきりとそう告げる。


「義経はちゃんと衣川の戦いで死んでる。歴史は間違ってないよ」

 小前田ちゃんは私の答えを聞いて、一瞬、動きを止めた。「まあ、そうだよね」そう呟く声がドライヤーを止めた私の耳に届く。


「そうだったら、良いじゃないか」そう言っていた先生の顔と、『そうだったら良いですよね』と言っていた男性の顔が、同時に思い浮かぶ。

 彼が希望を持っていた説を否定してしまうのは、申し訳なく思うが、もう一つの方は当たっているのだから良いではないか、そんな気もする。


「でも、そんなのはきっと、誰も知らないよね」

 お父さんも、お母さんも、クラスのみんなも、多田さんも、佐藤さんも、先生も。小前田ちゃんはそう続ける。


 彼女の言う「そんなの」が何を指しているのか、私には判然としない。


「じゃあさ」

 小前田ちゃんがそう言うのと同時に、チャイムが鳴る。ドライヤーのコンセントを抜き、手早くまとめる。


 リビングから玄関へ向かう途中、小前田ちゃんはくるりとこちらを向き、微笑む。もし、ここが小川のほとりだったならば、小鳥が四、五匹寄ってきたことだろう。そんな優雅さを湛えていた。


「義経も、私たちも、猫もさ。全部ひっくるめて、箱に閉じ込めておこうよ」

 小前田ちゃんは玄関に通じるドアを開けながら続ける。


 玄関に飾られた二冊の本が目につく。満天の星々の隣で、箱に閉じ込められた猫が白々しく欠伸をしたように見えた。


「全部、半分だけでも生かしておこう」

 小前田ちゃんが玄関のドアに手をかける。


 もう一度、チャイムが鳴った。

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