14. 星、朝、夜
「なんで、ここがわかったの」
私は出来るだけ不満げに聞こえるように小前田ちゃんに問いかける。
太陽は地平線の縁に顔を隠したままでいる。白みはじめている空を背に、私たちはベンチに腰掛け、山登りの疲れを癒していた。
「私の愛だよ、愛」
小前田ちゃんは私の不満げな態度も一切意に介すこともなく、私のリュックを勝手にごそごそと漁る。なんとなく注意をする気にもなれず、私はその様子を見守っていた。
すると小前田ちゃんはそのリュックの奥の奥、一番下から一台のスマホを取り出した。「じゃーん」という声がやけに響く。
「それって」
「私の古い方のスマホ」
したり顔で笑う小前田ちゃんを見て、私はため息をつく。おそらく、私が食器を洗っている間に仕込んだのだろう。
「最近はさ。失くしたスマホをGPSで探す機能もあるんだよ」
便利だよね、と続ける小前田ちゃんはこれまでの苦労を滔々と喋り出した。
寮のベランダを伝って、忍者のように自分の部屋へ戻ったこと、そこで荷物をまとめて入った時と同じように脱出したこと、それから私のリュックに入ったスマホの位置情報を追って、ここに辿り着いたこと。
「途中で圏外になって、ちょっと焦ったけど山に入ったのはわかったから、取り敢えず頂上を目指したの」
小前田ちゃんはよく突拍子もないことを始めるが、ここまでだとは思っていなかった。私は呆れて、開いた口も塞がらない。
「それで、なんでここに来たの」
なんとなく、小前田ちゃんの回答は分かっていたが、聞かざるを得ない。
小前田ちゃんは「んー」と少し首を捻った後、口を開いた。
「そりゃ、付いて行こうと思って」
「私に?」
「うん」当然だと言わんばかりに、小前田ちゃんは頷く。
「それは、やめといたほうがいいよ」そんな言葉が反射的に口から飛び出た。自分で思っていたよりも、かなり大きな声だった。
「なんで?」
「多分、小前田ちゃんが思ってるほど楽しくないから」
私は自分の不老不死という特性を利用して今まで生きてきたが、どれも決して楽しいといえるものではない。生きていくにはお金が必要だし、私のような奴がお金を稼ぐには、それなりに危ないことをしなければならないことも確かだ。
「昨日のことみたいなことも、結構あるよ」
私の言う「昨日のこと」を思い出したのか、小前田ちゃんの瞳がわずかに揺れる。抑え込んで入るが、あの体験は小前田ちゃんの中に傷を残しているはずだ。
「そんなの、大丈夫だよ」
無理やり吐き出すような小前田ちゃんの言葉を聞いて、ため息を吐く。
「無理だよ。私たちは一緒に行けない」
別の自分が、頭を激しくノックしてくるような、そんな感覚があった。その感覚が癪に障る。
「無理じゃないって、大丈夫」
何を根拠にそんなことを言うのか。やけに熱くなった血が、心臓から勢いよく頭に上っていくのがはっきりとわかった。
「そんな、無責任なこと言わないでよ」
ほとんど叫ぶような私の声を聞いてもなお、小前田ちゃんは驚いていないようだった。
ノックはさらに激しくなっていく。
「小前田ちゃんが思っているよりも危ないことも多いし、疲れるし、辛いし、私は死なないからいいけど。小前田ちゃんはどうなるか、わかんないんだよ」
「うん」小前田ちゃんは頷く。
「名前とか、身分とか、家とかも全部新しくするから、今までみたいにお父さんにも、お母さんにも会えなくなるし、不自由なこともいっぱい増えるよ。クレジットカードも作れないし」
「うん」小前田ちゃんは頷く。
「きっと、ここで回れ右して山を一人で降りれば、寮母さんにはめっちゃ怒られるだろうし、多田さんにもめっちゃ笑われるだろうけど、それなりに普通の日常を送れるよ。それが楽しいかわからないけど」
「うん」小前田ちゃんは頷く。
「きっと、普通に学校を卒業したら、将来は仕事とかして、ヘトヘトで毎日帰ってくるんだよ。多分、小前田ちゃんは仕事とか苦手だから、毎日怒られるし、でも小前田ちゃんは美人だから、案外許されるかもしれないけど、それでいいのかなって私は思うよ」
「うん?」小前田ちゃんは首を捻る。
「きっと、私について来たとしたら、学校だって行かなくていいし、寮母さんにも怒られないし、多田さんにも会わなくて済むし、あと、お金は私が結構稼げるし、その気になれば毎日美味しい物も食べれるし、毎日遊んで過ごせるし、両親に連絡取る方法だって考えるし、そもそもお金いっぱいあるからクレジットカードなんて必要ないけど」
「うん」小前田ちゃんは笑う。
「だから、無理だよ」
私は息を切らせながら、そう言い切った。頭を叩く激しいノックはもうなくなっていた。
いつの間にか、空に輝く星はそのほとんどが姿を消しており、地平線に手をかけた太陽の光が空の反面を照らしている。
今私たちはきっと、朝と夜の狭間にいる。
明るい太陽が爛々と照らす世界と、小さな星が煌々と輝く世界、その狭間に。
「やばっ!」
小前田ちゃんは突然ベンチから飛び跳ねるように立ち上がる。
「まあ、色々言いたいことはあるかもしれないけどさ」小前田ちゃんは私の手を取った。
「もうそろそろだよ」
小前田ちゃんに手を引かれるまま、私はベンチから立ち上がり、東の空を望む。
前回は、ここから曇った空が朝日に照らされる様子を眺めた。
灰色の空が、雲の向こうに滲んだ太陽によって赤々と染められていくその光景は神々しいさすら感じられ、私はそれも日の出に負けず劣らず綺麗な景色だと思った。しかし、小前田ちゃんは目的のもの以外には興味がなかったようで、「曇ってるね」と笑うとすぐに踵を返した。
今回は文句のつけようのない晴天だ。
私たちが並んで東の空を望んだ時、ちょうど朝日が差し込んでくるところだった。
明るい太陽が顔を出し、小さく輝いていた星は姿を消す。夜の闇もそれと同時に取り払われていくようだった。しかし、そんなことはどうでも良くなる程、温かい太陽の光は心地よく私たちを包み、後ろに細い影を作った。朝日が空を照らしてできる鮮やかなコントラストは息を飲むほど美しい。
小さな星など、どうでも良くなる程、太陽が照らすこの世界は美しい。
きっと、彼女もそう思ったはずだ。
夢の中で見た、彼女の横顔を思い出す。陽光に照らされたあの顔はまっすぐに朝日のほうを向いていた。
「星だけじゃないのかもね」
そんな彼女の言葉が聞こえてくるような気がした。
しかし、隣に立つ彼女の姿は夢の中で見たものと少しだけ、違っていた。
具体的には、その顔と視線の角度が、微妙に違う。彼女の視線は眼前に差し込む雄大な朝日ではなく、別の何かを追っていた。
朝日よりも高い位置をじっと見つめる彼女の視線を、私も追う。
「ぎりぎり、見えたね」
小前田ちゃんは嬉しそうに声を上げる。
「明けの明星」
太陽が上りつつある朝の空に、とても見づらくはあるが、確かに小さくも力強い星が輝いていた。
「太陽、邪魔だよ」不満げにそう言う彼女を、私は呆けたように見つめる。
「でもやっぱり、綺麗だなぁ」
太陽には目もくれず、小さな星を追っていた小前田ちゃんは私の顔を見て、微笑む。
「別に、泣かなくてもいいんじゃない」
その言葉を聞いて、私の頬に涙が伝っていることに初めて気が付いた。
「ねぇ、昔の夜空は綺麗だった?」
歌うようにそう言う小前田ちゃんに返事はできない。今、口を開けば、漏れ出すのはきっと嗚咽だけだ。
「やっぱり、星は綺麗だね」
ずっと、夜だったらいいのに、小前田ちゃんはそう続けた。
「本当に良いの?」
私が念を押すように尋ねると、小前田ちゃんは「何回聞くの」と笑った。人生を左右する大きな選択とは、もっと慎重に行うべきじゃないかとも思うが、そんな法律があるわけでもない。
「それじゃ、行こうか」
私が立ち上がり、リュックを背負う。小前田ちゃんも、同じように立ち上がった。二人並んで、登って来た時とは反対側に歩き始める。
太陽は輝かしい光を放っているが、その光から私たちを隠すように、木々の葉が影を作る。
「最初はどうするの?」
「ほとぼりが冷めるまで山に篭ろうかとも思ってたけど」
半分脅かすつもりで言ったのだが、小前田ちゃんは一切動揺することもなく「サバイバルじゃん」と笑う。
「やっぱり、山をぬけて、大きい街に行こうか」
新しい身分を手に入れるための手段を考える。二人分となれば費用はかなり嵩むだろうが、当てはいくつかある。
「まあ、私は慣れてるからさ。なんとかなるよ」
小前田ちゃんは頷き「任せた」と私の目を見る。二回目の復活は上手くいくかな、そんな彼女の言葉が宙を舞う。
先程までとは違い、まともに舗装されていない山道は、一層気をつけなければすぐに転げ落ちてしまうだろう。私一人ならばなんてことはないだろうが、今は小前田ちゃんがいるので色々と大変だ。
そうだ、と小前田ちゃんが急に声を出す。何か良いことを思いついたような雰囲気の声色だ。
「せっかく、いろんなところを回るならさ」
小前田ちゃんの足取りは軽い。傾斜のキツい道を滑るように降っていく。
「不老不死の人を探そうよ」
「それなら」私は自分に指を向ける。「ここにいるけど」
「そうじゃなくて、他の四人」小前田ちゃんが笑う。
「私がいつか死んでも、暇しないように他の四人と仲良くなっておこうよ」
その「いつか」を想像しようとするが、うまく思い浮かばない。
そもそも、世界には不老不死の人間が五人いる、というのもインターネットの予測検索に出てくるだけの曖昧な情報だ。
「どうせ暇だろうしね」それでも私は続ける。
「まあ、いいよ」
「よっしゃ、決まりね」
「最初はどこに行こうか」
私の言葉に小前田ちゃんは視線を宙に彷徨わせて、口を開いた。
不老不死でも服ぐらい着るでしょ、小前田ちゃんはそう言って、微笑む。
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