11. リュック、目玉焼き、インタビュー
私がリビングで、リビングといってもそれはダイニングも、寝室も、ゲストルームすら兼業している部屋なのだが、とにかくそこで大きなリュックの口を閉じようとした時だった。
一つだけあるベッドから唸るような声を上げて、小前田ちゃんが身体を起こした。
「あれ、私」
小前田ちゃんはきょろきょろと辺りを見回し、状況の確認に努めているようだった。
「ここ、私の家」そう言いながら、私もベッドに腰掛ける。
「何があったか、覚えてる?」
小前田ちゃんは一瞬視線を上にやると、「……男の人を追いかけて林に入ったところまでは、覚えてるんだけど」そう答えた。
「それから先は覚えてない」
精神的なショックから、身を守るため部分的に記憶を失うことがあるというのは、どこかで聞いたことがあった。
目の前で友達が殺され、さらに蘇ったとなればショックで記憶を無くすことも十分あり得ることだろう。もし私がその立場だったら、きっとそうなる。
しかし、私は小前田ちゃんを指差し、言った。
「嘘つき」
「あー」小前田ちゃんは誤魔化す様に舌を少し出す。「バレた?」
小前田ちゃんが、嘘をついていることはすぐにわかった。
「だって、小前田ちゃん、嘘つく時、いっつも一瞬上見るじゃん」
私が指摘すると小前田ちゃんは「うそ」と驚いたような表情を浮かべた。
「なんで、そんな嘘ついたの」
私がそう言うと、小前田ちゃんは上半身を回し、骨を鳴らす。一通り鳴らし切ると私の目を見つめる。
「だって、どっか行こうとしてるでしょ。私に不老不死だってバレたから」
「まあ、そうだね」私は荷物をまとめた大きなリュックに目をやる。「明日には出ようかなって」
「もし、私が全部忘れてたら、ここに残るんじゃないかと思ったの」
小前田ちゃんは私を見つめる。その真剣な眼差しをまともに受けることも出来ず、私は目を逸らしながら言う。
「でも多分、本当に忘れてたとしても出てったと思うよ」
もし『私』に死があるとしたら、それは誰かに不老不死だと知られた時だ。そうなったら、私は、その『私』を捨て、新たな場所で新たな『私』を形成する。
バレたら、終わり。
今までもずっとそうだったし、きっとこれからもずっとそうだ。
「そっか」私の言葉を聞いて、小前田ちゃんは小さく笑った。
「それで、どうする?」
私は小前田ちゃんの顔を窺う。
「何が?」小前田ちゃんはキョトンとしたまま、なんのことか分かっていないようようだった。
「友達が不老不死だとわかった今、小前田ちゃんはどうするのかなって」
不老不死だと、ほかの人間にバレることは稀にあった。はっきりと思い出せるものはあまり多くないが、とにかくこれが初めてではないことは確かだ。
私が不老不死だと知った人間は、色々な反応を見せた。やはり、その中でも珍しい反応を示した人の方が記憶に残りやすい。
何十年前か、身寄りのない私を匿ってくれていた老婆が、私の告白を聞いて、そのまま気を失った。私としては、それが今までで一番いい反応だった。
さて、小前田ちゃんはどうするのか。
私は半ば試すように、彼女の顔を窺う。
小前田ちゃんは「ああ」と視線を宙に漂わせながら声を発する。それから何かに気がついたように私の目を見た。
「そんなことよりさ」小前田ちゃんが言う。
「そんなことって」
「お腹減ったよ」
小前田ちゃんが子供のように布団をはためかせながら、言った。
ほとんど空になっている冷蔵庫の中を見てやっと、買い物をしなければならないのだということを、思い出した。
明日、部屋を出る身からすれば処理する手間が省けるのは助かったが、それはそれでこういう時に困るのだと、初めて実感した。
唯一、入っていたハムと卵をそのままフライパンに落とす。
油の跳ねる小気味いい音が、狭いキッチンにこだまする。透明だった卵の白身はどんどんその名前の通り、フライパンに接しているところから瞬く間に白く濁っていく。
電子レンジの中ではパックに詰められた白米がゆっくりと回転している。
「こんなに狭いキッチンで料理できるのは、きっと才能だよ」
リビングにつながるドアを開け、突然小前田ちゃんが顔を出した。
「料理って言えるほどではないけど」
フライパンを睨みながら、そう答える。自分が食べるだけなら、多少焦げても問題はないが、人に振る舞うとなれば話は別だ。
小前田ちゃんがドアの隙間から身体をするりと滑り込ませるのが、視界の端に映る。キッチンのある廊下がさらに狭くなったように感じる。
「どうしたの?」そう口にした後で、心臓を摘まれ少し苦しくなったような、そんな後悔を感じた。
突然、死の恐怖に襲われた人間がどんな気分になるか、わからないわけではない。
ずっと先だと思っていた課題の提出期限が急に明日になるような、あるいは、渡ろうと思っていた信号が突然赤に変わるような、きっとそんな気分だ。
そんな気分になれば、愚痴の一つも言いたくなる。
「別にどうってことはないけど」
小前田ちゃんは曖昧な口調で続ける。視線が一瞬上を向いたが、慌てて逸らしたようだった。
「インタビューしようと思って」
「インタビュー?」
「せっかくだし、死なないってどんな感じなのか、興味あるから」
確かに、好奇心の強い小前田ちゃんらしい理由だった。一人で部屋に取り残され、不安になったのだと素直に言えばいいのに、そう思ったが口には出さない。私の失態でもあるからだ。
「結構、同情してくれる人もいるんだよね。私が不老不死だって知ったときに」
覚えていないことも多いが、実際に今までもおそらく三割ぐらいの人が、「大変だったね」とか「辛かったでしょ」とか暖かい言葉をかけてくれたはずだ。私の境遇を想い涙を流す人すら、いた。
「でもさ、もし自分に来世があったとしたら、私は間違いなく、今と同じ不老不死を選ぶよ」
不老不死の来世というのも、馬鹿げた話だが、いつか必ず訪れる死の恐怖に怯えながら日々を過ごすなど、私には耐えられない。
「つまり?」小前田ちゃんは結論を早く話すようにこちらを促す。
「不老不死はすっごく良いよって話」
私が微笑みながらそう答えると、それを聞いた小前田ちゃんは「でも」と口を開いたが、また閉じる。その先に続く言葉を言うべきか、逡巡しているようだった。
それでも再び「でも」と口を開く。言うべきだと判断したらしい。
「みんな先に死んじゃうなんて、寂しいでしょ」
小前田ちゃんの言葉にはその寂しさの一端を自分も背負っているような湿っぽさがあった。その「みんな」の中には小前田ちゃん自身も含まれているということに、彼女は気づいているのだろうか。
「確かに寂しいことも多いけど」
今まで会ってきた人たちのことを考える。もう顔も思い出せない彼らと再会したとしても、きっと愛想笑いを浮かべて話を合わせることしかできない。
「人間には、忘れるっていう便利な機能がついてるんだよ」
確かに、会えなくなった直後は寂しくて、寂しくて、死んじゃいたくなるほどかもしれないが、私の人生は永い。そんな寂しさも擦り傷が治っていくように、あるいは全てのものが摩耗し風化していくのと同じように消えていく。
「だから、大丈夫」
どうせ、忘れるのだから、とは続けなかった。
私の言葉を聞いて、小前田ちゃんは何かを考えているようだった。彼女なりに今の話を咀嚼して、何か教訓めいた結論を導き出そうとしているのかもしれない。
「……変わってるね」
たっぷりと間を置いて、放たれたその言葉に思わず吹き出す。もっと同情的な言葉をくれても良いのではないか。
「それ、小前田ちゃんに言われたくないかも」
「そんなことないよ。私より全然変わってる」
「少なくとも私は、日の出を見るためだけに、友達を山に駆り出したりしないから」
その言葉を聞いて、なぜか小前田ちゃんは首を捻る。
「そんなこと、あったっけ」とまで言い放った。
先週末、夜明け前に家に訪れ、私を山に連れて行ったではないか。
「もう、いいよ」
面倒になった私が両手を上げながら、降参を表明すると小前田ちゃんはガッツポーズをとり、「勝った」と満足そうに笑った。
その姿を見て、もしかしたら、と思う。
もしかしたら、小前田ちゃんを忘れるには、かなり時間がかかるかも。
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