8. 光害、星空、二人目

「なかなか、楽しかったね」

 小前田ちゃんは歩きながら言った。


 街を照らしていた夕日もとうに沈み、空は暗い色に染まっていた。等間隔で並んだ街灯が、私たちの自宅へと向かう道を明るく照らしている。


 暗くなったから送っていく、という先生の申し出を小前田ちゃんは、もしかしたら、帰り道で不老不死が見つかるかもしれない、とすぐに断った。


 その割に、小前田ちゃんは周囲を注意して歩くことも、次の作戦を考えることもなく、ただ空を見上げながら鼻歌を歌っている。


 会話のない道のりは不快ではなかったが、なんとなく暇だったので、私は口を開く。

「そういえば、用事って何だったの?」

「あー」


 学校でのやりとりを思い返す。小前田ちゃんは不老不死に用事があると言っていた。だから探すと。その用事とはいったい何なのか、気になっていた。


「聞きたいことがあったんだよね」空を眺めながら小前田ちゃんが言う。

「聞きたいこと?」


「あのさ、コウガイって知ってる?」

 コウガイ、郊外、口蓋、公害、様々な予測変換が頭に渦巻く。


「あー、光の害って書いて光害。ヒカリガイって言った方が正しいかも」

「なるほど」私はうなずく。


「それで、その光害がどうしたの?」

 小前田ちゃんの言う光害と不老不死がどう結びつくのか、彼女の考えは私には読み取れない。


「なんか最近、特に日本だと光害が世界的に見ても深刻らしいんだよね」


「日本の街ってさ、駅前だといっつも電気がついて明るいでしょ。こんな住宅地だって、ずっと街灯がついてる」

 小前田ちゃんの言う通り、街灯は私たちの歩く道を明るく照らし、不穏な闇を全て払ってくれている。この道を歩いていけば、街灯に照らされた明るい未来に辿り着くのではないかと錯覚しそうになる。


「こんなふうに明るすぎると、消えちゃうんだよね」

「何が?」私は小前田ちゃんの顔を見る。


「星が」

 小前田ちゃんの顔が近くの街灯に照らされる。空を見る彼女の表情から感情は伺えない。


「地上の光が強ければ強いほど、空の小さな光は消えていく。それで最近じゃ、公害の一つに数えられるほどになっちゃった」


「きっと」小前田ちゃんは続ける。

「きっと、昔はこんなじゃなかった。私たちが生まれるずっと、ずっと前なら、どこにいても綺麗な星が見えたはずだよ」


 私も小前田ちゃんのように、空を見上げる。目に写ったのは古本屋で彼女に見せられた写真とは程遠い、離ればなれになった小さな星が互いの存在を確かめ合うように光る寂しい夜空だ。


「私は不老不死の人に会ったら、聞いてみたいの」

「昔の夜空は綺麗だった? って」


 小前田ちゃんは微笑みながら、こちらを見る。街灯に晒されたその顔はやけに寂しそうに見えて、私は思わず目を逸らした。


 夏夜の少し涼しい風が、私たちの間を通り過ぎる。


「星だけあればいいよ」歌うような小前田ちゃんの声がコンクリートに反射して、何度もこだまするように聞こえる。


「ずっと夜でも、困るでしょ。太陽に当たれないし」

 私の指摘に、小前田ちゃんは顔を崩して笑う。


「やっぱり、そうかな」

 



「でも、実はそれだけじゃなくて、もう一個、聞きたいことができたんだよね」

 そう言って小前田ちゃんは伸びをしながら、気持ちよさそうに唸る。彼女の顔には、先程のような寂しさは微塵も残っていない。


「何を聞きたいの?」

 再び尋ねる私に、小前田ちゃんは顔を向ける。


「チンギスハンって、本当に源義経だったの?って」

 笑いながら、そう言う小前田ちゃんを見て、思わず、私の口角も上がる。やはり、小前田ちゃんは変わってるし、彼女といると退屈することはない。


「小前田ちゃんはどっちがいい? 義経が生き残ったか、死んでたか」

「それ、どっちがいい、とかの問題じゃないでしょ」小前田ちゃんはまたケラケラと笑う。


「でも」小前田ちゃんは続ける。

「やっぱり、生きてた方がいいかな。そっちの方が良いよね」先生の口調を真似て、小前田ちゃんが言った。

 



 

 

 夜の住宅街を歩く人は案外、少ない。

 本来は暗いはずの夜道を街灯が明るく照らしていると、見えなかったはずのものが見えてくる。


 あと十分も歩けば、私の家に着くだろうという頃、私たちの歩く歩道の反対側の歩道、そちらから歩いてくる一人の男性が街灯に照らされた。


 無機質な白い光に縁取られた男性の影がやけに目立って見える。私たちが車道越しにその男性とすれ違った時、私たちは口をぽかんと開けながら、互いに目を合わせた。


「二人目だ」


 そう言う小前田ちゃんの目には、好奇心が漲っているのと同時に、その男性が着る『ILOVE不老不死』と書かれたシャツが映っていた。


「やっぱり、私、運良いかも」


 息を潜める小前田ちゃんの言葉を聞きながら、私たちはごく自然に踵を返した。

 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る