7. 佐藤さん、罰ゲーム、義経
「先生、その服は流石にダサいよ」
私の隣に座る小前田ちゃんが言う。
「そうだよ、ダサいよ」
私の右前に座る佐藤さんが横から口を挟む。
「そんなの、僕だってわかってるよ」
私の前に座る先生がため息を吐く。
その様子を佐藤さんが愉快そうに眺めている。
「僕だって、着たくて着てるわけじゃないんだってば」
そして、私はその様子を先生の前に座って、新しいコーヒーを啜りながら眺めている。
なぜ、いつの間にか四人でテーブルを囲む形になっているのか。それは先生の恋人である佐藤さんの力によるところが大きい。
私たちが突然声をかけた時、先生は飛び跳ねるのではないかというほど、驚き、狼狽えた。
「何でここに」と慌てふためく先生とは対照的に、落ち着き払った女性は、「もしかして生徒さん?」と私たちに声をかけてきた。
私たちが同時に「そうです」と答えると、その女性は先生の隣へと席を移動し、私たちに席へ座るよう促した。
「この人の、学校での様子も気になるからさ。色々聞かせてよ」
佐藤と名乗ったその女性は、道ゆく人が十人いれば十人が振り返るほどのスタイルと、美貌を兼ね備えていた。
「この人の彼女なんだよね。一応」そう言って、佐藤さんは微笑む。
「一応ってなんだよ」そう言って、先生は泣きそうな表情を浮かべる。
遠慮のない掛け合いは二人の関係の深さを表しているようで、ずいぶん長い間付き合っているのだろうということは、容易に想像できた。
互いに自己紹介を終えると、佐藤さんは学校での先生の動向よりも、私たちについて興味を持ったようで、部活はやっているか、であるとか、彼氏はいるのか、であるとか色々な質問をぶつけてきた。
その質問のほとんどが「ノー」の一言で答えられるものだったから、私は自分の非活発性を恥じる。
「それで、二人は今日何してたの?」
いくつ目かの質問を、佐藤さんは私たちをじっと見つめながら言う。
その目には見るからに好奇心が滲んでいる。おもちゃを前にした猫のような目だ。
「不老不死を探してたんです」
正直に答える小前田ちゃんの言葉を聞いて、佐藤さんはその猫のような大きな目をパチクリさせる。
「不老不死って、老けなくて死なない、あの?」
「はい」今度は私が答える。
佐藤さんは「ねぇ」と先生の肩を叩くと、項垂れる先生に「この子たち、めっちゃ面白いかも」と耳打ちする。内緒話のつもりだったのかもしれないが、その声はこちらにもばっちり聞こえている。
「もしかして、この人を見張ってたのって、このシャツを着てたから?」
佐藤さんはそう言いながら、先生の着ている『不老不死』Tシャツを引っ張る。
「先生が不老不死なんじゃないかと思って、ついていきました」私はいたって真面目に答える。
「なるほどね」
佐藤さんはけらけらと笑いながら、ビールでも飲むようにコーヒーをごくごくと喉に流し込む。
「でも残念。これはただの罰ゲーム」
「罰ゲーム?」
「そう、最初の学校に赴任した時、仕事でなにか失敗したら、着てくるって約束したの」
いたずらっぽく笑いながら佐藤さんが先生の頬を突つく。
「この人ってほら、真面目なんだけど、おっちょこちょいでしょ? だから、うっかり失敗しないように戒めとして」
「罰ゲームを」私が言う。
「そう、罰ゲームを」佐藤さんが笑う。
私は授業が終わった後、肩を落として教室を去る先生の姿を思い出す。もしかしたら、あの落ち込みようは、自らの失態を恥じるだけでなく、このシャツを着る自分を想像しての憂いだったのかもしれない。
「こんなに可笑しいシャツ見つけるの、大変だったんだから」
「無駄な努力って、きっとこういうことを言うんだよ」先生が恨めしそうな目を佐藤さんに注ぐ。
「そう思うなら、黙ってればよかったのに」
仕事で失敗したことを、と続ける小前田ちゃんの言葉を聞いて、先生は「うーん」と唸りながら頭を掻く。
「何故かバレるんだよなぁ。大抵の隠し事は全部」
「私の愛だよ、愛」
「もしかしたら、GPSでも付いてるのかも」
そう指を指す小前田ちゃんを見て、先生はカバンを急いで漁り始める。
佐藤さんはケラケラ笑いながらその様子を見ていたが、すぐに真顔になり、「そんなところには、無いよ」と言って先生を蒼白させた。その様子を見て、また笑う。
佐藤さんはひとしきり笑うと、目元の涙を拭いながら先生に向かって言った。「それで、君は今回どんな失態を犯したのかな?」
「テスト前の大事な授業を、源義経に費やしましたね」
私の言葉に先生は肩をすぼませる。
「私は面白かったと思うけど。義経、チンギスハン説」
小前田ちゃんが素直な感想を述べると、先生は勢いよく顔を上げ、小前田ちゃんの手を握った。
「やっぱり、そう思うよね!」
小前田ちゃんはなぜか、したり顔で握手に応じている。
「こら、セクハラ」佐藤さんが先生の耳を引っ張る。
「先生って、そんなに源義経が好きなの?」
「それはもう」と先生の代わりに佐藤さんが口を挟む。
「家には義経グッズばっかりで、もしかして私たちは三人で暮らしてるのかって、勘違いしそうになるよ」
「最近はずっとお金貯めて、来るべき義経ツアーに備えてるぐらいだし」
義経ツアー、という不可思議な単語に首を捻ると、佐藤さんが説明を付け加えた。
「お金を貯めて、モンゴルへ旅行に行きたいんだって。チンギスハンは義経だったっていう証拠を探したいらしいよ」
佐藤さんはつまらなさそうにため息を吐く。
「そんなに好きなんだ」小前田ちゃんは半ば感心したように呟く。
「なんで、そんなに好きなの?」
興味本位で聞いた質問に、先生は「うーん」と少しの間頭を捻ると、小さく口を開いた。
「やっぱり、カッコいいから、かな」
「それだけ?」小前田ちゃんが口を挟む「小さい頃義経に助けられて、とかそういう理由ではなく?」
「だから、僕は不老不死じゃないって」先生が困った顔をする。
「でもきっと、あそこまで人に愛された人間も、なかなかいないよ」
そう言う先生の顔つきは女性とデート中の男性というよりも、歴史の教師という方に近かった。
「判官贔屓っていう言葉もあるしね」小前田ちゃんが笑いながら言う。
「そうそう」先生も嬉しそう笑う。
「義経が北に逃げたとか、チンギスハンになったっていう伝説もきっと、人々の愛なんだよ。義経に生きていて欲しいって、みんな思ってたんだ、多分ね」
「先生は本当に義経が生きてたって思ってるの?」思わず、私は聞く。
先生は私の質問を聞いて、微笑んだ。何故そんなに自信を持てないのか、と私が質問した時と同じ顔だ。
「別に、絶対にそうだって信じてるわけじゃないよ。僕が、実際に馬に跨ってモンゴルの平原を駆け回る義経を見たわけじゃないからね」
「ただ」先生は続ける。
「ただ、そうだったら良いじゃないか。みんなに愛された人が実は生きていた、なんてすごく良いだろ?」
先生が授業のようにそう語る様子を、隣に座る佐藤さんは優しい笑顔で見つめている。
そんな二人の姿を見て、ステーキを食べる鹿というのも、案外悪くないのではないか、私はそう思った。
「邪魔しちゃって、すみません。先生、佐藤さん」
小前田ちゃんと私はカフェを出ると、二人に頭を下げた。勘違いで恋人の時間を邪魔するのは、一般的には非常識な行動に分類されるはずだ。
「全然、気にしてないわよ。色々面白い話も聞けたし」佐藤さんが横目に先生を見る。
その視線に気づいた先生は苦笑いを浮かべた。
「僕の方こそ、今日は色々とごめんね」
「いえ、私たちも面白い話を聞けたので」小前田ちゃんは微笑みながら、そう言った。
「それじゃあ、また」
そう互いに言って別れようとした時、ふと「そうだ」という佐藤さんの言葉が、ふわりと宙に浮かんだ。
「二人にとってさ。私って何人目の『佐藤さん』なの?」
「へ?」と私と小前田ちゃんは互いに呆けた声を出した。思ってもみなかった質問に一瞬、頭の回転が止まる。
「いや、私、会った人全員に統計を取っててさ。ほら、佐藤って日本で一番多い苗字でしょ? だから、今まで何人、私以外の佐藤って苗字の人と出会って、私で何人目なのかなって」
「あぁ」何となく佐藤さんの言っていることが理解できた。やはり、彼女は変わっている。
横を見ると小前田ちゃんは視線を宙に漂わせながら、両手を出して指を折っている。
「私は四人目ですね。多分」小前田ちゃんが答えた。
「お、平均点超え」佐藤さんが指を指す。
「私は」私は正直に答える。
「覚えてないですね」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます