6. 先生、喫茶店、臓器売買
二人で古本屋を出る頃には、道ゆく人を焼き焦がさんという勢いで照りつけていた太陽も、色を変え、街を赤く染めていた。
夕日綺麗だね、という小前田ちゃんの呟きが私の耳元を通り過ぎる。
気温は多少下がっている様だったが、それでも少し歩けば軽く汗ばむ程度には暑い。駅前の大通りに面したこの古本屋の前は人通りも多い。しかし、大通りを歩く人々の顔ぶれは変わっており、下校する学生よりも、スーツに身を包み、疲労感に満ちた顔をした社会人の方が多く目についた。
「さて、次はどこに行こうか」
そろそろ、晩御飯を食べてもいいかもしれないけど、そう続けようとした私の言葉を「あ」という小前田ちゃんの呆けた声が遮った。
「あれ」小前田ちゃんはそう続けながら、私の袖を少し引っ張る。もう片方の手でどこかを指差していた。
その方向に目をやると、私も思わず「あ」と声を上げてしまった。
一人の細身で、メガネをかけている男性がスーツを着込んだ人々の波に混じって、急足で歩いている。それだけなら、特段目を引く要素もないのだが、その男性が私たちのクラスで歴史を担当しているのだから、どうしても目を引いてしまう。
「やっぱり、私って結構運良いんだよ」そう言って小前田ちゃんは微笑む。
その男性が『ILOVE不老不死』と大きく書かれたTシャツに身を包んでいるのだから、私たちの興味を引いてしまうのは仕方ない。
一瞬の逡巡ののち、どちらからということもなく、私たちは先生の後をつけ始めた。人々の流れに混じっていても異質なシャツを着た男性はよく目立ち、見失うことはなかった。しかし、早歩きで進んでいく成人男性に女子高生がついて行くのは少々骨が折れるし、目的のものを見つけた高揚感と、慣れない尾行を続ける緊張感に呑まれた私たちは、ただ黙って先生の後を追っていた。
先生が立ち止まったのは、私たちが尾行を始めて、十数分ほど経った頃だった。
大通りから少し外れた路地にある古風な喫茶店に入っていく先生を、私たちは曲がり角から顔を覗かせ、じっと見ていた。互いに息を少し切らせて、目を合わせる。
「まさか、先生が不老不死だったとはね」小前田ちゃんは額の汗を拭う。
「まだ、決まったわけじゃないけど」
そう言いながらも、私の心臓は早鐘を打っている。
「それじゃ、行こうか」
小前田ちゃんは踵を返して、喫茶店とは反対方向に、路地を出ようと歩き始める。
「あれ、喫茶店行かないの」
私はすたすたと歩いていく小前田ちゃんの背中に声を掛ける。まさか、ここで辞めるなんて、あり得ないだろうと。
「ふふふ、初歩的なことだよ。ワトソン君」
芝居がかった口調でそう言う小前田ちゃんがしたり顔で振り返る。先ほど彼女が買った本のラインナップに文庫版の『緋色の研究』があったことを思い出す。
「制服のままだったら、一瞬でバレるでしょ」
小前田ちゃんが私の体を指差す。私が視線を落とすと、少し乱れたセーラー服が目に入る。確かに先生なら生徒の制服姿など、飽きるほど見慣れているだろう。
私が「賢いね」と言うと小前田ちゃんは「ふふん」と鼻を鳴らした。「でも、さっきのセリフは原作だと、言ってないらしいね」と続けると、彼女は「え」と声を上げ、目を丸くした。
私たちは先生の尾行を続けているうちに、いつの間にか最初に訪れた古着屋の周辺に戻って来ていたようだった。小前田ちゃんについて行くとすぐに見慣れた看板が目に入った。
「試着室借りてさ、着替えちゃおうよ」
大きな買い物袋を掲げながら、小前田ちゃんはそう言った。
あの中身を思うと、制服よりもよっぽど悪目立ちするのではないか、と不安になったが、小前田ちゃんは迷わず店の扉を開けて、中に入って行く。私は一瞬、躊躇ったが、すぐに小前田ちゃんの後を追う。
「やっぱり、こうなるよね」
小前田ちゃんが私に選んだ服装は、いわゆるパンク系と呼ばれるもので、全身を黒を基調としてまとめてはいるが、あちこちに血飛沫を想起させる赤色が散りばめられている。必要以上に短いスカートは、真夏だというのに妙な寒気を感じさせた。
「いいじゃん、いいじゃん。ばっちりだよ」
小前田ちゃんも似た様な雰囲気の服を着ながら、手の人差し指と親指で四角を作り、それをカメラに見立てて、こちらへ向ける。「すごい似合ってるって」
「本当かな」
「トラストミー」
カメラを解体して、今度はサムズアップをしてみせる。まあ、あの豹柄シャツが出てこなかっただけ、マシだと言えるかもしれない。
「でもさ、似合ってるとかは関係なく、こんなに派手な服装って目立つんじゃない?」
私の指摘に小前田ちゃんは「あー」と言いながら視線を彷徨わせる。
「いや、こういう時こそ、あえて奇抜な服装にした方がいいって、テレビが言ってた」
自信のみなぎった目をこちらに合わせながら、「だから、大丈夫」と親指をさらに突き出されても、不安は増すだけだ。
「こういう時って、どういう時?」
あえて、聞いてみると小前田ちゃんは首を、「うーん」と唸った後に答えた。
「顔を見られたくない時とか」
喫茶店の中は昭和の匂いを感じさせる様なレトロな空気に満ちていた。オレンジ色の暖かい照明が店内をぼんやりと照らしている。
ここは路地にひっそりとある店にしては広く、左手に並ぶカウンター席の他に、右手にはいくつかのテーブル席がある。先生は一番手前のテーブル席に一人で座っていた。
白髭を蓄えた老年の店主がこちらを見て、一瞬目を見張ったように見えたが、すぐに元の表情に戻り、「お好きな席へどうぞ」と静かに言った。
私たちは何でもない風を装い、先生の座る席と一つテーブルを挟んで、一番奥の席に座った。
先生の座る一番手前の席を横切る時、こちらを横目に見た先生と、目が合いそうになったが、先生はいけないものでも見たかのようにすぐに目を逸らした。
案外、小前田ちゃんの作戦も効果があるのかもしれない。
取り敢えず、アイスコーヒーを互いに注文して、先生の動きを待つ。
「さっきから、ずっと、ちらちら時計見てるね」小前田ちゃんが囁くように言う。
確かに先生はしきりに腕時計を確認したり、店のドアの方を振り返ってみたり、落ち着きがなかった。
「待ち合わせしてるのかも」
「誰とだろう」
考え込むように顎に手を当てていた小前田ちゃんが、突然、何かを閃いたのか、指をパチンと鳴らした。
「臓器売買だよ。きっと」
「ゾウキバイバイ」
聞き馴染みのない言葉をそのまま繰り返す。
「不老不死だからさ。自分の臓器とかを売って、お金を稼いでるんだよ」
「なるほど、賢い」
良いビジネスだね、と続ける小前田ちゃんの言葉を聞きながら、先生の方を見る。まだ待ち合わせの人物は来てないようだった。
「でも、それっぽいものは持ってないよ」
先生は、臓器を入れるような大きなクーラーボックスなどは持っておらず、標準的な肩掛けバッグを一つ持っているだけだ。私の言葉に小前田ちゃんはまた「あー」と声を出しながら視線を宙に彷徨わせる。
「きっと、ここで取り出すんだよ」小前田ちゃんがアイスコーヒーをストローで啜りながら言う。
「臓器を?」
「そう。切腹するみたいに、ザシュッと。とれたて新鮮をお届け、みたいな」
「なるほど」
「義経好きだしね。先生」
小前田ちゃんがそう言ったところで、店のドアがチリンと小気味の良い音を立てながら、開いた。小前田ちゃんと私は息を潜めるようにしながら扉を見つめる。
小前田ちゃんの説では、おそらく黒服の怪しい男が二、三人、白装束と小刀を持ってくるはずだが、そこに立っていたのは、いかにも大人という雰囲気を纏わせた、女性だった。
その女性はデニムパンツに包まれたすらりと長い足をしなやかに運び、店内に入ると、先生の方を一瞥する。
その瞬間、女性は堪えられないという様子で豪快な笑い声をあげた。
「本当に着てきたんだ!」
「どういうこと」
ほぼ同時に口を開き、私と小前田ちゃんは顔を見合わせる。
先生と、そのモデルのような女性は同じテーブルにつき、談笑を続けている。
普段は自信なんて微塵も感じさせない先生が、あんな美女と自然に会話できているのは、鹿がワインを傾けながらステーキを食べているような、アンバランスさを感じさせた。
「うーん」と小前田ちゃんも納得のいく回答を探しているようだったが、やがて痺れを切らしたように「もうさ、直接聞いてみようよ」と言い放った。
小前田ちゃんは残りのアイスコーヒーを勢いよく飲み干す。
「邪魔にならないかな」
もし、これが先生の一世一代の大勝負なのだとしたら、それを邪魔した私たちは一生をかけて先生に恨まれることだろう。
「大丈夫、大丈夫。ちょっと聞くだけだし」
そう言いながら、小前田ちゃんは席を立つ。
「それに」小前田ちゃんは続ける。
「先生の服がダサい時に、ダサいって言ってあげるのは生徒の役目だと思うんだよね」
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