2. 劇場、ラマ、頼朝

 多田さんはクラスの女子の半数ほどを束ねる頭領だ。

 どこの学校にもいる、いわゆるリーダー的な女子だが、特段ルックスが良いわけでも、お金を持っているわけでもない。


 彼女の強大な武器はその話術だ。


 彼女の話し方は尊大な政治家とも、へりくだった営業マンとも違うが、どこか人を惹きつける。彼女の異常ともいえる情報網の広さから繰り広げられる誇張に誇張を重ねたゴシップ的な話には、本場のワイドショーでも太刀打ちできないのではないかと思う。


 実際に他人を慮ることのない彼女の笑い話は、話題にされた少数の人間には反感を買うが、大半の人間を楽しませるには十分だった。


 一人の人間の欠点を晒しあげて笑い物にする彼女の話し方は人間の残酷な部分を見事に表現しているようだと、私は思う。これに関しては小前田ちゃんも同じように感じているようだった。


他人を半ば強制的に舞台に上がらせ、笑い物にする彼女の話し方を小前田ちゃんは「多田さん劇場」と名付け、開演のブザーが鳴るたびに教室から抜け出すのがお決まりになっていた。



 

 私たちを包む泡の外は、未だに多田さんの引き起こす笑いの渦に巻き込まれている。

 そろそろ、休み時間も終わりなのだから授業の準備をするべきではないかとも思うが、一度出来上がった流れを断つのは、難しい。


 耳を澄ませて多田さんの話を聞くと、どうやら、一時間前の授業であった出来事を話しているようだった。舞台に上げられているのは必然的に今回の授業でペアを組んでいた私だ。

 多田さんが私の話題を出すのは珍しいことであったから、その話に興味を惹かれた私は、いつものように席を立つことはせず、じっとその場で耳を傾けていた。


 一時間前の功績を面白おかしく脚色して話す彼女の姿は、仕留めた鹿の角を誇らしげに掲げる狩人というよりも、やはり、有望なコメディアンに近かった。

 



 まず、誤解のないように言っておくが、小前田ちゃんというのは非常に温厚な人物だ。


 世界中の「呑気」という性質が集結し、形を成したのが小前田ちゃんだと言われても、私は信じる。彼女の家系図を辿っていけば、きっとどこかで太平楽なラマの血が混ざっているだろう。

 ふわふわとしていて掴みどころがなく、どこか浮世離れしている可憐な女性。それが一年と数ヶ月の付き合いになる私の小前田ちゃんに対する総評だ。




 だから、彼女が柄にもなく「あのさ!」と大きな声を出しながら、多田さんに詰め寄って行った時には、私も大いに驚いたし、困惑した。

 

「流石に失礼じゃない? そんなふうに言うなんてさ」

 そう続ける小前田ちゃんの声には確固とした意思が宿っているように聞こえる。


「え、なに急に」不快感を滲ませた声を発したのは多田さんだ。


 クラス中が小前田ちゃんに注目する。


 突然舞台に上がってきた乱入者を排除しようとする視線が五割、巨人に挑まんとする蛮勇を蔑む視線が三割、ようやく勇者が現れたと期待する視線が二割ほど、それらが全て小前田ちゃんにチクチクと注がれた。


 私が戸惑いながら小前田ちゃんの顔を覗いたとき、柳眉倒豎という言葉が、頭をよぎった。その言葉は美しい女性が眉を吊り上げて怒る様子を表すものらしいが、今の小前田ちゃんはまさにそれに近い。


「さっきの試合だって、別にあなたが強かったわけじゃない、この娘が自分で跳んだんだよ」


「それに見てよ、こんなに細いのに重いわけないじゃん」

 そう言いながら小前田ちゃんは私のお腹に抱きつき、その細さを必死にアピールする。


「いや、別に冗談だってば。本気にしないでよ」

 矢継ぎ早に喋る小前田ちゃんに、多田さんは幾度となく使い古された言い訳を口にする。苦笑いを浮かべてはいるが、その奥から自分の舞台を邪魔された怒りが滲み出ているようにも感じられた。


「冗談でもなんでもいいけどさ、そんなこと続けてたら、いつか復讐されちゃうよ」

「復讐?」


 その場違いに重い言葉を聞いて多田さんも鼻で笑うように繰り返す。しかし、小前田ちゃんの表情は至って真剣だった。


「油断してると平清盛みたいに、源頼朝に滅ぼされるよって言ってるの!」


 普段怒らない人間の怒鳴り声にはもしかして特別な力があるのではないか、そんな錯覚を起こしそうになる。その内容を理解するよりも先に、周囲の音を全てかき消すような小前田ちゃんの声に衝撃を受けたのか、教室は静まり返っている。

 多田さんすら言葉を失っているようだった。しかし、口論の最中の例えに武将の名を出すのは、きっと武勇というより、限りなく失態に近い。


 呆気に取られていた多田さんが我に帰り、ニヤニヤと不穏な笑みを浮かべながら口を開いた時、教室のドアが突然開いた。


 誰もが視線をそちらに向ける。すると細身でメガネをかけた先生がゆっくりとした足取りで入ってきた。


「もしかして今、頼朝の話してた?」


 緊張感のない声で呼びかける先生の声に誰もが勢いが削がれた様だった。


「なんでもないでーす」


 そう言った多田さんの声に合わせて、休み時間の終わりを告げるチャイムが鳴る。机の上にある時間割に目をやると、六コマ目には歴史の二文字が踊っていた。

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