ノーエイジング・ノーデッド
ホバー
1. 不老不死、女子高生、機種変更
おや、と声が出そうになった。
私がベッドに横になりながら、スマホをいじっている時だった。
有名な検索エンジンには様々なニュースが載っている。我が国は金色のメダルを何個取ったか、週末はどこにどれだけ雨が降るか、逃走中の通り魔はまだ捕まっていないとか。
しかし、私の目を引いたのはそんなことではない。
『不老不死の人間が生物学上の確率では5人いる』
そんな不可思議な文章を見て、思わず息を呑む。
リサイクルショップで買った安っぽい壁掛けの時計を見ると、学校の準備を始めるにはまだ早い時間だ。私はそのまま、スマホをまじまじと見つめる。
『不老不死』と打ち込まれた検索欄の下に表示されたその文章は私の見間違いではないようで、何度目を擦っても変わらず、当たり前の事実を示すように、そこに表示されたままだ。
「面白いなぁ」と思わず声が出てしまうほど、私にとっては面白い出来事だった。
一人暮らしの部屋の中は当然、話し声一つもせず、時計の針が発する規則的な音だけが響いている。一人暮らしの最も不便な点は、不本意な二度寝した時に起こしてくれる人がいないことだと、私は思う。
全身を目覚めさせるように腕を高く掲げ、伸びをする。
新鮮な夏の朝日がカーテンの隙間を通り抜けて、部屋へ差し込んでいた。エアコンの付いていないこの部屋は夏になると、少しの日差しさえ憎く感じるほど、気温を高水準に保つ。
私はカーテンに手を伸ばし、ピシャリと、夏の新鮮な朝日の侵入を防いだ。
遮光カーテンで隔てられた部屋の中は、夜によく似た暗闇に満ちる。
「ねぇ、さっきわざと跳んだでしょ」
五時限目の体育が終わり、ざわめく教室の中、
私は首に伝う汗をタオルで拭っているところだった。彼女のサラッとしたショートカットの髪も少し乱れている。
「あー」
視界いっぱいを占める天井、大きな歓声と少しの笑い声、ニヤニヤとしたあの子の顔。一つ前の授業で見た光景が、脳裏に浮かび上がる。
「私だって、飛びたくなることぐらいあるよ」
「それきっと、字が違う」
指を刺して指摘する彼女はうっすらと笑みを浮かべており、もし、ここが小川のほとりだったならば、小鳥が四、五匹寄ってきただろう。そんな優雅さを湛えていた。
「そのうち、投げたくなる時がくるかもね」
私がそう言うと、小前田ちゃんは吹き出すように笑った。
「その時は思いっきり、やっちゃってよ」
教室は多彩な色の喧騒に塗られている。
お気に入りのアーティストの新譜を楽しむ人がいたり、友人との話に興じる人たちがいたり、ゲームの情報を真剣に交換しあっている人たちもいる。月並みな表現だが、まさに様々な人種を無造作に突っ込んだ統一性のないサラダボウルのようだ。
しかし、そのボウルの中でも、私の周りは透明な空気の泡に包まれている。クラスメイトという大きな括りから私を隔絶するような、人ひとりをすっぽり覆ってしまうほどの大きさの泡だ。
業務連絡を除いて、誰も私に話しかけようともしないし、私から話しかけることもない。
まあ、そういう生活も悪くないだろう、というのが私の感想で、別に私はその泡の存在を特別疎ましく思ったこともなかった。
しかし、小前田ちゃんだけはその泡を容易に通り抜け、私と一緒にいることが非常に多いのだ。何故、彼女がわざわざ私に構うのか、私にはわからなかったが、彼女といて退屈しないのも事実だ。
詰まる所、小前田ちゃんはこの学校で唯一といえる私の友達である。
時計を横目に見ると、まだ六時限目が始まるまでそれなりに余裕があった。
「そういえばさ」
私が思い出したように言うと、小前田ちゃんは意外そうな顔で私を見つめる。
「珍しいね」小前田ちゃんが言う。
「何が?」
「そっちから話題を出すなんて」
「ああ、確かに」小前田ちゃんの言うとおり、私たちのコミュニケーションは大体小前田ちゃんから始まることが多い。いや、ほとんどがそうだ。
「まあ、私だって、話しかけたくなることぐらいあるよ」
「飛びたくなることも、あるくらいだしね」
「そういうものだよ」
私が適当な返事をしながら、スマホを突き出すと小前田ちゃんはじっとそれを見て、一言「何これ」と首を傾げた。
「これ、検索のサジェストに出てくるんだよ。不老不死って入力すると」
「ふーん」
「絶対、わかってないね」
「うん」
「だよね」小前田ちゃんの呆けた顔を見ながら続ける。「スマホ貸して」
言われるままにポケットを漁る小前田ちゃんからスマホを受け取ったところで、ふと違和感を感じた。
「スマホ、変えた?」
その違和感をそのままぶつけると、小前田ちゃんは「お」と感心したような声を上げた。「よく気付いたね」
「変えたっていうか、増えた」
そう言うと、小前田ちゃんはもう片方のポケットから少し古いスマホを取り出した。私が知っている小前田ちゃんのスマホだ。画面の左上に少しヒビが入っている。
「新しい契約にしたから、色々あって一ヶ月だけ二台使えるんだよ」
「ふーん」
「これで、落としても安心だよ。もう片方のGPSで探せるから」
「一ヶ月間だけね」
「そう、一ヶ月間だけ」
何がおかしいのか私にはわからないが、小前田ちゃんは笑いながらそう言うと、新しい方のスマホを私に手渡す。
受け取った私は、世界で最も使われている検索エンジンを開いた。
「見ててね」
そう言い、私は慣れた手つきで『不老不死』と入力し、検索する。すると、画面上には同名の楽曲や、不老不死は実現可能なのか、と論じるサイトなどがずらりと並んだ。
「あっ、この曲知ってる」
声を上げる小前田ちゃんを無視して、私は再び『不老不死』と入力されている検索欄をタップする。
『不老不死 なり方』、『不老不死 実現』というふうに数々のサジェストが並ぶ中、一つの異様な文章があるのを見て、小前田ちゃんはまた首を傾げた。
「あれ、何これ」
『不老不死の人間が生物学上の確率で5人いる』
「不思議だよね、こんな文章が急に出てくるなんて。しかもこれで検索しても」
そう言いながら私はその文章をタップする。
検索結果は先程とたいして変わっていない。不老不死に似た性質を持つクラゲや、ネズミの名前が載っているサイトが増えていたぐらいだ。
「何もヒットしない」
小前田ちゃんは少しの間、思案する様に動きを止め「へぇ」とそっけない返事を返してきた。
「面白いでしょ」
「んー、二十八点」
「これで心躍らないなんて。死んでるね、心が」
「私の心だって、じっとしていたいことぐらいあるよ」
「そういうものかな」
「そういうものだよ」
そう言いながら、あくびをする小前田ちゃんを見ていると、世の中の大抵のことは大した問題でないように感じられる。
「それよりさ、通り魔だよ。通り魔」
小前田ちゃんが急に発した通り魔という言葉に、私は目を瞬かせる。
「あー、まだ捕まってないんだっけ」
私は今朝に見たネットニュースを思い返す。確か、深夜の繁華街でナイフを振り回し、近くにいた人を何人も刺していったらしい。一度は警察が現場からかなり離れた空き家に潜伏した犯人を包囲したものの、その包囲を押し退けて、飛び出し、今も逃走中だとか。
「でもすぐに捕まるでしょ。きっと」
「なんで?」
小前田ちゃんがまた首を捻る。
「だって、近所の車は全部無事だって聞いたし、走って逃げるにしても限界があるよ」
「すごい陸上選手だったら、あるいは」
小前田ちゃんの適当な言葉に「確かにね」と私も適当な相槌を返した。適当な会話を繰り広げながら、次の教科を見るために机の上の時間割に目をやる。
その時、突然クラス内で大きな音が響いた。そのあまりの大きさに、それが他の女子たちの笑い声であることに一瞬気づかなかった。
「びっくりしたわよ。あまりにも重たかったから!」
彼女の言葉に合わせて、再び大きな笑い声が波打つ。先程の授業で見た彼女のニヤニヤと自尊心を滲ませた顔が、また頭に浮かんできた。
「もしかしたらとっても着痩せするタイプなのかもしれないわ!」
「相手が私じゃなかったら、潰されちゃってたかも!」
「また始まった。多田さん劇場」
小前田ちゃんが眉をひそめながらそう言うと、それを打ち消す様に三度目の笑いどころが訪れた。
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