普通とか当たり前って結構人によるからァ!!


 おはようございます。眼鏡を外すとスマホに顔認証して貰えなくなる木元です。私のスマホは私の眼鏡を私の顔の一部と思っているようです。ポンコツ野郎が。んなアホなと思って暫く待ってみるんですけれど、グルってるばかりで一向に進まないんですよ。基本的に眼鏡かけっぱなしで暮らしてますから、困りはしないんですけどね。


 次に書く長編はホラーがいいなと、読んだ事が無かった作家さんのホラー小説を読んだり、ホラー映画を観ていました。やっぱおばけ系がいいかなと、ぼんやりプロットを組み始めています。小説でも映画でもこの頃のホラーは、おばけ系でも人が怖い系でも差別化を図る為、そこから更に別の要素を加えているものが多いのかなと感じました。異世界転生+○○という、カクヨムさんでもよく見かける形ですね。同ジャンルだけどここが違うから、おおまかな流れは分かるけど新鮮に感じるというアレです。私があんまり得意じゃないヤツでもあります。なので長編となると、いつもありったけの伏線とその回収によるハッタリで誤魔化しています。そう、皆さんがどんでん返しウヒョー! とレビューやコメントで言葉をくだすっていますが(※こんな知性の感じられない書き方をされている方は誰一人としていません)、あれは私に言わせれば目くらましです。タコが逃げる時に吐いてる墨です。ヘッヘ! あんなものに毎回騙されてるなんて皆さん本当


 まあそれは嘘なんですけれど、次作の長編ホラーについて考えている内に、一つ思い出した事がありました。小学生から高校卒業までよく遊んでいた友人の家についての話です。


 その家はあるお寺の足元に建っていました。よくお寺とか神社って、長い階段を上った高台の上にあるじゃないですか。友人の家はその階段により稼がれている高さの中に収まるように、まるでお寺の真下にすっぽりと収まるように建ってたんです。端から見れば、お寺の関係者の家かなと感じます。実際に住職さんの荷物が届けられる事が珍しくなかったように、その家とは郵便局の人も勘違いするぐらいお寺の側に住んでいる、そのお寺とは全く無関係の、赤の他人による血筋の家でした。友人も自分の家とそのお寺とは、何ら関係が無いと何度も私に話しています。でも、建っている場所が余りに珍しいですから、私も何度も尋ねてしまったんですけどね。辺りには古い家も住宅地も、団地だってあるのに、何でお前の家だけこんな所にぽつんと建ってるのって。


 友人の答えはいつも、「さあ、知らない」で決まっていました。何せその家とは友人の生家では無く、友人の親の実家なのです。おばあちゃんとおじいちゃんに預けられる形で友人は暮らしており、知らなくても無理はありません。それに、幼い頃から住んでいれば当人にとってはその環境が常識となりますから、いちいち自分の家はいつからそこに建ってるかなんて、考える人の方が少ないですしね。自分でお金払って建てたんだろで終わります。


 単に私が無知なのだろうかと、近所の他のお寺や神社の周りを歩いてみた事があるのですが、この家のような建ち方をしている家と出会った事はありませんでしたし、やっぱり私にとってこの家とは異質に映ります。初めてこの友人の家に遊びに行ったのは小学校の三年生で、インターホンの無い友人の家の玄関ドアをノックしようと家の敷地内に入ると、玄関のすぐ横に立派な台座の上で、こちらと向かい合う形で着物姿のおばあさんの像が立っていたのです。


 ぎょっとして言葉にならない声が漏れました。数秒固まってから、「何これ」と発したのを覚えています。当時小学校三年生の私にとってそのおばあさんの像とはとんでもなく巨大に見え、喜怒哀楽の無い顔で私を見下ろしていました。材質は何なのでしょう。学校の二宮金次郎像は胴でしたっけ? あれは青とも緑とも言える色をしていますが、そのおばあさんの像はチョコレートのような濃い茶色で、備え付けらえていた簡素な木製の屋根の下で、鈍く光沢を放っていました。よく手入れされていると分かる清潔感があって、錆も土っぽさもありません。立ち姿も品があると言うか淑やかで、下ろした両手は身体の前で軽く組み、人物の性格としては威圧的な印象を受けませんでした。台座の高さを抜きにすれば私が高校生になる頃には追い抜いていた、小柄なおばあさんです。もしかしたら、そのおばあさんの実際の背丈に合わせて作られたのかもしれませんね。


 然し、小学校三年生の私には恐怖の対象でした。何者、というか何なのだろうと考えていると、台座とは石碑のようにもなっていて、縦書きで何行もの文章がぎっしりと彫られているのに気付きます。読もうとしますが幼い所為で読めません。中学高校と、進学する度に何度か読もうと試みましたが、崩れた文字で彫られていたのか私が忘れてしまったのか、何が書かれていたのか理解する日は来ませんでした。


 小学校三年生の私は怖くなって、ドアに向かい友人の名を呼ぶと、居間でずっと待ってくれていたらしい友人はすぐに出て来てくれました。家に上がらせて貰って一番に「あの像は何?」と尋ねると、友人はやや飽き飽きした様子で、「あー……。ひいひいひいぐらいのおばあちゃん」と答えました。多分新しい友人を招く度に、この質問をされて来たのでしょう。友人も詳しく知らないのか興味が無いのか、「確か五番目ぐらい前のおばあちゃん」と教えてくれます。……いえ、あの話し方は単に、無関心からの無知による、曖昧な説明だったのでしょう。友人にとってはそのおばあさんの像も、ずっと昔から見慣れている常識の一部なのですから。


「詳しい事は台座に書かれてるらしいけれど、何かそのおばあさんは生きてた頃、大勢の病人を救ったんだって。あの像は救われた人達の子孫がお金を出し合って、助けて貰った感謝の印として建てたんだよ」


「……お医者さんだったって事?」


「いやそれがさあ、何か手を翳したら色んな病気を治せたんだって」


「え?」


「子孫の人が毎月、うちが家の裏に立てた、ちょっとした宿泊スペースに集まってお経を唱えに来るから馬鹿にしたら駄目って言われてるんだけれど、ハンドパワ~って」


 友人は言うと、前に突き出した両手の指をひらひらと揺らします。私は言葉が見つからなくて、ぽかんとしてしまいました。すぐに友人を預かっているおじいちゃんとおばあちゃんが、「よく来たねえ」と、大量のお菓子と共にそれは笑顔で迎えてくれたので、その件についてはここで一旦終わってしまいます。


 中学生になって一度だけ、友人がトイレに行っている隙に、友人のおばあちゃんにあの像について質問しました。教えてくれた内容は友人から聞いたものとほぼ同じで、あのおばあさんとは友人のおばあちゃんから見てもかなり古い人のようですから、詳細を知っているという印象は受けませんでした。まだ中学生だった私が理解出来る内容にする為に、砕いて話してくれたのかもしれません。幾ら親しいとは言え、余り人の家庭について興味本位で尋ねるものじゃないしと、私のあの像の正体についての探求は、ここで終わります。


 でも、子孫の人が毎月集まっているのは事実でした。ある決まった日付になると、当時でも七十歳は迎えてるだろうというお年寄り達がどこからか集まり、友人宅の真後ろに別館として立つ宿泊スペースで、友人宅の居間で遊ばせて貰っている私の耳にも聞こえるぐらい大きなお経を唱えていました。


 その日は子孫の人達の世話で忙しいので、基本的に誰か遊びに来ても家には入れられないと断るのが友人の家での決まりだったそうですが、長い付き合いかつ、男の子である友人の唯一の女の子の友達という事もあり可愛がって貰っていた部分もあって、何度かその日に友人の家で遊ばせて貰った事があります。事情を知らない私からすればどこからかお経が聞こえて来るので不気味で仕方無かったのですが、友人が教えてくれました。なのでその一件以降は私も、その日付は避けて遊びに行くようにしていました。


 初めてその日付の日に「今から遊びに行っていい?」と友人宅に電話をした際、やや会話が妨げられる程大きな声でしたよ。一人一人が大音量で唱えていたという訳では無く、それだけ大勢のお年寄りが集まっていただけなんですけどね。当時で既に七十代ですから、そんな大きな声も出ないでしょうし。異様に大きな木々のざわめきみたいに、注意して聴けば何らかのお経だろうと分かる程度の明瞭さしか無い、やっぱり不気味な声の塊に聞こえて怖かったですけれど。


 とは言いましてもこの友人宅とはこれら以外は全くもって普通の家庭で、変な宗教の勧誘を受けた事も、よく分かんない壺を買わされそうになった事もありません。不思議なご先祖様がいて、その人に感謝している人が現代でも集まりお経を唱えているという、中々体験出来ない思い出でした。少なくとも、あの像のおばあさんの力が偽物であれ本物であれ、確かに感謝している子孫の人々が未だにああして集まられている現場を見ている以上、ただの手品師なんじゃねーのとは思えませんでした。友人の方は胡散臭いと思っていたようですが。いや何でだよ。お前あのおばあさんの血を引いてるんだから一番信用する筈だろ。確かにお前は霊感とか無かったし、高校生になれば私の方こそ心霊現象とでくわすようになったけれど。


 まあそれについては旧エッセイの方でちらほら書いた事がありますので、今回はいいでしょう。怖いと言うより不思議な話でしたが、久々に思い出したので書いてみました。思い出した、と言うか、私も彼の家に通っている内に慣れてしまって、常識の一部として捉えてしまっていた事に気付いての、「その感覚って本当に常識?」と、自身への問いを兼ねてのお話でした。


 やっぱり、変わってますよね? ネットでこのお寺と友人宅の立地について検索かけても、お寺の情報ばかりでヒットしないんです。結局何であんな紛らわしい場所に建っているのか聞きそびれてしまいましたが、ヒットしないという事はやっぱり、お寺と友人の家系は無関係なのでしょう。もし周りで似たようなお話を見聞きした事がありましたら、コメント頂けると幸いです。


 私が高校生になって、大学から現在と時たま出会っている心霊的なアレソレ体験については、一度近々、時系列ごとに纏めてこのエッセイ内で書いてみます。過去に旧エッセイ等でちらっと書いたものと重なる部分も多々ありますので、読むのは気が向いたらでいいですよホント。ああ、あと、この思い出って小説のネタに使えそうですかね? 変わってるって確かに思ってるんですけれど、やっぱりそれ以上に慣れてしまってて、平凡な印象が拭えないんです。だからこの話、今回まで一度も書いた事が無かったんですよ。人に話した事も一度しか無くて。


 それでは今回はこの辺で。



 よい一日を。



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