エピソード10 ”鼻”の少年


「お願いします!」


 西大陸の中央に建国された王都『アラバスタ』。とある路地にて、一人の年端もいかない少年が頭を下げて懇願こんがんする。


「この通りです! 僕の、この鼻を──」


「お、おい、それ以上は……」


 徐々に少年の目に涙が浮かぶ。鼻詰まりを起こし、声が震え、今にも泣きだしそうだ。

 どう接すればいいのか──ヴァンは慌てふためきながら、手のひらを前に出して制止しようと試みる。

 少年にとって、この行為がお断りに見えたのだろう。


 この後の展開が容易に想像できた。


「元に、戻してくださぁぁぁい!!」


 顔を上げて泣き叫ぶ。すると少年の鼻が、それはもう見事に、伸びた・・・


「ぐふッ!」


 まるでレイピアを突くようなレベルの豪速球。勢い余ってヴァンの股間をクリティカル。

 位置がとても悪かった。


(どうしてこうなった……)


 快晴の昼さがり。食事街道で大勢が賑わうなか、やっぱり伸びてしまったと泣きじゃくる少年。その隣で股間を押さえて悶える青年。

 絵面はまさに、地獄絵図──

 僕はこれまでの記憶を掘り返す。




◆◆◆◆◆◆




 時は遡り、一時間前──


 王都に到着した僕らは、真っ先にこの国の名物にありつこうとした。

 旅の疲れもあるが、それよりも腹が減っているらしい。


「わたくしは一度、議事堂に向かいます。一国の皇女として報告は欠かせないので」


「ご一緒いたします」


 さすが騎士。どんな状況でも主人につかえる姿勢を崩さない。

 しかし、ミラが首を振って断った。


「せっかくの王都なのです。わたくしに構わず、今は羽を伸ばして楽しんでください」


「ですが……」


 尚も納得しない様子のヴァンに、カナリアが腕を引っ張った。


「もう、ミラがいいって言ってるんだから!」


 グゥ、と腹の虫が切なく奏でる。他でもない彼女から。

 一拍置いて赤面する姉を見て、ようやく観念した。


「わかりました──では行って参ります」


「はい、そちらも気をつけて」


 こうして一旦ミラと別れ、僕とヴァルヴァレット姉弟は街へ繰り出すのであった。


「名物ってなんだっけ?」


 ノスタルジア国ではまず見られない行き交う人々。流れに身を任せながら二人は肩を並んで歩く。

 相変わらずカナリアに抱えられる僕。街中を見渡していた。

 木造建築の家もあるが、少ない。ほとんどがレンガ造りの家である。これまたレンガで舗装された道も、靴底を小気味よく鳴らしてくれている。


「たしか、飴細工を使った造形菓子じゃなかったか? 魔法によって色んなものが作られているって聞いたぞ」


「飴細工……お菓子っ!?」


 目を輝かせて彼女の足取りが軽くなる。

……甘いものに目がないんだな。


「おい、あまりはしゃぐなって」


「ええ〜、でも甘いのノスタルジア国アッチにはあんまりなかったし」


 じつに何年振りか。姉弟同士の会話が弾む。

 姉より早く家を出ていったヴァン。剣の腕だけでのし上がり、皇女ミラの護衛騎士となった。その過去を考えると、姉との時間は本当に久々だろう。

 冷静さを装っているが、心なしか微笑んでいるように見えた。


「あ、見てみて!」


 人集りに指を差して、上機嫌に跳ねるカナリア。

 店の名は──読めない。だが、綿菓子のようなものを売っているようだ。行列ができているほどの繁盛具合に、彼女の期待も膨らむ。


「ちょっと行ってくる!」


「え──あ、おい!」


 すると、抱えていた鎧兜ぼくをヴァンに押し付けてトコトコと行列へ走ってしまった。

 これでは行列が終えるまで待たないといけない。空腹はなにも、彼女だけじゃない。

 彼が呆れた表情で姉の背中と僕を交互に見つめなおし、やがて──


「……俺たちだけで行くか」


 と溜息まじりに決断したのだった。




 王都内には、大きく五つの地区に分かれているらしい。東西南北と、中央──

 現在、僕たちは”西地区”にいる。西から来たのだから、当然だ。

 この西地区もヒトがごった返しているが、昼時のせいでもあった。食事処が多く建ちならぶ区画だろう。あちこちからイイ匂いがする。


「この店にしてよかった。頼んでから来るまでが早くて助かる」


 そこは路地。大通りより一本外れた道。さりとて行き交うヒトはまだ多い。

 オープン席に案内され、頼んだものが運ばれてきた。

 店主曰く、名物。麺を使用しており、ダシを取ったスープと具材を一緒くたに放り込んだ一品。


「ん、うまいな」


 口いっぱいに頬張り、ヴァンが舌を打つ。僕も同様に腕を生やして小分けされた皿に手をつけた。

 フォークはまだ持てないので、ベンテールを上げてそのまま灯火の中へ。行儀は悪いが仕方ない。


(懐かしい感じがする)


 生前、似たようなものを知っている。おそらく、これは”ラーメン”だ。

 初々しいヴァンの反応を見て、店主が顔を覗かせた。


「騎士様、ウチは初めてかい?」


「ああ、ノスタルジアから来た」


「こりゃまた遠くから。にしても運がいいな。ウチのは英雄様が発案した世界でひとつしかない絶品よ!」


 自信満々に答える店主。

 英雄様といえば、異世界から来たユースだ。もしかしたら何らかの知識が反映された結果なのかもしれない。


「────」


 しかし”英雄様”と耳にした途端、ヴァンの運ぶ手が止まる。

 しばらくして、ちゅるっと口からはみ出た麺を啜って咀嚼。食事を再開した。


『苦手なんだよアイツ……俺のこと絶対キラってるし』


 ユースの別れ際の言葉がよぎる。

 父との溝は、カナリアだけじゃないという証。それはヴァンにも如実に表れていた。

 娘とは何とか関係を修繕できた……と思いたい。だが、彼の場合は難しいだろう。両者が歩み寄って、ようやく溝が埋まる。それが人間関係というものだ。


「……ごちそうさま」


 早々と完食し、手を合わせた。

 本来なら満腹感に浸るところを、彼はこれまた早々と席を立つ。


「アイン、食ったなら行くぞ」


 勘定は払い済。僕を急かす催促さいそくが、早くここから立ち去りたいという意図を浮き彫りにさせる。

 ベンテールを下ろし、いざ行かんとしたところで、それは起きた。


「うぉぉぉああああん!」


 路地の奥から、少年の泣き声が響く。

 泣き声というには雄々しくて仰々しい、キンキンと耳障りだった。周りのヒト達が「またか……」と溜息をついているのが目に入る。


「何があった」


 騎士ゆえの行動。ヴァンが咄嗟に僕を持って声がする方へ駆けてゆく。


「うぐっ……」


 泣き声の正体。年端もいかない少年の顔は、何というか、すごかった。


 容姿について、とやかく言うつもりはない。見た目は所詮、見た目。

 容姿批判は返って自分の首を締める。顔すら──いや、人間ですらない僕にとって言う権利も資格もない。それでも言わざるを得ない。


 彼の"鼻"が、異常に長いのだ。


「お前、それ……」


 これにはヴァンも困惑。

 当然の反応だ。しかし、それこそ傷付いてしまった様子で、少年がぐずり始める。


 よく見てみると、少年の鼻が伸びている気がした。

 いや、伸びている。確実に。さながら如意棒。


「お前のそれ、”呪戯具じゅぎぐ”だな?」


 ヴァンが冷静な目で少年を診断。

 ”呪戯具”とはなんだ。魔法ではないのか。


 あとから聞いた話──”呪戯具”とは、要するに悪戯用品イタズラグッズ。マナを織り交ぜて作られた道具のことらしい。

 王都のようにヒトが多く住まう街では、こうした子供向けの代物も売れるのだそうだ。

 ちなみに、実用性に長けたものは”魔法具”と呼ばれるとのこと。


 少年は嗚咽を漏らしつつも落ち着きをみせ、ポツポツと事情を話し始めた。

 不思議なことに、泣き止むとゆっくり伸びた鼻が縮んでいく。


「そうです……僕が泣き虫だからってからかわれて、僕が泣くと鼻が伸びるようにされて……」


「そうか……」


 珍しくヴァンの顔に逡巡しゅんじゅんの色。

 それもそう。彼とて暇ではない。一刻も早くミラの元に行きたいと思っているに違いなかった。


「どうか、お願いします! 助けてください!」


 ヴァンの渋い態度に気付いた少年が急変。懇願しだす──

 そして冒頭へ舞い戻る。

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