第一部 二章 〜王都アラバスタ〜
エピソード9 皇女ミラと騎士ヴァン
『ノスタルジア国』──僕が初めて目覚めた国であり、カナリアの生まれ郷の名でもある。
そこから東へ向かった先に、この大陸で一番を誇る大都市──『王都アラバスタ国』が
僕たちは現在、王都に向かって揺れる馬車の中にいた。そこでお互いに門出の喜びを分かち合っているところである。
正確には僕とではなく、カナリアともう一人の少女とだが。
「一緒に来てくれるなんて思いもしなかったです。本当によかった、カナ」
「私も一緒にだなんて夢みたいだよ!」
向かい席に座る銀髪の少女──カナリアのことを『カナ』と愛称でよぶ彼女は、以前話に聞いていた”ミラ”だった。
王族に相応しい気品あふれる佇まい。艶のある長い髪をハーフアップ型に
目の形は丸く、瞳は知的で色は銀。まるで宝石のようだ。スラっとした頬と顎。潤んだ唇が淡い朱色を彩らせる。無駄な肉付きがない体型が、大人びた雰囲気と相まって気品さの相乗効果を生み出していた。
胸はまぁ……カナリアの勝ち。
念願の親友との旅路。その喜びはカナリアだけじゃなく、彼女も同等以上のものだったらしい。
国から出る際、正門で待ち合わせていたのだが、
「姉さん、殿下の前だからって、あまりはしゃぎ過ぎるなよ」
「もう、分かってるってば」
ずいっと皇女の隣から小言を挟むのは金髪の少年──彼がカナリアの弟であり、ユースの息子。”ヴァン”。
まるで獅子のように気高い雰囲気。
鎧を着ているがあまりゴツゴツとした印象はない。イケメンと呼ばれる人種が持つであろう整った輪郭と、鎧から覗かせる細い首が印象を操作させていた。頬にあるキズの
言うなれば、ライオンに剣を
さっきから彼を見てると灯火の揺れが治らない。
何かが怯えている。いや、引かれている?
自分の中で感じる違和感。それを自覚している間に、彼の視線が
「──で、姉さんそれは?」
「あ、紹介するの遅れちゃったね」
彼女が
「前に言ってた魔法生物のアイン! 最近やっと目が覚めたんだー」
ニコニコと掲げられ、対面する少年少女がまじまじと見つめてきた。
「カナが前から大事に持っていたのは知ってましたが、これが魔女様の──」
「マナニアって”道具”じゃなかったのか?」
皇女は興味津々な瞳を向けるが、弟の方は眉をひそめた。
魔法生物については、僕自身まだよく理解していない。
じつはこの馬車を運ぶ”ウマ”も魔法生物だ。四本足で歩行する姿は、生前の記憶に薄っすらと合致する。だが
首から先の頭部。本来なら目や耳、口や鼻があるはずなのに、それがない。長く伸びる首が途中でバッサリと切り落とされており、代わりにそこから青白い炎があがっていた。それでも動く。僕たちを乗せて、まるで機械のように運ぶ。
動物にとって重要部分──それが欠け落ちている点は、僕も同じだと言えよう。
しかし──
(”道具”と言われていい気分じゃないよな)
ユースに教わったイメージ。あの夜にやってのけた腕の形成をその場でおこなった。
首袖から黒い腕を伸ばし、弟の額に向けて、
「──ん? あだっ!」
デコピンを喰らわせてやった。
あの日から鍛錬は地道に継続中である。おかげで触手らしきものから二本の指が誕生したのだ。カナリアに初めて目撃された時は大騒ぎだったが……
些細な変化。見た目はマジックアーム。でも無いよりかは断然マシ。
みごと意趣返しに成功し、弟が額を押さえた。
「この、コイツ──」
「ヴァンが余計なこと言うからだよ?」
カナリアが即座にフォロー。『見たか!』と鼻を鳴らしたいところだが、できないので大人しくする。
「今の、ヴァンの言葉に反応したってことですか?」
僕の所業を間近にみて、皇女が目を輝かせた。
腕をうねうねさせて頷く。グッドコミュニケーション。
「父さんが持ってた手紙に書いてあったんだ。魔女様が創った魔法生物には”心”が宿るって」
「”
「えへへ、それほどでも〜」
(でもでも〜)
皇女が手のひらを合わせて賞賛を送り、カナリアが照れる。僕も彼女のように照れる仕草を真似てみた。
正直、何がすごいのかよく分からない。ただ、鎧兜を今まで大事にしてきた彼女の功績に感謝するばかりだ。僕も心の中で賞賛を送る。
「ッ──」
そんな僕たちを一瞥して、弟が腕組みしながら舌を打った。額がまだ赤い。
お世辞でも行儀がいいとは言えない態度を見せつつ、”へ”の字をした口を開かせる。
「お前、余計なことして殿下を危険に晒してみろ。容赦はしないからな」
獅子の目が僕を射抜く。彼にとって、皇女は何よりも大切なのだと暗に述べていた。
カナリアが庇うように抱きしめて抗議する。
「もーヴァン、こわい顔はダメだよ! いくらミラのことが好きだからって──」
「馬鹿姉!」
口を滑らせて、弟の内心を暴露してしまう。
一気に頬を赤らめた彼が姉の口を封じようと躍起になったその時──
ガタン。
と馬車が大きく揺れて止まった。
「……どうしたのでしょう?」
「さぁ?」
首を傾げる女性陣。外から馬を引いていた男が僕たちの方へ駆け寄ってくる。
慌ただしい様子。ただならぬ雰囲気だ。
「すいません、魔物です!」
彼は馬車の扉を開けた途端に告げた。
各々、表情が一変。
カナリアは驚愕の色をわずかに帯びるが冷静。すぐに戦う姿勢へと変えた。
次に皇女。不安に駆られたのか、胸を抱くようにして縮こまってしまう。
そして弟。彼は紅潮した頬を冷めさせ、普段よりも鋭い面立ちになり、馬車の外へ。
彼の顔は、刺々しいユースの面影にどこか似ていた。
「このあいだ攻め込んできた魔物の生き残りかもしれない。殿下、ここでお待ちください」
振り向きもせず、弟は皇女にそう進言し、腰に携えた剣を抜く。
紋章が輝く剣と鞘──騎士として恥じぬ威風堂々とした
「待ってヴァン、私も行く!」
カナリアも僕を抱えたまま馬車を降りる。
馬車に案内人と皇女を残して、僕たちは進路先で待つ魔物と対峙することと相成った。
王都へ続くであろう街道。その道すがらに立ちはだかる敵──魔物。
オオカミの群れのようにワラワラと
生きてる魔物は初めて拝んだが、目は赤く鈍い光を灯らせており、いかにも攻撃的。
「
「待ってよヴァン、一人じゃ危ないって!」
先走る弟の背中を追いかけ、カナリアが忠告。だが、意に介さず群れの方へと突き進んでゆく。
オオカミが、僕たちに気づいた。
ぞろぞろと集まり、グルルルと唸らせる。
真横の草むらに潜む一匹が彼に飛びかかった。死角からの奇襲。口から伸びる牙が唾液で
彼の外見は、首から上が丸裸。狙うのも当然。
「ヴァン!」
後ろから見ていた姉が名を呼んで叫んだ。
このままでは急所を食いちぎられてしまう。しかし──
「────」
彼の剣が地平線真横に直線を引いた。
瞬間、襲いかかった一匹が空中分裂。大量の血を撒いて死骸を晒したのだ。
一瞥することなく、斬り伏せてしまった。
これが、英雄の息子──
そこからはもうメチャクチャ。
大勢潜んでいたオオカミが弟に目掛けて一斉攻撃を仕掛けるが、彼はこれを次々と返り討ち。さながら一騎当千の如く。
彼の周りに血の海ができていた。
「あーもう! 私も勝手に手伝うから!」
後方から眺めていたカナリアも痺れを切らして援護。狙うは、弟に怯えて逃げようとしている魔物だった。
「あんまり大技は使えないけど──」
緑が囲む
だからなのか、彼女が唱えたのは以前とは違う
「黒の理解よ──我は地を這う大蛇。材を燃やして顕現せよ──」
街道の奥。尻込みしているオオカミが退路にしている場所に火の粉が集う。
「『ビナー・フロギストン』!」
そこに炎の壁が生まれた。
通せん坊するかのように地面から燃えたぎる炎のを見て、オオカミの足が止まる。
燃え移らないよう配慮したのか、威力は控えめ。だが所詮はケモノ。突如現れた炎に警戒するのも本能だ。
「ナイスアシスト……!」
逃しはしない。騎士の剣が残さずケモノの命を刈り取っていく。
すぐに静寂が訪れた。
戦闘を終え、「ふぅー」と長い息を吐く弟。血が付着した剣を振るって払い落とし、鞘へ収めた。
「うげぇ、グロ〜……」
辺りの惨状にカナリアは気分を落ち込ませる。
死屍累々。オオカミの亡骸がそこら一帯に散らばっていたのだ。
「さて、殿下が待って──姉さん!」
──ガウッ!
「へ?」
彼が踵を返して来た道を戻ろうとした時、手を伸ばして叫んだ。
まだ一匹、茂みに隠れていたのか。カナリアの背後から
(──しまった!)
僕としていたことがうっかりしていた。彼の剣技に見惚れてしまって気づかなかった。
今から魔法を放つにしても
「『ケテル・ファウスト』!」
刹那、明後日の方向から凛と響く声。
同時に、騎士の体に淡い光が帯びる。すかさず、こちらに向かって突貫を繰り出したのだ。
常人とは思えないほどの加速力。
それは、白の魔法で──
「しゃがめ!」
「きゃ!」
咄嗟に屈んで回避。彼の放つ居合斬りが、飛びかかってきた魔物を一刀両断。
血が噴出する音と混じって肉塊が地面に落ちる。
危機一髪。彼が加速したおかげで助かった。
しかし、まだ油断ならない。
「今のって──」
「カナ〜!」
姉弟が声のする方向をみて、驚く。
皇女様が無防備にもこちらへやってくるではないか。
「私も手伝おうと思いまして。間一髪でしたね!」
腕を振りながら笑顔で駆けよる彼女に、騎士がまたも叫んだ。
今度は、
「殿下! ここはまだ危険です! 早く離れてください!」
次の瞬間、僕たちの背後から二匹の
今度は僕らに目もくれず横切り、一直線に奥の皇女へと全力で駆け走る。
急いで後を追おうと騎士が足に力を入れた。しかし、ズル──と足元の血溜まりで滑ってしまう。
あまりにも、無惨に殺しすぎた結果だった。
「──クッ!」
「ミラ!」
カナリアも悲鳴に近い声をあげる。
魔法を唱えるにも矛先が
皇女も状況が飲み込めず呆然と突っ立っている。自衛戦が不向きなのは明らか。
ならば──
(うぉぉぉ!)
「アインっ!?」
僕は黒い腕を生やして、カナリアの手から跳躍した。
空っぽの頭だからこそ、比較的に遠くへ飛べる。
(白の王冠よ──)
ベンテールをあげて白銀の灯火を晒し、唯一の魔法を唱えた。
これは僕にしかできない。あの時、カナリアを助けた時のように、もう一度!
(『ケテル・ファウスト』!)
先程、皇女と同じ魔法を発動させる。
しかし、効力はまるで正反対。『時を加速させた』のが彼女の魔法なら、僕のは『時を止める』魔法だ。
(範囲内にいればいい──届けぇ!!)
放物線を描いて、走る
そこでケモノ諸共、時間を凍てつかせる。
範囲は球体。僕を中心とした半径数メートルが微動も許さず堰き止める。空間の
一匹は完全に停止。もう一匹は上半身だけ範囲外となってしまい、動かぬ下半身を引っ張ろうと、もがいている。
そして僕自身も空中で停止中。マナが続く限りこのまま付き合ってもらう算段である。
だけど、早くも限界が近い……
「あれは──」
「”ケテル”の魔法……?」
「悠長に眺めるな! 殿下は早く遠くへ! 姉さんは魔法の準備を!」
弟の叱咤と的確な指示によって両者が動く。
皇女は安全圏まで距離を取り、カナリアは手をかざして狙いを定めた。
(もう無理……)
灯火の中のマナが枯渇し、魔法が解除された。
カツン──鎧兜が地面に落ちる音と共に、状況が再開。
二匹の
「『ビナー・エクスプロージョン』!」
派手な音が耳を突くと同時に、熱風が巻き起こる。砂塵が晴れると魔物は丸焦げとなって息を引きとった。
慌ただしい戦闘がようやく終了を迎えた瞬間である。
「殿下、ご無事ですか!」
「アイン、大丈夫!?」
直後、余韻に浸る間もなく騎士が
灯火が弱々しく揺れているが、無事に意識は保てている。疲労感が尋常じゃないが、それでも以前よりマナの量が増えた気がするのだ。
これも、
そんなことを考えていると、カナリアが僕を抱きかかえるように持ち上げた。
「もう、びっくりしたんだから……」
突如、突き離すように手元から跳んだのだ。彼女からしたらペットが急に逃げ出した感覚に近い。のだろうか?
少なくとも、血の気がひく思いをさせてしまったようだ。謝りたいが、今は文字通り手も足も出ない。元々ないのだから致し方ないのだが。
「姉さん、早くここから離れよう」
「──うん」
弟に呼ばれ、カナリアが頷く。
僕たちは心臓が止まるような思いをして、ヘトヘトになりながら馬車へと戻るのだった。
馬車に乗り込んで、再出発。
揺れる馬車の中で、全員しばらく沈黙していた。
最初は勢いよく飛び出して行ったものの、結果は散々。
各々反省すべき点が見つかっただけ、今回の戦闘は有意義なものだと思いたい。
だが、それとこれとは話は別。重々しい空気がひたすら続いていたのだ。
「……ごめんなさい」
先に沈黙を破ったのは皇女だった。
綺麗な眉を下げて、俯く。
「不用意に近づき過ぎました。先の魔物襲撃から、何も学んでいませんでした」
「そんなこと──」
「そんなことありません」
カナリアが慰めようとして、割って入る弟。
彼は、紅桔梗の瞳を静かに閉じて述べた。
「
もっと慎重に動いていれば、不慮の事故も防げたかもしれない。
彼の力は飛び級。しかし、力を誇示するような戦い方をしたが故に、今回は足元を掬われた。
反省すべきなのは己の方だと、彼はそう締め括る。
「ムゥ」
今度は、弟のお気持ち表明を聞いたカナリアが頬を膨らませた。
「二人とも、『ごめんなさい』とか『すまない』とか、謝る前にもっと言わなきゃいけない事あるんじゃない?」
「「?」」
少年少女が首を傾げた。
伝わらない反応に、彼女の頬がもっと膨れ上がる。爆発寸前だ。
「はい!」
二人の前に突き出されたのは
両者とも目をパチクリさせて、ハッと気づく。
「そうですよね……アナタには助けられました。ありがとうございます、”
頷いて、皇女が謝礼を述べた。
そして白く美しい手を差しだして連ねる。
「
初めて、カナリアとは別の人間に名前を呼ばれた。その丁寧な扱いにジワリと心が沁みる。
心のどこかで、僕も”ミラ”のことを他人行儀に見ていた節がある。これから共に王都に行く仲間だというのに、他でもない僕自身が彼女たちとの距離を恐れていた。
味方はきっと、カナリアだけじゃない。
(こちらこそ、よろしく)
僕は腕を生やして、ミラと握手を交わした。
「はいヴァンも!」
「…………」
次に、隣で難しい表情を浮かべる弟にも差しだす姉。
道中で宣言した『容赦はしない』という言葉がブーメランで刺さっているのだろう。言った手前、どう接していいか分からないという顔をしていた。
どことなく、父のユースに似ていると改めて思う。
「──助かった」
不器用に小さく呟くのも、やはり似ていた。
「それだけ?」
だが弟には厳しい姉である。訝しげな視線を向け続けていると、
「あーもう、わかった。わかりましたよ!」
観念して頭をガシガシ掻く。
軽く咳払いしてから、彼は剣ダコでゴツゴツしている手を控えめに差しだした。
「”ヴァン”だ。『ヴァン・リール・ヴァルヴァレット』。”アイン”──だったか? 助かった、ありがとう、感謝する、礼をいう」
途中からヤケになったのか、雑に類語を並べる”ヴァン”。ユースに似ている彼から親近感を覚え、心の中でおかしく笑った。
彼とも握手を交わす。マジックアームの二本指を摘むようにして、短く上下に振る。
「もー、誠意が足りない!」
「勘弁してくれ……」
後ろで文句を言うカナリアに、ヴァンが困った表情を浮かべた。隣でミラがクスクスと笑っている。
中の雰囲気が明るさを取り戻す。旅はまだ、始まったばかりだ。
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