エピソード8 巣立ち

 光が収まり、部屋には静寂が訪れた。

 いつの間にか蝋燭の火も消えており、テーブルに突っ伏して寝息を立てるユースが目に入る。明け方になっているせいか、家の中は薄っすらと明るさを取り戻していた。


(世界を救った英雄、か)


 彼は一人の男であり、父であり、そしてか弱い人間でもあった。どれだけすごい功績を挙げようとも、ヒトは所詮しょせん、ヒトの粋を超えない。

 僕はどうだろう。鎧兜に収まる人間だったもの──この心も、ヒトと同等なものと言えるのだろうか。

 魔女に創られた存在。もしかしたら今まで感じてきた想いでさえも、魔女によって創られたまがい物じゃないだろうか。


 ガチャ──


 疑問に浸っていると、奥の部屋から控えめな音が鳴った。


「……寝てる?」


 扉の隙間からカナリアが顔を覗かせる。

 明け方とはいえ、まだ早朝。日も昇りきっていないうちに起きてきたのだ。


「もう、また散らかして」


 足音を消して近寄り、テーブルの有様をみて文句と溜息。父が飲んだ空き瓶の他にも、僕が飲み干した瓶もある。わかりやすく頬を膨らませ腰に両手を当てて怒る様は、どこかの誰かに似ていた。

 また部屋に戻って布団を運びこみ、寝入る父の肩にそっと添える。


「ん? これ……」


 視界に入ったのだろう。床に落ちていた手紙に気づき、拾い上げる。

 ボロボロの手紙をカナリアは勝手に目を通した。


「────」


 最後の文章を読んで、彼女の目が止まった。そして手紙をそっとテーブルの上へ。

 何が書かれていたのか。おもむろに僕を持ち上げた。


「アイン──」


 彼女と視線が合う。うるんで揺れる瞳。わずかに目の周りが赤く腫れている。


「実はね、父さんの声きこえちゃってたんだ」


 昨晩、ユースが語り明かした過去。

 扉と隔てているとはいえ、やはり筒抜けだったか。防音機能は望めない家である。仕方ない。


「私ね、母さんたちがなんで亡くなったのか、ずっと教えてもらえなかった。『母さんたちは死んだ。お前たちはここにいなさい』って、ずっと言われてた──」


 知り得なかった謎。救ったはずの世界から殺されたという事実を、ユースはずっと隠してきたのだ。

 母の尊厳を守るべく、娘にすら明かさずに、ずっと。


「父さん、母さんたちを失ってああなったんだと思ってた。でも、それだけじゃなかったんだね」


 それが分かって、彼女も泣いていたのだと察した。

 布団の中で静かに、あふれる涙を拭ったのだろう。赤く腫れた目が何よりの証拠。


 カナリアは、瞳を閉じて鎧兜とひたいを合わせた。

 震える声を抑えながら口を開く。


「ありがとう──父さんを、助けてくれて。私も母さんたちの声が聞こえたよ」


 じん、と胸の奥が沁みた。


 僕も、同じだと思っていいのだろうか──こんな姿でも、同じ人間ヒトなのだと。

 彼女の言葉がさっき湧いた疑問に深く沁みわたり、あまく溶かす。僕に目があればきっと泣いていた。


 はたから見た人は『些細ささいな感謝を述べただけだ』と呆れるかもしれない。

 でも、こんな僕でも出来ることがあるんだと気付かされた。

 空っぽの僕の中に、少ないけれど溜まった心の欠片。それが水面のように波を打っているのを感じる。


 この気持ちをもっと大切にしたい。決して紛い物なんかじゃない。


 家の壁──木材を並べて作られた隙間から、朝日が差し込む。日が昇ったのだ。

 薄暗い部屋に一筋の光が手紙だけを照らす。カナリアが読んだ文字を、あたたかく、照らす──




 あれから二日経った。


 カナリアは粛々しゅくしゅくと支度の準備を済ませ、物寂しくなった部屋を振り向きもせず後にする。

 外にはユースが待っていた。


「いいのか?」


「うん。その方が絶対にいいから」


 じつはカナリアの家を誰かに貸す手筈となっている。

 町で壊された数々の家。途方に暮れる人の助けになると思っての決断だった。


「町からちょっと離れてるけどね」


「それでも感謝してたぞ。俺じゃなく娘に言えって伝えたんだが……」


「いいよ。みんな色々忙しいと思うし」


 彼女は首を振って遠慮した。

 現在、国民総動員で町を建てなおし中である。わざわざ面と向かいあう必要はないということだろう。

「ならいいが」と腕を組みながら渋々納得するユース。しかし次に訝しげな視線を向けてきた。


「──荷物はそれだけか?」


「うん。あまり多すぎても重いし。大体のモノ、父さんの家に預けたから」


 肩に下げる少し大きめのカバン。革でできたもので、それなりに膨らんでいる。

 僕はというと、いつも通りの定位置。カナリアの両手に収まっていた。


 彼が組んだ腕を解いて頭を掻く。


「あの肖像画な、お前が寝てた部屋に飾ってあるからな」


「え、でもあの部屋って父さんの寝る場所じゃ──」


「辛かったらいつでも帰って来い」


 自分の家を手放しても帰る場所はある──暗に彼はそう告げたのだ。

 娘の部屋を用意するのも、父の務め。終始、娘と視線を交わさずに話す姿は照れかくしの表れである。

 やはり、すこし不器用だと思う。


「──うん!」


 だがそんな父にも慣れたと言わんばかりに、娘は笑顔で頷いた。

 そろそろ、時間だ。


「あー、最後にな」


 別れの雰囲気になっていき、ユースが惜しむように話題を振る。


息子ヴァンのヤツにも伝えてくれ。『お前もいつでも帰ってきていいんだぞ』って」


「え〜、それ自分でいってよぉ」


「苦手なんだよアイツ……俺のこと絶対キラってるし」


「自業自得! 父さんもちょっとはヴァンのこと気にしてよね」


 娘に叱られ、肩を落とす父。たった数日でかなり丸くなった印象だ。あの刺々しい雰囲気がなりを潜めている。

 もう言い残すことがないのか、顔をあげてカナリアと向き合った。

 寂しびそうに眉をさげるが、どこか清々しい面立ちで、


「──行ってらっしゃい」


 と微笑む。


「行ってきます!」


 カナリアも、めいいっぱいの笑顔をみせてあいさつ。

 目の端に浮かぶ涙の粒が、快晴の日差しで小さく輝くのだった。

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