エピソード7 両親
「魔法生物は大気中のマナを取り込む習性がある。他にも人間同様、食べ物でも補給可能だ」
なるほど。
マナは魔法を使うに必要なエネルギー源。それを理解した。今後は小まめに食事を取ろう。
酒を流し込んでもテーブルにこぼれることはなかった。つまり僕の中へとそそがれている何よりの証。
それにしても酒を飲むのは初めてのこと。だと言うのに、なんだか懐かしい味がした。
ユースから与えられたのは、おそらく赤ワイン。ぶどうの香りが灯火を通して突きぬける感覚は、どうにもクセになる。彼が酒に浸るのも頷けるというものだ。
「さて──」
彼は、ストックしていた新たな酒瓶を二本取り出してテーブルに叩きつける。
「久々の飲み相手だ。付き合え」
半ば強引に飲み比べ対決と
夜もふけ、ユースの酔いがだいぶ回ってきた頃合い。僕はというと、腕を出しては飲み、一息ついては腕が消えを繰り返していた。
すべてマナに変換されているのだろう。気づけば疲れが消えていた。ふしぎと酔いがこない。酒酔いというのがどういう感覚なのかは経験したことがないので例えようもないが。
彼が「ヒック」としゃっくりをしてから口を開いた。
「──で、カナリアのハダカを見たのか?」
ビクッと腕の動きが止まる。
埋もれた話を今さら掘り返してくる彼の問いに、腕をブンブン横に振って答えた。
「あ? 俺の娘に興味ねぇってか?」
『見ました』と素直に答えれば即座に捨てられそうなオーラを纏っていたのに、いざ『見てません』と答えたらそれはそれでプライドが許さないとキレる。
どう答えれば正解なのだ。誰か教えてほしい。
「……はぁ」
一通り文句が言えて満足したのか、ユースは背もたれに体重を預けて
「──俺は、異世界からきた」
唐突な告白。
異世界──ここより違う世界から来たということだろう。
「『魔女が創る
そうだったのか。
マナニアの実態に触れ、僕はどう答えたものか迷った。
この世界とは異なる景色──
だとするなら、彼と僕は同じ世界からやってきた”異世界人”というわけだろうか。僕の場合、生まれ変わってる自覚があるので正確には当てはまらないが。
彼は固まっている僕を眺めて「ハハ」と乾いた笑みを浮かべた。
「
『誰が好き好んで世界など救うか。勝手に呼び出された俺の身にも──』
昼間の言葉がよぎる。そして王宮で王様が話していた”召喚の儀”。
つまりユースは、世界を救うべく呼ばれ、命じられたまま旅をし、見事平和を勝ち取った英雄。そんな彼が心に宿したのは、誰もが羨む自分像だった。
「世界を救ったあと、俺は仲間だった二人と結ばれて、それなりに平穏な日々を送った」
カナリアが話していたことを思い出す。自分には腹違いの弟がいるのだと。
ユースの荒れ具合をみて、もっと複雑な家庭かと想像していた。だが実のところは二人の嫁がいたっていうだけの話。倫理観とか問われても分からないが、彼の声色から察するに文字通り”平穏”だったのだろう。
「ただ──二人は殺された」
眉間にシワを寄せて、結末を告げた。
「笑えるだろ? 俺たちは世界を救ったのに、世界は俺たちを排除した。
心に溜まった
彼はテーブルを叩いて
「復讐も考えた。だが英雄が復讐に心を奪われるのは違うと、他でもない俺が言ってきた」
だから、俺はこの国に残った──彼は一度締めくくった。
理由は他にもある。二人の子供を放って復讐の旅に出れば、今度はカナリアたちが狙われる可能性だってあった。
しかし、根本である”英雄の理想像”が彼の足枷になってしまったのは事実。心に膿が溜まるのも、酒に溺れるのも、それ故だ。
「カナリアも、いつの間にか大きくなったんだな──」
顔を上げて、奥の部屋を遠い目をしながら発した言葉は、どこか寂しい声色。
きっと、親なら誰もが通る道だろう。知らないうちに子は成長する。何もしなくても、勝手に。
「はじめはもっと小さかった。手のひらサイズでな。落としたら割れてしまうコップみたいで、俺は抱くことすら恐れた」
『手のひらサイズ』は誇張しすぎた例えだ。しかし本当にそう映っていたかもしれない。
命の誕生──僕は生前、どのようにして生まれたのだろうか。
おそらく誰も自分の誕生の瞬間を覚えてないだろう。どれだけ小さかったとか、どれだけ可愛かったとか、言われてもわからない。子を産んだ親の特権である。
彼は再び視線を落として、テーブルに置かれている酒瓶を眺めた。酒瓶の左右には僕と蝋燭の灯りで揺れている。
「アイツがあれほど”外”に出たがっていたなんて知らなかった。俺は守ってやってるつもりだったが、それが邪魔になっていたなんてな──」
次第に、彼の顔が悲痛に歪んでゆく。
「俺はどうすればよかったんだ。復讐すればよかったのか? アイツの邪魔になるぐらいなら、とっとと国を出て
彼にとって、それが一番
親子共々、互いに足枷となって引っ張りあう。こんな惨めなことはない。
なによりも、心のケジメをつけられる機会を逃してしまった。その後悔が彼の心を
今見つめている酒瓶のように、あの頃へ戻れたら──
「教えてくれ、フルール……リル……」
懐から髪飾りと指輪を取りだし、握りしめ、泣いた。
二人の遺品だろう。彼の心は、張り詰めた糸が今にも切れそうな状態だった。
世界を救った英雄。その姿は小さく、震えていた。
バチっと脳裏に映像が流れる。
新築の住宅街。そこに住う僕。
いつも夜になると、二人の男女が言い争う。その後、男の方が
これは、生前の──
外気を晒した白銀の灯火が徐々に強く輝き、部屋を丸ごと光に包み込んだ。
彼が手にしている二つの遺品も、共鳴するように淡い光を宿して──
◆
ある日、突然父から呼び出された。
別に暴力を振るうよう人ではなかったが、それまで特に接する機会がなかったため、その時は少し不安に駆られた。
だけど──
「母さんには内緒だぞ。もちろん、他のみんなにもだ」
人差し指を口元に当てて、僕に酒の入ったグラスを渡してきたのだ。
場所はリビングのソファー。父と隣り合って座り、少量のワインを口にする。
ブドウの渋辛い味がした。
「母さんとはいつも喧嘩してるが、お前のことは大切に思っている。裏を返せば、お前のことが大事だから喧嘩してると言うかもしれんが……」
言い残して、あとは無言で晩酌を続ける。
今にして思えば、父との秘密の共有をしたのはこれが初めて。不器用なコミニケーションの取り方だった。
そう、どこまでも不器用な、僕の父さん──
◇
”タケナカ ユウスケ”は異世界召喚された。
召喚主は王都の王族で、そこで初めて”リル”と出会いを果たした。”ユウスケ”という名前が呼びにくい事から”ユース”と改名されたのも、その時だ。
世界は魔王に侵略されつつあり、それを
一人は”フルール”という少女。花を愛でるのが好きな
もう一人は記憶喪失の青年。どこから来たかも分からないアイツを”ベール”と名付け、共に過ごすうちに戦友となった。
それともう一人、魔女と呼ばれる少女。五人は世界を旅して回り、困っている人々をひたすら助けた。
かけがえのない、旅の思い出──
「ユース! なーにウジウジしてんの!」
声をかけられ我に返る。気付けば木々が囲む庭にいた。穏やかな風が吹き、木漏れ日がさす緑いっぱいの、幸せに包まれていた頃の場所──
マナニアが見せている
「どこか気分が悪いのですか?」
「どーせユースのことだから、また泣いちゃってたんじゃないの~?」
「お前、ら……」
目を疑った。
いるはずの無い人物、かつて愛し愛され、そして失ったものが立っている。
片や
たまらず二人を抱き寄せた。
「ちょ、ユース!?」
「ユースさん……?」
「すまない……俺は二人を守れなかった」
本当に守りたいものが、そこにあったはずの幸せが、後悔として押し寄せてくる。
涙を流すあいだ、二人は気恥ずかしそうにしていたが、痺れを切らして金色の髪──”リル”が叫んだ。
「あーもう!
「ごぼっ!」
身を
そうだ、彼女は基本的に気性が荒い──
「ウジウジウジウジウジウジ! アタシがそーゆーの嫌いって知ってるでしょ!」
彼女は両手を腰に当てて続けた。つり上がる目が、痛みに悶える
「泣いてばっかいないで、ちゃんとしなさい! あの子たちもアンタを見て育っていくんだから!」
「私たちの子供たちを、どうか見捨てないで。私たちはいなくなっちゃったけど、それでもユースさんがいたから、あの子たちは今でも少しずつ成長を続けてる」
隣に座って介抱する紫色の髪──”フルール”も優しい声色で語りかけてきた。
「復讐なんて考えないで正解よ。アタシたちは別にそんなの望んでないし。だからもっと胸を張りなさいって」
交互に言葉を投げかけられ、さらに涙があふれてくる。
励ましてくれる嬉しさと、もう帰ってこない悲しさと、自分への憤りと、彼女たちの想いに応えていない悔しさが、同時にあふれた。
「俺はダメなヤツだ。子育てもロクに出来ていない。お前たちを失ってから何もしてあげられてない……父親失格だ。いまさら──」
あの日、異世界に召喚された日から何も変っちゃいない。夢見がちな、
ただのガキが子供に何をしてやれる。
「じゃあさ──」
リルが紡いだ。
「あの子たちを信じてあげなよ。アタシたちが特別何かしてあげなくても、あの子たちは必ず乗り越える」
「どうして……」
そう言い切れるんだ。自分の子供に、何故そこまで信じられる──
疑問だった。要は、何もするなということではないのか。
「どうしてって──」とフルールがクスッとおかしく笑った。
「だって、私たちの子だもの。きっと何でも出来てしまうわ」
言い切って、そこでようやく気づく。
幸せの空間に白い
愛する二人が遠のく。
「待ってくれ! リル! フルール!」
「いつだって見守ってるよ。アタシもフルールも。アンタたちのこと──」
「愛しています、ユースさん」
二人の言葉を最後に、夢の幕が閉じた。
◆◇◆◇◆◇
白い空間のなかで、二人の女性に頭を下げられた。
「──ありがとね。アタシたちの願い、聞き届けてくれて」
「感謝してもしたりません。もう、届かないものだと思っていましたので」
一人は覚えがある。紫色の癖っ毛は、カナリアの部屋に飾られた肖像画とそっくりである。
僕は二人に対して首を横に振った。
「僕は何もしてないです。カナリアのお父さんを助けたのは、他でもないお二人なんですから」
ここに来たのは二度目。そして心を通わせたのは、まさかの故人。
あの遺品が反応して二人を呼び寄せたのだと、今はそれで納得させる。
「”お義父さん”だって」
リルと呼ばれていた女性がニヤついた顔で隣をつついた。
「でもカナリアの彼氏っていう割にはちょっと普通すぎる感じだけどねぇ」
品定めするような目を向けてくるリルに、僕はどう反応すればいいか分からず苦笑い。
そもそも種族がちがうので彼氏彼女とか縁遠い話だと思うのだが。
「カナリアのこと、よろしくお願いします。ああ見えて無茶をする娘なので」
フルールが再度、頭を下げた。
この短期間で
だからこそ守りたいと願うこの気持ちを、何と例えればいいか分からない。分からないが、貫こうと思う。
「──わかりました」
答えると、二人は満足げに頷いて踵を返した。
別れの時間だ。
「キミの両親も、アタシたちと同じことを思ってるから」
「だから安心してください。あなたも、愛されているのだと──」
二人は白い空間を歩んで消えていった。
【フラグメント解放:信頼】
心にまた、一滴の雫がそそがれる。
二人の母親──託された想いを胸に抱いて、夜が明けた。
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