エピソード5 王宮にて

 白い空間が広がるなか、僕の意識は波ように揺蕩たゆっていた。

 寸前までの記憶は、カナリアとその父親が和解したような場面までである。


 つまりここは……ゆめ?


『心と心をつなぐ魂魄こんぱくのカケラ──”フラグメント”』


 夢か現か。女性の声が脳裏に響きわたる。

 この声色は知っている。カナリアと心を通わせるときに聞こえた声だ。


 声は続けて僕に語りかける。


『いろんなヒトを助けてあげて。それがあなたのチカラにもなり、記憶にもなる──』


 ワケもわからないまま一方的に用件を突きつけられ、怒っていいのか困っていいのか。

 それよりも徐々に耳から遠のいてゆく声に、僕は掴むように手を伸ばした。


 待ってくれ、キミは……


幻想ともしびは、すでにあなたの中に──』


 声が去ってゆく。

 しかし去りぎわに一雫ひとしずく、何かをそそいだ。


 それは、カナリアとの日々。思い出。絆。それらを総じて心の欠片フラグメントと呼ぶのだろう。

 からっぽの僕の心に、少ないけれど、たしかに水面が波立ててカサを増やした。




 バチっ──


 またも電流のような感覚が走って目が覚めた。

 頭の灯火が再度点灯し、白銀の火をゆらす。


「おきた!」


 目の前にカナリアの顔がドーンと映っていた。紫紺しこんの前髪が垂れさがり、鎧兜をくすぐる。

 どうやら彼女は膝をたたんで座っているようだ。その膝のうえに僕が置かれていた。

 にっこりと嬉しそうに笑う彼女に、つられて笑みを返す……返す顔がなかった。


「ほう、目覚めたというのは本当だったか」


 カナリアが顔をあげた先には、”王様”がいた。


 トランプの絵柄に出てくるキング。まさに絵に描いたような白髭に、王冠と服装。そして荘厳そうごんな顔立ちでありつつも目元は慈愛に満ちた雰囲気の持ち主。

 彼は立派な玉座に座って、ヒゲを触る仕草をみせた。


 場所も以前の森のなかとは違う。

 どこかの建物の内部。清楚で広々とした空間が広がり、床も鏡のように磨かれ、その上には赤い絨毯が通路の役割として後ろの扉から玉座まで一直線に敷かれていた。

 まるで御伽噺おとぎばなしに出てくる王宮そのもの。やや気になる点を挙げるなら、王様の背中にあるステンドグラスの模様だった。


(セフィロトの樹……?)


 十個。それぞれ違う色をしたタマが線をつなぐ絵。

 色鮮やかであるが、それがなぜ『セフィロトの樹』だと理解したのかはわからない。


 生前の記憶、その端っこに触れたのだろうか──


「もう、火が消えちゃったから死んじゃったと思ったよ」


 カナリアが頬を膨らませて、鎧兜を優しく撫でる。

 怒っている素振りをみせるが、その実、心配をかけたと暗に告げていた。


 話を戻して、一体ここはどこなのか。答えは”城”だ。

 元々、カナリアは”ミラ”という人に僕を見せるのだと言っていた。ならば、あの御仁ごじんはこの国の王──そしてここは王宮のなかというわけである。


「よもや、"彼女"の魔法生物が動きだそうとはな」


 依然として変わらず、王様はヒゲを触っている。クセなのだろう。

「うーむ」とうなる彼の声を聞いて、カナリアは口を開いた。


「この子を狙う”悪魔”に出会いました」


「なんと──」


 ”悪魔”──ここに来て初めて耳にする単語に、僕も驚いた。

 おそらく、襲い掛かってきた鉄の竜のことを指しているのだろうが。


 カナリアは事の詳細を語った。


 父と別れたこと。魔女の家にて鉄の竜と対峙したこと。窮地に陥るも魔法生物から"翼"を与えられ、難を逃れたこと。父が助けてくれたこと──


 そして彼女曰く、僕が気絶したあとで砕けた石の破片がしゃべったそうだ。


『我の名は”アディシェス”──覚えておくぞ、小娘』


 捨て台詞にしてはなかなか。しかし、あの状態でも動く可能性があったってだけで背筋が凍る思いだ。

 やはり生き物じゃない。”悪魔”と呼ぶには打ってつけである。


「たしかに、そう名乗ったのか?」


「はい。父によれば、以前たおした敵の中に”アディシェス”と名乗る悪魔がいたと」


 いつになく真剣な眼差しで答える彼女に、僕は頭を悩ませた。


 前にも存在していた。倒したはずの相手が再登場。つまり、二度あることは三度ある。

 機械の体だから成せるワザなのだろう。まるで不死鳥のように復活するのだと、カナリアの口から予告されていたのだ。


 王様も眉間にシワをよせて黙っている。僕と同じ思考に陥ったのだと見てとれた。


「魔法生物の目覚め、悪魔の登場、そしてお前が語ってくれた"つばさ"とやらも気になるな」


「いつの間にか消えちゃいましたけどね」


 改めて彼女の姿をみる。

 たしかに、背中に生えた黒い翼はなりを潜めており、いつもの軽装姿である。


 彼女に与えた変化。魔法の解禁。そして記憶。

 心の欠片フラグメント──考えなきゃいけないことが山積みだった。





「それよりも──」


 彼女はキョロキョロと辺りを見渡して何かを探した。

 さっきまでの話を『それよりも』と片付ける図太さは、カナリアが持つ魅力であり欠点であった。ことこの場に至っては後者である。王の御前であるぞ。


「ミラ皇女殿下がいないようですが……」


「おお、ミラならヴァンと共に救護へ向かっておる。魔物から守った兵たちの見舞いにな」


 王様は思い出したかのように娘の行き先を答えた。

 鉄の竜が告げたとおり、この国に魔物が押し寄せてきたらしい。襲いかかる厄災から身をていして守ったのは他ならぬ兵たちだ。傷ついた者を手当てするのも、皇女の役目だと王様は言う。


「だから来んぞ?」と付け加えると、カナリアが「え〜?」と落胆。


 いまさら思うのだが、王の前だというのにカナリアの態度がやけに砕けている。

 ミラという娘と親友関係なのは聞いていたが、さすがにこれはどうなのか。単に敬う素振りが苦手なだけだろうか。


「おっと、ミラのことで思い出した。カナリア、お前に教えんといかん」


「?」


 突如、王様が話を切り出した。

 首を傾ける彼女と僕をみて、「オホン」と軽く咳払い。


「この世界全土に渡ってあるウワサが流れておる。『魔王復活の兆しあり』、とな──」


「そんな、どうして!」


 耳にして、カナリアが驚愕した。


 魔王──以前、彼女から聞いていた話によれば、この世界は一度、魔王によって滅びかけた。

 それを彼女の父が旅に出て、討ち取ったことで再び平和が訪れる……はずだった。


 耳を疑うような事実であるが、ウワサはウワサ。確証はない。

 王様は、前のめりで聞き返そうとするカナリアを手で制してなだめた。


「ウワサによって、王都の方でも少々騒ぎになっているようでな。前から”召喚の儀”を行っても誰も現れないそうだ」


「それって……」


「うむ、これでは異世界から・・・・・新たな英雄を呼ぶことができぬ──」


 異世界? 新たな英雄? 召喚?

 僕の預かり知らない単語がポンポンと出てくる。

 どういうわけか、質問することもできないまま話が進んだ。


「そこでワタシはミラを王都へ向かわせることにした」


「────」


 王様が頷いて、娘の今後を打ち明ける。

 場所がどこで、そこで何が起こっているのかは不明だが、要するに皇女が他国へ派遣されるような内容だった。

 これらについて一番ショックを受けたのは他でもないカナリアである。


「ミラも王族。”王政おうせい”で回っているあそこなら、きっと役に立てよう」


 彼女の顔がうつむく。

 赤い絨毯を力なく眺めて押し寄せてくる感情に抗えず、次第にあきらめの表情を浮かべた。


「そう、ですよね……きっとヴァンも一緒で……世界が危ないんですよね? しかた、ないですよね……」


 護衛騎士の弟も同伴となると、この国に残るのはカナリアだけになってしまう。

 正確には僕がそばにいるわけだが、人間の親しいヒトや身内が離れるというのは、やはり寂しいものがある。


 傷心を隠せず顔に出てしまう彼女に、王様は続けて語りかけた。


「そこでだ、カナリア。お前も一緒にミラと王都──『アラバスタ』へ向かってくれんか?」


「…………はい?」


 一拍おいて、彼女が呆然ぼうぜん相槌あいずちを打った。


「お前のもつ魔法生物、敵に狙われているのであれば、共に王都へ向かうべきだ。あそこには”ドーラ”家の才女がおる。そやつについても詳しいだろう」


 王様は僕を指して理由を述べた。

 どうやら、カナリアにとって旅立ちの合図がきたようだ。


「でも、よろしいのでしょうか?」


「どのみち、魔法生物そやつをこの国に置いておけん。敵に知られてしまったからにはな」


 ”アディシェス”と名乗る悪魔──鉄の竜。

 ヤツがあの程度でやられるなら苦労はない。と、王様は溜息まじりに付け加えた。


 願ってもない機会が唐突とうとつおとずれ、カナリアが怖気づく。

 しかし、彼女がここに留まる理由が一つひとつと潰されていき、やがて──


「一緒に行くのなら、ついでに学園に行きなさい」


 王様がニッカリと笑った。


「がく、えん?」


「学舎だ。お前たちのような若者たちが集っておる。もちろん、ミラもヴァンも一緒だ」


 そう聞いて、カナリアの目が輝く。

 この国は彼女と近い年齢の人が極端に少ないのは見て取れた。


 よほど心に響いたのだろう。カナリアが決意した様子で頷き、


「私、行きま──」


「ベール!」


 す。と言いきる前に後ろの扉がバンっと音を立てて開いた。

 驚いて振り返るカナリア。そこには鬼のような形相でズカズカと入り込んでくる男がひとり。


「と、父さん……?」


 彼女の父親だった。

 男は、娘に対して分け目も振らずに玉座まで歩みを進めた。


「酒が待っても来ないから来てみれば、王都に愚息ぐそくたちだけで向かわせるとは、どういう了見だ!」


「相変わらず耳だけはいいな、ユース」


 白髭と黒髭──目の前に二人が並び、互いに睨み合う。

 ”ベール”と呼ばれた方が、おそらく王様。そして”ユース”と呼ばれたのが、カナリアの父。


 最後の難関なんかんが立ちはだかる。保護者の承諾なくしてはこの国から出られない。

 彼女にとっての足枷。それがユースだった。


 彼が先に口を開いた。


愚息ヴァンとお前の娘が行くのは勝手だが、カナリアも連れて行かせる必要はないだろ」


「必要はあるだろうて。カナリアから聞いたぞ。鉄の竜が現れたそうだな?」


「俺が潰しておいた」


「また魔物を率いて攻められたら堪らん。あの子たちを安全な場所へ送りだすのも親の務めだ」


「俺がいれば安全だろ」


 自信満々に言い返すユース。先の戦いで見た通り、かなりの強さを持っているのは理解できる。

 しかし、ベール国王も負けじと言葉を連ねた。


「あんな小規模で勝ったつもりでいるなら鈍っておるぞ、ユース。変にかくまって危険に晒す必要もあるまい。それに、守るべきものも少ない方が戦いやすいだろう?」


 至極、合理的な考えであった。さすが王様だけのことはある。

 僕とカナリアは、静かに彼ら二人のやり取りを眺めていた。それだけ、今の二人のあいだに割り込むのはむずかしいのだ。


「かの英雄、ユース・ヴァルヴァレットよ。共に世界を駆けぬけ、世界を救った戦友として誇りにおもう。しかし、それでもここでは守り切れないものの方が多い。お前が一番よく知っているはずだ」


「────」


 王様がそういうと、カナリアが僕を抱える手にギュッと力を入れた。

 それに合わせて、ユースも苦虫を噛んだ表情を浮かべる。反論ができないようだ。


 しれっと言われたが、ベール国王も世界の英雄の一人の様子。

 だから、娘のカナリアも王様に対してあれだけ砕けた雰囲気を出せたのだと、僕は独りでに納得した。


 しばしの沈黙が流れ、ユースが「はぁ」と溜息をつく。


「お前から戦友と聞かされるとはな」


「いまさら蒸し返すようですまんな。だが、一度は子から離れるべきだ。お前も──そして、ワタシも」


「……今回は聞いてやる」


 渋々と引きさがるユース。

 一番の難関、親の承諾を得たという証である。

 カナリアが目をパチパチさせた。


「えっと、つまり?」


 つまり──


「カナリア・フル・ヴァルヴァレット。貴殿に命ずる。ミラと共に王都まで護衛し、魔法生物の調査をせよ」


 国王直々の命令が下され、みごと彼女は自由のための名目を勝ち取ったのであった。

 自由というには語弊ごへいがあるが、すくなくとも『この国を出たい』という彼女の最初の目的が達成したのだ。


「やった! やったよ、アイン!」


 うれし涙を浮かべて鎧兜を掲げる。

 念願の旅路だ。僕も大いに祝福しよう。


「ベール、酒だ! 酒よこせ! あと制服とかあるんだろうな!? あるならカナリア、ちょっと試着して父さんに見せなさい!」


「お、ユースにしてはいい案だ! ワタシもミラに試着させて拝ませてもらお! おーい誰か、ミラを呼んでくれんかー!」


 喜ぶ僕らのとなりで、親バカ二人の声が王宮内に木霊こだまするのであった。

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