エピソード3 心の声




◇◇◇◇◇◇




 何かないのか。

 カナリアを救う手立てはないのか!


「愚かな人間よ。極力『殺すな』とのめいであったが、我が野望のためだ。やむを得まい──」


 鉄の竜が宣告せんこくし、彼女に死が一歩ずつ近寄ってくる。

 成人男性ほどの大きさを誇る二脚が、倒れ伏すカナリアの前まで足を運ばせた。

 鉤爪を鳴らし、プシューと蒸気を吐き出しながらゆっくりと振り上げてゆく。


「にげ、て……」


 消え入りそうな声で、彼女が転がる僕に手を伸ばした。


 繰り返す。僕に手足などない──


 逃げる手段もなければ戦う力もない。

 僕にできることは、火を揺らすだけ……


(──イヤだッ!)


 カナリアは目覚めたときから一緒にいた。

 正直、なんでこうも手厚く世話をしてくれたのか。もしかしたら魔女様っていう人との、打算的な考えがあったかもしれない。

 それでも記憶がなく手足もなく、『自由』の”じ”の字もないような僕にやさしくしてくれた。それが何よりも嬉しかった。


 助けるんだ──今すぐ!


 心がそう叫ぶ──灯火に、電流が走った。




──もっと、感じとって。


 だれ……?


──思い出して。それが、あなたのチカラになるの。


 時が止まったかのような白昼夢。

 灯火のなかへささやく声に、僕は静かに耳を傾けた。


 心のなかに眠る内なる声。そこに身をゆだねて、手を伸ばし──カナリアの心に、触れた。


 頭の灯火から、白い光が僕らを包み込んだ。




 ◆




 僕は、人間だった。

 こことは違う世界で、普通に暮らしていた。

 人間関係に不満があっても、生活に不自由はない。ただの高校生。


 あの日までは──


 ある女の子がいた。名前は思い出せないけど、気付けばずっと隣にいるだった。

 いつしか彼女は僕の姉のような存在になって、僕も彼女の優しさに惹かれるようになった。


 確か……そう確か、雨が降る日だった。

 僕はあるきっかけで彼女を探していた。きっかけが何だったのかも今は思い出せないけれど……

 彼女を見つけて、追いかけて、捕まえて、何気ない日常に心が少し穏やかさを取り戻したときだ。


 突然、空に穴が開いた。


 雲がまるで吸い込まれるような円を描き、渦巻く雲のなかは夜空よりも暗い色をしていた。

 そして、そこから巨大な”手”が出てきたんだ。悪魔みたいな、おぞましく禍々まがまがしい”手”。

 ただならない光景に、怯えた覚えがある。多分、辺りにいた人たちも同じだったはず。


 それから、”手”から何かが落ちたんだ。

 それから……それから……


 僕も、カナリアみたいに庇って、死んだんだ。




 ◇




 私は、ただ自由に生きたかった。

 空へ飛んでいく一匹の鳥を見て、羨ましいと思ったのはいつの頃だったかな。気付いたら水平線の向こう側を覗きたい気持ちでいっぱいになってた。


 べつに今の生活がイヤってわけじゃない。

 だらしないけど誇れる父さんがいて、頼もしい弟もいて、守りたいって思う親友がいる。

 でも、この土地に縛られている自分がいる。それがすごくツラいと感じるときがあった。


 小さいとき、やけに魔女様の家へ遊びに行ったり、落ち込んだときに魔女様の家で泣いたりしてたのも、そのせい。

 あの崖から見える景色がすごく綺麗だったから──


『なにを見ているの?』


 まだ母さんたちが生きていた頃、崖のところで遠くを見ている私に、魔女様はそう話しかけてきた。

 言葉の意味がわからなくて、大きなハテナマークを浮かべてたっけ。


 でも魔女様は、答えなくても知ってたみたいで、すぐに笑った。


『あの向こう側に行きたいんだね。大丈夫、きっと行ける』


 今にして思えば、なんの根拠もない励ましだったと思う。

 でも、魔女様はそう言って、私に”鎧兜”を渡してきたんだ。

 すっごく重たくて、持ち上げられなかったからすぐに地面においたのを覚えてる。


『これは、いつの日かみんなを幸せにしてくれる、魔法生物マナニア──』


『まな、にあ?』


『そう。きっとキミの力にもなれるから、大事にしてあげて』


『うん!』


 元気よく頷いて、私はうれしくなった。

 この子が私を冒険の旅へ導いてくれる──そんな都合のいい解釈かいしゃくをして、魔女様の言葉を信じた。


『じゃあ、この子に名前をつけなきゃね』


『うーん……』


 私は地面においた鎧兜をペシペシ叩いた。

 空っぽのお鍋と同じ音がする。今みたいに火なんて灯ってない、ただの空っぽの鎧兜──


『──”アイン”!』


『へぇ……どうして?』


『なにもないから!』


 そう聞いて、魔女様は苦笑い。

 両親の会話のなかで、『アインはゼロの意味を持たせる』のだと子供ながらに聞いて知っていた。


『”アイン”を大事にしてね』


 これが、私が鎧兜に執着しゅうちゃくする一番の理由。

 いつしか思い描いていた夢。自由に旅をしたいって気持ち。それが、魔女様の失踪と母さんたちの死によって、私の手足に見えない手錠てじょうが掛かった。


 そのあとは現在いまと同じ。


 父さんはだんだん荒れていって、見限ったヴァンが家を出ていった。

 私もヴァンに着いていこうと思ったけれど、うまくいかなかった。

 焦った私は、それでも変わりたいと願って、家を飛び出して、今の生活に落ち着いた。

 落ち着いてしまった。


 だから、鎧兜に変化が起きたときは期待に胸を膨らませた。

 やっと自由になれる。なにもないこの退屈な国から、父さんから、母さんの死から、逃げられる。


 両手に、まだ見えない手錠が重たくのしかかる。


 私はただ、自由になりたかった──




◆◇◆◇◆◇




 ほかに誰もいない白い空間が広がるなか、一人の少女と向き合っていた。

 ここは灯火の中なのだと直感する。少女は、膝を抱えて泣いていた。


「これって、罰なのかな?」


 少女が呟く。


「私、自分勝手なことばっかり思ってた。それっぽい理由をつけて、正当化させて。これじゃ、あの鉄の竜と同じだよ……」


 世界平和をうたう鉄の竜。その内容は人間をおびやかす、傲慢で酷いものだった。

 彼女は、自分も同類だと自己嫌悪に陥る。


「だから、これは罰──アナタを無理に付き合わせた結果」


 それは違う。

 僕は手を差し伸べた。


「キミが誰よりもやさしい人だってことを、僕は知ってる」


「それは、自分のためで……」


 頑なにうずくまって身を縮ませる。

 僕は言葉を紡いだ。

 今なら伝えられる。この空間でなら。


「そんなことない。僕はキミに助けられてばかりだ。なにも出来ない僕を、ずっと前から守ってくれてた──」


 捨てることも出来たはず。

 期待に応えられないような無力な魔法生物を、父親に言われた通りあの場で捨ててもよかったはずなんだ。

 その選択をしないで、それでも僕を大事に抱えてくれた。


 その恩を、僕はずっと忘れない。


「人なら誰でも思う。自由になりたい。遠くに行きたい。もっと違う景色を見たいって──でもキミは、”逃げなかった”」


 逃げることも出来た。

 音もなく荷物をまとめて、何もかもかなぐり捨てて、どこか遠い国にだって行けたはずだ。


 でも、彼女はそれをしなかった。

 今を壊さないよう、ひたむきに努力を積みかねてきた。立派に堂々と、描く夢に向かって。

 それを否定なんてさせない。


 少女は、そこで初めて顔をあげた。

 黒い瞳を潤ませて、僕と視線が合う。


「どうして──」


 どうしてそんなことを言うのかって?

 決まってる。僕はきっと、このために生まれてきたのだから。


「遅れてごめん……僕は”アイン”。キミを助けにきた」


 今度は、僕がキミを助ける番だ。


「キミの名前を教えてほしい」


「私は、”カナリア”──カナリア・フル・ヴァルヴァレット」


 恐るおそる、少女は差し伸べた手に触れた。


「カナリア、キミの願いを聞かせてくれ」


「私は──」


 触れた手を握りしめ、ゆっくりと引っ張る。

 座り込んだ少女を立ち上がらせ、言ってもいいのかと迷う彼女に僕は頷いた。


「私は、自由になりたい。世界の果てまで遠くまで飛べる、あの鳥のように……!」


「その願い、聞き届けた」


 繋いだ手から淡い光がお互いを包み込んでゆく。白い空間の終わりを告げていた。

 胸の奥に繋がる何か。そこから願いと想いが混ざり合い、白銀の灯火へとべられる。

 今の僕ならなんだって出来る気がする。


 さぁ、反撃開始だ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る