第一部 一章 〜アイン〜

エピソード1 カナリア


 何かないのか──

 何か彼女を救う手立てはないのか!


 目の前で広がる光景に、僕は焦る。

 機械装甲の竜。曰く、”鉄の竜”──

 ヤツの足元に、一人の少女が倒れていた。


 場所は町から西に外れた森のなか。町は魔物に襲われて救助どころではないらしい。

 突如現れた敵を前にして、無力な僕はひたすらに願った。


「にげ、て……」


 今にも気を失いそうになっている少女に、心が叫ぶ。


 助けろ──いますぐ!


 脳裏によぎるのは、同じように誰かを庇って死んだ、かつての記憶。

 かばったはずの相手が、いまの少女と重なる。再び悲痛に叫んだ。


「ラクになるがよい──」


 鉄の竜が鉤爪を振り上げた──




◆◆◆◆◆◆




 バチっと電流が走る感覚と共に、白銀の火が灯った。

 目を開ける動作もなく、ボヤけた視界が鮮明になる。


 そこは暗く、柔らかく、温かい。


「ん……」


 布が擦れる音と共に抱きつかれる感覚が押し寄せてくる。熱い吐息が掛かり、なんだなんだと微睡まどろむ思考にビンタを打つ。

 照らす"頭の灯火"が目の前の光景を映し出した。


 女性の胸──おっぱいだ。


 膨らみを持った白い柔肌の谷間が全面に突き出され、鋼鉄で造られた"鎧兜よろいかぶと"を包む。


 やわらかい

 ゆれる谷間に

 ホトトギス──


 おっと。一句んでしまった。


「んん……っ!」


 つやのある声が、口端から漏れる。

 いくら布団の中だとはいえ、鋼鉄の鎧兜を裸で抱き付けば当然の反応である。冷たいものは冷たい。


「んぁっ!」


 一体なんの夢を見ているというのか……

 他の男性から見れば刺激の強い情景に、何らかの反応を示すはずなのだが、こと"僕"に関してはそう簡単にはいかない。


 本来なら、急な光景に驚くだろう。衝動に任せて押し倒したりもできただろう。

 しかし、僕は"鎧兜"なのだ。

 手足もなければ顔もない。顔も無ければ口もない。体がないのだから男性としての象徴もない。

 悲しい。ただただ、悲しい。

 僕にできることは、興奮を体現するように頭の火を揺らすことぐらいである。


「──おはよ、"アイン"」


 目が覚めたのか、少女──”カナリア”が微睡む瞳を僕に向けながら一方的にあいさつを述べ、微笑んだ。

 小顔で端正たんせい輪郭りんかく。ぷにッとした頬が愛らしい。慈愛に満ちた黒い瞳の奥に、鎧兜の中で灯る火が揺れていた。


「今日はミラにアインを見せる日なんだー」


 鼻歌混じりで寝床ねどこから起きて、彼女は服を着替える。


 兵士と聞いていたが、纏う服装は身軽なもので、鎧部分は肘と手の甲ぐらいであった。

 露出度もまぁ高い。ヘソは丸見えだし、短いスカートと長いブーツの間には絶対領域のフトモモが魅惑的に映る。十代後半の恥じらいはどこへやら。


 フード付きの衣服を羽織って、腰まである紫色を帯びた黒い髪を手くしで整える。

 不釣り合いなほど大きいベルトにポーチを通し、ポーチの中に淡い発光をおびる小瓶を三つほど投入。夜通し研いでいた短剣も腰にたずさえて、支度完了──


「いってきまーす」


 最後に僕を脇に担いで誰もいない部屋に元気よくあいさつ。作業机には、彼女の母親らしき肖像画が飾られていた。

 カナリアの一日の始まりである。




 のどかな道のりを歩きながら、彼女は背伸びをした。

 空は快晴の一言。澄んだ風が心地よく、平和を物語っている。


「おはよーございまーす!」


「おはよう、カナリアちゃん」


 すれ違う人々にあいさつを忘れない。皆、畑をたがやす服装をしていた。

 ここは町と呼ばれているが、どちらかというと農村に近い。

 道は舗装されてなく地肌を剥き出しており、その上を小気味よく歩くカナリア。両手をまえに組んで鎧兜ぼくを運ぶ様は、なんと例えてよいものやら。


「むかしはこんな平和じゃなかったらしいよ?」


 彼女はひとしきりにつまんで紹介した。

 ”アイン”と名付けた僕のためなのだろうが、あいにく僕には返答するすべを持たない。犬なら『ワン』。猫なら『ニャー』と鳴けるのだが。

 しかし、そんな彼女のおかげで断片的だが知ることはできた。


 僕が”魔法生物マナニア”という種族であること。この国が建国して間もない田舎ということ。世界が一度滅びかけたこと。彼女の父がそれを救ったこと。


 そして父の仲間から譲り渡されたのが、この鎧兜ぼくらしい──


 よほど大切なのだろう。目覚めてから記憶もなく、何の反応も示せない僕に構ってくれる理由が、これなのだと察した。


「あっ──」


 小国の中央──場に不釣り合いな城に向かっている道中で、彼女が不意に足を止める。

 目的地へ進むに連れて天井の低い木造建築物が多くなる。その道すがら、一人の男が立っていた。


「よぉ、これからベールのところか?」


 年齢は四十代そこら。厳格げんかくな面立ちに、ボサボサの黒髪と無精髭ぶしょうひげ。それに似合うボロい麻の作務衣さむえ。片手には酒瓶を携えており、事あるごとに一口あおる。

 見た感じからしてのダメ男が、彼女を呼び止めた。


「父さん……」


 カナリアの表情が曇る。

 怯えた眼差しが脇道を見つめて、一向に父と呼ぶ相手に目を向けない。


 以前聞いた話ならば、彼が一度世界を救った英雄なのだろう。しかし、紅潮した頬に酸っぱい息を吐く姿は、英雄と呼ぶに程遠いなりだった。


「うん……ミラのところに」


「じゃあ、ついでにベールに酒を恵んでくれって言っといてくれ」


「そんなにお酒飲んだら、体に悪いよ……」


 髪をガリガリと掻いて要求する父に、カナリアは意を決して進言した。

 控えめな忠告を受けた男が「あ?」と鋭い目を向ける。


「誰がこの世界を救ったんだと思ってる」


 傲慢にも、男はそう述べる。カナリアの肩が跳ね上がった。


「誰が好き好んで世界など救うか。勝手に呼び出された俺の身にも──」


 愚痴を垂らすように続け、そこで視線が僕に降りた。

 明らかに聞こえるぐらいの舌打ちをして、眉を潜めてくる。


「──まだ持ってたのか。”ソレ”」


「こ、これは……」


「いいかげん捨てろ。アイツから渡されたガラクタなんざ、必要ないだろ」


 告げられた命令に、カナリアがキッと男を睨んだ。

 抱きかかえる手に、力が籠る。


「『いいかげん』はどっち? アインは”魔女”様からもらった大切なものなんだから!」


「アイツはどっか消えただろ。リルやフルールが死んだとき、葬式にも来なかったヤツだぞ?」


 そんなもの、目に入るだけで不愉快だ──


 父の主張に、彼女も負けじと声を張り上げた。

 潤んだ目の端に、涙を溜めながら、


「母さんは大切にしなさいって言った! 父さんの──」


 大きく息を吸い込んで、


「馬鹿ぁ!!」


 言い切って、逃げるように走り出してしまった。


「あ、おい──」


 呼び止めようとする父の言葉すら振り払って。




 明後日の方向にひたすら走り続け、カナリアは町はずれの森に来ていた。


「ばか。父さんのばか──」


 父への悪態を呟きながら彼女は森を駆け抜け、ある場所に辿り着く。

 灯火を撫でる潮風──そこは例えるなら”果て”であった。


 森を抜けた先、野原が続くと思われるが、途中で崖となって途切れていた。

 崖下には海が広がり、水平線が視界の端から端まで連なっている美しい場所である。


 そこに、ぽつりと佇む小屋があった。長年、潮風によって朽ちかけている箇所かしょが目立つ、さびしさを漂わせる木造の家。


 カナリアはそこに無断で入り込んだ。


「グスっ……」


 施錠するカギもなければ、ガチャンと閉めるための留め具もない扉。それを押し開け、乱暴に閉める。

 そして明かりもないまま、薄暗い小屋の隅に座り、膝を抱えて涙を拭うのであった。


「ごめん……こんなハズじゃなかったのに……」


 隣に僕を置いて、自然と泣き止むのを待つ。

 小屋の内部は荒れていた。火を炊くところには大釜がすすだらけで放置されていたり、テーブルには本が積み上げられていたり、植物の根や虫の死骸がそこら中に散らばっていた。


「ここに来るの、久しぶりだな……」


 見渡していると、彼女も顔をあげた。


「ここ、魔女様の家なの。むかし、よくミラとヴァンと遊びに来てて──」


 まるで独り言のように、僕に向けて語る。

 ミラはこの国の皇女様で。ヴァンは腹違いの弟で。ここを遊び場にしては、あの父親に叱られながら連れて帰らされたようだ。


「私、ヴァンみたいに剣が得意じゃなくて。皇女ミラを護る騎士になりたかったんだけど、なれなかった……」


 初めて、彼女が自分の思いを吐き出した。

 いつも活発で、憂いのない表情の裏側。きっと、僕にだけさらけ出している。


「父さん、前はあんなんじゃなかったんだ。母さんたちが生きてた頃は、もっとカッコ良かった──」


 あの男との会話でおおよそ理解できた。

 カナリアの母と弟の母──二人はもうこの世にはいない。それをきっかけに父親がああも荒んでしまったという。

 生まれてしまった親子との溝。それが未だに不和となってくすぶり続けている。


 彼女が「でも──」と繋いだ。


「私がちゃんとした人になれたら、父さんも考え直してくれるんじゃないかって思うの。みんなも父さんの陰口ばかり言うけれど、私たちが頑張ればきっと見直してくれる。今は兵士の真似事みたいな感じだけどね……いつかきっと、父さんみたいな冒険の旅をして、母さんみたいな立派な人になりたい」


 志す言葉に、僕は直感した。


(──着飾ってる)


 嘘はないだろう。しかし、色々と理由をこじつけている感じがしてならないのだ。

 これが本性ではないと断言できたのは、ひとえに頭の灯火が告げていたからに過ぎない。


「えっ──」


 カナリアが驚いた表情を僕に向けた。


「いま、なんて……」


 心の声が聞こえてしまったのだろうか。

 彼女が改めて僕を持ち上げ、首を傾げる。確かに聞こえたのに、と言わんばかりの顔だ。


「あーーっ!」


 一拍いっぱくおいて、声を張りあげる。


「今日ミラにアインを見せる予定があるんだった!」


 本来の目的を思い出し、彼女は急いで立ち上がる。

 大事な用を忘れてしまうほど、父のことで思い悩んでいたのだ。


ヴァンに怒られちゃう。急がな──」


 僕を脇に抱えて、扉に手をつく。

 突如、小屋の天井を破壊する衝撃が走った。


「きゃっ!」


 飛来してきた衝撃はすさまじく、カナリアも僕も強制的に外へと吹き飛ばされた。


「──イタタタ」


 しげる草原のおかげで、地面を転がっても大した怪我にはならなかった。

 しかし何が起きたのか。彼女のそばで転がる僕は、視線だけを小屋だったところに向けた。


 木造の小屋が壊され、木々の破片がパラパラと野原に散らばる。

 ちりが巻き上がり、漂うなかで巨大な物体が姿を現した。

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