第7話 一日振りの睡眠(シェーラ視点)

「失礼します」

 私はノックをして書斎の扉を開ける。中に入ると、書斎特有の紙とインクの匂いが鼻腔びこうに広がった。個人的に嫌いではない匂いに、少し深く息を吸いながらもゆっくりと扉を閉め、お父様にお辞儀をした。するとお父様は、目を落としていた紙束から私に視線をずらした。

「シェーラ、大丈夫か?」

 開口一番にその言葉をお父様から聞いた私は、表情には出さなかったが、少しだけ嬉しかった。普段あまり表情を変えず、礼節を重んじている。そんなお父様が挨拶よりも先に心配してくれた。その事がとても嬉しかったのだ。私は、そんな気持ちを表に出さないように気を付けながら、返答する。

「はい。あとになるような怪我はしていません。ご心配をお掛けしました」

 私の言葉にお父様は、私の事を真剣な眼差しで見つめた後、安心したように息を吐きながら、座っていた椅子の背もたれに体を預けた。

「そうか、ならば良い。……それと、あまり思い出したくもないであろうが、他の者は話せる状態では無い者が多くなくてな……すまないが今回の事件、その詳細を聞かせてもらえないだろうか?」

 お父様は、少し言い淀みながらも今回の詳細を聞いて来た。元からその話である事は理解していたので、私は出来る限り細かく、しかしルッシュ様の存在を隠蔽いんぺいした状態で話した。

「ふむ、端の方とはいえ、私の領地の教会敷地内で大規模の誘拐。そして他の領地へ移動か……。必然的に怪しくなるのはその領地を根城にしている犯罪者。あそこの領主は黒い噂を聞く事がある。それにシェーラが聞いた奴隷商の言葉もある。真偽を確かめる為にも、手始めの領主であるアグリー男爵に使者を送る、のが定石、だと思ったのだが……はぁ」

 私にも聞こえるように独り言を話すお父様であったが、最後になって小さく溜め息をいた。私も、アグリー男爵にコンタクトを取るのが最善だと思った。何故なら、私はしっかりアグリー男爵の名前を聞いているからだ。残念ながら私を狙っていた伯爵の名前は会話に出なかったが、アグリー男爵を問い詰めて吐かせるのが得策だろう。そう思うのだが、どうもお父様は気が進まない……と言うよりは、その手段が取れないと言った様子であった。

「アグリー男爵に何か?」

 私はお父様の雰囲気を怪しく思い、探りを入れると、お父様は少し言いにくそうに言葉を紡いだ。

「あぁ、アグリー男爵にはシェーラが男爵領で発見されたと報告があってすぐに使者を送ったのだ。だがその使者からの話では、殺害されていそうだ」

「殺害、ですか」

 私はその言葉に、血の色や臭い、温度を思い出してしまい、胃液が上ってきていたが、どうにか抑え込む。それと同時に、もしかしたらアグリー男爵を殺害したのはルッシュ様なのではないかと思った。

「っと、こんな話、長々とするものではない、やめるとしよう。話してくれて助かった。無事でいてくれてありがとう、シェーラ」

 お父様はそう言って話を切り上げた。

「この事件が落ち着くまで、シェーラは休んでいてくれ。仕事はこちらで引き受ける」

「いえ、お父様も忙しいですから、私の仕事は引き続き私が行います」

「自分は大丈夫と思っていても、見えない所に疲れが溜まっているものだ。シェーラは優秀で公爵の仕事を多くしてもらっているから、疲労でミスが出てしまうのを避けたい。一か月後にはも王家も参加する大規模のパーティがある。そこに参加してもらう為、それまでは英気を養い、万全の状態で参加してもらいたいんだ。分かってくれるね?」

 兄弟は公爵の仕事をしながらパーティの準備をするはずなので、お父様の言った理由は詭弁きべんであったが、疲労はミスに繋がるもの事実。それに、心配してくれているお父様に、これ以上迷惑を掛ける訳にはいかない。

「分かりました。ありがとうございます、お父様」

 私が頷くと、お父様も頷いて答えてくれた。

「これで、私の話は終わりだ。シェーラは、何か話しておきたい事はあるか?」

「はい、クーナが私の専属になる事を了承してくれました」

「おぉ、それは良かった。書類などは作っておく」

 お父様はそう言って数枚の紙を取り出した。すでに準備をしておいてくれたようだ。

「それでは、よろしくお願いします、お父様」

 そう言ってお辞儀をし、私は部屋を後にした。

「シェーラ様、どうでしたか?」

 自室に戻ると、クーナが私にストールを掛けながら質問してくる。従者の異動は当人の了承があればスムーズに、家族間内の異動なら書類も少なく済む。だが、フィディアス伯爵家は代々サウナット公爵家当主に就いて来た。前例がほぼ無い事もあり、少し心配だったのだろう。

「大丈夫よ。書類はお父様が書いてくださるわ」

「そうですか……良かったです」

 クーナは嬉しそうに頬を緩ませる。私の専属になる事を喜んでくれる。その事を心の底から嬉しく思いながら、私は寝室に足を運ぶ。そしてクーナが扉を閉めると、夜の静寂がより濃度を増す。

「クーナ。じゃあ、聞いてくれるかしら」

 私の言葉にクーナは少し心配そうな表情をする。

「シェーラ、今日は色々ありました。もうお休みになった方が……」

「大丈夫よ、そこまで長話にはならないと思うわ。それに、今日聞いてほしいの」

 何故だかは分からない。けれど、眠る前に話さなければいけない気がした。クーナは私の真剣な表情を見て、制止するのをやめ、私をベッドに座らせると、向かいに椅子を持って来て、そこに座った。そして私は、ルッシュ様の事を話し始めた。実は、ジェントお兄様やお父様に話した事が一部正確でなく、ルッシュと言う方が助けて下さった事を。

「ルッシュ、ですか……」

 話し終わると、クーナは顎に手を当て、考えるように目を細めていた。

「クーナ、ルッシュ様の事、知っているの?」

「いえ、ルッシュと言う名前に心当たりはありますが、居ない名前ではありませんので、当人かどうかはわかりません」

「そう……」

 当たり前の事ではあった。ルッシュと言う名前は、それほど珍しい名前と言う訳ではない。サウナット公爵領だけでも数人はいるであろう名前だ。もし探すとしても困難を極める可能性が高い。だが、選択肢を減らすことは出来る。

「ルッシュ様は、髪と瞳が灰色でキリっとした顔立ちでした。それと武芸が秀でていたわ。私では流派などは分からないけれど、剣がとてもお強い方だった。あと、これは私の勘なのだけれど、ルッシュ様は貴族である可能性があるわ。口調は少しぶっきらぼうでしたが、端々に礼儀正しさを感じました。それに、隠されているようでしたが、家名があるようでした」

「灰色の髪と目。名はルッシュ、武芸に秀で、貴族または元貴族の可能性が高い、ですね。分かりました私の信頼できる者に概要を伝え、捜索に当たります」

「ありがとう、お願いするわ」

「それで、ルッシュと言う方を見つけた場合はどうなさいますか?」

 会ってお礼を。と言いたかったが、それではルッシュ様の迷惑になってしまう。

「遠くからで構わないから、もう一度姿を見たいわ。……あと、会う事を了承してもらえるのなら、直接、会いたいわ」

 私がそう言うと、クーナは私の顔を真剣な表情で見た後に、ニヤリと笑った。

「もしかしてシェーラ、そのルッシュと言う方の事を好きになってしまったのですか?」

「えっ!?」

 私はその言葉を聞き体が熱くなるのを感じた。ルッシュ様の声や表情がフラッシュバックした。凄惨な場面だったにもかかわらず、過去の記憶は全て少し色づいて見えた。咄嗟にクーナへ否定しようと思ったが言葉に出なく、口をパクパクと無様に動かす。そんな姿を見たクーナは笑みをより深くし、あたふたしている私の頭を撫でた。

「あのシェーラに春が来ましたか。何か感慨深い気持ちになります」

「もう!からかわないでクーナ!」

 私はそう言ってベッドへ横になった。クーナはそれでも私の頭を撫で続ける。

「捜索に関しては私に任せてください。ですので、今はおやすみになられてください、シェーラ」

「えぇ、任せたわ。おやすみなさい、クーナ」

 いつもは眠るのに時間が掛かってしまう私であったが、お父様の言った通り、疲れが溜まっていたようで、数十秒と立たな内に、深い眠りについた。

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