5 結局言いたいことはこれ

 放課後。

 中間テストが終わってからそれほど経っていない教室の空気は慌ただしい。今まで勉強という重しに押さえつけられていた分の反動がやってきているのだ。


 友人と遊びに行く者、部活に向かう者、そそくさと家に帰り趣味に没頭する者……高校生というものは、案外忙しいものだ。

 あたしは数名の友人から、カラオケやファストフード店などに誘われたが、全て断ってしまった。その様子を見て何かを察したのか、部活もあるだろうにながめは皆が教室からいなくなるまで待ってくれていた。


「言い逃げはしなかったのね、ながめ」

「まったく心外だなぁ。私がそんな薄情なやつに見えるぅ?」

「見える」


 あたしはキッパリと言ってやった。ちょっと気持ちいい。……本人はまるで堪えていないようではあったけれど。


「つい最近の『影人間』のときもそうだったじゃん」

「その件はぁ、もう電話で教えてあげたじゃない。私としては、特別報酬を貰ってもいいくらいの大サービスだったのになぁ」


 ながめはいつもの表情のまま、あたしの前の席に後ろ向きに座った。「奥之院和佳」にとってセーフな怪談とアウトな怪談の線引きをするなら「影人間」は明らかにアウト側だ。とりあえず、の仮説を通話越しにながめから説明されたとはいえ、あれから毎日(といっても二日しか経ってないが)、あのトンネルを通るたびに怖い思いをする。

 ぜひともながめには、もう少し気に病んで頂きたい。


「それでどうしたのぉ? デートのお誘い?」

「仮にあたしが男でも、アンタ誘うくらいだったらお地蔵さんを連れてくわ。その方が心の安らぎを得られるし」


「じゃあデート先は海岸線か、遊歩道だねぇ。長い距離歩いた方が腕を鍛えられるでしょ」

「いちいち話を膨らますな。……『四百十九人目』のことなんだけど」


 そう前置くと、ながめは大げさに目を丸くしてみせた。……あたしが興味を持つように仕向けたのは自分のくせに。


「奥之院が九重のために苦手を克服するとはねぇ、泣けちゃうなぁ」


 影人間の件から救急車がやって来たことまで含めて、全てが然人とながめの共謀ではないか、と思えるほどに軽い台詞だった。

 だが、ながめの茶化しに反応していてはいつまでも本題に入れない。あえて無視して話を進める。


「もう一度涼子に話を聞いて、あたしが思い当たった『いないはずの枝高生』の正体についてなんだけど。……変なこと言ってないか聞いてくれる?」


 ながめは驚いた表情のまま頷く。まるでこういう表情をのっぺらぼうに貼り付けてるみたいだった。

 普段のニヤニヤとした顔もそうだが、実はながめの体のどこかにはスイッチが付いていて、それで三種類くらいの表情を使い分けているんじゃないだろうかと錯覚することがある。


「『いないはずの枝高生』について分かってるのは、夕方、枝高のそばに現れるってこと、出現して少しすると消えること、一年女子の制服を着ていること、ただし一年女子に該当する人物が恐らくいない、ということ」


「私が聞いた話も、そういう感じだったかなぁ」


「で、一昨日の朝――然人が怪談や噂話がないか、なんて妙なことを言い出した朝ね――あたし、朝練前の然人が枝高の制服を着た女と一緒にいるところを見てんの」


「朝から逢引とはねぇ。これは九重が突き落とされたのも痴情のもつれかもしれないねぇ」


 茶々を入れてくるながめが頭に来て、あたしは少し黙った。

 すると、先に続く面白いであろう話が聞けないことに気付いたのか、ながめが先を促してくる。


「それで、どんな子だったの」


「……わかんない。フード被ってて顔は見えなかったし。体型は細身で、身長はあたしよりも低かった。……ただ、その次の日に然人が突き落とされたことを踏まえれば、あの子が『四百十九人目』の可能性は、十分に高いんじゃないかなって思う。その子についてアイツに聞こうとしたら誤魔化されたし」


「そりゃあ確かに、怪しいねぇ」


 あたしは田んぼ脇の光景を思い出す。上に黒い長袖のパーカーを着ていたが、下は確かに枝高の制服だった。

 ここまで大事になるんだったら、あのとき面倒がらずに問い詰めておけば何かが変わったかもしれない……と思い当たって、ちょっとした後悔心が芽生えた。


「で、もし、然人がその子に突き落とされたのだとすると、理由が二パターン考えられると思う。まずは然人が独自に、その子が『いないはずの枝高生』として皆を怖がらせて回っていることに気付いて、口封じ、あるいは強迫のために突き落とされたってパターン。もう一つは、然人とその子が協力して、イタズラで『いないはずの枝高生』を作り上げていて、何らかの仲違いから然人が恨みを買ったパターン」


「もし、奥之院が目撃した子が本当に『いないはずの枝高生』なら、その推測は正しいかもしれないねぇ。その子がなぜ『いないはずの枝高生』なんていう噂を作り上げようとしたかは置いておくとしてさ。……ただ、奥之院。その場合どうして、九重は怪談を話題に上げておきながら『いないはずの枝高生』には興味が無さそうだったんだろう?」


 あたしは返答に詰まる。

 言われてみればそうだった。確かに、追い詰める側だったとしても、協力者だったとしても、怪談や噂に興味を持ったフリをしつつ『いないはずの枝高生』について触れない意味は無い。掘り下げたいなら食いついてこないのはおかしいし、触れたくないならそもそも話題にしなければいい。


「……そうなると、これはやっぱり、あたしの思い過ごし?」

「諦めが早いなぁ、奥之院は。もうちょっと推理に自信を持ってくれると、こっちとしても張り合いがあるのになぁ」

「別にアンタと討論したかったわけじゃない」


 やっぱり誰かと遊びに行けば良かった、などと後悔をしながら立ち上がると、ながめはこちらを向いて、いつものニヤニヤ顔に戻っていた。


「私の話も聞いてよぉ。まずは、はい、これ」


 ながめはあたしに、折り畳まれた一枚の紙を手渡した。


「何これ」

 ながめが答えてくれないので開いてみると、然人の中間試験の結果がまとめられた成績表だった。


「……何これ、酷い」

 つい、もう一度違うニュアンスで「何これ」などと言ってしまうほどに、その点数は悲惨だった。


 八教科ほとんどが平均点よりも下、平均すれば五十点くらい。

 仮にあたしがこの結果を持ち帰ったら、どれほど長い時間ネチネチとしたお説教を食らうかわからない、下手したら勉強のために監禁を食らうかもしれない、そんな点数だ。


「で、この酷いテスト結果が何」

「これは九重の胸ポケットから落ちただけでぇ、会ったら返しておいてっていうだけだよぉ」

「は?」


「私よりも奥之院の方が、九重に会う機会多いでしょ? ……本題はここからなんだぁ。奥之院のお陰で、引っ掛かっていたことに理由が付いたんだぁ」

「……それって、何のこと」


「私、どうして九重から『四百十九人目がやった』なんて伝えられたのかわからなかったのだけれどぉ、さっきの話を聞いてようやくひとつの仮説が立てられたんだよぉ。私に伝えておけば、奥之院にもきっと伝わるって思ったんじゃないか、ってねぇ」


「あたしに伝わるかどうかがそんなに大事?」

「それは、他でもない奥之院に、四百十九人目と九重が一緒にいるところを見られたからじゃない?」


 どうしてか、途轍もなく嫌な予感がしながら、あたしは聞き返した。


「つまり、それって」

「奥之院に託したんじゃないかなぁ、九重は。唯一『四百十九人目』を目撃した、奥之院にさ」


「……バッカじゃない」


 あたしはながめから目を逸らして、帰宅しようと歩き出した。

 ながめのこの推測は、飛躍しすぎだ。どうせ然人がそこまで考えているはずがない。「先生には言えないが、友達には言っておくべきか……そういえば、ながめは噂も知ってるしな」くらいの考えしかしなかっただろう。期待させておいて落とすのが、あいつのいつもの――。


 そのとき。


 あたしの目が、教室の後ろ扉の引戸の隙間に何かを捉えた。


「誰?」


 問いかけると、それはスッと消えた。あたしは咄嗟に走り出す。


 引戸を音が鳴るほど勢い良く開け、暗い廊下に出て左右を見る。すると――右手の階段の方。たった一瞬だけ、それは目に映った。


 見間違いでなければ、それは……階段に向かって消えていく、女子生徒のスカートだった。

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