4 深呼吸をすれば大丈夫

 怪談話は好きではない。

 ……そして、意外に思われるかもしれないが、別に嫌いというわけでもない。


 好きでも嫌いでもない、というには語弊がある。

 怖い話自体は嫌いだ。縁のない、抱かなくてもよかった恐怖心を植え付けられるなど、不快極まりない。だが同時に、ちょっとだけそんな恐怖を覗いてみたいという気持ちもある。

 いくら怖がっても実害がないのであれば、その恐怖心……身体が凍りつき、鳥肌が立つようなあの感触を、エンターテイメントとして捉えることができるから。


 そういう意味で「四百十九人目の枝高生」は、丁度良い距離感の話だった。つい先ほど、ながめの爆弾発言を聞くまでは。


 正体不明な、あやふやな、得体の知れない生徒が然人に危害を加えた。あいつがそういう類の嘘を吐くはずが無い。かといって、不確かで曖昧な存在がいるなど信じたくもない。

 一見相反する内容だが、あたしにはこの二つを繋ぎ合わせる一つの仮説があった。


 この手のことに首を突っ込むのは意に反している。

 しかし、思い当たってしまったからには体を動かさずにいられなかった。……心のどこかで、まんまと然人やながめの手のひらの上で踊らされているのかもしれないという気がする。


 あたしは貸し出していた古文の教科書の返却を迫るため、A組の涼子りょうこを尋ねた。しかし、本当の目的は異なっていた。

 あたしは、彼女から「四百十九人目」の噂を聞いたのだ。


 A組を訪れた本当の目的は言うまでもなく、その話をもう一度聞くためだった。


「ノン、こういうのに興味無いと思ってたんだけどな」


 涼子は意外そうにして、唇に指を当てる。


「あたしが興味持っちゃいけないみたいな言い草ね」

「いや、むしろ大歓迎! 私は好きだからね、こういう話っ。また別の話があったら、ノンにしに行ってもいいってことだよね、つまりは」

「それは嫌」


 彼女の机の上にあった古文の教科書をひったくり、きっぱりと言う。……そう言ったところで、今後が保障されるわけではないけれど。


「はは、じょーだんじょーだん。減るもんじゃないし、ノンが怖がるの面白いから何度でもしてあげる。ええと、何を話せばいいのかな」

「いいから、分かってること全部話せ」


 こんな事態になるとは思っていなくて、前回聞いたときは半分聞き流していたのだ。概要くらいは覚えていたが、あたしの思い描く仮説を裏付けるにはもっとはっきりとした情報が欲しい。


「いいよ。私がそれを見たのは、先月の中ごろだったと思う。部活の前に見たから、中間で部活が禁止される前だね。時間は……六限が終わってからしばらく経ってたから、四時過ぎくらいだったかな。もう少し遅かったかも。部室で着替えてたら、ドアの外から視線を感じたんだよね。入るタイミングを確認してる部活の子か、万に一つくらいは不届き者の男子の可能性もあるかなって。なんだけど、変に気になってさ!」


「何が?」


「うちの部室、ドアの窓にはカーテン掛けてるんだけど、これっておかしいでしょ。カーテン越しに視線を感じるなんてさ。で、そのカーテンの隙間から、ちらっと外を見たわけ。そしたら、制服の女の子がこっちを見てたんだよ」


 映像がリアルに脳内へ刷り込まれる。……カーテンをめくった先に、じっとこちらを見る女。


「……それが『いないはずの枝高生』ってわけ」


 少しぶるりと来たところで口を挟むと、涼子はあからさまに不機嫌そうに頬を膨らませた。


「あー、はいはい。気持ちよく語ってるところ、邪魔して悪い」


「せっかちだなあ、ノンは。ここからが面白いところじゃない。その子、微動だにせず変にじっとこっちを見てるもんだからさ、私も気になっちゃって、見返したのよ。スカーフの色は緑……一年の色だったから、同級生のはずなんだよね。でも顔に見覚えが無くってさ。……まあ、まだ入学してから一ヶ月くらいだったし? 顔を知らない子がいてもおかしくないな、なんて思っていたところで、よ」


 涼子の話し方のテンポが上がってきて、ニヤニヤとし始め、こちらの表情をちらちらと伺い始める。

 これは……間違いない。何か怖いことを言おうとしている。


 一度聞いたはずの話でも、集中して聞くと印象がかなり異なるものだ。


「ちょっと待って」


 あたしは右手で涼子を制止して、無意識に溜め込んでいた息を吐き出した。


「覚悟できた。どうぞ」

「ノン、あんたって本当に話し甲斐があるやつね」


 涼子は馬鹿にしたような表情でぷすっと噴き出す。その顔が酷く頭にきた……あたしだってやりたくて怖がりやってるんじゃない。


「……一分くらいかな。カーテンを挟んでその子と見つめ合ってたら、急にその子が恐ろしく速いスピードで動いて、こっちに向かってきたの。私びっくりしちゃって。サッとカーテンを閉めちゃったのね。でも外に出るにはそのドアを通るしかないわけじゃん。仕方無いから、すぐにカーテンを開け直して、外を見たのね、そしたら……」


「そしたら……?」


 あたしは、ごくりと唾を飲み込む。


「誰もいなかったのよ」

「は?」


「結局、その後その子を見ることは無かったんだけどね。そのときは、あー、また見ちゃったか私ーって思ったんだけどさ」

「……またって、どういうことよ」

「私って昔から霊感強くて。……たまーに見るんだよね。霊」

「あ、そう……」


 あたしはちょっと、引いてしまった。

 そういう人がいるという話を聞いたことはあるけれど、そういうことを真面目に伝えられるのは生まれて初めての経験だったのだ。


 ただ、涼子にだけ見えるような希薄な霊であれば、然人を物理的に突き落とすなんてことできるはずもない。……いや、その辺りの知識はないのだけれど、少なくとも直感的にはそうだった。


「でも、他の子も見たっていうんでしょ」


「そうそう。周りの子に話したら、皆も結構見たことあるらしくて。場所は毎回バラバラなんだけど、時間帯は同じくらいだと思う。部活の始まる前の時間帯ね。目撃され始めた時期は……四月の終わりくらいからかなあ。ほとんどは五月に入ってから。それで……今週かな。中間が終わったから、全クラスを見て回ったのよ、気になって。でも、その子は見当たらなかった。授業中トイレに行ったついでに、他の教室の授業も覗いたのよ。それでも見当たらないのは、なんかおかしいなって思う。やっぱ、幽霊か何かなんじゃないかな、あの子」


「馬鹿なこと言わないでよ」


 咄嗟に否定するあたしを見て、涼子は口角を上げる。


「でも、無い話じゃないと思わない? 幽霊ってのは大抵何かの怨恨や願望を持っているもんよ。この世に恨みがーとか、やり残したことがーとかさ。それが……例えば『女子生徒への恨み』みたいな概念に引き寄せられているとして、そんな霊が枝高に縛り付けられてたら……ちょっと、面白いと思わない? それに、枝高の幽霊って言ったら、もう決まってるでしょ。去年の……」


「ありがと。もう十分わかったよ。んじゃ、また」


「何よー! ここからがまた面白いところなのにさー!」


 あたしは直感した。

 涼子とは生きる世界が違うのだ。そうでなければこんな怖い話、目を輝かせながら話せるわけがない。

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