4 かさぶたに爪を立てて

「もういいでしょ、その話は。……せっかく忘れてたのに」


「ひょっとしたら、心霊写真と同じで、聞いちゃえばスッキリする話かもしれないよぉ」


「……アンタがそういうストレートな言い回しをするときに、スッキリする話だったことはない」


 私はサイダーを口元に運んでいたから、また肩とほっぺたの間にスマホを挟んでたの。

 だから奥之院の必死な返答に、思わず滑り落ちそうになったスマホを、左手でなんとか支える。


「さっき聞いた感じだとぉ、あのトンネルを通って帰ったんだよね、奥之院?」


 通話先は何も言わなかったけれど、それが答えだった。


「私ね、あの場所で昔何かあったんじゃないかって調べたんだぁ。……調べたって言っても、両親や近所の人に聞いてみたくらいだけどねぇ」


「……そんな手間がかかること、やらなくていいのに」

「いやいや、手間はかからなかったんだよぉ。ある程度の年齢の人は、みぃんな覚えてたからさぁ」


「……何か、あの場所であったの?」


 私はわざと、少しだけ間を開けてみた。

 ……その方が、奥之院の面白い反応が返ってくると思ってね。でも意外なことに、私が続きを話し出す前に奥之院が続けたの。


「いや。でも、改めて考えてみれば……あの場所では確かに、何かがあったはず。無いと、おかしい」


「へぇ、それはどうしてぇ?」


「今日、然人とも話したんだけど……あそこって毎年これくらいの季節になると、入り口に花が置かれんの。……アンタ、ここ数日で『影人間』の話を聞いたって言ってたじゃない。あの花、あたしが物心ついた頃にはもう置かれてたんだから。……十数年の月日をかけて、周到にこの噂の用意をしたなら別だけど、そんなの……準備した人間がいたんなら、あたしは怪談よりもそっちの方が怖い」


「たしかに、たしかに。……なるほど、花ねぇ」


 心霊的な噂話のある場所に献花。いかにも、という感じ。噂好きな女子が好みそうなシチュエーションだよね。


 ……このこと自体は私にとっては初耳の情報だったけれど、私にとっては、それほど予想外なことではなかったんだ。


 そう、私は、この「影人間」の話が、根も葉もない噂ではないということを知っているんだ。


「これから話すことは、奥之院にとってはちょっとショックかもしれないけどぉ……それでも、一つの解答にはなっていると思うから、聞いてほしいんだよねぇ」


 返事は無かった。

 私はそれを肯定の意味だと解釈して、身の回りの人たちから聞いた情報を伝えた。


「実は、あのトンネル……というか、その上のバイパスでさぁ。十五年前、事故が起こってるらしいんだよねぇ」


「事故? バイパスで?」


「そうだよぉ。時期はちょうど今くらい、五月の末でぇ。……居眠り運転の事故があったんだってぇ。乗っていた一家四人は全員亡くなってぇ……犠牲者の一人、ちょうど、麗くらいの年の女の子かなぁ。長女が車から放り出されて、バイパス下に落ちちゃったらしいんだぁ。場所は、ちょうどあのトンネルのところ。……バイパスが開通したばかりの事故ってこともあってぇ、当時近里このざとでも結構話題になったみたいだよぉ」


「……じゃあ、あのバイパス横に供えられてる花は、その事故への手向けだってこと?」


「時期と場所を考えるに、その可能性が高いだろうねぇ。……十五年も、いや、奥之院の物心ついた頃からだと、確実なのは直近十年くらいかなぁ? それでも、長い間お花を置き続けているってことはぁ、親族の方か誰がやってくれているのかもしれないねぇ」


「……まぁ、そう言われれば、説明が付くけど」


「逆に、その事故に関連しているんじゃなければ、説明は付けられないんじゃないかなぁ。……私たちが知らない別の事故が起こっている可能性もあるけどぉ、それを私たちが知らない以上、考える必要はないんじゃない?」


「アンタに諭されると、裏があるようですごく嫌」


「嫌だなぁ、こんなに表も裏もない人間なんて、そうそういないじゃないですかぁ」


 私は何も考えずに言い返す。

 ……この辺りの言葉は、何というかこう……反復することで身に付いた技みたいなものだよね。奥之院との脊髄会話ラリーなんていう種目があったら、私は結構いいところまで勝ち抜けるんじゃないかな。


「……わかった。今回はアンタの説明で納得してあげることにする。……その事故や花の話を元に、誰かが『影人間』なんてくだらない噂話をでっち上げた。それでいい?『影人間』なんて存在しない」


「うん、奥之院の心が安らぐになるなら、それでいいんじゃないかなぁ。……枝高えだこうに来るには、毎日あのトンネルを通るのが早いだろうし、遠回りするのも嫌でしょう? だから、そういうことにしちゃいなよぉ。……この情報を持ってきた私に、もっと感謝してくれてもいいんだよぉ、奥之院」


「……ながめ。アンタ、マッチポンプって言葉知ってる?」

「マッチで、自分で火を付けて。ポンプで、自分で消すことだよぉ」


「アンタにその言葉、ビニールでくるんで供えてあげる。……あの花と同じようにして」

「それは光栄だねぇ。……うん、そういう軽口に使えるようになったなら『影人間』については、きっと大丈夫だよぉ。……でもさぁ」


 私は少し意地悪に、不謹慎な言葉を彼女に告げる。


「実際に事故があった場所なら、幽霊が出てもおかしくないよね」


 てろりん! 


 ……通話が途切れる音が耳に入ってきた。

 どうやら、色々なことが起こりすぎて奥之院の堪忍袋ははち切れる寸前だったみたい。ぶつんと緒が切れて、同時に通話も切れちゃった。


 ……でも、きっと彼女は内心ほっとしているだろう。今日は一日「影人間」に怯えていただろうから、その謎に対する答えが一つ手に入って、安眠とはいかないまでも普通に寝ることくらいはできるんじゃないかな。


 奥之院は寝不足だと、露骨に機嫌が悪くなる。

 ちょっかいが出しづらくなるからさ、彼女が納得できる情報を与えてあげたかったんだ。


 ……そう。話を大きく戻して、怪談をかさぶたに例えるなら、それがもう綺麗に剥がれましたよと説明してあげることでね。


 私は、タブレットの光だけが点る自分の部屋に帰ってきて、椅子に腰かけた。


 ……ここからは、私が、自分のかさぶたに手をかける時間。


 まずは、心霊写真について。


 奥之院たちにはうまく説明できたけれど、私は全く納得がいっていない。

 耳から聞こえる情報と、私が知っていた情報をうまく組み合わせて、彼女たちを言いくるめることはできた。


 でも、不自然な点がいくつもある。


 第一ネガフィルムは、テーブルに置いていたくらいじゃ中身をしっかり確認することはできない。

 光にかざしてやっと、中身を知ることができるんだ。


 色がハッキリした部分であれば置いたままでも認識できるかもしれないけど、奥之院は名言してたよね。「花の色は緑か黒だ」って。


 ……フィルムである以上、テーブルの色は透けて見える。

 奥之院家のリビングのテーブルの色は確か、濃い茶色だったはず。そんな状態で「緑」なんて色を明言できるだろうか。

 もちろん、光に透かした可能性はゼロではないけれど、あれだけ気味悪がっていた奥之院が持ち上げて、部屋の照明に向けるなんてことが考えられるのかな?


 枚数だってそうだ。ネガフィルムは三十……六枚だったかな? それくらいが一巻きになっていたはずだから合っているけれど、形状としては横に何枚も繋がれ、数段並んだ状態になっているはずだ。

 ネガの存在を知らない奥之院や麗が、その枚数を指折り数えて正しい枚数を言い当てることができるものだろうか。


 ……仮に数えられたとして、枚数をこちらに伝えるとき、その形状……一枚一枚が切り離されていないということに触れないものだろうか?


 ……奥之院の家のテーブルの上には、いったい何が置かれていたんだろう。色相が反転した、三十数枚の写真。


 ぶるり、と身震いする。


 色々と仮説を立てることはできるけど……正解に辿り着くのは、この状態ではきっと難しいだろう。今度遊びに行ったときに実物を見せてもらおうか。

 ひょっとしたら本当にネガかもしれないし、奥之院家の誰かの悪戯写真かもしれない。


 その時が来るまで、私は「奥之院家の心霊写真」というかさぶたには手を付けずに、そのままにしておく。 


 そして「影人間」についてだけど……。これはもう、本当に見当がつかない。

 奥之院を納得させられる説明ができたのは良かった。けれど、私は実際に、誰からこの話を聞いたのか未だに思い出せていない。


 偶然にもその場所で交通事故が起こっていて、毎年献花されているという情報も得た。

 しかし「影人間」なんていう噂が出回り始めたのは、ここ数日のことだ。私が覚えている限りでは、だけど。


 こうなるともう、自分の記憶を疑うくらいしかなくなるよね。


 昔どこかで交通事故の話を聞いたことがあって、影人間に似た怪談話を聞いたことがあって……ここ数日の間に、何かその二つを結び付ける出来事があった、とか。


 それでも、全ての謎に解答は出ない。

 私一人が脳内で勝手に作り出してしまった怪談ならともかく、すでに言っているように、何人もの生徒が「ここ数日の間に影人間の噂を聞いた」と言っていたんだから。


 うーんと唸りながら考え込む。

 結局この謎にも、今の状態では答えらしきものを導き出すことは難しそうだ。


 仕方が無い、この「影人間の噂の出所」というかさぶたについても、私は手を付けずにそのままにしておこう。


 私は片肘を付いてサイダーを飲む。

 ぱちぱち、と泡が弾けて、鼻の下が少しだけ濡れた。


 ぷはー。


 飲み終えたので、グラスを机の上にとん、と置いた。

 からん、からんといい音がして、私はいい気分になる。


 かさぶたは手を付けなければ自然と治っていき、気付けば剥がれ落ちる。


 放置した二つのかさぶたは、剥がれ落ちる前にもう一度指を掛けるときがくるのかな。それとも、気付かないうちに消えてなくなってしまうのかな。


 そんな疑問の答えなど、どうでも良かった。答えが出るときには、どうせそのかさぶたは剥がれ落ちるのだから。


 中から出てくるのが治り切っていない傷跡なのか、綺麗な肌なのか。その答えを知る者は、この世界のどこにもいない。

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