2 何か悪いことしてた?

 どうしておれが、小学生の女の子を連れてこんなマネをしているのか順を追って説明していこう。

 そもそもおれの計画では、こうなるはずではなかったんだよな。


 今朝、おれは自転車に乗って枝高に向かっていた。

 のっぴきならない事情により、朝練に遅刻しそうになって、全力でペダルを漕いでいた。

 昨晩遅くまでゲームをし過ぎたとか、そのせいで寝坊したとか、焦って一度家を出た後に部活用の着替えを忘れたことに気付いたとか、そんなくだらない理由じゃ断じてねえべ。


 それで……ああ、そうだ。田んぼの奥にあるビニールハウスの陰、背の高い草むらの辺りに、しゃがみ込む人影を見つけたんだ。


 おれは自転車を止めて、そーっとその人影に近付いた。

 あと数歩のところでそいつはおれの気配に気が付いたらしく、慌てて逃げようと飛び上がった。

 そこで初めて、そいつの全身のコーディネートが目に入る。長袖の黒い上着、しかもフードを被っていて、下はスカートに、丈の長い靴下を履いていた。

 それだけで怪しいって言い切るほどではないが、もう六月に入ったというのに、結構な厚着だ。よく見るとスカートは枝高の制服のそれに見える。


「おーい。おれだよ、おれ」

 慌てる背中に呼びかけると、そいつは振り返るや否や白い歯をおれに向けて微笑んだ。


「あっ……然人くん!」

 急に振り返ったもんだから、そいつは背中から倒れこんでしまった。

 おれはゆっくりとそいつに近づくと、被ったフードの中に手を突っ込んだ。頭の上にあるはずの、アメ色の耳がお目当てであった。

 ……実は、前に会ったときから触りたかったんだよな、これ……。


「やっ、やめてください……!」

「よいではないか、よいではないか」


 触っているうち、彼女のフードがばさりと脱げた。今考えると、かなりギリギリな……いや、アウト寄りのスキンシップだったかもしれない。


「やり過ぎです! 警察に届けちゃうかもしれませんよ!」

 苦し紛れに全身をばたばたとさせる彼女に、おれは追い討ちをかける。


「わかってないなぁ。里咲ちゃんさんよ。その格好で届けたらどうなるかな? 警官の今晩の鍋の具材になるかもしれねえべ……?」

「ひっ……」

 自分が鍋になっている想像に行き着いたのか、顔を真っ赤にしていたそいつは一転サーっと青ざめた。


 彼女は近野こんの里咲りさ。ある日から半分獣――茶介が言うには、狐らしい――になってしまった、元人間の女の子であった。


「ごめんごめん。ちょっと触らせてもらいたかったんだべ」

「それならそうと、早く言ってくださいよ……。触らせるかは別ですけど。それに、狐鍋は笑えなかったですからね!」

「悪かったって。今度何かお菓子おごるから、チャラにしておくれよ」

 そう言うと彼女は首をゴクリと鳴らして「今度だけですからね」と腕を組んだ。まったく、扱いやすいやつだべ。


「ところで、里咲ちゃんはこんなところで何してたんだ?」

「あ……はい、聞き耳を立ててたのです。その……ここって、枝高えだこう生がよく通る道じゃないですか。私の件の他にも何か変なことが起こっていたら、噂になっているのではないかと思って。あわよくば、私の体を元に戻す手がかりにならないかなと」


「ああ……てっきり、ビニールハウスの中の野菜を狙ってるんかと……」

「私って、然人くんの中ではそんなに卑しいキャラなのですか……?」

 里咲ちゃんはしゅんとなって、小さくなってしまった。


 というのも、例の花火の事件のあと、駅前のコロッケをおごってあげたことがあったのだ。

 ……正確には、おれが食っていたコロッケを彼女が物欲しそうに見つめていたので、ついあげてしまったのだが。この反応を見ると、どうやらその事を少し反省しているらしい。


「で、里咲ちゃん。どうだったんよ、情報収集の成果は」

「この姿になったおかげか、ずいぶん耳が良くなったようで。ここを通る皆さんの会話は、かなり聞き取ることができました」

 彼女は耳を触り、フードが脱げていたことにようやく気がついたようだ。慌てて被りなおすと、身を屈めて話を続ける。


「ただ、フードの中に耳を隠しているせいか、遠い会話の内容は断片的にしか把握できなかったのです。……ですが何やら、怪談っぽいことを話していた人もいたと思います」

 怪談っぽいことか。いったいどんな単語が聞こえたんだろ。


「里咲ちゃんの体がそうなっちまったのも怪談みたいなもんだし、そりゃ気になるな。けどその格好じゃ、目ぼしい会話が聞こえても、詳しい話を聞きにいくこともできねえか」


 おれは彼女のもふもふの顔や、毛むくじゃらの手を見た。

 彼女は頷きつつ悲しげな表情になる。男子としては、かわいそうな女子を見捨てる訳にもいかないよなあ。おれは少し考えて、指を鳴らした。


「じゃ、おれが聞いてきてやろうか」

「えっ……本当ですか?」

「そういう不思議な話、実は大好物なんだべ。おせっかいじゃなけりゃ、むしろやらせてくれよ。この前のお詫びの意味もあるし」

「では……とても恐縮なのですが、お願いしてもいいでしょうか。この姿では人前に出ることすらできなくて、困っていたのです」


 本当なら茶介が学校に来てやれって話だけど、と言いかけて、おれは口をつぐんだ。

「……よし、任しとけ! 今日の休み時間全部使って、両手に抱えきれないほどの話を持ってってやるよ!」

 里咲ちゃんを元気付けるように大声で約束をしたところ、彼女は顔を覆い一目散に逃げ出していった。

 ……ええっと、怖がらせるほど大きな声だったか?


 直後、背後に人の気配を感じた。


「何を持ってくって? 然人」

 後ろから耳に入ってきたのは、聞きなれた女の声だった。


「……今の誰」

「ああ、今茶介のところにいる……」

 おれはそこまで言いかけて、慌てて口を塞いだ。この件は秘密なんだっけ。


 あの一件以来、里咲ちゃんは茶介の家に出入りしている。

 どうやら部屋を借りて、そこで生活をさせてもらっているらしい。彼女にとっては尾先家がベストな場所だったろう。茶介の一人暮らしだし、付近の人通りは少ないし、事件があった場所に近いし。


 意外だったのは茶介の方だ。まさかあいつが誰かを泊めるなんてな。

 近頃のあいつを見ていたら、何らかの理由を付けて追い出すか、それが不憫なら、どうにかして里咲ちゃんの家まで連れて行く方法を考えるのではないかと思っていた。でも……あいつは、そうしなかった。


 しかし、年頃の男女が一つ屋根の下で一緒に過ごしているなんて……あれ、改めて考えると全くもってけしからんな!


「枝高の制服よね。……何で逃げてったの、朝から気分悪い」

 顔や体に生えた毛や、人間のそれとは違う顔について触れられず、おれはほっとする。


「こんなとことで逢引? それとも……何か悪いことしてた?」

「違う違う、ちょっとした世間話だべ」

「世間話って。……どうせならもっとまともな言い訳しなよ」

「いや、これは本当なんだけどなぁ……」


 振り返ると、枝高1-Bの問題児、奥之院おくのいん和佳のどかが立っていた。

 昔から地元の友人にはノンと呼ばれており、それが遠くから通っているクラスメイトにも広まったらしい。着崩した制服に、派手目なアクセサリー、染めっぱなしで若干ボサボサの茶髪。


 いつも通りの格好……いや、良く見ると今日は普段よりも寝癖が酷い。

 外見の変化に疎いと、色んなやつに指摘されるおれですら気が付くのだから、相当なものなのだろう。


「やけに今日は早いじゃんか。……それに、寝癖すげえべ」

 ノンは指摘されて髪の毛をなぞり、ハネた毛先を指先でいじる。

「別に。……クソ兄貴と喧嘩しただけよ」


 確か、奥之院の家は三兄妹だったはずだ。一番上が兄、二番目がノン、そして小学生の妹。

 兄は今年から大学だったかな。おれも小さいころはよく遊んでもらった。

 顔も成績も人当たりも良く品行方正、おまけにバシっと決まったメガネと、アニメや漫画の世界から出てきたような優等生である。

 しかし、どうしてかノンとだけは仲が悪い。……仲が悪いというか、ノンが一方的に嫌っているような雰囲気もあるように思えるけれど。


「喧嘩っていうか、ノンの方が一方的に機嫌悪かっただじゃねぇべ?」

「うっさい」

 即座に否定される。どうやら図星のようだ。


「アンタの方は何してたのよ」

「ええと、それはだな……」


 返答に詰まっていると、彼女は気にも留めない様子でスクールバッグを肩に担ぎ、道に戻って行った。

「お、おい! 何か気になったんじゃないんか?」

「すぐに話せる内容なら、アンタもうペラペラ喋ってんでしょ。喋らないアンタから聞き出すなんて労力に見合わない真似、あたしはしないっていうだけ」


 答えなかったのはおれの方なのに、何だかシカトを食らったようで……ちょっと悲しくなった。無駄に食い下がられるのもなんだが、こうやって放っておかれるのも気持ちが悪い。

 うっかり秘密を喋ってしまいそうになるところを、今回の秘密はおれの秘密ではないと、ぐっと踏みとどまる。

 ……くっ! これが会話の駆け引きってやつか!


 急いで後を追いかけると、唐突にノンが振り向いた。


「そんなことより、いいの?」

「へ?」


 急に見上げられて言葉に詰まる。

 ノンは昔から目つきが悪く、じっと見られるとちょっとだけビビッてしまう。ヤンキーにガンをつけられたような気分だ。実際、通りすがりの人から見りゃそうなんだろうけど。


 ……しかし、まさかこいつ、本当は里咲ちゃんの変化に気がついて……?


 ノンは小さくため息を吐いて、こう言った。


「朝練、もうとっくに始まってるみたいだけど」


 おれは腕時計に目を落とし、顔面から血の気が引いていくのを感じた。

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