第2話 九重然人は影と対峙する

1 ダイジョウブ、怖くないもん

ぜんにい、本当に大丈夫なの……?」


 おれ達は、トンネルの前に立っていた。


 不安の色を隠せない少女の声がそこら中に反響して、何度も鼓膜を震わせる。

 しばらくして声が消えるとどこからか、金属をゴムで引っかいたような重苦しい音が聞こえてきた。


 正直に言おう。ビビってんべ。昼と夜でこうまでも違うんか。


「怖かったら、来なくてもいいんだかんな」

「イヤだ。ノンねえにお話するんだもん。約束したもん」


 その少女――奥之院おくのいんうららはおれの左手を、小さな両手でぎゅっと握り込んだ。


 普段強がってはいるが、やはりこの光景を目の前にすると身がすくんでしまうんだろう。子どもは体温が高いと聞いたことがあるが、麗の手は緊張からか冷え込んでいる。幽霊の手でも握ってるみたいだ。


 触らぬ神に祟りなし。参らぬ仏に罰は当たらぬ。君子危うきに近寄らず。そして、藪をつつかねば蛇は出ぬ!


 体がふわふわとした感覚になって、次々と言葉が出てくる。

 何かゾーン的なものに入っているんか? どうせなら、中間テストのとき、この状態になってくれりゃよかったのに!


 まぁ、しかし、浮つく心を落ち着かせて考えれば、茶介が言っていたように、何もせずに帰るというのが正しいんだろう。おれ一人ならともかく、麗を連れていることを考えればなおさらだ。


 里咲りさちゃんの言葉も頭を過ぎった。あの子、獣になって超人類的な感覚を身に着けているような気がするし……。彼女の言うことにも従っておいた方がいいんじゃないか?


 おれは自分の心にもう一度問いかける。


 何か理由を付けてこのまま帰るべきか、否か!


 遠回りにはなるが、自転車ならそこまで時間がかかるわけじゃない。

 それに万が一、万が一だべ? ながめの話が本当だったとして、麗を危ない目に合わせるのはまずいことなんじゃないか?


 一度冷静になって考えようとすると、心の底からぐらぐらとある思いが浮き上がってきた。


 おれの心は「潜っていきたい」と言っているのだ。いくら茶介ちゃすけに口を挟まれようと、こんな不思議現象、自分で体験しなきゃもったいない。

 そうだろ。この話を聞いたときから、おれはどこかワクワクしていたじゃないか。


 唯一引っかかっているのは、麗を連れて行くかどうかだけだ。下手なことに出くわしたら、彼女にとってはトラウマもんだべ、間違いなく。


「麗、まだ引き返せるべ。やめておくんなら、おれが家まで送ってやるし……」


 俺の手を握る力が、ぎゅっと強くなる。

「……ダイジョウブ。わたし、強いもん。……怖くないもん」


「怖いことから逃げられるのも、立派な大人のあかしだべ?」

「わたし……まだ、子どもだから」


 麗は涙をこらえてこちらを見た。

 その瞬間、おれの心の奥底にあった……うん。今ならハッキリと言おう。「恐怖」の気持ちは、どこかへ消えて失せてしまった。


 なるほど、麗はいい面をしている。

 内心、心の奥底では怖いという気持ちがあるだろう。だが、それを抑えきれないほどに好奇心が膨らんで、いてもたってもいられない……そんなぐちゃぐちゃとした表情。


「よし、わかった。泣くなよお? お化けって奴は、泣いてるやつのところに集まってくるんだべ」


「うん。約束する」


 おれと麗はぎゅっとお互いの手を握って、同時に一歩踏み出した。

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