3 手紙は語る
結果から言ってしまうと、幽霊店舗の正体はすぐにわかった。
別に、気になって夜も眠れない予感がしたから、急いで商店街に取って返したわけではない。
いやいや、こればっかりはホントだべ!
おれは家に着くと、玄関からではなく、営業中だった店舗側から入ることにした。なぜなら、予定していた半分のコロッケしか食べられなかった胃袋が不満を訴えていたからである。
おれは大量に並ぶ酒瓶の脇から、おつまみ用のスナック菓子の大袋を手に取った。そのまま自宅側に上がっていこうとしたところで、おふくろと目が合う。
「然人、どうせならそこのチーズ食べて。今晩廃棄なんよ」
「あいよ」
「手前のやつよ、ちゃんと日付見て」
「今日までのでいいんか?」
おれは冷ケースの中で、不自然に前に出ていたチーズを(というよりは、他のチーズが奥に押し込まれているようにも思えた)二本ほど手に取る。五月三十日。どちらも今日が賞味期限だ。
「おふくろってさ」
「何だべ」
おれを残飯処理班か何かだと思ってねえべ? と言いかけて、やめた。
……捨てるくらいだったら、食べ盛りのおれの腹の足しにした方がいい、と頭では理解しているからだ。
嫌味を言うことには踏みとどまったが、今度は声をかけた手前、何も言わないのはばつが悪い。
そこで、先ほどの里咲ちゃんとの話を思い出す。
「……大人が通って、待ち時間があって、子どもを連れて行くような店って、何かわかる?」
おふくろは手元のタブレットから顔を上げて、こちらを見る。
「然人、あんたまた良からぬこと企んでるんじゃないん?」
「違う違う、そういうんじゃねえべ」
おふくろは訝しげにおれの表情を伺う。
「……したら、なぞなぞ?」
「そんな感じ」
「思い付かんべ」
うむ。さすがはおれの母親、諦めが早い。そこで、もう少し具体的な話を振ってみる。
「駅前に商店街があんべ? あそこでさ、最近閉店した店って、何かわかる?」
「最近閉店した店? ……さぁ、どうだったか。あそこも商売が厳しいんか、店閉める人多いしなあ。……ウチも他人事でねぇけど」
おふくろは頭をこてんと倒した。おれよりも長い時間近里で過ごしている母親からすると、余計に思い出しにくいことなのかもしれない。おれよりもよっぽど、あの商店街に関する知識は多いだろうから。
「……そんなことより、然人、中間試験の結果早く見せて。点数によっては……」
「いや、さすがにまだ返却されてねえべ!」
どうやら、記憶は降りてこず、思い出すのを諦めたらしい。急激に居心地が悪くなり、おれはすぐに自宅に上がっていこうとした。すると、
「あ、然人。明日資源ごみだから、新聞まとめといて」
唐突に家庭内ミッションを託されてしまった。……くそう、声などかけなければよかった。
おれはとぼとぼと歩き、キッチン前の廊下の戸を開ける。今日日、紙の新聞なんて取ってるのウチだけなんじゃねえかな。
棚の中から紐と、たっぷり二週間分溜まった新聞を引きずり出す。部活で疲れた体はずしりとした紙の重さに負け、そのまま後ろに尻餅をついてしまった。……くそ、早くチーズとスナックを補給せねば。
そんなことを考えていると、棚からひらりと一枚の葉書が滑り出した。……まるで、図ったかのように。
普段なら中身も見ずに新聞に挟み込むような紙切れだったが、今日のおれはどうしてか、その内容が非常に気になった。虫の知らせ、ってやつかな。
床に座り込みながら、おれはその紙に手を伸ばす。
内容は、クリーニング店閉店のお知らせだった。
衣服を預けていれば、それまでに取りに来てくださいというものだ。
「……あ」
この葉書を見た瞬間、おれはピンと来た。
大人が通って、待ち時間があって、子どもを連れて行くような店。
そう、この葉書の差出人であるクリーニング店こそが、幽霊店舗の正体だったのだ。
思い返してみれば、おふくろが姉ちゃんやおれの制服を、もしくは親父の一張羅を、預けたり引き取ったりするのに付き合ったことがあるかもしれない。
医者から連想できたのは、どこか退屈で、訪れる頻度が似たようなものだったからだろう。
おれは古新聞を整え、そのてっぺんに葉書を置く。
そして、ぐるぐると紐で縛り付けた。店側ではなく玄関先にそれを置くと、おれは両手をパンパンと叩いて拝んだ。
葉書の住所を調べて、それが肉屋の向かいであったのなら確証が持てるだろうけれど、おれはそこまでしようと思わなかった。
下校中の友達と、そして自宅に帰っておふくろと、少しでも話題になったのなら、それでいい。
クリーニング店(仮)の霊魂も、それで本望だったということにしよう。成仏して、ぜひとも枕元には立たないでおくれよ。
黙祷を終えると、おれは二階へと駆け上がり、自室に戻るとスナック菓子の袋を開ける。
このあと少しすれば夕飯なのだろうが、限界を迎えたおれの腹なら、どちらも食べることくらい容易だ。大食い選手権が近場で開催されたら、行ってみようかな。……自分の力量を試すいい機会かもしれねえべ。
塩っ気のある味とバリバリとした歯ごたえを感じながら、おれはふと、とある言葉を思い出した。
あったはずなのに、見ているはずなのに、記憶から抜け落ちてしまっている。……その逆も然り。
これは……そうだ。
別れ際に、里咲ちゃんが言っていた言葉だ。おれは寝転がって天井を見上げ、里咲ちゃんが言っていた通りに、その言葉を逆転させた。
無かったはずなのに、見ていないはずなのに、記憶に残っていることがある。
……この文字面を頭に描いて、初めに思い浮かんだのは、デジャヴュという言葉だった。経験していないはずのものに対する既視感。
おれもたまに、感じることはある。
例えば、買い食いしたコロッケを買おうとして、財布を覗いたときなんかに。あれ、この財布の中身の感じ、前にも見たことがあるような。
……まあ、たいていの場合、それは本来のデジャヴュの意味とはかけ離れていて、おれの財布に入っている現金が常に少ないためなのだろうけれど。
……話を戻すと、彼女はいったい、何を伝えたかったのだろう。
……いや、特に何か意識をしてあの言葉を発したわけではないのかもしれない。何となく、彼女の心の琴線に引っ掛かった言葉を、あえて面白おかしくおれに伝えただけなのかもしれないな。
そんなことを考えていると、階下からおふくろの声が聞こえた。
「然人! 店番交代して。夕飯作るから!」
寝転がった直後なのに、この仕打ちだよ! おれは朝から働き詰めの体をどうにか起こして、力なく階下に返事をする。
「はいよー」
夕飯を食べる時間が遅くなることだけは避けたい。
今日は親父がどこかに出かけてるんだろう、おふくろと店番を変わらない限り、閉店時間まで食いっぱぐれることになる。それだけはゴメンだべ!
腹をさすりながら階段を急ぎ降りていると、先ほどまで考えていた理咲ちゃんの言葉は、ぷかぷかと浮いてどこかに飛んで行ってしまった。
そしておれはしばらく、その言葉を忘れることになる。
なぜなら、その翌々日に起こったあの事件が……思い返せば、それは、おれが今まで生きてきた中で最も恐ろしい出来事だったからだ。
こんな他愛のない会話の中で出てきた言葉など、思い返す余裕もないほどに。
クリーニング屋の幽霊。この話は、これでおしまいだ。
おれがこのことを再び思い返すのはきっと、あのコロッケをもう一度食べるときなのだろう。
詳しく知ってるわけじゃないが、ガリヴァー旅行記だって、最も有名な小人の国の話が終わっても、次の話があったはずだ。
出版されている全ての物語を終えた後でさえ、彼が物語の中で死にさえしなければ、その先に彼の人生は続いていくのだ。
おれの話ももちろん、続いていく。
話は翌々日。……とある高架下で、おれが味わったあの事件、そして、その後に起こった……あまり思い出したくはない、あの事件へと。
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