3 どうせ怖い話なんでしょ!

「妙な噂とか、聞いたことないかぁ? 超常現象とか、心霊現象とか、そういうやつ」

「だから何でそんなこと聞いてくんのよ。あたし暇じゃないんだけど」


 昼休み、おれは1-Bのノンを訪ねていた。

 ノンは廊下で友人数名と話をしていたのだが、おれが寄ってきたのを見て自分の席に戻ってしまった。


 曰く「アンタみたいなやつと幼馴染だと思われたくない」ということらしい。

 全くもってひどい扱いである。けどさ、限られた時間で最も多く情報を集めようとしたら、なんだかんだで顔の広いノンを頼るのが一番早かったんだべ。


「そう言わずにさあ、どんな小さなことでもいいからさあ」

 あからさまに迷惑そうな表情を浮かべるノンの机にへばりつき、全身で助けてほしいことを表現した。

 遅刻してみっちりしごかれて、午前中の授業が終わった今も足腰がおぼつかず、立っているのが辛かった訳では決してねえべ。


「ちょっ、汚っ。脂っ!」

 ノンは制服のポケットからハンカチを取り出して机を拭こうとしたが、直前で思い留まったのか、ポケットティッシュに切り替えた。


「なー、頼むべ。おれ、両手に一杯抱えて帰るって約束しちまったんだよお」

「何の話。そもそも、何でそんな話集めようとしてんの」

「何でって、そりゃあ……」


 おれはまたもや里咲ちゃんのことを話しそうになり、すんでの所で踏みとどまった。……この調子だとそう遠くない未来にバラしそうだな。


「……この前、テレビでそういう特集やっててさ。ここらにも何か潜んでるんじゃねえべって、そう思ったんよ。だから……そう! 不思議現象を見つけて投稿して、おれはテレビ局から粗品を貰うんだ!」

「……はあ?」


 ノンが当たり前の反応を示す。

 そりゃそうだ、言ってるおれが意味不明だもん。


「九重がワケの分からないことを言い出すのはいつものことじゃない。いい加減慣れなよぉ、奥之院」


 騒ぎを聞きつけて別の女子生徒が寄ってきた。

 そいつは瞬時に背後を取り、細い手でおれの頭を机にがつんと押し付けた。


 ……ちくしょう、不意を突かれた!

 こんな馬鹿力を持っていて、のんびりと、それでいて皮肉を含んだ話し方をする人間を、おれは一人しか知らない。おれやノンと幼馴染の切通きりどおしながめだ。


「こうして頭を下げてるんだし、少しくらい話を聞いてあげなよぉ」

 こいつは昔からこうだった。おれとノンが言い合いをはじめると、すぐにやって来て、おれをいじめて仲裁する。

 喧嘩両成敗という言葉は、こいつの中には無いらしい。


 花壇の花のようになごやかな表情に喋り方、清潔な黒のミディアムヘア。

 いかにも世間知らずで、文化系のお嬢様というような風体だが、それは見かけだけだ。

 着やせしているものの、色々なスポーツをやっていたため体格が良く、恐ろしく怪力なのだ。

 一応体育会系のおれでさえ、抵抗しようにも為す術が無い。足だけは何とかおれの方が速いので、つかまる前に逃げ出すくらいしか対処方法はないのだ。


 それに、おれは知っている。

 こいつの柔和な表情と喋り方はフェイクで、真っ黒々のお腹を隠し持ったサディストなのだということを!


「流石ながめ、おれの気持ち良くわかってるうー。ところで実はおれ、今すっごくして欲しいことがあるんだけど、何だかわかる?」

「うーん難しいなぁ。さっぱりわかんない。次の機会までには精進しとくねぇ」

「……その手をどけてくれって言ってんべ!」


 相変わらず強い押さえつけに、おれは惨めにじたばたと手足を動かすことしかできない。

 ながめは面白がっているのか、力を一切緩めてくれない。


「何であたしの方がこいつに合わせて突飛な話題に乗ってあげなきゃいけないの、冗談じゃない。つか、盗み聞きしてんじゃねえよ」

 ノンが悪態を吐く。彼女は片足を椅子に上げて頬杖をついた。見るべき場所から見れば、スカートの中身が覗けてしまいそうな危ない体勢である。


「思いつきで話したところで、そうゴロゴロと怪談話が転がってるわけないでしょ」

「……まあまあ、邪見にしないであげなよぉ。私は、心当たりが無いわけでもないしぃ」


 ながめがそう言ったところで、おれはようやく彼女の束縛から抜け出すことができた。

 正確には彼女が解放してくれたんだと思うが、自分で脱出したってことにしておいた方が気持ちいいので、そういうことにしといてくれ。


「マジでか、ながめ。どんな話だ!」

「いやあ、テレビ局に送れるほど大した話ではないと思うけどねえ。……『いないはずの高校生』の話」

「『いないはずの高校生』……?」


「うん。枝高の生徒は何人だか知ってるう? 九重」

 おれは返答に詰まる。枝高の全校生徒数……?

 確か、入学式だか何かで、校長が話していたような気がする。けれど、そんな数字いちいち覚えてるやついねえべ?


「四百十八人」

 記憶の棚を探すことを放棄したおれをよそに、意外と優秀なノンが即答する。


「さっすが奥之院、抜群の記憶力。尊敬するよぉ」

「思ってもないくせに」

 白々しいながめの感想に、ノンが不貞腐れる。


「そう、枝高の生徒数は四百十八人。けど実は、枝高には四百十九人目の生徒がいるという噂が流れてるんだよぉ」

 ほう、とおれは膝を乗り出した。なんだか少し面白そうな話だ。


「その話、あたしも聞いたことあるかもしれない。……夕方の校舎や校庭に、怪しい制服の人影が現れるっていうあれでしょ」

「なぁんだ、奥之院、意外と詳しいんだぁ」

「別に。かなり話題になってるし。夕方になって、誰かの視線を感じて、ふと視線を感じる方を見たら、ってやつよ。そこにいたのは見たことの無い女で、しかも一年のスカーフの色……なんて。陳腐よね」


 ……ああ。おれは天を仰ぎ、目を手のひらで覆った。

 朝、ビニールハウスのそばにいた彼女の様子を思い出していたのだ。里咲ちゃん……学校で怪談扱いされてんべ……。


「四百十九人目の女子生徒。うん。どうかな九重。面白いんじゃないかなぁ?」

 ながめが問いかけてくるが、この話は掘り下げない方がよさそうだ。

「う、うーん。なーんか、弱い気がするなあ。他には無いのかよ、そういう話」

 おれはあからさまに話題を転換する。これ以上深入りするのは危ないと思ったからだ。ノンが怪訝そうな表情をする。


 対して、ながめはおれの言葉を純粋に受け取ってくれたのか、または何らかの空気を読んでくれたのか、あるいは何か別の面白いことを思いついたのか(まあ三つ目だろうな)、次の話に移ってくれた。


「お気に召さなかったなら、仕方ないねぇ。……これは、奥之院のいる前では話したくなかったことなんだけどさ……実はもう一つ、とっておきの話があるんだよぉ」

「は? 何であたしのいる前で話したくなかったのよ」

「小さなころから奥之院は怖がりだったしぃ。この前の花火だって、夜道を妹より怖がってたでしょ」


 確かに、この前茶介の家の裏山で花火をしたとき、帰りの夜道を最も怖がっていたのはノンだった。

 何せ、あれだけ真っ暗な山道だ。何も出ないと思っていても、本能は恐れを感じてしまうもんだべ。

 ……実際、あの道で気絶した人間だっているわけだし。


「……その話、今は関係なくない?」

「関係ある。……これは四百十九人目の生徒の話よりも、奥之院の生活に直接関係のある話だからね」


 ながめは基本的に、話をするときはいつもにこやかで、語調や表情を変えたりはしないタイプだ。

 だから、こうして普通に語尾を切って話されると、どことなく恐怖を感じてしまうのだ。これは、おれ達ながめの幼馴染が持っている共通認識だろう。

 ノンはその言葉で何かを察し、慌てて席を立とうとする。


「待ーてーよー、ノン。一緒に聞こうぜ」

 おれはつい、ノンの手を逃がさないように掴んだ。奇遇なことに、ながめが彼女の腕を握るのと同じタイミングだった。

 ……このドSめ。


 ノンは逃げ出そうと体をねじってみたが、おれが逃げ出せないような彼女の力だ。どんなに力を入れていなくても、簡単に放してはもらえない。

 ……この細腕のどこにそんな力があるんだろうな。


「アンタさっき、あたしが怖がりだって話したでしょ。どうせ怖い話なんでしょ!」

「なに、大したことないよ。さっき奥之院が話していたような、陳腐な話だから」

 ながめは変わらずに微笑んでいる。……やめる気は無いんだな、お前。


「『影人間』って、聞いたことあるぅ?」

 ノンが抵抗を諦めると、ながめはいつもののんびりした口調で話し出した。


「いや、知らねーべ。透明人間の親戚か何かか?」

「そうだねぇ、それが近いかもしれない。そいつは決して肉眼では目視できないけれど、気配を感じることはできるようなの。その気配の方を見ると、視界の隅に黒い影となって現れてふっと消える。教室の隅。シャワールームの壁。曇りガラスの向こう。そんなところに、ぼうっと人影が表れては消えていく。そんな話だよぉ」


 おれはながめが言った場面場面に黒い影が一瞬映るのを想像して、ぞわりと背筋が寒くなった。

 ながめのゆっくりとした喋りが、怪談らしさを加えているような気がする。


「でもさ、それが何で『影人間』なんて噂になってんだべ?」

「まあ確かに、これだけだったら良くある話だよぉ。一晩程度は怖いだろうけれど、すぐに忘れてしまうだけ。ところが、この話が良く通る場所に紐づいているとしたら……どう思う?」


 ながめは顔の前でわざとらしく指を交差させ、ノンの方に目を向ける。

「この影人間、実はある場所に住み着いたらしくってえ」

「ある場所……?」

「まさか、あたしに関係ある場所じゃないでしょうね」


 国語力の高いノンが、語り手の気持ちを掴んだようだ。

「……枝高からまっすぐ奥之院の家に帰ろうとすると、途中バイパス下を通るでしょお」


 おれは枝高から、ノンの家までの道のりを頭に描いた。市街地を抜けて、田んぼ道を通り、そして……それにぶち当たった。

「ああ、あのトンネルのことだべ?」

「そう。あのトンネル。正確にはバイパスの高架下かなぁ?」


 近里のここらに乗り口は無いが、市街を少し外れたところにバイパスの高架があり、その下を抜けるように短いトンネルがある。

 ……確か、このバイパスが開通したのはおれ達が生まれた頃……十五年前くらいだって聞いたことがあったっけ。


 ノンが今にも噛み付きそうな表情でながめを見上げると、ながめは白々しく顎を指でなぞってみせた。


「これは実際に体験した人の話なんだけれどぉ。日が沈んでからあのトンネルにたどり着いて、その人は思い出したんだって。妙なものが住み着いたっていう噂が流れていたことを。でも、回り道をするのも嫌だったから、その人はそこを通ることにしたらしいんだぁ。知っての通り、あそこはそう長くないし。でも……その日は妙にトンネルが長く感じたみたい。カツンカツンと、自分の足音だけが響いている。他には何も聞こえない。……ただその人は、自分の後ろに何かがいると感じたらしいんだぁ。恐る恐る、その人は振り返る。……果たしてそこには……いつも通りのトンネルの光景があるだけだったの。その人はほっと胸を撫で下ろして、また前を向こうとしたんだってぇ。……その時。視界の隅に一瞬、影のようなものが映り込んだ。慌ててもう一度背後を見ると、その影は消えてしまっていたらしいの」


「……バカバカしい。然人がさっき言ってたみたいに、勘違いでしょ」


「その人もそう思ったみたい。でも、どうしても背後に誰かがいる気配は消なかったらしくってえ。その人はどうしても確かめたくなっちゃって、手にしていたスマホの内側のカメラを起動したみたいなんだあ。すると――そこには、自分の顔と、背後のトンネルの壁、そして……あるはずのない人間の影が、くっきりと映っていたらしい」


 ノンが隣で唾を飲み込むのがわかった。

おれは少々作り話っぽいと思いつつも、身近な場所にそういった噂があるということに、ちょっとした興奮を覚えた。そういうのは、もっといわくつきの湖だとか、山中の駐車場だとか、そういう場所でしか噂にならないことだと思っていたから。


 一方で、里咲ちゃんが狐になるなんてトンデモ事件があったのだから、この近里ではどんなに非現実的なことでも起こらないとは言いきれない。

 かえってこういう突拍子もない噂の方が、何かの糸口になるかもしれない。


「なるほど、そいつは……センセーショナルだな。影人間が住まう心霊トンネル。うん、面白そうな臭いがしてきたべ」

「アンタら、あたしにこの話を聞かせるためだけに一芝居打ったんじゃないでしょうね」

 疑心暗鬼に陥ったのは、たまたま流れ弾が直撃したノンだった。


「あー、そういうつもりは全く無かったんだけど、たまたまながめが持ってた話がそうだった、っていう……。ま、落ち込むなって。ノンが帰るとき、トンネル通るの付き合ってやるからさ」

 おれはすかさずフォローを入れたが、噂を流した当の本人は悪びれもしなかった。


 それどころか、ながめは――あのドSは自分の席に戻りながら最後に特大の爆弾を置いていったんだべ。


「そういえば……これは私の創作ではないと断った上で言うんだけどぉ。……一番不思議なのは、私がこの噂や体験談を誰から聞いたのか覚えてないところなんだよねぇ」


「え?」

「は?」

 一瞬、ながめの発言の意図が掴めず、おれとノンは硬直する。しばしの間があって、沈黙に耐えられなくなったノンが切り出した。


「どうせ、忘れてるだけでしょ」


「私だけじゃないんだよぉ。私を含めて何人もの生徒がここ数日で『影人間』の噂を聞いたと言ってるんだけれど、誰一人、その噂を誰から聞いたか覚えている人間がいないらしいんだよねぇ。そもそも、あのトンネルってさぁ。枝高の人間からしたら、奥之院の家か、尾先おさきの家に行く時くらいしか使わないじゃない? だったら、誰が経験した話なのかなぁ、なんて思ってさ。これって、不思議だよねぇ?」

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