6 毛だらけの服は月光を浴びて

 近野にはパーカーを貸して、フードを被ってもらうことにした。

 こうすれば首筋も隠せるし、体格の差もあって袖が余るため手元も隠せる。


 足の毛を隠すためにズボンを貸してみたのだが、これはだめだった。尻尾がどうにもうまく収まらないのである。

 仕方が無いので、彼女が元々着ていた制服のスカートをそのままに、尻尾は巻いて中に隠してもらうことにした。


 後はストッキングかニーソックスかで膝元の毛を誤魔化すことができれば良かったのだが、あいにく(というか、当然)我が家にそんなものはなく、まあ夜だし、遠くから見られる分にはごまかせるだろうということで、そのままにすることにした。


 ホームセンターのカザミには何か隠せるものものが売っているかもしれないが、とっくに営業時間外だった。

 コンビニまでは自転車に乗ってもかなりの距離があるし、不登校の高校生である俺が女性物を買うなんて、恥ずかしくてできそうになかった。自意識過剰だとはわかっているが。


「ごめんなさい、お借りした服、毛だらけになっちゃいそうです……」

 と、もはや聞き慣れた謝罪を入れられる。


 別に洗えばいいだけなので、好きに毛だらけにしてくれていいんだが。

 ただ、異性の服に自身の毛が付いてしまうなんていうのは、年頃の女子にとっては耐え難いことなのかもしれない。


「じゃ、行こうか」


「尾先くんも来てくれるんですか?」

「この近くで妙なことが起こっているらしいのに、そのまま放っておくのも気持ちが悪い話だろ。原因があるなら知っておきたいし」


「本当にすみません、こんなことに付き合わせてしまって……」

 背後に声を聞きながら、目を瞑って深呼吸し、玄関の戸を開ける。


 暗闇の中に踏み出すと、初夏の夜の匂いや、わずかな海の気配が鼻に絡み付いて、少しだけ体が緊張した。


 懐中電灯を点けて家の前の通りまで出て行くと、満ちつつある月が、雲の隙間からこちらを監視しているように思えた。


「尾先くん、大丈夫ですか? やっぱり、私一人で行ってきましょうか……?」


 黒いフードで顔を隠して、不審人物のようにも見える近野が、心配そうに尋ねてくる。枝高で同じA組なのだから、俺が学校に通っていないことは知っているはずだし、もちろんその理由も承知しているだろう。


「大丈夫だよ。少し外を出歩くくらい、なんともない。それより、早く行こう」


 そう言って神社の方へと歩き出そうとした、そのときだった。


 背後からハッキリとした光源が一つ、こちらを照らしているのに気がついた。

 フラフラと左右するその光は、だんだんと大きくなってくる。……誰かが、こちらに来ているのだ。


 まずい、と思って振り返ると、その影はすぐ後ろにまでやってきていた。


 キィ、という金属音がして、それはぴたりと止まる。


「おおっ?」


 近野を隠すように前に出た俺の耳に入ってきたのは、数時間ぶりに聞く間の抜けた声だった。

「茶介、どうしたんだべ、こんな時間に」


 月明かりに、声の主の顔が浮かび上がった。

 間の悪いことに定評のある男、九重然人がそこにいた……夕方と同じ自転車に乗って。

 俺はドキッとさせられた仕返しに、然人の顔を懐中電灯で照らしてやった。


「うおっ、まぶしっ、まぶしっ!」

「お前こそ、こんな時間に何してんだ」

「いや、えーと、その。あ! ほら、お前結局、カザミに来なかったじゃんか。だから、死んでねえべなーって様子を見に来たんだよ!」

「こんな時間にインターホン連打するつもりだったのか、お前は」


 俺はスマホを取り出して、液晶をちらりと見る。時刻は間もなく、十一時半になろうかというところだ。まさかそこまで非常識なヤツだったとは。


「そんなことより、あんまり人を心配させるもんじゃねえべ、茶介。来ないつもりなら来ないってハッキリ言っといてくれよ。何かあったのかと思って、結局様子見に来ちまったじゃねえか!」

「だから、いつもいつもそれがお節介だって言ってるんだよ。絶対に行くなんて言ってないだろ、だいたい」


 自分が寝過ごしたことを棚に上げて、俺は然人に反論する。我ながら、捻じ曲がっていると心のどこかで感じながら。


「あ、あの……すみません。怒らないであげてください。尾先くんが家にいたのは、あの、私のせいなのです……」

 ここで、近野が話に飛び込んできた。何とかごまかすつもりだったのに、お前が入ってきてどうするんだ。


 案の定、然人は近野のことをまじまじと見て、その場で固まってしまった。

 近野自身が訴えるように然人の顔をまっすぐに見ていたため、せっかくフードに隠した顔も全部見えてしまっただろう。

 家から出て数歩でバレるなんて思ってなかったよ、こっちも。


 どうやら彼女の瞳は、メデューサの瞳だったらしい。然人はぴたりと動きを止めてしまった。

 肉体が動くようになったら、都合よく近野と出会ったことだけ記憶喪失になってくれないだろうか――なんて身勝手な祈りが届くはずも無い。

 然人は首から下を硬直させたまま人形のように首をこちらへ向けてきた。俺は観念して、ぼそりと口を開く。


「然人、あのさ、実は……」

「茶介、お前え! そういう予定があるんだったら、そう言えよ!」

「は?」


 然人は呪縛から解き放たれると、俺の背中をばしばしと叩いた。あまりに強く叩かれたので、俺は若干むせてしまう。


「しかもなんだ、コスプレってやつだな! いや、特殊メイク? お前、なんて上級者だったんだよ……!」

 こちらの心配とは裏腹に、何か良からぬ勘違いをされたことだけはわかった。くそ、普段は察しが悪いくせに、妙なところだけ思考が飛躍しやがる。


「あの、違うんです。私、尾先くんとはそういう関係じゃなくって、この顔も、そういう類のものではなくって、先ほどですね……」

 せっかく勘違いしてもらえたのに、それをしっかりと訂正する真面目な近野さん。駄目だ。天然二人を会話させてはいけない。話がどっちに転ぶか予測ができない。


「近野、俺から説明していいか……?」

 すっかりテンションの上がってしまった然人をよそに、俺は聞いた。

 近野は少し迷ったような素振りを見せながらも、俺と然人の仲を見て取ったのか、ゆっくりと頷いた。……迷うまでも無く、黙っていたら全部話しそうだったけどな。


 ともかく、彼女の許可を得たことで、俺は然人に大まかな事情を話した。

 不思議な現象に出会ったこと、突然尻尾や耳が生えてしまったこと、俺の家が近かったので助けを求めにきたこと、なんかを。


「……ははん。なるほど、良くわかんねえけど、おかしなことになってんだな! そういや、格好が不審すぎて気づかなかったけど、下は枝高の制服だもんな。えぇと、誰だっけ……」

「あ、はい。近野里咲です。尾先くんと同じ、A組の」

「近野? A組の……?」


 然人はしばらく顎に手を当てて不思議そうにしていたが、じっと近野の目を見ていたら思い出したらしく、ぽん、と手を叩いた。


「ははあ、なんとなく思い出してきたべ。窓側の席だったっけ? 悪い、違うクラスだからピンと来なかった」

 にかっと笑い、然人は自転車にまたがると、来た道を戻ろうとした。左手を爽やかに上げながら。


「人の恋路を邪魔するヤツは、馬に蹴られて死んじまえってな」

「だから、そういう関係じゃねーっての」


「そういや、こんな時間にどこに行くつもりだったんよ。今、家から出たとこだべ? それとも帰ってきたところか?」

「ああ……どうも裏の山の方で気を失っている間にそうなったらしいから、とりあえず現場を見に行ってみることにするよ」

 俺がそう言うと、ぴくり、と然人の体が動いた。そして彼は背を向けながら、空を見上げた。


「裏の山か……そういや小さいころ、茶介のじーさんによく遊ばせてもらったよな」

「あ、ああ」

「なるほどなあ。何か久々に、あの山の様子見たくなってきちまった。……なあ茶介、一緒に行ってもいいか?」


 然人はこちらに向き直り、急にムカつく笑顔を向けてきた。

「人の恋路を何とやらって言ってたのは、どこのどいつだ。そもそも恋路じゃねーけど」

「まあまあ、旅は道連れ、世は情けってな! おれにも一枚かませてくれよ、相棒」


 態度や言い方は気に食わなかったが、二人で行くよりは三人で行った方が、手がかりがあれば見つけやすいかもしれない。

 また、この辺りの地理に明るい然人がいてくれるのは心強くさえある。それに……今のテンションを鑑みるに、熱が引くまでコイツは監視しておいたほうが良さそうだった。誰かに会ったら、さらっと話を広めてしまいかねない。


 はじめは然人に気圧されておどおどとしていた近野だったが、次第に落ち着きを取り戻したようだ。


「尾先くんも、私と二人きりよりお友達がいた方が、気が楽ですよね。それに然人くんには、もう私のこと話してしまっているわけですし」

「じゃ、決まりだな! よし、ふもとまで競争しようぜ!」

 然人は大きくUターンすると、全速力で山に向けて自転車を転がしていった。……いや、自転車に敵うわけないだろ。


「賑やかな人ですね、然人くんって」

 ぼそり、と近野が呟く。

「嵐みたいなやつだよ。全部ぶっ壊して帰っていく」


 砂埃が過ぎ去ったあとを、近野と二人で歩いていく。


 山のほうに向かうにつれ、木々の影が大きくなり、自然に飲み込まれていくようだった。

 懐中電灯で真上を照らすとそれが見慣れた枝と葉であることがわかるが、そうでなければ真っ暗な闇の手のようにも思える。

 大通りをまれに走る車の音も遠ざかってきており、少し不気味だった。鼻を撫ぜる香りも、人間世界のものではなく、自然のそれへと変わっていく。木々に草に、生きている土の香りだ。心なしか、歩くうちに近野との距離が縮まっていた。


 舗装された道路が終わり、神社への道と私道と、山道が二手に分かれている場所にたどり着くころには、黒々とした枝のカーテンに空が覆われていた。

 先に着いていた然人は待ちくたびれていたらしく、自転車のスタンドを立てて無駄にペダルを漕いでいる。


「何やってんだ」

「全速力で漕いだら、どれくらい明るくなるか見ようと思ってさ。速度上げまくってもあんまり変わんないんだな、これ」

 自らの検証結果に満足したのか、彼は自転車を飛び降りて、ポケットからスマホを取り出し、ライトを点けた。


 この分かれ道を左手に行けば、話題の神社だ。が、然人は何の迷いもなく右手に向かって歩き始めた。


「おい、そっちはウチの私有地だって。何登ろうとしてんだ」


「え?」

 俺の指摘に疑問の声を上げたのは、驚いたことに然人ではなく、近野の方だった。彼女のほうを見ると、こちらをぽかんと見つめている。俺、何かおかしなことを言ったか?


「どうした、近野」

「あ、いえ! 尾先さんのお宅の私有地だったのですね。私、知らなくって……ごめんなさい! 何度も登ってしまっていました」

「あー、わかるべ。おれもさ、昔尾先のじーさんに遊ばせてもらってたから、この先が私有地だったって知ったのつい最近でさ」


「そうじゃなくって」

 俺は何か、大きな勘違いをしていたのかもしれなかった。

 祠といえば、当然左手の道を登ったところにある小さな神社のことを指していたのかと思っていたのだが、まさか。


「近野、お前が今日登った道って、左じゃなくて、今然人が登ろうとしてる右側の道か?」

「え、あ、はいっ。すみません、無断で立ち入ってしまっていて、次からは」

「だから、そうじゃなくてさ。……今日はどっちの道を登ったんだ」

「……右側の、道です」


 然人が先ほどから言っている通り、俺はジジイの家に遊びに来るたび、彼らと一緒に何度もこの道を登った。

 右側は神社に行くのと同じような段差の道が続いていて、途中、ちょっとした広場……階段でいう、踊り場のような空間があり、その先をさらに三分ほど行くと、林の中に溶けていくように道が消えていっているはずだった。


 近野がお願い事に行くような祠は、この道の先にはない。少なくとも、記憶の中には。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る