第3話

十一月の初旬、秋の気配が濃厚になり始めた。

街路樹も葉を色づかせ始めて秋の装いを始めている。商店街ではハロウィンが役目を終えて駆逐され、顎髭豊かなサンタクロースが先頭を切ってクリスマスのアピールとプレゼンをし始め、それに便乗する形でクリスマスセールの始まりを告げるチラシや幟旗が至る所で見られるようになった。

付き合い始めて3ヶ月ほどではあるが、お互いに飲みに行ったり、週末の日帰りデートを数回楽しんだ以外は、本社から唐突に関東工場への1ヶ月に及ぶ長期出張の指示のため主にスマホで連絡を取り合うだけとなっていた。その出張も昨日で終わり当日遅くに帰宅して、今日は休日ではあるけれど朝から関係データを纏めているところだった。

卓上に置いたスマホが軽い音でメッセンジャーアプリの着信を告げた。


『井川湖は紅葉がとっても綺麗です。誠さんはお仕事中ですよね、景色だけでもお裾分けです』


そう書かれた文面の下に色彩豊かな紅葉に包まれた美しい湖畔の写真が添付されていた。

秋の青空の元で色とりどりに染まった山々の木々と、少し色が濁りながらも水を湛えた湖面の調和が見ている私を和ませてくれる。


『行けなくてごめん』


そう返信するとすぐに既読がついて返事が返ってきた。


『お仕事ですから仕方ないです。旅館で二日間過ごしたら帰りますね』


少し悲しそうな顔をしたスタンプが送られてきて、それを見て心の中でも詫びた。


『ごめんね』


『私は大丈夫ですから、しっかりと写真撮って送りますね』


元気の良い女の子の顔のスタンプが「がんばれ」と応援してくれていた。

結局、一人旅にしてしまったが、この旅行も最近決まったものではなく、付き合い始めて少しした頃、仕事を終えて2人で居酒屋に立ち寄って飲んでいて纏ったものだった。


「誠さんは休日はどんな感じで過ごしてるんですか?」


ビールジョッキを持った兎卯香が不意にそんなことを尋ねてきた。


「休日ねぇ、寂しい男の休日を聞く?」


「寂しいかどうかは私が判断します。でも、もし、ずっと寝てますだったとしたら、それは寂しい男の休日ですけどね」


兎卯香はそう言って微笑んだ。そこまで言われれば、私の休日は寂しくはないように思える。


「美術館とか、動物園に行ったりしてるよ、帰宅したら地図を見て連休にバイクで旅するルートを考えてるよ」


静岡市は文化芸術の都と言っても過言ではないと私は考えている。

普段の休日は静岡県美術館で私は絵画を鑑賞して、そして日本平動物園でのんびりとレッサーパンダとペンギンに心を癒され、帰宅してからは業務の勉学や地図を見ながら一日を終える。連休の過ごし方は、もっぱら大型バイクでのツーリングか、もしくは東郷と2人で小旅行と行った感じだった。東郷には寛容な奥さんと可愛い娘さんが2人いるので、気軽に出かけられないが、それでも、1ヶ月に1回はツーリングに出掛けている。


「いい休日の過ごし方じゃないですか。私も今度、ご一緒させてもらえたら嬉しいです。でも、誠さん、バイク乗ってるんですね」


「うん、趣味でね」


「どんなのに乗ってるんです?」


「ホン○のゴールウイングって言ってわかるかな?」


バイクの車種名を言って今どきの子に通じるか心配になる。でも、その心配は杞憂に終わった。


「あ、知ってます!大型のですね」


お酒に酔って赤く染まった頬が可愛いらしい。兎卯香を見ていると今だにこんな冴えないおじさんの私のどこに惚れ込んだのかわからなくなる。


「バイクの名前がわかると言うことは、もしかして兎卯香・・・も免許持ってるの?」


名前呼びはやはり気が引ける。

されど、彼女は一番にそれを望んだ。そうしないと誠さんは駄目になりますと、いまいち意味が理解できないことを言って、2人きりでいるときはそうなった。まぁ、仕事とプライベートの分別はついているのでそこは素直にありがたいと思う。


「持ってます、取らされたと言ったほうがいいのかな・・・。休日に私もドライブしたりしてますから」


そう言って自分のスマホを操作して画面をこちらへと見せてきた。

ライダースーツにジャケット類などの基本装備をきちんと着こなした兎卯香が、一風変わったバイクに跨ってピースしている写真だった。


「どこのバイク?」


「ふふ、ヤマ○のナイケGTと言うんです」


静岡はバイクで有名な企業の発祥の地でもある。まぁ、この言葉を西部と東部に住んでいる人に喋ると、たまに厳密な解釈が飛んでくるので気をつけてほしい。

特に浜松では気をつけることをお勧めする。


「3輪だね」


ナイケンは前方2輪、後方1輪のバイクである。3輪は安定性に優れているので若い女子でも気兼ねなく乗れるような気もする。まぁ、この大型の場合はお値段を気にしなければであるけれど。


「祖父が乗る予定だったんです。」


「お爺さんが?」


「うちは母子家庭でお金なんてなかったけど、母方の祖父はそれなりに財産があったんです。母と祖父は仲が悪くて、私が小さい頃から関係を取り持っているような感じでした。その祖父の趣味がバイクでしたから、乗せてもらって教えてもらっているうちに免許までと言う感じです。」


どおりで時より古臭い例えを使うことの納得がいった。多分、一般教養などもその祖父から教えてもらっていたに違いない。


「脳梗塞で乗れなくなってしまったので、私に乗れって譲り受けました」


「なるほど、でも、乗ってもらえてるならお爺さんも喜んでるでしょ」


「ええ、それは喜んでくれてます。たまに動画撮って見せるんですけど、運転が荒いだ、ブレーキが遅いだと小言ばかりいうので困りますけど・・・」


頬を少し膨らませながら怒るそぶりを見せる。でもその顔には笑みがあった。とても優しく祖父を思う微笑ましい笑みを浮かべている。きっと大切な孫のことなのだからことのさら気になるのだろう。


「それは大変だね」


その光景がふと考え浮かんで思わず苦笑いをしてしまう。


「あ、そうだ、ツーリングしませんか?」


「いいね、どこいこう」


「はい、ちょうど走ってみたい道があるんですよ」


そう言って彼女がスマホを操作して画面を再びこちらに見せた。

夢のつり橋と書かれたホームページがあった、エメラルドグリーンの湖にかかる美しいつり橋と美しい山々が旅情を誘う。


「素敵なところだね、大井川沿いを上がっていく感じかな・・・」


「ええ、紅葉の時期がお勧めだと思います」


「よし、秋頃に行こうか」


それまでには関係も深まっているだろうか・・・、いや、呆れられて捨てられてしまっているかもしれない。


「ええ、じゃぁ、楽しみにしてますね!」


それから2人で3ヶ月をかけて考えに考えたツーリング計画だったが、結局、兎卯香1人で行かせてしまった。ツーリングの楽しみは取っておきますね。と彼女は、大井川鐵道とバスとタクシーを乗り継いで旅をしている。

あの計画を立てている時の笑顔を思い出す度に胸の奥に痛みが走る。


「さて、仕上げるか」


そう言って、私は再び仕事へと意識を集中させた。関東工場の出張はもうすぐ稼働させる島田市に新しく作られた静岡工場に土壇場で設置されることとなった営業所のデータとして活用しなければならない、その為に早急にまとめておく必要があった。


「あれ、課長、戻られてたんですか?」


成長した若林が書類をまとめていた私を見つけて声をかけてきた。ああ、休日の電話当番は彼だった。


「ああ、月曜日の会議にデータをまとめないと・・・」


「え?月曜日の会議は木曜日に移動になりましたよ?昨日、佐橋部長が課に来られて、あんなことがあったとでは彼も大変だろうから、木曜日に変更したと言っておられましたけど・・・」


「え?」


大慌てで社内の共有カレンダーを確認する。若林のいう通りに月曜日に開催予定であった島田工場会議は木曜日へと変更されていた。

焦りのあまり業務カレンダーでさえ把握していなかったようだ。


「えっと、課長、兎卯香さんのこと聞いてます?」


困惑したように若林が言った。


「兎卯香がどうしたの?」


思わず名前で読んでしまった。


「あぁ・・・やっぱり言ってないんですね・・・」


呆れたようにそう言いながら、彼は課内纏められている新聞紙の束から一部を抜きだすと、ペンを走らせて閉じると、それを私の机の上に置く。


「課長、先に謝ります。ごめんなさい。でも、ちょっと、兎卯香さんに無理させすぎじゃないっすか?」


軽く睨みつけるような視線を私に向けて若林が言う。


「無理させすぎ?」


「ええ、無理、いや、甘えすぎですよ」


そう言って彼は足速に部屋を出て行った。閉まる扉の音が妙に大きかった。


「なんなんだよ。まったく」


そう言って彼が机の上に置いた新聞を開いて記事に目を向けた。


[静岡駅前で通り魔殺人事件]


センセーショナルな見出しが踊っていた。出張中のホテルのテレビでそんなニュースをやっていたことは記憶にあった。

東郷と業務について電話で今後の話を詰めているときに耳からそんなニュースは入ってきていたが、正直、気にも止めていなかった。その時、東郷の声色がいつもと違い、何か言いたそうにしていたことは覚えていた。


[○日午後18時頃、JR静岡駅構内にて男が刃物を振り回し通行人を次々と襲う事件が発生した。20人近くを襲い死者2名、多数の重軽傷者を出す大惨事となったが、近くを歩いていた女性が揉み合いとなった末にその場で犯人を取り押さえた。女性も軽傷を負ったが命には別状はないとのこと。なお、警察当局は本人からの希望として氏名等を明かしていない。逮捕されたのは・・・」


手が震えて新聞を落とした。

女性は兎卯香で間違い無いだろう。正義感の強い彼女のことだ。相手に毅然と立ち向かう姿がすぐに想像できた。きっと、東郷にはその知らせが入っていたのだろう。でもきっと兎卯香のことだ、私に知らせまいと東郷にも釘を刺したに違いない。


「若林、君のいうことはもっともだよ」


チェアに腰を落として私は頭が真っ白になった。

すぐにでも兎卯香の元に駆けつけなければならないと焦ったが、いや、兎卯香はそんなことは望んでいないことも理解できた。


それは、一種の甘えだけれど。


私はその日一日をかけて資料を全力で纏め上げた。ちょうど時計が午前2時を超えた頃にそれは仕上がり、私はそのまま迷惑も考えずに東郷へと電話を掛けた。


「おぃ・・・何時だと思ってるんだよ、はい、東郷です」


起こされた不満が寝ぼけ声で受話器から聞こえた。スマホではなく、会社の業務電話からかけたので慌てて出たことが窺える。


「悪いね、こんな時間に」


「大河原か?何してんだ、こんな時間に」


「今、島田工場の資料を仕上げたところだよ。いきなりで悪いけど、明日と明後日、有給を取る」


「有給か、ああ、いいと思うよ」


不満な声などどこに行ったのか、爽やかで優しい声で返事が返ってきた。


「すまない。よろしく頼む」


「任せとけ、っていっても、みんなできるからなぁ」


「そうだなぁ、素敵な仲間だよ」


「そうだな、だからこそ、それ以上を失うなよ」


「ああ、分かってる。迷惑かけてすまなかった」


彼の言葉の思い意味は痛いほど理解できる。


「迷惑なんて思っちゃいないさ、課長を補佐するのが仕事だからな」


「ありがとう」


「気にすんな、じゃな」


「うん。奥さんにもよろしく」


「伝えとくよ、今起こされて不機嫌さ」


「重ね重ね、申し訳ない」


「まぁ、いいさ、じゃ」


そう言われると電話は切れた。東郷には迷惑と心労を本社の頃からかけっぱなしだ。


「本当にありがとう・・・」


主人のいない東郷のデスクを向いて頭を下げる。

足早に荷物を纏めて入り口の近くにあるホワイトボードの自分の名前に「有給」と記して、私は大慌てで支社を後にした。

兎卯香に一刻でも早く会いに行くために・・・。

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